第127話 軍事利用
数日後。
ヴァイスラント皇城の地下深く。
誰にも知られることのない秘密の執務室では、今夜も燭台の炎だけが静かに揺れていた。
円卓を囲むのは、宰相グレゴール、外務大臣レオンハルト、そして腹心の側近たち。
机の上には、新たな書類の束が幾重にも積み重ねられている。
レオンハルトは、その中の一枚を手に取ると、静かに口を開いた。
「次の段階へ進む」
「暖房器具だけでは弱い」
「皇帝陛下を失脚させるには、より重い罪が必要だ」
側近の一人が緊張した面持ちで問い返す。
「……重い罪、ですか」
グレゴールは静かに頷いた。
「国家反逆だ」
「そのためには、魔導暖房器具の技術が軍事利用されていたという証拠を作らねばならん」
部屋の空気が一気に張り詰める。
魔導暖房器具は、人々を寒さから救うためだけに生まれた魔導具だった。
戦争とは最も縁遠い発明。
だからこそ、その平和の象徴を反逆の証へと変えることができれば、人々に与える衝撃は計り知れない。
レオンハルトは静かに命じた。
「兵器開発計画書を作成しろ」
「もちろん、存在しない計画だ」
机の上へ、一枚の羊皮紙が置かれる。
文官は深く息を吸い込み、慎重に筆を走らせた。
『高出力火属性魔法石を利用した広域焼却兵器試作計画』
『研究責任者 皇帝直属魔導研究室』
無論、そのような研究は一度たりとも行われていない。
だが、文面だけを見れば正式な研究計画書そのものだった。
別の側近も、新たな報告書を書き始める。
『軍事転用実験 第三回報告』
『高出力魔法石の出力試験成功』
『実戦配備を視野に入れた改良を進める』
実験は存在しない。
研究も存在しない。
そこに記されたすべてが虚構だった。
さらに別の文官は、一枚の命令書を書き上げる。
『皇帝勅命』
『高出力魔法石を極秘裏に確保し、軍事研究を最優先とする』
完成した文書へ、偽造された皇帝印が静かに押される。
その印影は、本物と寸分違わなかった。
紙質。
筆跡。
印章。
さらには長年保管された文書特有の風合いまで忠実に再現されている。
一人の側近が思わず息を呑んだ。
「……これでは、本当に存在した計画としか思えません」
グレゴールは静かに答える。
「だから作るのだ」
「真実など必要ない」
「人は、自ら見たものよりも、記録されたものを信じる」
レオンハルトも冷たく微笑んだ。
「証拠とは積み重ねるものだ」
「一枚では偽物でも、百枚揃えば歴史になる」
部屋は静まり返る。
誰一人、その言葉へ反論する者はいなかった。
一方その頃。
皇城の魔導研究室では、まったく違う未来が語られていた。
エルンストは設計図を見つめながら静かに言う。
「照明だけではない」
「人々の暮らしを、もっと便利にできるはずだ」
クロエも嬉しそうに頷いた。
「うむ」
「湯を沸かす魔導具も面白そうじゃ」
「洗濯や入浴にも役立つじゃろう」
ミアの表情も自然と明るくなる。
「お年寄りや小さなお子さんにも喜んでいただけますね」
その横では、リリとアルが設計図の上を元気いっぱいに飛び回っていた。
『今度は何ができるかな!』
『もっともっと、みんなが笑顔になるぞ!』
『早く作ろうよ!』
研究室には笑い声が絶えない。
そこにあるのは、人々を幸せにしたいという純粋な願いだけだった。
戦争など誰一人考えていない。
軍事利用など夢にも思っていない。
しかし、その平和のための研究成果は、地下深くの密室で少しずつ別の姿へと書き換えられていく。
存在しない兵器開発計画。
存在しない研究報告。
存在しない命令書。
真実は、一つとして存在しない。
それでも、資料だけは完璧だった。
光のために生まれた技術は、黒幕たちの手によって「戦争のための技術」へと姿を変えられていく。
こうして皇帝エルンストと未来の皇妃ミアを反逆者へ仕立て上げるための偽りの歴史は、今日もまた音もなく積み重ねられていく。
誰にも知られることなく。
静かに。
そして、確実に。




