第118話 動き出す策謀
深夜。
ヴァイスラント皇城の地下深く。
誰も立ち入ることのない古い文書保管庫の一室。
厚い石壁に囲まれたその部屋では、燭台の炎だけが静かに揺れていた。
円卓を囲むのは、宰相グレゴールと外務大臣レオンハルト。
そして、二人が密かに抱え込んだ数名の側近たちである。
机の上には、帳簿や公文書、封蝋の見本、そして数多くの記録簿が整然と並べられていた。
グレゴールは一冊の帳簿を静かに閉じる。
「始めよう」
短いその一言で、部屋の空気が張り詰めた。
側近の一人が恭しく書類を差し出す。
「こちらが帝国会計局より入手した、魔導暖房器具事業の正式な収支報告です」
レオンハルトは内容を確認すると、小さく頷いた。
「見事な成果だ」
「利益も普及率も、当初の予測を大きく上回っている」
しかし、その口元には冷たい笑みが浮かんでいた。
「……だからこそ都合が悪い」
グレゴールは淡々と命じる。
「まずは会計帳簿を書き換えろ」
「利益の一部が皇帝直轄予算へ密かに流れたように見せかける」
「一度に改竄するな」
「数か月かけて、少しずつ数字を変えていけ」
「承知いたしました」
別の側近が続ける。
「認可工房の製造記録も変更いたします」
「架空の工房を登録し、出荷記録を分散させれば、生産数の辻褄が合わなくなります」
レオンハルトは満足そうに頷いた。
「よい」
「存在しない工房なら、後からいくらでも証拠を作れる」
さらに一人の男が、小箱を差し出した。
中には精巧に彫られた印章が納められている。
「こちらは試作品です」
「皇帝印の複製になります」
グレゴールはそれを手に取り、じっと見つめた。
「まだ甘い」
「本物と見分けがつかぬ精度まで仕上げろ」
「少しでも違和感があれば、すべてが水泡に帰す」
「必ず完成させます」
職人は緊張した面持ちで頭を下げた。
再び部屋は静寂に包まれる。
やがてレオンハルトが静かに口を開いた。
「証拠とは作るものだ」
「人は自ら見たものより、紙に記されたものを信じる」
グレゴールも静かに頷く。
「一枚では偽り」
「十枚では偶然」
「百枚揃えば、人はそれを真実と呼ぶ」
「だからこそ、今から積み重ねる」
側近たちは一斉に頭を下げた。
「はっ」
その夜から作業は始まった。
本物の帳簿を書き写す者。
数字を書き換える者。
封蝋を研究する者。
皇帝印の複製を進める者。
誰一人として派手な仕事はしていない。
だが、その小さな改竄が積み重なれば、やがて巨大な偽りの歴史となる。
誰にも気付かれぬように。
誰にも疑われぬように。
数か月、あるいは一年という歳月をかけて。
ゆっくりと。
確実に。
一方その頃。
皇城の魔導研究室では、エルンストとミア、そしてクロエが新たな魔導具について語り合っていた。
リリとアルは窓辺を飛び回り、降り積もる雪を眺めながら楽しそうにはしゃいでいる。
『今年も雪がいっぱいだね!』
『次はどんな発明ができるかな!』
研究室には笑顔があふれていた。
その穏やかな時間のすぐ足元で、これほど巨大な陰謀が動き始めているとは、誰一人知る由もない。
陰謀とは、一夜にして完成するものではない。
偽りの証拠を積み重ね。
偽りの記録を残し。
偽りの真実を作り上げる。
その最初の一歩は、誰にも気付かれないほど静かに踏み出された。
こうして、皇帝エルンストと未来の皇妃ミアを「謀反人」へと仕立て上げる壮大な策謀は、水面下で、着実にその牙を研ぎ始めるのであった。




