第116話 黒幕
深夜。
ヴァイスラント皇城の地下深く。
普段は誰も立ち入ることのない、小さな会議室。
厚い石壁に囲まれたその部屋には、燭台の火だけが静かに揺れていた。
円卓を挟み、二人の男が向かい合って座っている。
一人は、帝国政務の頂点に立つ宰相――グレゴール。
もう一人は、外交のすべてを担う外務大臣――レオンハルト。
皇帝を支える最高位の重臣である二人は、人知れず密会を重ねていた。
レオンハルトが静かに口を開く。
「順調です」
「クラウス皇兄殿下は、少しずつ我々の提言へ耳を傾けてくださるようになりました」
グレゴールは目を閉じたまま、小さく頷く。
「焦る必要はない」
「殿下は善良なお方だ」
「だからこそ、自ら正しい道を選んでいると思っていただかなければならん」
レオンハルトは薄く笑みを浮かべた。
「善意ほど扱いやすいものはありません」
「帝国を良くしたい」
「民を救いたい」
「その想いは、人を最も容易く動かします」
グレゴールは静かに目を開く。
その瞳には、感情ではなく冷徹な理性だけが宿っていた。
「我々の目的は、皇帝陛下を亡き者にすることではない」
「そのような愚策では帝国は乱れる」
「必要なのは、失脚だ」
レオンハルトも静かに頷く。
「皇帝としての信用を失っていただく」
「そうすれば、政治は再び我々があるべき姿へ導くことができる」
部屋に静寂が流れる。
やがてグレゴールは、机の上に置かれた一枚の書類へ視線を落とした。
そこには、改革によって失われた利権の一覧が記されている。
薪商会。
暖炉工房。
旧式魔導具工房。
貴族商会。
長年、帝国を支えてきた産業の名が並んでいた。
「エルンスト陛下は優れた皇帝だ」
グレゴールは静かに呟く。
「民を救い、帝国を豊かにした」
「その功績は疑いようもない」
一呼吸置き、その声はさらに低くなる。
「……だが、優れた皇帝であることと、正しい政治とは必ずしも同じではない」
「国は理想だけでは治められぬ」
レオンハルトも静かに笑った。
「時代は変わりすぎました」
「民は皇帝だけを見ている」
「このままでは、貴族も官僚も、国を支えてきた者たちの声は失われます」
グレゴールはゆっくりと立ち上がる。
「ならば、時代を正すまでだ」
「正義というものは便利だ」
「掲げる者によって、いかようにも姿を変える」
「正義ほど利用しやすいものはない」
二人は静かに笑った。
その笑みは高笑いではない。
自らの勝利を確信した者だけが浮かべる、冷たい微笑だった。
燭台の炎が揺れ、二人の影を壁へ長く映し出す。
光があるからこそ、影は生まれる。
そして今、帝国の光が強く輝けば輝くほど、その影もまた静かに広がり始めていた。
誰もまだ知らない。
宰相グレゴールと外務大臣レオンハルト。
帝国中枢に立つ二人こそが、皇帝エルンストと未来の皇妃ミアを「謀反人」へと仕立て上げる、壮大な陰謀の黒幕であることを。
静かに動き始めたその策謀は、やがて帝国全土を揺るがす大事件へと発展していくのだった。




