第115話 救済案
数日後。
皇兄クラウスの執務室では、机いっぱいに書類が広げられていた。
魔導暖房器具の普及によって職を失った商人や職人たち。
視察で見聞きした人々の表情が、今もなおクラウスの胸から離れなかった。
「……何か方法はあるはずだ」
静かに呟きながら、彼は一枚の紙へペンを走らせる。
帝国は豊かになった。
多くの民は救われた。
だが、その変化についていけなかった者たちもまた、帝国の民である。
彼らを見捨てることなど、クラウスにはできなかった。
書類には、一つずつ新たな案が書き加えられていく。
――失業者への一時的な生活支援。
――魔導暖房器具を製造する工房への優先雇用。
――職人を対象とした技術講習制度。
――新たな産業へ転職するための職業訓練。
――廃業した商会への再建支援。
どれも利益のためではない。
帝国の未来のため。
そして、取り残された人々を救うための制度だった。
その時、扉を叩く音が響く。
「失礼いたします」
執事が一礼した。
「先日お会いになられた貴族の方々がお見えです」
「通してくれ」
ほどなくして、数名の老貴族が部屋へ入ってきた。
クラウスは立ち上がり、穏やかな笑みで迎える。
「ちょうど良いところでした」
「皆さんにも相談したいことがあります」
そう言って、机の上の書類を差し出した。
「これは……」
老貴族たちは一枚ずつ目を通していく。
再就職支援。
雇用の斡旋。
補償制度。
新しい産業への転換支援。
読み進めるたび、その目には驚きが浮かんだ。
「素晴らしい……」
「ここまでお考えになっていたとは」
クラウスは少し照れくさそうに笑う。
「視察で、多くの人々と話しました」
「誰一人として陛下を恨んではいませんでした」
「ですが、困っている方々は確かにいる」
「その方々にも手を差し伸べることができれば、帝国はもっと良い国になるはずです」
その瞳には、一片の曇りもなかった。
ただ純粋に、人々を救いたい。
その一心だけだった。
老貴族は深く頷く。
「さすがは殿下です」
「民だけではなく、すべての者をご覧になっておられる」
「我らも、この案には全面的に賛同いたします」
「ありがとうございます」
クラウスは安堵したように微笑んだ。
「まだ草案です」
「これからさらに練り直し、陛下にもご相談したいと思います」
「もちろんでございます」
老貴族は穏やかな笑みを浮かべる。
「きっと皇帝陛下も、お喜びになるでしょう」
その言葉に、クラウスは疑うことなく頷いた。
だが――。
部屋を辞した老貴族たちの表情は、一変していた。
廊下を歩きながら、一人が静かに口元を緩める。
「……これでよい」
別の男も小さく笑った。
「殿下は、自ら我らの望む道へ歩み始めてくださった」
「善意ほど扱いやすいものはない」
「帝国を救いたい――」
「その想いこそ、最大の武器となる」
誰も高笑いはしない。
ただ静かに頷き合うだけだった。
それが、かえって不気味だった。
一方、執務室ではクラウスが再び机へ向かっていた。
さらに良い制度にしようと、真剣な眼差しで書類へ赤字を書き込んでいく。
その姿には、打算も野心もない。
あるのは、帝国を想う誠実な心だけ。
しかし、その善意から生まれた救済案こそが――。
やがて黒幕たちの陰謀を完成へと近づける、大切な一手となろうとしていた。




