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婚約破棄されて捨てられた令嬢ですが、隣国の冷徹皇帝陛下がなぜか私を離してくれません!?  作者: Atelier Lotus


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第114話 失われた者たち

 冬の澄んだ青空が広がる朝。


 皇兄クラウス・フォン・ヴァイスラントは、数名の護衛だけを伴い、帝都の商業区を視察していた。


 目的は、魔導暖房器具の普及によって変わりゆく人々の暮らしを、この目で確かめることだった。


 帝都の大通りは、朝から活気に満ちている。


 商人たちの威勢のよい呼び声が響き、買い物客が行き交う市場には笑顔があふれていた。


 魔導暖房器具を扱う店には長い列ができ、人々は嬉しそうに品物を手に取っている。


「本当に便利になったよ」


「薪を運ぶ手間がなくなった」


「子どもが風邪をひかなくなったんだ」


 そんな声が、あちらこちらから聞こえてきた。


 クラウスは静かに微笑む。


「良かった……」


 弟・エルンストが成し遂げた偉業。


 それは確かに、多くの民を救っていた。


 だが、視察はそこで終わらなかった。


 商業区を離れ、裏通りへ足を運ぶ。


 そこには、かつて薪を山のように積み上げていた商会があった。


 広い倉庫は閑散とし、積まれていた薪の山はすでに姿を消している。


 店先にも客の姿はない。


 一人の老人が、静かに店じまいの支度をしていた。


 クラウスは足を止め、穏やかに声をかける。


「ご主人」


 老人は振り返ると、驚いたように目を見開き、慌てて頭を下げた。


「だ、皇兄殿下……!」


「どうか、頭を上げてください」


 クラウスは優しく微笑む。


「少し、お話を聞かせていただけませんか」


 老人は店内を見渡し、どこか懐かしそうに目を細めた。


「この店は父の代から五十年以上続いておりましてな」


「冬になると薪を売り、多くの家へ暖を届けてきました」


 少しだけ笑う。


「ですが……時代は変わりました」


 老人は店の隅に置かれた魔導暖房器具へ視線を向けた。


「今では、うちでも使っています」


「暖かいですよ」


「本当に便利です」


 その言葉に偽りはなかった。


 便利だからこそ、人々は薪を買わなくなった。


 ただ、それだけのことだった。


 クラウスは静かに問いかける。


「恨んでは……おられませんか」


 老人は少し驚いたように目を瞬かせ、それからゆっくりと首を横へ振った。


「いいえ」


「皇帝陛下は悪くありません」


「時代だから、仕方のないことです」


「それに、多くの子どもたちが寒さに震えずに済むようになりました」


「それは、とても喜ばしいことでしょう」


 老人は穏やかに微笑んだ。


 その笑顔が、かえってクラウスの胸を締め付ける。


 さらに視察を続けると、暖炉を製造していた工房にも立ち寄った。


 工房では職人たちが静かに道具を片付けている。


「仕事は減りました」


 一人の職人が苦笑した。


「でも、暖房器具は本当に良いものです」


「私の家にもありますから」


「寒い夜でも、娘がぐっすり眠れるようになりました」


 別の職人も笑顔で頷く。


「仕事は失いました」


「ですが、皇帝陛下を恨む気にはなれません」


「良いものが生まれれば、世の中は変わるものです」


「我々も、新しい技術を学ばねばなりませんな」


 誰一人として皇帝を責める者はいなかった。


 それでも――。


 彼らの暮らしが苦しくなっていることも、また紛れもない事実だった。


 視察を終えた帰り道。


 雪が静かに舞い始める。


 白く染まる街並みを見つめながら、クラウスは小さく呟いた。


「誰も恨んではいない……」


「それでも、救われていない人はいる」


 帝国は確かに豊かになった。


 民は幸せになった。


 だが、その変化についていけなかった者たちもまた、帝国の民である。


 彼らを見捨てることは、自分にはできなかった。


「私に……何かできることはないだろうか」


 その想いは、どこまでも純粋だった。


 誰かを責めたいわけではない。


 皇帝へ異を唱えたいわけでもない。


 ただ、取り残された人々にも手を差し伸べたい。


 それこそが、クラウスという人間だった。


 そして、その優しさこそ――。


 陰で糸を引く者たちが、最も利用したいものでもあった。


 この時のクラウスは、まだ知らない。


 その善意が、やがて帝国を揺るがす大きな陰謀へと繋がっていくことを。

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