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婚約破棄されて捨てられた令嬢ですが、隣国の冷徹皇帝陛下がなぜか私を離してくれません!?  作者: Atelier Lotus


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第111話 正義という名の毒

 それから数日後。


 皇兄クラウス・フォン・ヴァイスラントは、再び老貴族たちと顔を合わせていた。


 場所は前回と同じ屋敷。


 だが今回は宴ではない。


 円卓を囲み、帝国の未来について語り合うための席だった。


 老貴族が静かに口を開く。


「殿下。本日は、一つご相談がございます」


 クラウスは穏やかに頷いた。


「聞きましょう」


 机の上へ、一枚の書類が差し出される。


 そこには、廃業した商会や工房の名が並んでいた。


「暖房器具の普及により、職を失った者たちです」


 クラウスは静かに書類へ目を通す。


 どの家も、長年にわたり帝国を支えてきた職人や商人たちだった。


「……これは」


「事実です」


 老貴族は静かに頷く。


「新しい技術が多くの人々を救ったことは、疑いようもありません」


「ですが、その陰で涙を流す者がいることもまた、事実なのです」


 クラウスは何も言わず、書類を見つめ続けた。


 老貴族は穏やかな口調のまま続ける。


「我らは反対したいのではありません」


「帝国が、より良い国であり続けてほしいだけなのです」


「ならば、救われる者だけではなく、取り残される者にも手を差し伸べるべきではありませんか」


 その言葉は、静かにクラウスの胸へ届いた。


 正論だった。


 だからこそ、簡単には否定できない。


「……確かに」


 クラウスは小さく呟く。


「新しい時代を築くなら、その変化についていけない者への配慮も必要でしょう」


 老貴族たちは顔を見合わせ、満足そうに頷いた。


「さすがは殿下」


「我らが申し上げたかったのは、まさにそのことです」


 しかし、その言葉は少しずつ姿を変えていく。


「陛下は民をご覧になっている」


「ですが、貴族や商人にまで十分目が届いておられるでしょうか」


「その不足を補えるのは、殿下しかおられません」


 クラウスはわずかに眉をひそめた。


「エルンストは、民を思う優れた皇帝です」


「そのことを疑うつもりはありません」


「もちろんでございます」


 老貴族は即座に答える。


「我らも陛下を尊敬しております」


「ですが、人は万能ではありません」


「だからこそ、殿下のお力が必要なのです」


 その言葉に悪意は感じられなかった。


 いや、悪意を悟らせないよう、巧みに選び抜かれた言葉だった。


 帝国のため。


 民のため。


 貴族のため。


 誰もが正義を口にする。


 だからこそ、その言葉は甘く、静かに心へ染み込んでいく。


 会合を終えた帰り道。


 クラウスは雪の積もる中庭を一人歩いていた。


「……私は、何をすべきなのだろう」


 弟を支えること。


 帝国を支えること。


 その二つは、同じ意味だと信じてきた。


 だが今、胸の中に新たな問いが芽生えていた。


 本当に、それだけでよいのだろうか。


 民を救うことは大切だ。


 しかし、長年帝国を支えてきた者たちもまた、救われるべきではないのか。


 その問いに、答えは出ない。


 それでも、心の奥へ小さな種が蒔かれたことだけは確かだった。


 黒幕たちは急がない。


 焦らない。


 一度に心を変えようとはしない。


 正義という名の言葉を幾重にも重ねながら、少しずつ、少しずつ。


 善人であるクラウスの心へ、誰にも気づかれぬよう静かに毒を染み込ませていく。


 それは剣よりも鋭く。


 魔法よりも恐ろしい。


 善意を蝕む、甘い囁きだった。

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