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調整役令嬢は、何も知らない  作者: ナギサト。
『相談室の外へ』
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『まだ十五歳』

ヴァロワ家本家に届く書状は、もともと少なくない。

魔石の流通を扱い、各地の商会や工房、時には貴族家とも取引を持つ家である。商談の打診、納期の確認、礼状、紹介状、相談。フランソワの机へ回されるものだけでも、毎日のように相応の数があった。

だから最初の一通だけなら、特に気にも留めなかった。

先日の舞踏会について、娘がルミエと歓談する機会を得られたことへの礼。

丁寧な文章だった。

クラリス家が主催した会へヴァロワ家の娘も出席したのだから、そこで話した家から一言届くこと自体は珍しくない。フランソワは最後まで目を通し、返礼が必要なものとして脇へ置いた。

二通目も似たような内容だった。

三通目も。

四通目になる頃には、フランソワは書状を置く手を止めた。


「……多いな」


誰に聞かせるでもなく呟く。

もちろん、理由は分かる。

ヴァロワ家は貴族ではない。だが、魔石の流通の中枢を担う商家としてこの国で無視できる家でもない。必要以上に一つの勢力へ肩入れせず、中立を保ってきたことも広く知られている。

縁を作る機会も作りにくい。

だからこそ、付き合いを作っておいて損はない。

今日手紙を送ったところで、明日から特別な便宜を受けられるわけではない。ルミエと一度話したからといって、ヴァロワ家がその家を優先することもない。

そんなことは、書いている側も承知している。

それでも。

何もしないよりは、一通送っておいた方がいい。

娘同士が親しく話した。

息子が紹介を受けた。

踊る機会を得た。

良い時間を過ごしたらしい。

ならば、それを家同士の挨拶へ繋げておく。

上流の家々がそう考えることに、何の不思議もなかった。

商人であるフランソワには、その程度の意図など説明されるまでもない。

むしろ、何もしてこない方が珍しい。貴族にはありがちなやり方だ。

問題は。


「……それにしても、多いな」


もう一度、同じ言葉が出た。

机の端には、舞踏会に関係するものだけで小さな山ができ始めていた。

フランソワは次の封を開く。

娘が大変有意義な時間を過ごせた。

ルミエ嬢の落ち着いた振る舞いに感銘を受けた。

今後また機会があれば、ぜひ親しく話をさせていただきたい。

形式に沿った文面だ。

その次は、少し違う。

自家の子息が緊張していたところを、ルミエが自然な会話で和ませてくれたらしい。

さらに次の家は、ルミエの受け答えが非常に聡明だったと褒めている。

別の書状には、控えめで慎み深い令嬢だったとある。

また別のものには、同年代とは思えないほど堂々としていたと書かれていた。

フランソワはそこまで読んで、ほんの少し眉を上げた。

控えめ。

堂々としている。

慎み深い。

聡明。

親しみやすい。

気品がある。

一つ一つを取り出せば、両立しない言葉ではない。

それでも、これだけ並ぶと少し面白い。

会った者によって、娘の印象が違う。

いや。

違うというよりも。


「……皆、自分が一番気に入ったところを書いているのか」


そう考えれば、自然だった。

ルミエは昔から相手を不快にさせない。

相手が年上なら年上に相応しく、年下なら年下に合わせ、緊張している者にはそれを忘れさせるような話し方をする。

フランソワは、それを娘の長所として知っている。

あの子は人を見るのがとても上手い。

本人がどこまで自覚しているかはともかく、それは疑いようのないことだと思っていた。

次の書状を取る。

今度はクラリス家からだった。

他のものよりわずかに時間をかけて読む。

先日の舞踏会への出席についての礼。

ヴァロワ家側が事前に示した条件への理解。

今後も両家にとって良好な関係を維持したいという意向。

そして文章の終わり近くには、家同士の付き合いとは別に、エレーヌとルミエの友人としての関係について触れられていた。

今後とも、良き友人として付き合っていけることを願う、と。

フランソワは、その一文をもう一度読んだ。


「エレーヌお嬢様……いや、もうエレーヌ嬢か」


何度か顔を合わせている。

礼儀正しく、教育も行き届いている。クラリス家の娘として相応しい少女だ。初めて会った時から随分と時が経ったものだ。

そして何より、ルミエを随分と気に入っている。

父親の目から見ても、それは分かる。

悪い相手ではない。

教育を担うクラリス家は他の家ほど便宜や利害では動かない。立派な家と言えるだろう。むしろ友人として考えれば、安心できる部類だった。


「ありがたいことではあるんだがね」


フランソワは小さく笑い、クラリス家の書状を別に置いた。

ありがたい。

それは本心だった。

娘が遠い王都で孤立しているより、友人を作り、人に好かれ、居場所を持っている方が父親としては安心できる。

心配する理由ではない。

何もない。

だからこそ、少し困る。

机の上に積まれているものの大半は、好意だった。

敵意ではない。

抗議でもない。

要求ですらない。

ただ、

あなたの娘と良い時間を過ごしました。

また会いたいと思っています。

これからも良い関係を持てれば嬉しい。

それだけだ。

止める理由など、どこにもない。

フランソワは椅子の背へ身体を預けた。

視線が、机の端に置かれたもう一つの紙束へ向く。

アニエスから届いた報告書だった。

こちらは礼状とは違い、ずいぶん素っ気ない。

舞踏会当日の到着時刻。

体調。

歓談。

紹介。

休憩。

舞踏。

それぞれに要した時間と、特に注意すべき事項。

主催家であるクラリス側の対応に問題はなく、事前に確認していた条件もおおむね守られた。

ルミエ本人にも大きな体調不良なし。

会の後半では第二王子リュシアンから主催家を通じて舞踏の申し込みがあり、一曲踊った。

その後、二人きりで短時間の会話。

付き添いとしてアニエスが距離を置いて待機。

問題なし。

フランソワの目がそこで止まった。


「……殿下とも、か」


驚くほどではない。

リュシアンとルミエが学園内で以前から言葉を交わしているらしいことはアニエスから報告を受けている。

王族だからといって、同じ学園に通う者同士が話すこと自体はおかしくない。

それでも。

父としては、少しだけ考える。

そして考えた結果、


「まあ、問題がないならいいか」


と報告書をめくった。

アニエスが問題なしと記している。

その点については信用しているし、娘本人に聞いたところで、おそらく似たような答えが返ってくるだろう。

楽しかった。

少し疲れた。

特に問題はなかった。

その程度だろう。

……昔からそうだった。

ルミエ本人の感想は、周囲が彼女について語る言葉よりずっと軽いのだ。

フランソワは最後まで報告書を読み終え、机へ置いた。

そして礼状の山を見る。

アニエスの文章の中に、ルミエが何か大きなことを成し遂げたという記述はない。

誰かを救ったわけではない。

特別な交渉を成立させてもいない。

舞踏会の主役だったわけでもない。

挨拶をし、話をし、踊った。

それだけだ。

なのに、その結果がこれだった。


「……また、増えたな」


知り合いが。

ルミエを知る者が。

娘に何かしらの好意を持って帰った者が。

その数が。

思えば、初めてではない。

ずっとそうだった。

幼少期に誰かと会った時もそうだった。まあ、あの時は相手は泣き出してしまったがそれも良い思い出だ。家の外へ出れば誰かがルミエを覚えた。

そして、学校へ通い始めた頃もそうだった。

商家の者と顔を合わせれば、次に会った時には向こうから声をかけられた。

そして、もっと大きく流れが変わったのは、王都から呼び出しを受けた時だろう。

王家に近い権勢を持つ上級貴族。

依頼という形ではあった。

だが、当時のヴァロワ家に断るという選択肢はほとんどなかった。

まだ年若い娘を連れて王都へ向かい、そこで求められた役割を果たした。

調整役。

いつしか、そんな名前までついた。

最初にその言葉を聞いた時、フランソワは少し妙な気持ちになったものだ。

ルミエ本人は、そんなものになりたがっていたわけではない。

人と人の間に立ちたいなどと言ったこともない。

皆を導きたいとも。

誰かの役に立つことを人生の目標にしているわけでもない。

そして、誰かに求められ、自分が役に立てるのならと、ルミエはいつもそれを受け入れた。

しかし、父親だから分かる。

あの子は本来、もっと普通な子なのだ。

好きな本を読んで、興味のあることを知り、弟であるレオンを誰よりも大切にする。

フランソワの知るルミエは、そういう娘だった。


少なくともフランソワには、そう見えている。

なのに。

誰かがあの子を見つける。

話す。

気に入る。

そして、次の誰かへ繋がる。

ルミエ本人が道を作っているわけではないのに、娘の前に勝手に道が伸びていく。


「一つのところには、収まらないか」


フランソワは小さく呟いた。

王都へ送り出す時にも、似たようなことを思った気がする。

本家に置いておけば安全だ。

ヴァロワ家の娘として、家の中だけで役目を与えることもできた。

けれど、そうしておけば本当に何も起きなかったのだろうか。

おそらく違う。

誰かがやって来たはずだ。

ルミエを必要とする誰かが。

昔から、そうだった。

フランソワはしばらく礼状を眺めていた。

自分が父親だから贔屓目に見ていることは分かっている。

ルミエは良い娘だ。

それについて疑ったことはない。

優しく、聡明で、礼を知り、人に対して穏やかで。

時折、無理をしすぎているように思えるところも、人一倍頑張ってしまうところもあるが、それも含めて愛しい娘だった。

だが。

それだけで、ここまで人の記憶に残るものだろうか。

ふと、そんな疑問が浮かんだ。

ほんの一瞬だった。

フランソワは机の上の書状を一通取る。


『御令嬢のお言葉に、娘も随分と励まされた様子で――』


別の一通。


『我が子も、ルミエ嬢の落ち着いたお人柄に感銘を受け――』


もう一通。


『今後とも、折々に親しくお話しさせていただければ――』


どれも自然だ。

不自然なところなどない。

娘に魅力がある。

それだけの話ではないか。


「……何を考えているんだ、私は」


フランソワは苦笑した。

父親が娘を褒める手紙を読みすぎて、かえって疑ってどうする。

ルミエは昔からそういう子なのだ。

人に好かれる。

その容姿も在り方も、本人の意思とは関係なく人の目を引く。

本人が求めなくても、周囲が何かを与えたがる。

困っている者がいれば、いつの間にか隣に置かれる。

そして最後には、皆が納得して帰っていく。

あの子が何をしたのかと問えば、本人はきっと首を傾げるだろう。


「私は何もしていませんよ、お父さま」


そう答える姿まで想像できてフランソワは少し笑った。

いかにも、ルミエらしい。

けれど。

その笑みは、少しだけ早く消えた。

何もしていない。

その言葉だけが、なぜか頭に残った。

何もしていないのにこんなにも増えていく。

フランソワは無意識に、指先で机を二度叩いた。

十五年前。

初めて娘を抱いた時のことを、細部まで覚えているわけではない。

ただ、あの頃から何となく感じていたものがある。

この子は、自分たちの手元だけで育って終わる子ではないのかもしれない。

当時は、親なら誰でも抱く期待のようなものだと思っていた。

将来はどんな娘になるのだろう。

どんな人と出会うのだろう。

何を好きになるのだろう。

その程度のこと。

けれど成長するたび、ルミエは誰かと出会った。そして、その誰かがルミエを忘れなくなった。

家の者。

学校の友人。

地元の者たち。

商人。

貴族。

王族。

今度は、舞踏会に集まった家々。

娘が歩いた後に、細い線が一本ずつ残っているようだった。

ルミエ本人は振り返りもしない。

その線がどこへ繋がったのか、確かめようともしない。本人は自分がそれほどの影響を与える凄い人物だと気にしてもいない。ただ、目の前に困っている人がいれば手を差し伸べる優しい娘。

それなのに向こう側の者は、その線を大切に握っている。

フランソワは、そこで思考を止めた。


「……考えすぎだな」


十五歳の娘の交友関係について、何を大げさに考えているのか。

今はただ、友人が増えた。

ルミエを好ましく思う家が増えた。

それだけのことだ。

悪い話ではない。

むしろヴァロワ家にとっても、父親としても、歓迎すべきことだろう。

フランソワは椅子へ深く腰を下ろし、長く息を吐いた。


「まだ十五歳なんだがな」


思わず、そう漏れた。

王都へ出てからも、それほど長い年月が経ったわけではない。

それなのに、もうこれだけの名前が娘の周囲に増えている。

これから先。

十六歳。

十七歳。

二十歳。

さらにその先。

あの子は、どこまで行くのだろう。

何かを目指しているわけでもないのに。

何かを欲しがっているわけでもないのに。

気がつけば、いつも人のいるところへ置かれている。

いや。

フランソワは目を細めた。

少し違う。

ルミエが人のいるところへ行くのではない。

人の方が、あの子のいるところへ意味を作ってしまうのではないだろうか。

そこまで考えて。

フランソワは、ほんのわずかに眉を寄せた。

何かが引っかかった。

けれど、その正体を探すより先に、机の上の一通が目に入る。

クラリス家からの書状。

良き友誼を願う言葉。

エレーヌがルミエを大切にしていることは疑いようがない。

その事実に、父親として安堵する。

引っかかりは、それだけで薄れた。


「まあ……」


フランソワは苦笑した。


「君なら、そうなるか」


それが、彼の出した答えだった。

ルミエだから。

あの子だから、人は集まる。

あの子だから、愛される。

それ以上の理由を考える必要はない。

父親としては、それで十分だった。

机の上にはまだ、開いていない封が残っている。

フランソワは次の一通へ手を伸ばした。

そこにもまた、見覚えのない家名が記されていた。

彼は封を切る。

そして、十五歳の娘が自分の知らない場所でまた一つ作った縁を、静かに読み始めた。


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