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調整役令嬢は、何も知らない  作者: ナギサト。
『噂は静かな部屋から』
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『異国の問い』

学園には、休みの日がある。

講義はなく、教師たちの姿も少ない。生徒たちは王都の実家へ戻る者もいれば、寮に残って友人と過ごす者もいる。交流室に集まる者、図書室に籠もる者、王都の商店へ出る許可を取る者。

過ごし方は、それぞれだった。

そしてルミエも、その日は相談室にいなかった。


「休みの日なのに、仕事なのね」


馬車の中で、ルミエは小さく呟く。

向かいに座るアニエスは、いつも通りの顔で答えた。


「ヴァロワ家としての顔合わせです。相談室とは別件になります」

「でも、休みの日に仕事をすると、少しだけ損をした気分になるでしょう?」


悪戯っぽく片目を閉じて見せるルミエにアニエスも僅かに首を傾げる。


「そういうものですか」

「そういうものよ。きっとね」


ルミエが軽く笑うと、アニエスは少しだけ目を伏せた。

否定はしない。理解した、とも言わない。

相変わらず掴みどころの無い主だと内心で嘆息した。



馬車は王都の街路を進んでいく。

今日向かうのは、王都中心部にある商館の一つだった。

貴族家や商家、いくつかの国外関係者も出入りする場所で、表向きは季節ごとの魔石流通に関する顔合わせということになっている。

本格的な交渉ではない。

契約書を取り交わす場でもない。

ただ顔を見せ、挨拶をして、相手の様子を探る。

そういう、地味で、それでいて軽くは扱えない場だった。


「お父さまが来られれば良かったのにね?」

「フランソワ様は別件で外せないとのことです」

「ふふ、大丈夫。それも分かってるわ」


ルミエは窓の外へ視線を向ける。

王都の街並みは賑やかだった。

休日ということもあってか、店先に人が立ち、荷馬車が道の端を進み、商人の声が石造りの壁に反射している。


(相談室より、こっちの方がヴァロワっぽいよね)


そう思う。

ルミエにとって、相談室で生徒の話を聞くことも、こうして商家の娘として会合に出ることも、どちらも“求められたから行く”という意味では変わらなかった。

ただ、こちらの方が少しだけ考えることが多い。

相手の家名。

取引の経緯。

今後の可能性。

どこまで話してよく、どこからはフランソワに回すべきか。

自分で全部を決めるわけではないが、間違った印象を残すわけにもいかない。

とはいえ、いざ人前に立てば、言葉も表情も勝手に場に合っていく。


「……さて、行きましょうか」

「はい」


馬車が止まる。

ルミエは小さく息を整え、扉が開くのを待った。

会合は、特に大きな問題もなく終わった。

広い会議室には、幾つかの貴族家の代理人や商会の者が集まり、それぞれが必要な挨拶を交わしていた。

魔石の輸送経路、来季の見込み、加工職人との取り次ぎ、港湾都市から入る品の遅れ。

話題はいくつもあったが、どれも決定ではなく確認であり、半ば世間話だった。

ルミエはヴァロワ家の娘として挨拶をし、聞かれたことには答え、答えられないことは持ち帰ると言った。


「その件は、父に確認いたします」

「ええ、確かにお預かりします」

「ヴァロワとしても、安定した流通は重要と考えております」


言葉は自然に出ていく。

相手の表情に合わせて声の温度が変わり、必要以上に踏み込まず、しかし不誠実にも見えないところで留まる。

ルミエ自身は、少し疲れたな、とは思っていたが。

会合が終わる頃には、窓の外の光がやや傾いていた。


「お疲れ様でした、ルミエ様」

「ええ。アニエスも」


廊下へ出ると、人の流れは少し落ち着いていた。

まだ幾人かが立ち話をしているが、会議室の中にあった張り詰めた感じは薄れている。


「このあとは?」

「戻るだけです。急ぎの予定はございません」

「それはありがたいわ」


ルミエは少しだけ肩の力を抜く。

そのときだった。


「失礼ですが」


横から声をかけられた。

振り向く。

そこに立っていたのは、どこかで見た覚えのある少女だった。

淡い金茶の髪を結い、落ち着いた色の外套をまとっている。

立ち方に乱れはなく、視線はまっすぐだが、押しつけるような強さはない。


「相談室にいらっしゃる、ルミエ・ヴァロワ様でいらっしゃいますね」

「ええ。ルミエ・ヴァロワです」


ルミエは軽く礼を返す。相談室、という言葉を出したなら学園の生徒なのだろう。


「失礼ですが、貴女は?」


少女は少しだけ頭を下げた。


「イリーナ・ローデンフェルトと申します。カルヴァーニア公国より、王立ヴァルテール学園に留学しております」

「カルヴァーニア……」


ルミエはその名を反復する。

知っている。

少なくとも、ヴァロワ家に生まれてその名を知らない方が不自然だった。


「魔石の産地として名高い国ですね」

「そう言っていただけるなら、光栄です」

「ローデンフェルトの家名も確か」


ルミエの問いかけにイリーナは穏やかに微笑む。


「ええ。父は現国王陛下の弟で、母の家であるローデンフェルト大公家へ入りました」

「大公家の方でしたか。ご丁寧にありがとうございます」


そう言って頭を下げるルミエにイリーナは僅かに目を細める。失礼にならない程度に、しかし、確かに何かを測るように。


「……もしお時間が許すようでしたら、少しお話しできませんか。我が国でヴァロワ家の名前を知らない者はおりません。なにより、こうして学園の外でお会いできる機会は多くありませんので」


アニエスがルミエを見る。

止める理由はない。

ただ、判断はルミエに委ねている。

ルミエは少し考えている様子だった。

急ぎの予定はない。

相手は学園の生徒で、しかも国外から来た大公家の姫。

ヴァロワ家としても、無碍にする相手ではない。

アニエスの想像になるが、恐らくそのような変遷を経てルミエは結論を出したのだろう。


「私でよろしければ」

「ありがとうございます」


イリーナは静かに頷く。


「この建物の一階に、小さな茶室があります。会合の後に使われることが多い場所ですので、長居には向きませんが、少し話すにはちょうどよいかと」

「では、そちらへ」


ルミエが頷くと、イリーナは半歩先に立って歩き出した。




茶室は、商館の一角にあった。

扉を開けると、いくつかの小さな卓があり、そのうちの二つほどに人が座っている。

会合帰りの者たちが軽く茶を飲みながら話しているのだろう。

イリーナは奥の席を選んだ。

アニエスは少し離れた位置に立つ。

会話に参加する距離ではなく、何かあれば動ける距離だった。

茶が運ばれる。

イリーナはカップに手を添え、すぐには口をつけなかった。

そんな彼女を見てルミエは改めて微笑む。


「カルヴァーニアの方とお話しできて嬉しいです。カルヴァーニアは、多くの魔石を送り出す国ですから。流通に関わるヴァロワにとっても、切り離して考えられる相手ではありません」

「ええ、こちらこそ。しかし……こちらでは、産地という言葉に随分と色々な意味が乗るようですけれど」


柔らかい言い方だったが、その中にはほんの少しだけ棘がある。

ルミエはそれを聞いて、困ったように笑った。


「持っている場所を見る人と、使う場所を見る人では、同じ言葉でも聞こえ方が違うのでしょうね」


イリーナの目が、わずかに動いた。


「……面白いことをおっしゃるのですね」

「そうでしょうか」

「……ええ」


イリーナは目を閉じて何かを考えていたようだったが、すぐに先ほど微かに見せた棘を仕舞い込み笑う。


「ルミエ様は学園では、相談室で我々生徒の相談に乗っていると伺っています」

「はい。今はそういう役目をいただいています」

「生徒たちの間でも、少しずつ話題になっていますよ」

「そうなのですか?」


ルミエは首を傾ける。

本当に知らなかった、という顔だった。

イリーナはそれを見て、少しだけ目を細める。


「ご存じないのですね」

「来てくださる方はいますけれど、外でどう話されているかまでは」

「それはそうですね」


イリーナはそこで、ようやく茶に口をつけた。


「相談室に興味がなかったわけではありません。ただ、私の場合は、話を聞いていただくよりも、話をしてみたいと思ったのです」

「私と、ですか?」

「ええ。ヴァロワ家の方と」


言い直すようでいて、言い直しきってはいない。

ルミエはそれを聞いて、静かに頷いた。


「”魔石のヴァロワ”、だからでしょうか」

「その通りです」


イリーナの表情が、少しだけ真剣になる。


「私の国は魔石を産みます。ですが、畑もあり、石炭を使う炉もまだ多く残っています。こちらの国ほど、魔石を主に動いているわけではありません」

「はい」

「産んだ魔石を最も高く、最も効率よく扱えるのは、こちらの国です。特に加工技術では、ベルニエ家の工房が抜きん出ていると聞いています」

「ベルニエ家は、確かに優れた家です」


ルミエは素直に答える。

イリーナはその返答を、数秒だけ受け止めた。


「産む側と、扱う側。どちらが強いのでしょうね?」


問いは軽くない。

けれど、深刻にしすぎてもいない。

試しているわけではない。

ただ、聞いている。

ルミエは少しだけ考えた。


「先ほどと同じになりますが、見る場所によって、変わると思います」

「と、言いますと?」

「加工する側は、価値を引き上げることができます。流通する側は、それを必要な場所へ届けることができます」


ルミエはカップに目を落とす。


「でも、流れの始まりを持っているのは、産む側ですから」


イリーナの指が、カップの縁で止まった。


「始まり、ですか」

「はい。もちろん、それだけでは足りないのでしょうけれど」


ルミエは軽く笑う。


「でも、足りないから弱い、ということでもないと思います。お互いに違う場所を担っているだけではないでしょうか」


イリーナは黙った。

茶室の中では、別の席にいる者たちの声が小さく響いている。

その中で、二人の卓だけが少し遅れているようだった。


「……ヴァロワ家の方らしい考え方ですね」


やがて、イリーナが言う。


「そうですか?」

「ええ。流れを見る方の言葉です」

「父なら、もっと上手く言うと思います」

「では、ルミエ様ご自身は?」


問いが、少しだけ角度を変える。

ルミエは瞬きをした。


「私ですか?」

「はい。ヴァロワ家ではなく、貴女はどう見ているのかと」


そう言われて、ルミエは少し困ったように笑う。


「私は、まだよく分かっていません」

「そうなのですか」

「ええ。魔石を掘る苦労も、加工する技術も、流すための判断も、私はまだ少しずつ見ているだけですから」


そこで一度、言葉を切る。


「でも、どれか一つだけで成り立つものではないのだと思います」


それは、あまりにも当たり前の答えで。だが、イリーナはすぐには返せなかった。

当たり前のことを、軽んじずに言われたからだ。


「……こちらの国では、魔石が生活に入り込みすぎているように見える時があります」


イリーナは静かに言った。


「便利です。強い。豊かです。けれど、鉱脈がいつまで続くのかは、誰にも分かりません」

「はい」

「私の国では、牧畜や石炭でまだ動いています。夜道も暗く様々な効率は劣ります。古いとも言われます。けれど、それがあるから、魔石が少し止まってもすべては止まりません」


言ってから、イリーナは少しだけ笑った。


「留学生が言うには、少し硬い話ですね」

「いいえ」


ルミエは首を振る。


「大切な話だと思います」


イリーナはその言葉に、視線を上げた。


「大切、ですか」

「はい。便利なものに頼ることは悪いことではありません。でも、頼っていることを忘れるのは、少し怖いと思います」


ルミエの声は穏やかだった。

強く主張するのではなく、相手の考えを受けて、その先に少しだけ道を伸ばすような言い方だった。

イリーナは、その言葉を聞いていた。

分かっているようにも見える。

何も知らずに言っているようにも見える。

けれど、返された言葉は、こちらが考えていたことを否定せず、少し違う角度から照らしていた。

正面から同意するでもなく、軽く流すでもなく。

ただ、会話が続く場所に返してくる。


「……相談室が少し人気だという理由が、分かる気がします」


イリーナはそう言った。

ルミエはきょとんとした顔をする。


「そうでしょうか」

「ええ」


イリーナは微笑む。それはどちらかという苦笑に近かったかもしれない。


「相手に、もう一言話させるのがお上手です」


ルミエは少し困ったように笑った。


「そう言われると、不思議な感じがします」

「ご自覚は?」

「ありません」


あまりに素直な返答だった。

イリーナは一瞬だけ目を丸くし、それから静かに笑った。それはどちらかという苦笑に近かったかもしれない。


「それは……少し厄介ですね」

「厄介、ですか?」

「ええ。きっと」


イリーナは茶を飲み干す。

カップ一杯分の会話だった。長すぎはしないが、短くもない。


「今日はお時間をいただき、ありがとうございました」

「こちらこそ。貴重なお話でした」

「また、お話ししても?」


イリーナはまっすぐに問う。

社交辞令としても成立する。

だが、それだけではなかった。

ルミエは頷く。


「はい。私でよろしければ」

「では、また学園で」


イリーナは立ち上がり、一礼しルミエもそれに応じる。

去っていく背を見送りながら、ルミエは小さく息を吐いた。


「……難しい話だったわね」


アニエスが近づく。


「ですが、よくお答えでした」

「そう?」

「はい」


ルミエは少しだけ考える。


「なら、よかった」


そう言って、残っていた茶を一口飲む。

イリーナ・ローデンフェルト。

魔石を産む国から来た少女。

その名は、今回はきちんと覚えていた。

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