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調整役令嬢は、何も知らない  作者: ナギサト。
『噂は静かな部屋から』
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『配置されたもの』

王立ヴァルテール学園の門前に、一台の馬車が静かに止まった。

装飾は控えめだが、仕立ては良い。過度な主張はないものの、見る者が見ればそれなりの家のものだと分かる、そんな佇まいだった。

御者が降り、扉を開け、ルミエが外へ足を下ろした。


「到着いたしました」

「ありがとう」


ルミエは短く答え、地面へ降り立つ。

見上げると歴史を感じさせる門。

石造りの建物。

静かな広がり。


(……なんか豪華だ)


見た目は堅実で、同時にどこか威厳のような物がある。それが最初の感想だった。

隣でアニエスが周囲を確認する。


「すでに通達は行き届いているようです」

「そう」


視線を移すと、遠巻きにいくつかの気配がある。

足を止めて視線だけを向け、そのまま何事もなかったように歩き出す者が何人かいた。

興味があるようで、ただ、この学園に所属する者として安易に近寄るのことは良しとしない。

そんな雰囲気だった。


「ようこそルミエ・ヴァロワさん。ご案内しましょう」


学園の職員が一礼する。

年齢は中年ほど。丁寧ではあるが、どこか距離がある。

確かに、お墨付きとは言え、教師にとってみれば言ってしまえばルミエはよくわからない異物に近い。

仕方のないことなのかもしれない。


「どうぞこちらへ」


ルミエは頷き、歩き出した。




回廊。

足音が、床に淡く響く。


(静かね)


ベルニエともヴァロワ家とも違い、まして地元の学校とも比べようがない。

どこか、測るような気配がある。

すれ違う生徒たちに会釈する。反応が返ってくることは稀にあるが、たいていは視線は向けられない。

だが、完全に外されることもない。

探るような視線。


「……」


ルミエは特に気にしない。


(まあ、そういうものだろうし)


外から来た人間だ。

珍しがられるのも、当然といえば当然。

何より、エレーヌとの交流はあるが、いまいち王都の中枢に近い貴族の子女たちや、ギルドの高官の跡継ぎ、官僚の子息たち。彼ら彼女らがどのようなものなのか、わからなかった。

結局、それ以上でも、それ以下でもない。


一つの扉の前で、職員が足を止めた。


「こちらが、貴女にご用意した部屋になります」


開けられた扉の中、室内は簡素だった。

前世も含めてイメージをたどると、例えるなら広めの部室、といったところだろうか。

面談用の机と椅子。

休憩用のソファー。

来客用の席がいくつか。

窓からは中庭が見える。

無駄はなく、だが、冷たくもない。


「……素晴らしいお部屋を用意していただいてありがとうございます」


そう言って微笑むルミエを見て職員は多少面食らったようだ。

何かしらの負の反応が返ってくることも覚悟していたから。


「ここでなら落ち着いて皆さまのお話を聞けると思います」


ルミエはそう言って、室内へ入る。

アニエスが軽く一周し、配置を確認する。


「問題はなさそうです」

「ええ」


ルミエは窓際へ歩く。

中庭にはいくつかの人影が見える。


(……青春だね)


それらしいことは考えるが、あまり深くは思考は巡らせなかった。



「説明となりますが」


職員が書類を差し出す。


「基本的には、こちらで待機していただき、来訪する生徒の相談に応じていただく形になります」

「はい」

「授業への参加は希望すれば聴講は可能です。席を用意させますが義務はございません。校内の移動も自由ですが――」


一瞬だけ言葉が止まる。


「……あまり目立つ行動は、お控えいただければ」

「分かりました」


ルミエは頷く。

特に疑問はない。言ってしまえば部外者なのだから。


(それはそうね)

「それと」


職員が続ける。


「本件は、クラリス家およびリシャール家からの要請を受けてのものになります」

「はい」

「学園としても全面的に協力いたしますが、あくまで“相談”という形を崩さぬよう」

「ええ、そのつもりです」


やり取りは短く終わる。

職員は一礼し、部屋を出ていった。



静かになった。


「……」


ルミエは椅子に腰を下ろし、背もたれに軽く体を預ける。


(しばらく、ここね)


三ヶ月。場合によってはそれ以上。

長くなるのか、思ったよりも早く終わるのか。ルミエを含めて誰もわからない。


「ルミエ様」

「なに?」

「私は基本的に席を外しております。空いている宿直室をお借りできたので普段はそちらに待機していますので」

「あら、アニエスだったらここに居てくれていいのに」


柔らかく笑うルミエにアニエスは淡々と首を振った。


「ご冗談を。内密な相談。私のような一般人が聞くわけにはいきません」

「残念ね。アニエスがいてくれたら心強いのに」


本当に残念そうに言うものだから、アニエスは少しだけなんと言うべきか迷ってから、結局いつも通りの対応をすることにした。


「ルミエ様の宿泊場所は職員寮の一室が用意されているとのことです。朝は私がお迎えに参りますので」

「そう。ありがとう、アニエス」


場所や環境が変わっても、アニエスの主はいつもどおりだった。




アニエスが去った部屋の中。

ルミエは机の上に置かれた鍵を指先で転がしていた。その動きには特に意味はなく、ただ手元にあるものに触れているだけだった。


「……」


音は小さい。

部屋の中にわずかに響いて、すぐに消える。


(暇だ)


本でも持ってくればよかったと思う。

地元の学校にも小さいながら図書室があったのだから、ここにはたくさんの本があるのだろう。

借りられないか聞いてみよう、そう考えながら目を閉じて外の気配を感じる。


「……来ない」


ぽつりと呟く。

その続きは言葉にならない。

考えがまとまる前に、意識が別の方向へ流れていく。




再び廊下。

今度は、足音がはっきりと扉の前で止まった。

一人ではない。

複数。

しかし、すぐにはノックの音は鳴らない。

気配がその場に留まり、わずかに揺れている。

進むか、戻るか。

決めきれないままの間。

その沈黙が、扉越しにも伝わるほどに長く続いた。

そして。

かすかに衣擦れの音がして、その気配はゆっくりと遠ざかっていく。




「……」


ルミエは、扉の方へ一度だけ視線を向けたが、立ち上がることはしなかった。


(……まだね)


相談室とやらが何をすればいいかはわからない。

しかし、呼び込みをするような場所ではないのだろう。別にノルマがあるわけでもないのだから。

前にも思ったがいわゆるスクールカウンセラーのようなものだろうか。


(前にも似たようなものだと思ったけど……)


それなら、来た人の話を聞くだけでいいのだろう。

再び窓の外へ視線を戻す。

中庭の景色は変わらない。

人の流れも、先ほどと同じように続いている。

時間が過ぎる。

扉の向こうで、また別の足音が止まる。

今度は、戻らない。

短い間のあと。

——軽く、二度。

ノックの音が、部屋の中に響いた。



「どうぞ」


ルミエは、座ったまま声をかける。

間は置かない。呼び込みもしない。ただ、そのまま開くことを前提とした声音だった。

扉が開く。

先に入ってきたのは、イザベル・ド・ヴェルディエ。

その後ろに、もう一人。

二人とも、足を踏み入れる直前でほんのわずかに呼吸を整えてから、室内に入った。


「失礼いたします」

「ようこそお越しくださいました」


ルミエは微笑んでから軽く頷き、向かいの椅子を手で示す。


「どうぞ、お掛けください」


指示ではないが、選択肢を限定する仕草だった。

イザベルはそれを一瞬だけ見てから、何も言わずに席へ着く。隣の令嬢も、半歩遅れて腰を下ろした。

椅子の軋む音が、小さく重なる。

距離は机を挟んで正対。

逃げ場も圧もない、ちょうどよい間隔だった。


「イザベル・ド・ヴェルディエと申します。この子は付き添いなので私だけで失礼します」


先に名乗る。

声音は落ち着いているが、わずかに硬い。

試していることをそれを隠してはいない。

それを受けて相手がどうするか知りたいから。


「ええ、ルミエ・ヴァロワと申します」


ルミエはすぐに返す。

言い直しも、飾りもない。貴族ではない者のはずだが自分に向ける媚びのようなものもない。

ただ実直に返されるその言葉に違和感はない。

むしろ、理想的だ。

そして、だからこそ意識に引っかかる。


「本日より、こちらにいらっしゃると聞いております」

「ええ。今日から、しばらくは」


簡潔だった。

余計な事情は足さない。だが、曖昧でもない。


「役割を、確認させていただいてもよろしいでしょうか」


問いはまっすぐだった。

遠回しにしない、評価のための質問。

イザベルはいつもそうだった。貴族らしい婉曲的な発言はあまり好きではない。

何事も率直に、実直に。それが矜持だった。

ルミエは一度だけ目を細める。


「ここは、話を聞く場所です。話したいことはおっしゃってください。話したくないことは何も話さずに。途中でお帰りになっても構いません」


イザベルが確認したいことをすぐに返してくれる。


(随分と頭が回るのね)


そう考えながらイザベルは続ける。


「助言はなさるのですか?」

「ご希望があれば、お答えします」


間を置かずに返る。


「ただ、決めるのは来た方です。助言を求めるなら、私が分かる範囲でお答えします」


そこで一度、言葉を切る。


「ただ……私は、その場で一緒に考えるだけですから」


そういって微笑んだ。

そこには、イザベルが嫌う曖昧さはなく、線は明確に引かれていた。

イザベルの指先が、わずかに机の上で止まる。


(……責任は取らない)


同時に。


(放りもしない。責任感がないということでも、放任主義でもない、と)


その両方が成立させる気なのだと。


「では、相談内容に制限は?」

「ありません」


すぐに返る。


「先ほどもお伝えした通り、ここに来る方が話したいことなら、なんでも」


一瞬だけ、視線が合う。


「お話しいただければ、そのまま伺います。そして、こちらで伺った内容を、外へ出すことはありません」


ルミエの回答は明確だった。イザベルが聞きたいことに過不足なく答えてくれる。

イザベルは息を一つ、整えた。


(……話しやすい、ではない)


もう一段深い。


(随分と慣れているのね)


こちらが踏み込むことを、前提として受け止めている。


「……なるほど」


短く頷く。

評価は、ほぼ終わっていた。


「本日は、生徒を代表して様子を見に参りました」

「そうですか」


ルミエはそれをそのまま受け取るかのように微笑んだ。

引き止めない。

切り上げもしない。


「ご判断の一助になればいいですけれど」


余計な一言に見えるが、違う。

イザベルの立場に合わせた一文だった。

——評価する側であることを、肯定する。

イザベルの視線がわずかに動く。


(……理解しているの?)


自分が何をしに来たか。

どういう立場でここにいるか。

それを説明されずに前提として扱われた。


「ええ。十分に」


はっきりと答える。

ここで濁す意味はない。


「……貴女はきっと適任なのでしょうね」


そう判断し、隣の令嬢がわずかに息を呑むがイザベルは気にしない。


「対応に過不足がありません。何より、役割に対して真摯です」

「そう思っていただけたのなら、なによりです」


ルミエは微笑む。

そこに達成感はなく、評価を受けた反応ではない。

ただ、言葉を受け取っただけの顔。

イザベルはそれを見て、ほんのわずかに眉を寄せた。


(……手応えがない)


称賛も、警戒も、反発もない。

だからこそ評価だけが、そのまま残った。


「また、伺います」

「必要でしたら、いつでもお越しください」


即答だった。

許可でも歓迎でもない。

イザベルは立ち上がり、椅子が静かに引かれた。

隣の令嬢も続く。


「失礼いたしました」

ルミエはその場から動かない。

ただ微笑んで視線を送るだけだ。

扉が開き、閉まった。




廊下。

数歩進んでから、隣の令嬢が小さく声を出した。


「……いかがでしたか」


イザベルはすぐには答えない。

一度だけ、息を吐いてから口を開く。


「さっきも彼女に言った通りよ。問題ないわ」


言い切る。


「少なくとも真面目。そして真摯。自分の立場と為すことはわかっている方なのでしょうね」


視線は前を向いたまま。


「踏み込みすぎない。引きすぎない。判断を奪わない」


一つずつ、確認するように。


「それでいて、話を拒まれない」


短く区切る。


「相談室、か」


わずかに、口元が緩む。

評価と警戒が同時に乗った表情だった。


「もう一度、行くわ」

「……はい」

「貴女も私に遠慮することはないわ。私も今度は一人で行くでしょうから」

「そ、そうですか」


それ以上の説明はなかった。




部屋の中。

ルミエは、しばらく扉の方を見ていたが、すぐに視線を外した。


(ちゃんと話せた。……問題はなさそうかな)


それだけ確認して、椅子に背を預ける。

外では、相変わらず人が行き交っている。

必要なら、また誰かが来るときは、勝手に何とかなるだろう。


(本、借りてこよう……アニエスに聞いてみようかしら)


それだけだった。


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