『招かれた場所』
ヴァロワ家の応接室。
昼下がりの柔らかな光が差し込んでいる。
「お久しぶりでございます、ルミエ様」
一礼する少女。
クラリス家令嬢、エレーヌ・クラリス。
面影を残しつつ美しく成長したその人に。
「お久しぶりです、エレーヌ様。お手紙でのやりとりばかりでしたね」
ルミエは変わらぬ微笑みを返した。
エレーヌの訪問は唐突であり、
例のごとく、フランソワの言葉からそれは始まった。
「ルミエ、クラリス家からの書簡が届いた。正確にいうと、差出人は当主ではなく、当主代理としてエレーヌお嬢様になっている」
ルミエとエレーヌは、数か月に一度手紙を交わす程度の付き合いがある。
縁の深い知人の一人――そのくらいの距離感だった。
嫌ではない。
だが、特別に嬉しいというわけでもない。
ちなみに、以前贈られたルミエの肖像画は屋敷の見えやすい場所に飾ってありはする。
「どういったご用件でしょうか?」
「……端的に言おう。ルミエを指名してのクラリス家から正式な協力要請だ。以前の顔合わせとは数段上の会合になるだろう」
「協力要請?」
口元に指を当てて少し首を傾げるルミエに、フランソワは続ける。
「詳細は、『誤解なきよう、直接お伝えしたく存じます』ということだが……」
「あら。それではお会いしないとわかりませんね」
「こういう場合はね、大体ろくでもない話が来る……覚えておいて欲しい」
苦笑とも諦観ともつかない笑みを浮かべるフランソワにルミエはクスっと笑って見せるが内心少しだけげんなりする。
(……確かに。こういう『後で話す』って、大体ろくな話じゃないのよね)
ブラック企業勤め時代を思い出して何とも苦いものがこみ上げた。
そして、約束は正式に取り付けられた。
本来、クラリス家ほどの家であればルミエを呼び出しても問題はない。
だが今回は違った。
表向きは、『依頼をする以上は礼を尽くす』ため。
そして実際には、『ルミエを万が一にも不快にさせたくない』という、エレーヌ個人の配慮によるものだった。
(ああ、ルミエ様……)
手紙で定期的に時候の挨拶くらいはしていた。
ルミエのその繊細な文字から、一体どのような成長を遂げているのだろうと夢見ていた。
その人が、今、現実に目の前にいる。
(……お美しい)
見た目自体は、いつかの可憐な少女が美しく順当に成長した、というものだ。
「今日はクラリス家としてのご用事とはわかっていますが……ふふ、こうしてエレーヌ様とお話しできて嬉しいです」
声色が。
抑揚が。
視線が。
微笑みが。
どこか、触れてはならない場所をなぞられるようで、引き込まれてしまう。
陶然となりそうになるのを必死に抑えつつ、エレーヌも笑みを返した。
笑みを受け止めながら、エレーヌはゆっくりと息を整えた。
(……いけません)
ここで崩れるわけにはいかない。
今日は、感傷のために来たのではない。
「本日は――」
一度、言葉を切る。
「クラリス家として、正式なお願いがあって参りました」
空気が、わずかに引き締まる。
「お願い、ですか」
ルミエは穏やかに頷く。
興味はある。
だが、警戒はしていない様子。
(……受け入れてくださる)
エレーヌはその反応を見て思う。
そう、きっと。
「はい」
背筋を伸ばす。
「王都にございます、いわゆる貴族学園……王立ヴァルテール学園についてのお話です」
「王立ヴァルテール学園……」
ルミエは小さく復唱する。
「12歳から18歳までの貴族および王族の子弟が通う教育機関でございます」
エレーヌは続ける。
「一定の入学資格はございますが、貴族以外にも様々な方に門戸は開かれています。最低三年間の在籍が求められ、基礎教養と――」
一瞬、言葉を選ぶ。
「同世代同士の関係構築を目的としております」
ルミエは静かに頷く。
(ああ、そういう場所ね)
感想は、それだけだった。
前世の創作物のイメージになるが、良いところのお坊ちゃま、お嬢様が集まって若いころからコネとか作ったりする場所なのだろう、という風に納得する。
「ですが」
エレーヌの声が、ほんのわずかに低くなる。
「近頃、その学園の空気が……あまり良くありません」
同席しているがあえて口を挟まないフランソワがわずかに視線を動かす。
ルミエは首を傾げた。
「空気、ですか?」
「はい」
エレーヌは頷く。
「派閥、家格、嫉妬……」
言葉は簡潔。
そして、それで十分だった。
「若い方々ですからね」
「ええ。感情が先に立つ場面も多く」
ルミエは少しだけ考える。
(まあ……そうよね)
理解はできる。
共感はしないが。
「そこで」
エレーヌはまっすぐにルミエを見る。
「ルミエ様に、お願いがございます」
沈黙。
「学園に、一定期間滞在していただきたいのです」
「……滞在?」
ルミエが問い返す。
「はい」
エレーヌは一切の迷いなく答えた。
「生徒としてではございません」
ヴァロワ家ほど高名な家系ではあれば影響力を考えても入学資格はある。
だからこそ、その言葉には別の意味がある。
「では、何として?」
ルミエの問いにエレーヌは、ほんのわずかに微笑んだ。まさに核心に触れるから。
「場を整える存在として」
空気が、静かに止まる。
「……」
ルミエは、少しだけ考える。
(またそれ?)
だが、表には出さない。散々調整役とかいう役割で方々に出向いている身だ。今更ではある。
未だに調整役とは何かピンと来ない部分もある。
「具体的には、何をすればよろしいのでしょうか?」
「ルミエ様に能動的に何かしていただく、というつもりはございません」
エレーヌは即答した。
「特別なことは何もしていただかなくて結構です」
「……?」
「授業に関わる必要もございません。指導も不要です」
そして。
「ルミエ様用の相談室、というものを作る予定です。そして、ただ、そこにいていただいて、誰かが来たら話を聞いていただく。それだけです。」
ルミエは、わずかに目を瞬かせた。
(それでいいの? スクールカウンセラー、みたいな感じかな?)
知識として知ってはいるが、実際に利用したこともないから理解はできない。
「……それだけでよいのですか?」
その問いにエレーヌは、はっきりと答えた。
「はい、それだけで」
断言だった。問題ないと確信しているような声色。
「期間はどの程度でしょうか」
ルミエが問う。
「特段は定めてはおりませんが、そうですね……おおよそ一季節」
「三ヶ月程度ですか?」
「はい、あくまでも”目安”という形にはなりますが。必要に応じては短縮、あるいは延長もあり得ます」
基本の三か月であれば長くはないが、軽くもない。
「……」
ルミエは少しだけ考える。
(また外かぁ……)
正直、それが一番面倒だった。誰も知らないことだが、基本的には出不精なルミエだ。
家にいてのんびりしているほうが性に合っている。
「……必要とされているのですか?」
その問い。フランソワは苦笑じみた表情を浮かべる。
自分の誇りである娘なら、きっとそう言うだろうと思っていたから。
「はい」
そしてエレーヌは即答する。
「強く。そして、お願いできるのはルミエ様しかいないと、そう思っております」
貴族特有の有無を言わさない笑みにルミエは、小さく息を吐いた。
「分かりました」
あっさりと。そしていつも通りに。
フランソワと一瞬取られるアイコンタクト。父からは頷きが返り話はまとまった。
「お引き受けいたします」
そう、微笑んだ。
その瞬間。
エレーヌの胸の奥で、何かが静かに震えた。
(……よかった)
断られることは可能性は考えていなかった。
しかし、自分の望む未来への扉に手がかかった安堵は深く強い。
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。
それは形式ではない。本心から。
「ですが、難しいことはできませんよ? お話を聞くことはできますが、そうは言っても私は専門家ではありません」
そう言ってルミエは微笑む。
「その点だけ、ご理解いただければ」
エレーヌは、その言葉を聞いて一瞬だけ、息を止めた。
(ええ)
分かっている。
何かをしていただく必要などない。
ただ、いてくださればそれでいい。
(貴女が必要なのです)
「もちろんです。ルミエ様はあるがままに、あってくだされば、それでよいのですから」
その笑みは、完璧だったがどこか陶然としている。
そして、その奥にあるものは。
決して、穏やかなものではなかった。
大筋の話し合いが終わり、細かい点は後日詳細を詰めることになったが、本日の目的は達した。
見送りを受けて乗り込んだ馬車の中、エレーヌは、ゆっくりと目を閉じた。
(……これで、配置は整いました)
学園。
王族。
貴族。
そして。
(ルミエ様)
その名を、心の中でなぞる。
(どうなってしまうのか)
分からない。
だが。
(楽しみですわ)
その感情は、期待だけではない。
望む未来への道筋が見えているからこそ、
そこには昏い熱が宿っていた。




