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調整役令嬢は、何も知らない  作者: ナギサト。
『均されていくもの 』
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『観測者』

ベルニエの街に、一台の馬車が入った。

黒塗りの車体。

紋章は簡素だが、見る者が見れば分かる。

王都の上級貴族。

街門の警備が一瞬だけ姿勢を正し、すぐに通常の応対へ戻る。

余計な騒ぎは起きない。

それがこの街の流儀だった。


「……静かな街だな」


馬車の中で、男が呟く。

四十代半ば。

痩身。

整えられた口髭。

無駄のない服装。

名を、アルヴェール・リシャールという。

リシャール家は、王都でも中枢に近い位置にある上級貴族だ。

その当主が直々に赴いていた。


「はい。ベルニエ家の統治下にありますので」


対面に座る従者が答える。

商人でありながら、貴族のように街へ影響を及ぼす存在。

ヴァロワ家とベルニエ家。

王都にいても、その名を知らぬ者はいない。

そのことに特に思うところはない。

持つべき者が、上に立つべき者が管理し民に安寧をもたらすならば、貴族だろうが商人だろうが些末な問題だからだ。


「無駄を嫌う、と聞いていたが……なるほどな」


視線を窓の外へ向ける。

行き交う人々。

無駄のない街路。

騒がしさのない活気。


「……なるほど、効率が良い」


それが第一印象だったが今回の目的は街の批評ではない。

アルヴェールは懐から一通の書簡を取り出す。

今回この地に来た理由は、『魔石の鑑定工程の査察』という名目の事実確認だった。

もっとも、それはあくまで建前に過ぎない。

この手の問題なら、ベルニエ家の現当主であれば速やかに片づける。

これまでを見れば、それくらいは分かっていた。

関心は別にある。

商人。

教会。

地方貴族。

それぞれから断片的に届いた報告。

内容はばらばらだ。しかし。


「この名だけは、妙に揃う」


ルミエ・ヴァロワ。


「……商人の娘、か」


特別な功績はない。

奇跡も起こしていない。

政治的な動きもない。

それでも。


「どこにでも現れる」


細かいことも気になる性分のアルヴェールは無視できなかった。


「あの男が”調整役”を与えたことが原因とは言え、偶然か、意図的か」


貴族も一枚岩ではない。

かつてルミエが謁見した件の貴族とほぼ同格と言っていいアルヴェールだからこそ、その判断の是非を確かめるべく動く。

どちらかというとフットワークは軽く、何かあれば自身の目で確認することを信条としていた。

別に粗探しをするつもりはない。ただ、直接確かめる価値はある。


「だが、まずはベルニエだ」


あの有名な合理主義者が、わざわざ招いている。

それだけで十分な理由になる。






「到着いたしました」


ベルニエ家の屋敷。

客間へ通されるまでの一連の動作は、街並みと同じように無駄がなかった。

へりくだらない。

かといって粗雑でもない。


「……徹底しているな」


アルヴェールは小さく笑う。


(噂通りらしい)


しばらくして扉が開く。


「お待たせいたしました」


ロラン・ベルニエが入ってきた。

互いに軽く一礼。

形式は整っている。

だが、温度は低い。


「ロラン・ベルニエ殿」

「リシャール卿」


短い名乗り。

それ以上は不要だった。


「突然の訪問、失礼するよ」

「問題ございません。内容は把握しております」


アルヴェールが座るのを確認してから、ロランは席に着く。

傲岸不遜にして慇懃無礼を地で行くロランは、相手が中枢貴族であろうと、その態度が揺らぐことはない。

ただし、礼を欠くことはしない。

それが彼の流儀だった。


「魔石規格の件、そして……」


一瞬だけ間を置く。


「ルミエ・ヴァロワでしょうか?」


ロランの問いにアルヴェールの目がわずかに細くなる。


「話が早い」

「無駄は省く主義でして」

「結構」


アルヴェールは微笑む。

貴族特有の底と感情の見えない笑みを正面から受けてもロランは揺れない。


「では単刀直入に聞くとしよう」


少しだけ身を乗り出す。


「彼女は、何だね? 貴殿の見方を聞かせてくれ」


静かな問い。

だが、その内側には明確な意図があった。

ロランは答えない。

数秒の沈黙。

その間に、互いが互いを測る。


「……リシャール卿が期待されているものは?」


探る目。


「便利な人材でしょうか? それとも危険な人物としての評価でしょうか?」


ロランの言葉を聞いて、アルヴェールは肩をすくめてみせた。


「さてね。しかし、今は私の期待などはどうでもいいだろう。違うかな?

 何せ私は彼女に会ったことがない。であればこそ、貴殿の意見を聞きたいのだよ」


手を組み微笑を絶やさないアルヴェールにロランは内心舌打ちをする。

上級貴族には腹芸において化け物がいるものだ。そんな相手と心理戦をしても埒が明かない。つまり無駄極まりない。


「それでは端的に申しましょう」


あくまでも目に傲慢さを宿したまま、まっすぐにアルヴェールを捉える。


「場を整える、極めて優秀な“装置”――あるいは、そう扱うのが最も合理的な存在。

 それが私の評です」


アルヴェールの視線がわずかに動く。


「……面白い表現だね」


否定はしない。

それを見て、アルヴェールは確信を深める。


(やはり、そういう類か)


それは特別な能力ではない。同時に扱い方次第で価値が出る。


「ならば話は早い」


アルヴェールは言う。


「一度、直接見せて、いや、失礼。”会わせて”もらえるかな?」


※※※


その頃。

ルミエは客館の庭にいた。


「いい風ね」


椅子に腰掛け、軽く目を細める。

隣にいるアニエスは、噂が大好きな打ち解けた使用人たちから、本日は王都から中枢貴族であるリシャール家がやってくると聞いていた。


「本日はお呼び出しが入るかと」

「そう」


アニエスらしい端的な報告にルミエは頷く。


(また仕事かなぁ)


特に嫌ではないが、少しだけ面倒だとは思う。


「……平和なのが一番なのだけれど」


小さく呟く。

その平和が、自分のせいで崩れ始めていることには気づかないし、意識もしない。


「ルミエ様」


使用人が一礼する。


「ロラン様がお呼びです」

「分かったわ、ありがとう」


立ち上がる。

いつものように、自然に。




応接室の扉が開きルミエが入室する。

その瞬間。

空気が、ほんのわずかに変わった。

アルヴェールはそれを見逃さない。


(……なるほど)


美しい。それは確かだ。


(空気が整った)


理由がない。

だが、確かに変わる。


(立ち居振る舞いか、在り方か表情か。ともかく、”成立している”な)


そう判断しつつ、アルヴェールは警戒を解かせるように少し大げさな笑みを向けた。


「これは聞きしに勝る美しさだ!

 初めてお目にかかるね。私はアルヴェール・リシャール。王都に席を持つ者だ」

「お初にお目にかかります。ルミエ・ヴァロワと申します。本日はお会いできて嬉しいです、リシャール様」


柔らかな声。

穏やかな視線。

過不足のない礼。

完璧だった。


(ふむ……完璧”すぎる”)


アルヴェールは即座に判断する。

外見。

声色。

所作。

すべてが“最適”。


(訓練か、習慣か。それとも天性か)


だが問題はそこではない。


「お噂はかねがね」


アルヴェールが言う。


「大したことを為せたわけではございませんが、そうおっしゃっていただけて光栄です」


ルミエは微笑む。

何と言うことのないやりとりだが、その瞬間。

場の空気が、わずかに緩んだ。

アルヴェールの意識が一瞬だけ逸れる。

ほんの一瞬。

だが確かに“抜けた”。


(……なるほどな)


表情は崩さない。

だが内心で警戒を強めると同時に評価を一段上げる。


「ベルニエでの滞在はいかがですか?」

「とても学びが多いです」

「ほう!」

「皆さんが丁寧に教えてくださるので」


自然な会話。

何もおかしくない。

だが。


(……実に、話しやすい)


アルヴェールは気づく。

自分が、いつもより言葉を選ばずに話している。


「それは結構」


軽く頷き、心の中で距離を置く。


(間が適切だ。視線の動きも、抑揚も)


自分を引き戻しながら今のやりとりを吟味しながら価値を見定めていく。


(これは“効果”だ)


意図的かどうかは関係ない。

現象として存在しているのだから。

二人のやり取りを観察していたロランが口を開く。


「失礼。先ほどの話ですが、ルミエ嬢にも話をしても?」

「ああ、構わないとも」


アルヴェールは頷き先を促した。


「本日、リシャール卿がいらっしゃったのは、最近の魔石の鑑定、鑑定のブレによるもの」

「なるほど、先日の件ですね。確かに人々を思えばこそご不安に思う気持ちはわかります」


当意即妙。ルミエが微笑んで頷く。

アルヴェールは即答する。


「その口ぶりだと、問題は認識済み――いや、どうやら解決に至っているようだね。

 だが、現場で見る方が早い」

「……ええ、もちろんお連れいたします。ルミエ嬢も同席を願いたい」

「はい、もちろん」


その判断もまた、合理的だった。

誰もがそう思っていた。

だがその“合理”が、

どこへ向かうのかを理解している者は、まだ誰もいなかった。


※※※


ベルニエ家の検査棟では、先日までの張り詰めた空気が、嘘のように和らいでいた。

ルミエの言葉を受けて、張り切りすぎ故の空回りは自然と収まっていたから。

帳簿の記載は見直され、保留とされていた品は用途ごとに改めて定義される。

再検査を求める声は消えていない。だが、それは『止めるため』ではなく、『どこに流すべきかを確かめるため』のものへと変わっていた。


「こちらは家庭用灯りとしては三級のまま。だが補助動力として流すなら、別枠で整理できるかもしれん」

「ええ。卸先を分けるなら、無理に同じ基準へ押し込める必要はありません」

「この案を土台に、補助項目を仮置きしてみるか」


声は落ち着いている。

誰も熱を失ってはいない。

だが、上滑りしていた熱が、ようやく向きを定めた。

アルヴェールは、少し離れた位置からその様子を見ていた。自身の来訪は知らせないようにと依頼したうえで、ありのままの現場を確認する。


「……なるほど」


誰に向けるでもなく呟く。

検査官の判断は揃い始めている。

帳簿の流れも、現場の歩調も戻っている。

しかも、それは命令で捻じ伏せた結果ではないようだ。それくらいは、読むまでもない。

何より、この場の空気から不平不満や恐れ、焦りは感じない。

視線を横へ向ける。

少し離れた位置で、ルミエが職人たちの傍らに静かに立っていた。

特別なことは何もしていない。

既に職人たちに囲まれて、問われれば答え、場を乱さぬように微笑み、必要以上に口を挟まない。

それなのに。


(……空気そのものを整える、か)


アルヴェールは、その評価を心の中で反芻する。

場が緩みすぎていれば勝手に締まり直し、張り詰めすぎれば自然と緩む。

人が自ら落ち着き、自発的に考え始める。

強制ではない。

扇動でもない。

むしろ、本人は何もしていないようにすら見える。

だからこそ、厄介だった。

そして。同時に、価値がある。


「リシャール様?」


傍らの従者が小さく声をかける。


「……いや」


アルヴェールは目を細める。


「確認は十分だ」


問題の解決自体は、もう見届けた。

後はベルニエの人間が詰めればよい。

重要なのは過程だった。

あの少女が、どう場に作用するのか。

それが今回の本題であり、その確認はすでに終わっている。

ロランが近づいてくる。


「いかがでしょうか。問題は解決しております。満足されたでしょうか?」

「ああ、十分に。見事だ」


アルヴェールは笑みを浮かべた。


「鑑定工程の揺らぎは把握した。そして、それがどう収束しているのかも見せてもらった」

「それは何より」

「もっとも」


アルヴェールはわずかに視線をずらす。

その先には、周囲と穏やかに言葉を交わすルミエの姿。


「……思っていた以上だったがね」


ロランは何も答えなかった。

否定も、肯定も。

ただ、その沈黙自体が一つの返答だった。


「貴殿の評は、概ね妥当だろう」


アルヴェールは言う。


「場を整える。人を落ち着かせる。対立の軸を、誰も傷つけずにずらす。ああいう者は稀だ」

「ええ、概ねは」

「だが」


そこで一度言葉を切る。


「“装置”と呼ぶには、少しばかり柔らかすぎる」


ロランの眉が、ほんのわずかに動く。

アルヴェールは続けた。


「装置は、定められたとおりにしか働かない。だが彼女は違う。周囲の人間が勝手に彼女に合わせ、勝手に整っていく」


視線はなおもルミエに向いたまま。


「……あれは、装置というより媒介だな」


ロランは口元をわずかに歪めた。


「貴族らしい言い回しかと」

「そうかもしれんね」


アルヴェールは肩をすくめる。


「だが、意味は分かるだろう?」

「十分に」


短く返す。

二人の視線は、同じ少女へ向けられている。

だが、その視線の中身はまるで違っていた。

ロランは運用を。

アルヴェールは波及を見ている。


「これ以上、こちらに長居しても無意味、いや、失敬。貴殿らの時間を取るのもよろしくない」


アルヴェールは言った。


「問題は片付きつつある。後はベルニエの仕事だ」


その内心を表に出すことなくロランは頷いた。


「それは良かった。では、客間のご用意をいたしましょうか? それとも、このまま馬車までお送りしましょうか?」

「結構。せっかくの申し出だが、予定が詰まっていてね。今回はこれで失礼しようじゃないか」


アルヴェールは歩き出す。


「なに、出口くらいは一人で見つけられる」


軽口めいた言い方だったが、ロランはそれ以上追わなかった。


※※※


馬車へ向かう道すがら、アルヴェールは一度だけ振り返った。

検査棟。

工房。

整備された街。

そのどれもに、あの少女の影が、うっすらと差し始めている。


「……商家に置くだけでは惜しいな」


小さく呟くその後ろを、従者が一歩遅れて歩く。


「何か仰いましたか?」

「いや」


アルヴェールは前を向いた。


「少し考えただけだ」


馬車へ乗り込み、扉が閉まる。

車輪がゆっくりと動き出す。

しばし沈黙が続いた後、アルヴェールは窓の外を眺めたまま口を開く。


「若い人間というのは厄介だな」

「若い人間、でございますか?」

「そうだ」


手を組み、真意の見えない目で続ける。


「年長者よりも柔らかく、だが年少者ほど素直でもない。矜持だけは高く、見栄と未熟さを抱えたまま群れる」


従者は少しだけ考えた。主の言葉の意図を察せなければ従者など務まらないのだから。


「……学園のことでしょうか」


アルヴェールは、そこでようやく笑った。


「察しが良い」


王都にある貴族学園。

『王立ヴァルテール学園』

次代を担う貴族の子女たちが集う場所。

有望であると同時に、未熟で、面倒で、そして扱いづらい。


「近頃はあちらも、少々空気が淀んでいてね……いや、昔からか」


派閥。

嫉妬。

家格。

本人たちにそのつもりがなくとも、勝手に軋みが生まれる。

本来は次代を繋ぐ若者たちに友誼の場を提供する目的の場所だったが、貴族の性か、派閥つくりの場になってしまっているあの学園。

今の代は王族もいるのだ。

若人たちの衝突を失くせとまでは言わない。それもまた糧になるだろう。

同時に、無為な争いは生んでも良いことなどない。今は小さな火種でも、彼らが大人になった時、大火になるかもしれないのだから。


「……あそこに、あの娘を入れたらどうなると思う?」


従者は即答しなかった。

それが冗談ではないと分かっていたからだ。


「秩序が整う、かもしれません」

「かもしれん。あるいは、もっと面白いことになるかもしれん」


アルヴェールは目を細める。


「本人は何も分かっていないようだが、それがまた良い」


意図して動く者は警戒される。

だが、無自覚な善意は懐へ入り込みやすい。


「覚えておけ」


アルヴェールは低く言う。


「ルミエ・ヴァロワ。あの名は、いずれ王都でも無視できなくなる」

「……はい」

「今すぐではない。だが、機会が来た時には、こちらからも手を伸ばせるようにしておけ」


従者は深く頭を下げた。


「承知いたしました」


馬車は街門を抜け、王都への道へ入る。


「ふむ、クラリス家はヴァロワと繋がりがあったな。

 ……こと学園の件だ。まずはそこから声をかけておけ」

「会談の場を?」

「まずは書簡でいい。話し合いの場はその後に設けるとしよう」


ベルニエの街は静かに遠ざかっていく。

だが、置いていくには惜しい、掘り出し物を見つけた――そんな顔を、アルヴェールはしていた。




その頃、客館の窓辺で、ルミエは小さく伸びをしていた。


「……なんだか、今日は人と話してばかりだった気がするわ」

「そうですね」


アニエスはそれ以上何も言わない。

気の抜けた姿を見せてくれることは信頼なのか、それとも別の効果を狙った意図的なものなのか、わからないから。


「でも、ひとまず落ち着いたのなら良かったわ」


ルミエの感想は、それだけだった。

王都へ向かう馬車の中で、自分の名がこれから別の場所へ運ばれていくことも。

その先に、また新しい面倒と、新しい役目が待っていることも。

当然、知るはずもなかった。

その”平穏”が、次に壊れる場所がどこなのかも。

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