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調整役令嬢は、何も知らない  作者: ナギサト。
『均されていくもの 』
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『善意の偏り』

違和感は、二つの形で現れた。

一つは、内部。

もう一つは、外部。

どちらも、一見すれば“良い兆候”だった。

だがロラン・ベルニエは、それを良いとは判断しなかった。



「報告です」


朝の執務室。

書類の束を差し出した秘書は、いつもよりわずかに声を落としていた。


「ここ数日、工房全体の作業効率が向上しております」

「それは結構なことだ」


ロランは書類を受け取り、視線を走らせる。

処理量の増加。

不良率の低下。

納期の短縮。

どれも理想的な数字だ。

だが。


「……ミス報告が減っているな」

「はい」


秘書は頷く。


「軽微なものを含め、報告件数が三割ほど減少しております」


ロランは手を止めた。ミス報告、引いてはミスの発生減少自体は喜ばしいことだが、それは徐々に減っていればの話だ。

急激に変動するものは大体ろくなものではない。


「理由は?」

「現場判断での修正が増えているとのことです」

「……隠しているのではないのか?」

「いえ」


秘書は首を横に振る。


「むしろ反対です」

「反対?」

「“より良く仕上げようとしている”結果、報告に上げる前に自ら修正してしまうケースが増えているようで」


ロランは椅子の背にもたれた。


「なるほど」


一見すれば、美徳のようにも思える行為。

しかしだ。


(基準が崩れる)


報告とは、単なる記録ではなく、組織の“共通認識”を維持するためのものだ。

それが減るということは――


「個々の判断に委ねられている」

「はい」

「そして、その判断基準は統一されていない」

「その通りです」


短い沈黙の後、ロランは再び書類に目を落とす。

そして、もう一枚を抜き取った。


「……こちらは何だ」


秘書の表情がわずかに変わる。


「本日、王都より届いた書簡です」


封は既に切られている。

ロランは内容に目を通した。

――品質にばらつきがある

――用途に対して過不足が見られる

――継続的な取引に懸念


「……ほう」


小さく息を吐く。


「外にも出始めたか」


内部の揺らぎが、外部に伝播している。

原因は同じ。


「……ルミエ・ヴァロワ」


結論は明白だった。

薬や酒と同じだ。適量なら良い方向に動くものでも量を誤れば害に変わる。

過度の鼓舞と膨らんだ責任感、それが何を生むかという話だ。


(過小評価をしていたつもりではなかったが、見通しが甘かったか)

「……現場へ行く。ルミエ殿にも同席よう声をかけろ」

「はい」





検査棟の空気は、静かに張り詰めていた。

声は荒げられていない。

だが、言葉の端が硬い。


「これは再検査だ」

「規格上は問題ないはずだ」

「問題がないからと言って、このまま出すのか?」


机の上には、完成した魔石。

帳簿には問題なし。

数値も基準内。

それでも。


「……納得がいかない」


誰かが呟く。

基準は満たしているが、“もっと良くできるはずだ”という感覚が、手を止めさせていた。

その結果として、当然に判断が揺れる。


「出荷を止めるべきでは?」

「そこまでする必要があるのか?」


結論が出ない。どちらも間違ってはいないのだから。

質か、早さか、安定か。議論が過熱していき。

そこへ。


「――失礼いたします」


柔らかな声が差し込み一斉に視線が向いた。

ルミエだった。

その後ろにアニエス。

さらに遅れてロランが入ってくる。


「続けろ」


ロランの一言で、議論は再開されたもののどこか硬さが残る。

ルミエは机の上を覗き込んだ。


「……綺麗な石ですね」


誰も答えない中、ルミエは気にした様子もなく続ける。


「問題があるのですか?」

「いえ……」


検査官が答える。


「規格上は問題ありません。ただ――」


言葉が続かずロランが代わりに言う。


「“もっと良くできる”と考えている。違うか?」

「……その通りです」


その言葉を受けてルミエは少しだけ首を傾げた。


「良いこと、なのでは?」


その言葉に、数人が視線を逸らす。


「……良いこと、ではあります」

「だが、それで判断が止まっている。質と速度、どちらかがあれば良いというものではない。両立は不可欠だ」


ロランが補足する。

ルミエはしばらく石を見つめる。


(相変わらず違いとか全然分からない……)


加工されていない生の魔石を見る機会などないし、ヴァロワはあくまで流通が主。違いなんてわかるはずがない。

ただ、いつもどおり口は自然に動く。


「これは、どこに使われるのですか?」

「家庭用の灯りです」

「毎日使うもの?」

「はい」


ルミエは頷く。


「では、使う方はどう思うでしょう」


誰も答えない。


「明るくて、でもすぐに切れる灯りと、少し控えめでも長く使える灯り……どちらの方が、安心できるのでしょう」


しばらくは静かだった。

やがて誰かが呟く。


「……後者だ」

「そうですね」


ルミエは微笑む。


「では、この石は十分に役に立つのではないでしょうか」

「……」

「“もっと良くできる”ことと、“今必要なもの”は、少し違うのかもしれません」


その言葉は、押し付けではない。

ただ、そっと差し出されただけ。


「……出荷しよう」


検査官の一人が言う。それを受けて周囲が頷く。


「規格通りに」

「そう、だな」


結論は自然に揃い、その場の空気がわずかに緩むのをロランは見逃さなかった。


(誰も折れていない)


誰も負けていない。

誰も否定されていない。

それでも決まった。

その事実を胸の内で吟味する。


解決を見届けた後、連れ立って外へ出ると昼の光が差し込んでいた。

その中を歩きながらロランが言う。


「先ほどの発言だが」

「はい」

「意図して言ったのか?」


ルミエは少し考えるように首を傾げるがすぐに柔らかく告げる。


「……使う人のことを考えただけです」


それだけだった。

ロランは黙る。


(それだけで、判断基準を戻したのか)


統制ではない。

命令でもない。


(方向を修正した)


しかも。


(摩擦なしで)

「……興味深いな」


小さく呟いた。







その日の夕刻。

ロランは再び書簡に目を通していた。

外部からの指摘。

内部の歪み。

どちらも、同じ根から生じている。


「……善意、か」


悪意ではない。

むしろ逆だ。


「だからこそ厄介だな」


善意は、制御しなければ暴走する。何しろ際限がないから。


「排除も、制御も、する必要はないな」


必要なのは統制だ。

すでに、方法は示されている。川が大雨で氾濫するのは治水の技術が拙いから。

では、自分ならば、ロラン・ベルニエならばどうだろうか。

己の策謀と知略を持ってあの存在の力を十全に発揮させられるか?

―――考えるまでもない。

ロランは窓の外を見る。

工房の煙。

街の灯り。

そのどこにも、わずかな変化が積み重なっている。


「……使える」


短く呟くその言葉は、単なる評価ではない。


「……いや」


少しだけ考え直す。


(使う、という表現は正確ではないな)


視線が細くなる。


「引き出す、か」


その方が近い。

もう一度、書簡を見る。

王都の上級貴族。

魔石規格への関心。

そして。

ルミエ・ヴァロワへの興味。


「……来るな」


確信に近い予測。


「ならば」


ロランは立ち上がる。


「迎え撃つ準備をしておくべきだろう」


その判断は自然だった。

同時にその“当然の判断”が、どれほど大きな変化を呼び込むのかをまだ誰も知らない。





その夜。

検査棟では、帳簿の書き方がわずかに変わり始めていた。

“規格通り”に戻っただけ。

ただ、それだけ。

それでも。

迷いは減り、

判断は早くなり、

結果は安定していく。

誰も命じていない。

誰も強制していない。

ただ、少しだけ。

見方が変わった。



客館の窓辺。

ルミエは街の灯りを眺めていた。


(今日も、上手くいったみたい)


それだけ。

それ以上でも、それ以下でもない。

だがその“それだけ”が、どれほど多くの均衡を保っているのかを彼女自身は知らないし意識もしない。


「……疲れたしそろそろ帰りたい、かも」


誰も聞いていない、聞いていないからこそ小さく小さく呟かれたその言葉は、当然、誰の耳に届くこともなく消えていった。


そして。

王都からの馬車が、すでに動き始めていた。

ベルニエの街へ向かうそれは新たな動きを生む。

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