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調整役令嬢は、何も知らない  作者: ナギサト。
『均されていくもの 』
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『ベルニエ客館 』

ベルニエの街は、遠目からでも活気が伝わる場所だった。

煙突から上がる白い煙。

石造りの建物の隙間から響く金属音。

魔石の研磨と加工を生業とするこの街では、朝から夜まで絶えず何かが作られている。

その中心にあるベルニエ家の屋敷は、城というより巨大な工房だった。

その敷地の一角。

来客用の館――客館の前で、ロラン・ベルニエは部下や使用人たちとともに静かに立っていた。


「相手は商人ではあるが、重要度で言えば貴族と同等だ。いつもどおり、粗相のないように」

「はい、承知しております」


部下はゆっくりと頷く。

普段はロラン直々に出迎えることなど、それこそ貴族相手でもないとありえないが、相手はヴァロワ家。

それにどうあれ関係を深めたいルミエが来るのだからしかるべき対応と言える。

ロランの支度が整うまで止められていたヴァロワ家の馬車が再び進み始め、門をくぐり、庭へ入ってくる。

やがて馬車が止まり、扉が開いた。

最初に降りたのは護衛。

次に秘書らしき女性。

そして。

最後にルミエ・ヴァロワが姿を現した。

黒い髪が風に揺れる。

ロランはその姿を見て、小さく息を吐いた。


(……変わらず、か)


初めてではない。

以前にヴァロワ家で一度会っているのだから。

そのときの印象は――聡明な人物。

それがロランの結論だった。

理由は単純だ。

美貌でもない。

地位でもない。

周囲の反応。

人が、自然に好意を抱くという、あの場で起きた微妙な空気の変化を、ロランは見逃していない。


(だが、原理が分からないほどのことでもない)


人間は単純だ。

外見、態度、声色。

それらが揃えば、好感は生まれる。

それだけの話だ。

しかしロランが評価しているのは、そこではない。

家柄、美貌、資力、知性。

人が羨むものをほとんど持ちながら、傲慢さがない。

それは稀有な資質だった。


ロランは前に出る。


「遠路はるばる、ようこそ」


一礼する。


「改めて名乗らせていただこう。ベルニエ家当主、ロラン・ベルニエだ」


ルミエも軽く頭を下げた。


「お招きいただきありがとうございます。

 では、私も改めて。ヴァロワ家のルミエ・ヴァロワです」


声は相変わらず落ち着いており、以前会ったときと印象は変わらない。

穏やかで、柔らかく、礼儀正しい。


(落ち着いているな。肝が据わっているのか、あるいは。どちらにせよそこもまた優秀さか)


ロランは内心で結論づけた。


「客館を用意している。案内させよう」

「ありがとうございます」


ルミエは微笑んだ。

ただそれだけの動作だった。

だが。

案内役の若い使用人が、一瞬だけ動きを止める。


「……こちらへ」


すぐに歩き出したが、声の調子が少しだけ丁寧になっていた。

その様子をロランはそれを横目で見た。


(まあ、そうなるだろう)


あの外見だ。

若い使用人なら多少動揺してもおかしくない。

それ以上の意味はない。


「まずは長旅の疲れを癒していただきたい。滞在中はどうぞ我が家だと思い使用してもらえるとこちらとしてもありがたい」

「重ね重ねありがとうございます。お心遣いに感謝を」


礼を失さず、疲れも見せない。

ロランは内心で小さく評価を加点するが、長居する理由もない。

彼は部下に任せ、その場を後にした。


「では、今晩、改めて伺おう。時間を無駄にするのは主義ではない。どうだろうか?」

「いえ、問題ございません。ではお待ちしておりますね」


胸に手を当てて頷くルミエにロランも頷き返して再び歩き出した。


客館の室内は静かだった。

荷物が運び込まれ、侍女たちが手際よく荷解きを始める。


「こちらのお部屋が主寝室になります」

「ありがとうございます」


ルミエは室内を見回す。

落ち着いた調度。

必要以上に豪華ではない。


(合理的、ね)


アニエスもそう言っていたとルミエは思い出す。確かにらしいといえばらしいのだろう。なんだかビジネスホテルのような無機質さと画一的な様相だった。


「お荷物はこちらへ」


侍女が箱を持ち上げる。荷物を男の使用人が運ぶのは嫌がる令嬢もいるだろうから当然の配慮ではあった。

少し重そうな様子にルミエが優しく声をかける。


「大丈夫? ごめんなさい。お出かけだと思って色々と持ってきてしまって」


侍女は少し驚いた顔をした。


「え、ええ。問題ございません」

「無理しないでね」


ただそれだけの言葉だった。

侍女は小さく頷いた。


「……ありがとうございます」


そして少しだけ、動作が丁寧になる。

その様子を見ていたアニエスは、静かに目を細めた。


(もう始まっている)


この感覚は知っている。

ルミエは何もしていない。

ただ礼を言っただけ。

それだけで、人は少しだけ彼女を好きになる。

少しだけ。

ほんの少しだけ。

しかしそれが積み重なる。

……そしてそれは自分も例外ではない。

こんな風に常に斜に構えている自分の方が、この方の”愛”に対して不誠実なのではないかと、そう感じてしまえるほどに。


「お茶をお持ちしました」


別の使用人が入ってくる。

カップ用意しながら、ちらりとルミエを見る。

また交わされる言葉。向けられる微笑み、注がれる愛。

わずかな時間だったが、確実に部屋を出る時、最初より丁寧に礼をしていた。

アニエスはその背中を見送りながら、心の中で息を吐いた。


(……本当に、厄介な方)


しかし同時に。

自分の胸の奥に、僅かな誇らしさがあることも自覚していた。





その夜。

客館の応接室。

扉が叩かれた。使用人の声が聞こえる。


「ロラン・ベルニエ様が面会をご希望です」

「ええ、ありがとう。是非入っていただいて?」


ルミエが柔らかく答え、隣でアニエスが目を細める。


「どうぞ」


ロランが入ってきた。

昼間と同じ、落ち着いた表情。ロランの表情が動くことは少ないため当然ではある。


「夜分に失礼する」

「いえ」


ルミエは微笑む。


「お忙しいでしょうに」


ルミエに相対する人々の反応としては相当に珍しく、その微笑みに頓着せずにロランは席についた。


「時間が惜しい。本題に入ろう」


書類をテーブルに置いた。


「今回わざわざ足労いただいた理由は、魔石規格の再整理についてだ」


ルミエは書類に目を落とす。


「現在の等級制度は三十年前のもの」


ロランは説明しながらルミエの表情を確認する。そこに浮かぶのは理解の色。


(事前に把握済みか。やはり無能ではないようだな。秘書も優秀と見える)

「加工技術の進歩に対して、分類が追いついていない」

「なるほど」


ルミエは頷く。


「品質の評価が曖昧になっているのですね」


ロランはわずかに目を細めた。


(そして理解が早い)


……本当に理解しているのか。

ロランは一瞬だけ、そう考えた。

だが会話は続く。

彼が望むのは――

打てば響くような、理性的な対話だった。


「ただし」


ルミエが言う。


「すぐに困るわけではないのですよね?」

「ああ」


ロランは素直に認めた。


「数年以内には問題になるだろう。だが、今すぐではない」


ルミエは少し考える。


「それでも今整える価値がある、と」

「その通りだ」


ロランは頷いた。


「問題を把握し、時間があるのだ。早い段階で整理しておくべきだろう」


合理的な判断であり感情の余地はない。

そのはずだった。


「……素敵ですね」


その想定すらしていない言葉にロランが顔を上げる。


「素敵?」

「ええ」


ロランの僅かに困惑が混ざる声色を聞いても、ルミエは静かに微笑む。


「未来の問題を、今のうちに解決しようとする」


そして言った。


「とても誠実な考え方だと思います」


ロランは黙った。

その言葉は、想定していた評価ではなかった。

利益でもない。

政治でもない。

ただの感想。


「……そうか」


それだけ答える。

会談はそのまま続いた。

だがその頃。

客館の使用人たちは、いつの間にか話題にしていた。


「ヴァロワ家の令嬢様、随分とお優しい方ですね」

「ええ……なんだか、つい頑張りたくなるというか」


その変化に、まだ誰も気付いていない。

もちろんロランも。

そしてそれは――

まだ始まったばかりだった。


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