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調整役令嬢は、何も知らない  作者: ナギサト。
『均されていくもの 』
32/37

『最も正しい判断』

ベルニエ家の執務室は、過剰な装飾がなかった。

磨き込まれた長机と、寸法の狂い一つない椅子。壁際に並ぶ魔石加工品は、誇示ではなく実用の延長として置かれている。

ロラン・ベルニエは、机の上に並べられた資料に視線を落としていた。


「以上が、今期の加工実績と規格更新の概要です」


書記の説明を受けながら、ロランは軽く頷く。


「問題は?」

「ありません。流通側との齟齬も最小限です」

「……そうか」


声は落ち着いている。

20代と世間から見れば若い当主だが、その口調に軽さはない。そして周囲の者も欠片も侮ってはいない。従属に値する、上に立つものなのだから。

ベルニエ家は、魔石加工と規格化を担う商家だ。

魔石の品質を揃え、用途を定義し、誰が扱っても同じ結果が出るようにする。

派手さはないが、なければ文明が止まる仕事。

現在、市井で広く使われている魔石用品の基本設計は、もとを辿ればベルニエ家に行き着く。

それほどまでに長く、そして広く根を張った大家だ。今もなお、進歩と革新、そして新発明を続けている。


「ヴァロワ家からの接触は?」


書記が一瞬だけ言葉を選ぶ。


「……例年通り、最低限です」


ロランは、わずかに目を細めた。

ヴァロワ家。

流通を司る大商家。

ベルニエと同格であり、同時に、意図的に距離を保ってきた相手。

加工と流通。

本来であれば、密接であるはずの二つの歯車。


「相変わらず、慎重だな」

「はい。現当主、フランソワ・ヴァロワは特に穏健派ですので」


皮肉ではない。ただの事実確認だった。

会議が終わり、人が捌けていく。

ロランは一人残り、資料を閉じた。


(……そろそろだ)


机をトントンと指で叩きながら自らの思考をまとめていく。


(我が家とヴァロワ。距離を保つ理由は理解している。加工と流通が過度に結びつけば、独占と疑われる。だからこそ、互いに“抑えて”きた)


合理的だ。

だが、合理性は永遠ではない。そしてなによりも、永遠とは存在しない。魔石用品のように日々進歩と革新、変化をしていくことが人の道、それがロランの矜持だった。


(なにより、今は、状況が違う)


ロランの脳裏に、一人の少女の名が浮かぶ。

ルミエ・ヴァロワ。

直接会ったことはない。

だが、その名前を聞かない日はなかった。

調整役。

誰も怒らせず、誰も損をさせず、場を整える存在。


(奇妙だ)


商談の場で、交渉の主役でもない人物が、

“基準”として扱われている。


(カリスマでも、思想家でもない。

それなのに、皆が彼女を前提に動いている)


それは、仕組みとして危うい。


(個人に依存する構造は、長く持たない)


名人や達人の技術には敬意を払うべきだが、誰でも同じような成果を発揮できる一般化と汎用化こそ、技術の為すべき道。ベルニエ家の立場から見れば、ルミエ個人にもたれかかる今はリスクだ。

だが同時に――


(資源でもある)


美しいと聞く。美しさはそれだけで価値だ。

有能だろう。15歳にして聞き及ぶ成果は優れている。

跡取りではない。確かもう一人息子がいた。つまりルミエは立場上も将来も自由の身だ。

そして、社会的に浮いている。調整役と言う名目上、誰も立ち入らず、誰にも肩入れしない。


(……取り込まない理由がない)


ロランは立ち上がり、窓の外を見る。

整然と並ぶ工房。規格通りに動く人員。


(私情ではない)


ここで思考を切り替える。


(これは、家としての判断だ)


ベルニエとヴァロワが協調すれば、

加工と流通の無駄は消え、社会は安定する。


(そして、その中心にいるべきが――俺と、ルミエ・ヴァロワ)


彼女が“調整役”として個人に依存され続けるのは、

彼女にとっても、世界にとっても、健全ではない。


(ならば)


ロランは、結論を出す。


(組むべきだ)


結婚、という言葉はまだ出さない。

せっかくの男女だ。有用な手として可能性の一つと考慮しているが、別にあえてそれを選ぶ必要もない。

であれば。


(まずは、ベルニエ家の側に立ってもらう)


協力者として。

助言者として。

制度の一部として。

長女が関われば、ヴァロワとの距離も必然的に近づく。


(それが、最も正しい)


そう、確信していた。


(……俺が間違っているはずがないのだからな)


その考えに、疑問はなかった。





数日後。

ロラン・ベルニエは、ヴァロワ家への正式な訪問を決める。

名目は単純だ。

――魔石規格に関する、今後の協議。

誰も反対しなかった。

それほどまでに、自然な一歩だった。

ただ一つだけ、彼はまだ知らない。

自分がこれから踏み込もうとしているのが、

“協業”ではなく、

“侵食”の領域であることを。

何よりも。『浸食を受ける側』がどちらなのかなど、思考の欠片すらなかった。





ヴァロワ家の応接室は、ベルニエ家の執務室とは対照的だった。

装飾は控えめだが、どこか“余白”がある。威圧するための豪奢ではなく、客が息を詰めずにいられる配置。

ロランは、入室した瞬間にそれを理解した。


(流通の家、秩序のヴァロワか)


効率と秩序ではなく、人の流れを読む家。

加工と規格を司る自分たちとは、確かに思想が違う。

そして。


「お待たせしました。ご足労いただき申し訳ない」


その声とともに現れた男性。フランソワ・ヴァロワ。

何度か会ったことがあり面識もある彼は、このヴァロワ家の要ではあるだろう。

しかし、本命は違う。フランソワ・ヴァロワの後ろの控える少女を見て、ロランは一瞬だけ思考を止めた。

――磨き抜かれた魔石だ。

装飾を施さずとも価値があり、削りすぎれば割れ、放置すれば鈍る。

完成されているのに、どこか“余地”を感じさせる佇まい。

15歳。

その事実が、遅れて意味を持つ。


(若い、などという評価は成立しないな)

「私の息子はまだ幼い。今回は娘のルミエを同席させたいのですが」

「ええ、構いません。お初にお目にかかりますルミエ殿。ロラン・ベルニエと申します」

「ルミエ。以前にも話したことがあっただろう。

 こちらのベルニエ家は魔石加工、魔石用品の開発の大家だ。魔石文化に大いに貢献されている」

「はい。はじめまして。ルミエ・ヴァロワです。以後お見知りおきを」


彼女は一礼し、自然な距離感で席についた。

微笑みは自然で、目線は低すぎず、高すぎず。声は柔らかいが曖昧ではない。


「本日はお越しいただき、ありがとうございます。ロラン様」


名前を呼ぶだけの、その一言。

だが、場の主導権はすでに彼女の側にあった。


(なるほどな)


会話は、表向きには魔石規格の確認から始まった。

数字、用途、将来的な調整案。

ロランが得意とする分野だ。


「では、ヴァロワ殿。今期の魔石の市場価格についてとなります」

「ええ、こちらも承知はしています。しかし、供給量については」


フランソワとの事務的なやりとり。同席者である彼女も参加者の一人だが割り込まない。

訂正もしない。

ただ、要所で視線を向け、短く言葉を添える。


「その点は、確かに重要ですね」

「ただ、現場の負担も考えると……」


それだけで、議論の角が取れる。

こちらが折れるわけではない。

相手が勝つわけでもない。


(……理解している)


ロランは確信する。

彼女は、”構造”を見ているのだろうと。

人の感情ではなく、感情が生まれる位置。

利害ではなく、利害が衝突する理由。

そこにそっと挟み込まれる言葉。誘導ではない。作意でもない。ただ、自然に、静かに。


(才能だろうな)


それも、鍛錬の結果ではない。

自然体で、無意識のうちにやっている。

会話の終盤、魔石の話がある程度まとまった段階で、ロランはあえて核心に近い言葉を投げた。


「ところで、ルミエ殿。貴女は現在、議論や討議の場において調整役としてご活躍だとか」

「ええ、皆さまに必要とされて光栄です。日々、励まさせていただいております」


誇るでも驕るでもなく、静謐で清廉な態度。フランソワの表情から見ても自慢の娘なのだろう。


「ご多忙では?」

「そんなことはありません。回数も無理せず立ち会えるものですし、何より、皆さまの、世のためになるのであれば大したことでは」


ルミエのある種の模範解答に意図的に棘を投げつけてみる。


「しかし、調整役という大役。それは個人に依存する形では長くは続きません。

 どう思われますか?」


探るような視線。

反応を見るための一言。

だが、返ってきたのは否定でも同意でもなかった。


「そうですね。仕組みとして整えることは、大切だと思います」


穏やかで、正しい返答。

感情を刺激しない。

だが、逃げてもいない。曖昧なようでいて、不思議と腑に落ちる。


(……これだ)


ロランは、心の中で頷いた。

彼女は、制度の中に組み込むべき存在だ。

個人として消費されるべきではない。


(そして――)


自然と、次の思考に至る。


(それを扱えるのは、俺だ。少なくとも、俺以上に適任はいない)


合理的判断だ。

私情ではない。

彼女を“守る”ためでもある。

加工と流通が手を取り合えば、社会は安定する。

そしてどうしても発生する小さな軋轢、その中心に、彼女がいるならば何ら問題は起きるまい。


(理解した)


彼女は善意で動いている。

打算はない。打算であれば、もっと露骨な立ち回りをしているはずだ

だからこそ、誰かが枠を与えなければならない。飛び立つ場を、その能力に値する地位と仕組みを。

会話が終わり、席を立つ。


「本日は、貴重なお時間をありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。今後もお互いに良き関係でいられれば幸いです」


フランソワと形式的な礼にルミエはまたそっと言葉を乗せる。


「ロラン様。今後とも、良い関係を築ければ嬉しいです」


その言葉に、含みはない。

少なくとも、ロランにはそう見えた。


(やはり、相応しい)


ヴァロワ家を通じてではない。

ルミエ・ヴァロワ本人と、直接。

協力者として。

制度の一部として。

――そして、いつか。あるいは。

そう考えながら、ロランは屋敷を後にした。





「お疲れ様、アニエス。立たせたままでごめんね?」


少し砕けた、茶目っ気のある謝罪をする若い主に、秘書であるアニエスは首を振る。


「いえ、職務ですので。それで、いかがでしたか? ベルニエ家の若き当主は」

「うーん……そうね」


少しだけ考えてから、首を傾げる。


「なんだか、すごく合理的で……真面目な方だったわね」

「そういうことでは……いえ、ルミエ様、わかって言ってらっしゃいますね?」

「ふふ、さあ?」


悪戯っぽく微笑んで見せるルミエに、アニエスは心の中で絆されすぎないように一歩距離を取ってから、内心ため息をつく。

本当に把握が容易くない人だと。

一方ルミエのほうもお茶を飲みながら内心でため息をついていた。


(なんかベンチャー企業の社長みたいな人だったな……ああいう人もいるんだ)


なんだか肩が凝った。本人の感想はそれだけ。

魔石の話が多かったこと。

数字と仕組みの話が続いたこと。

しかも言ってしまえば自分はフランソワの添え物だ。意識することでもない。

だからこそ、ロランの印象は、それ以上でも以下でもない。

いつもどおり最適化された先ほどの返答は、その実まったくの嘘ではないのだから。


「次の予定、確認いたしましょう」

「ええ、お願い」


穏やかな声で、いつも通りに。

その背中を、彼女自身は振り返らない。

その日、ロラン・ベルニエは確信を得た。

そして、ルミエ・ヴァロワは――

何も得ていなかった。いつもどおりだった。

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