第75話 食通エレン
「皆さん。お昼ができたからいらっしゃい」
書斎の外から声が聞こえる。道具を片付け始めるミカエラ。それを手助けする少年二人。
ファリアは『私にできることがあるかしら』と、中をうろついていた。
「ファリアさんは休んでいていいですよ」
ミカエラがそんなことを言う。ファリアは『少し遊びすぎてしまったからそうするわ』と、ソファーに座った。
しばらく目を瞑る。『今頃レゼルは……』と言葉を吐き、天井を見上げた。
「よし、メウス。エレンありがとう。ニックさんも助かりました」
「いえいえ」
片付けが終わったところで、それぞれが書斎から出ていく。ファリアもその後ろについて退室した。
廊下を歩く途中。不自然に視線を感じたらしい彼女は足を止める。
「ミカエラ令嬢。レゼルは?」
「レゼルさんなら、先に帰られましたよ?」
「はい?」
「はい」
聞き返したが、ミカエラは肯定する。子供はよく嘘をつく人だ。今頃外ではしゃいでいるかもしれない。
食卓と呼ばれるお食事場に着くと、豪華な料理が並べられていた。
誰かから腹の音が響く。直後エレンが顔を赤らめた。
「お腹空きすぎてるみたいです……」
「エレンは早朝から素振りしてたもんね」
「はい……。今度から間食も必要ですね……」
ニックが言っていた説明は本当だった。ちょうど成長期と呼ばれるところか。
各々が席に座る。見下ろした中央には大きな平皿に乗せられた肉の塊。
「これは、ステーキよね?」
「はい」
ミカエラが答える。
「メウスに頼んで熟成肉に変えてもらったんです。肉汁も、美味しさも倍以上ですよ」
「なるほどね……」
納得できてないのか、ファリアはゆっくりナイフとフォークを持つ。
肉にナイフを刺した途端。まるで噴水のように肉汁があふれ出した。
薄桃色の断面。それが、異常な柔らかさの正体。
「ファリアさん。すごいですね」
「ええ。こんな柔らかい肉は初めてかもしれないわ」
「うん」
切った肉をフォークに刺す。口に運ぼうとした時、垂れた肉汁が洋服を汚した。
「これは、誰が焼いたのかしら?」
「わたしよ」
台所からもう一人のシャーロット公爵家令嬢が顔を出した。
レイラ・シャーロット。銀髪がトレードマークのミカエラとは真逆で、漆黒の髪を長く伸ばしている。
彼女は凄腕の暗殺者とも呼ばれ、このシャーロット領でも有名な人物であった。
「レイラ令嬢が肉を?」
「ええ。焼き加減を妹から教わったのよ。たしかこれは……」
「レアとミディアムレアの中間だね」
メウスが答えると、ミカエラが頷いた。
レアとは、ミディアムレアとは。聞きなれないフレーズが飛び交う。
ファリアは、もう一度肉を切る。無限に流れる滝のような肉汁に、興奮を抑えられずにいるようだ。
「レイラさん。僕おかわりお願いします!」
いつの間にか食べ終えたらしいエレン。ファリアは咀嚼に難儀していて、一向に進まない。
「エレンって、顎も強いんだね」
ニックが質問すると、エレンが顔を上げた。
「はい。幼少期から色々食べてきたので」
「色々?」
「はい。一番は……、ピーマンの肉詰めですね。シャーロット産のジャンボリングピーマンを半分に切って、そこにブライアント産の牛と豚の合いびき肉を詰めて焼くんですよ」
急に饒舌になるエレン。彼は食べ物への執着が強いのかもしれない。
そんな彼をただ見ているだけしかできないファリアは、ようやく一口目を飲みこんだ。
「エレンさんは、どうしてこんなにも食に詳しいのかしら?」
「それはですね……。詳しいのは僕ではなく、ミカエラさんの方なんですよ」
「ミカエラ令嬢が?」
「はい」
ファリアはミカエラの方を見る。彼女は肉を細かく切り分け一口サイズにしていた。
「最初からあんな風に食べるべきだったわ」
「ぼくも同感」
「メウスさんも?」
「うん」
メウスは、早速と言っていいくらいの速度でステーキを切った。
少し雑な食べ方をする彼。しかし、他の人と比べ纏うものが違った。
『彼にはいつまで経っても勝ち目はない』。そう感じさせるオーラは、部屋全体を支配していく。
「ファリアさん。もしかして、メウスのこと気にしてます?」
「い、いえ、何でもないわ」
ファリアは、ミカエラからの問いかけに慌てて答える。
「そうですか……。あれでも、メウスはものすごく偉い人なんですけどね……」
「偉い人とはどういうことでしょうか?」
「蒼穹よりも上の存在ですよ」
彼女はそれ以上のことを言わなかった。
しばらくして、食事はお開きとなる。ファリアは重い身体を持ち上げ、椅子から立った。
「本日は、ありがとう」
「いえいえ。今日はお父様とお母様がいませんでしたけど。またのご来訪お待ちしています」
「私も、本当にいい経験ができたわ。伯爵家でも、もう少し魔法を極めてみたいと思ってますから」
「それはよかったです」
少しの会話を終え、ファリアとニックは馬車に乗る。
空はうっすら赤みを帯びていて、太陽が沈み始めていた。
夕焼けに照らされながら進む帰路。ファリアの手には、一冊の本が握られている。
「『ミカエラ考案・異界のアレンジレシピ集』ね……。きっと、レゼルも喜ぶわね」
「そうだね。それにしても、料理本かー。ボクにも見せてもらえるかな?」
「いいわよ」
ファリアは本を渡す。ペラり、ペラり。紙を指で滑らせる音だけが響く。
「オレンジジュースを使った肉じゃがかー。なんか味が気になるね」
「ほんとね。料理長にお願いしようかしら?」
「それはいい考えだ。一緒に相談してみよう」
ガタン。ゴトン。揺れる車体。畑を抜け、林を抜け。伯爵家が見えてくる。
長いようで短い時間。それでも、濃密な一日を過ごしたファリアは、今朝の悲惨な状況すらも忘れていた。
「こんな毎日がずっと続けばいいのに……。私もあの子みたいになれるかしら?」
「きっとなれるよ。ファリアさんならできる!」
「そう言ってくれるのは、ニックさんだけよ。ええ。頑張るわ」
まもなく、到着。ミカエラたちに次会えるのは、いつのことだろうか。
また、子供だましの模擬裁判を受けてみたい。そのような期待も馬車に乗せ、伯爵家に帰るのであった。
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