第71話 伯爵家の灰被り
◇◇◇リヴァーチェ伯爵家◇◇◇
「ファリア。まもなくお客様がご到着いたします」
「はい。今すぐ参ります」
ここは大きな屋敷。廊下を騒がしい足音が駆け抜ける中、ファリア・リヴァーチェは他の人よりも遅く行動していた。
朝に弱い彼女は、眠気を帯びた目を擦るばかり。カーテンを開けると眩い日光が差し込み、木目の床を照らす。
おぼつかない足取り。ドレッサーに置かれた髪留めのシュシュを持ち、姿見に立つと長く伸びた茶色い髪を後ろで結んだ。
服を脱ぎ、使用人の正装に着替える。黒いスカート。白のシャツ。真新しいように見えるが、シワも多い。かなり使い込んでいるようだ。
ファリアの朝はこうして始まる。
「急がなくては!」
少し足早に歩く。スカートが大きすぎるのか、はたまたベルトが緩いのか。度々ずり落ちる中で、彼女は玄関手前の曲がり角へとたどり着いた。
「この姿では、見せられないわね……」
元々ファリアは、このリヴァーチェ伯爵家の跡取りになるため育てられてきた。しかし、今から十六年前。彼女の下に弟が生まれる。
それからというもの、彼女は礼儀作法を学ぶ日々。この使用人としての仕事も、メニューに含まれていた。
「あらァ? ファリアさんは今頃出勤ですかァ?」
いやらしい声をかけてくる一人の使用人。みっともない姿を見られたからかその噂が広まり、嘲笑が渦巻く。
ファリア自身も自分に彼氏などできないと諦めているのか、顔をスカートにうずめた。
「みなさーん。お客様がご到着なさいます。位置についてください」
先程から使用人をまとめているのは、ファリアにとっては一番の相談役・メリアだ。
彼女はパステルブルーの短い髪を揺らし、一人ひとり身だしなみをチェックする。
慌ててベルトを直そうと小刻みに動くファリア。彼女の番は一番最後なので、猶予はある。
「アラアラ。ファリアさんは芋虫なのかしら? なんて醜い芋虫なの」
「……」
「そもそもファリアさんは、雇われではないですもんね。相当甘やかされてきたんじゃない? ふふふ。アハハ!」
「それは可哀想に、ここで働くよりも、辺境のどこかで百姓していればいいのでは?」
「まあ、たしかに良案だわ。使い物にならないゴミは捨てるべきよ」
耳が痛くなるような言葉に、ファリアはより押し黙る。こんな生活を今もしている。つらいだろうに、これが現実。
使用人には階級がある。その中でファリアは特別扱いをされてきた。
朝に弱いからと、ギリギリでの準備を許可され。食事に関しては病弱な身体を労わって貰う毎日。
その代わり、最も重労働な外仕事をしている。理由は単純。日光を常に浴びることで、病弱な身体を少しでも改善するためだった。
「なんで……私はあの子みたいになれないの……」
彼女が思いを馳せるのは、リヴァーチェ伯爵家の本家でもあるシャーロット公爵家第二令嬢。ミカエラ・シャーロットと呼ばれる少女は、わずか五歳にして才覚を表した。
ファリアは今二十四。もうすぐで二十五という一つの節目を迎える。それなのに、男が寄り付かない。そんな毎日を過ごしている。
「あの彼でさえ、いいえ、考えるべきではないわ」
「ファリアさん。先程からブツブツ、ブツブツ。うるさいですわよ。もう少しお静かになさいまして?」
大勢の使用人が働くその中で、ファリアはいつまでも下っ端だった。もう十六年。たった十六年の年月を重ねても、成長の〝せ〟の字も芽生えない。
ファリアは唇を強く閉じる。泣かないように、ただ無言を貫く。今日のお客様に対しても、冷たくあしらえばいい。
「お客様がいらっしゃいました。皆さん、ご挨拶を差し上げてください」
メリアが指示を飛ばす。ドアが開く。中に入ってくるのは、リヴァーチェ伯爵家と縁が深い領民の人たち。
「『ようこそいらっしゃいました。ごゆっくり』」
大勢の使用人が挨拶をしている中で、ファリアは言いそびれてしまい、深く礼をするのみ。領民の一人が彼女を見て、冷笑を浴びせた。
「ファリアさん」
誰かに声をかけられても、ファリアは顔を上げない。ただ、深く頭を下げるのみ。だけど、先程の声は何度も繰り返される。
「ファリアさん。ボクです。顔を上げてください」
「っ!?」
「ファリアさん」
「ニック……さん……?」
彼女の前には、小柄な男性が跪いていた。目線が合う。ファリアの顔は燃えるように赤く染まった。
「アラアラ。ファリアさんに縋り付く子犬がいますわよ。人を見る目がありませんわね……。わざわざ薄汚い灰被りを選ぶなんて」
「ファリアさんは灰被りなんかじゃない! ボクは彼女の頑張りをよく知っているんだ。ボクの目に間違いなどあるもんか!」
「ニックさん……」
ニックが使用人の一人の胸ぐらを掴む。身長差からして、ニックの方が不利だった。
それをただ見ることしかできないファリアは、力になれないことを理解したのか、瞳から光が失せる。
「ファリアさん。ボクは大丈夫だから先に部屋へ」
「……」
「ファリア!」
「は、はい……」
ファリアはその場から立ち去る。いつも助けられてばかり。そんな自分が許せない。彼女の表情には、弱者としての苦悩が滲み出ている。
部屋へ着くと、ファリアは使用人として働く意識が薄れたのか、普段着に着替える。そして、ニックが現れるのをひたすら待った。
「ニックさん……」
彼女にとって頼れる、たった一人の男性。ニック・トラストこそが、心の支えになっているようだ。
ドタン。ドタン。廊下に大きな音が響き渡る。しばらくして、誰かがドアをノックした。
「ど、どうぞ……」
ドアが開く。そこに立っていたのは、埃まみれになったニックの姿だった。
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