第110話 大輝の前世
時間は現在に戻り、車の中。
「はァー。不味かった不味かった……」
大輝はそう言って、綺麗に飲みきった瓶を眺めていた。
そんなに不味いのなら飲む必要はないのに、本来の性癖が戻った彼は誰も止められない。
時折私の方を向いていたので、それが気になる程度なんだけど……。
「もしかして、私の血を飲みたいなんて言わないでしょうね?」
「そ、そんなわけ……。飲みたい……」
今の大輝は欲を抑える力が弱くなっている。
だから、ものすごく身体が欲しているのだろう。
大輝の前世が殺し屋だったこと、そして、剣豪であったこと。
それは今でも信じることができない。しかし、騎士団集会所で楽々と難を避けていた。
私は、自分の首を指さす。アンナさんの血が甘くて美味しいのなら、聖女単体ではどうか。
「本当に良いのか?」
「うん」
「言っておくが、俺の口直しに必要な量は多いぞ?」
兄に飲まれるならいくらでもいい。しかし、大輝は行動に移さない。
私は座席から立ち上がり、メウスのベルトからナイフを取り出す。
瓶を水魔法で洗浄し、そこへ自分の血をなみなみと入れた。
「はいこれ」
私はその血を大輝に渡す。
「こんな大量に飲んでいいのか?」
「うん。魔法で血液量増やせるから」
「じゃ、じゃあ……。いただきます……」
大輝は申し訳なさそうに瓶へ指を入れた。聖女である私の血に……。
彼はゆっくりと口に入れる。血縁関係でなくても、兄妹であるのは変らない。
そんな兄にとって大切な妹の血を飲むなんて、どうしてもためらってしまうのだろう。
何度か口に入れた大輝は、少しだけ固まった。まるで反芻でもしているように。
そして、何か衝撃を受けた様子で両目が開く。
「美味い! こんな血は人生初だ!」
今となって不思議に思っているけど、何を基準に味を判断しているのか気になる。
日本にいた時の大輝は至って普通。血も求めなかったし、何より兄妹想いだった。
しかし、ここに来てから彼は血に飢えている。そして、水のように飲み干していく。
「その……大輝さん。なんでずっと血を飲んでいるんですか?」
エレンが問いかけると、大輝は真下を見たままぼそりとつぶやいた。
「俺がいた日本には法律っていうのがあってだな。好きに血を飲めなかったんだ……」
「それは、そうだよ。人体損壊に入るからね」
「まあな……。日本に生まれる前は、この世界で殺し屋をしていた。世間では恐れられる存在だった」
大輝は遥か遠くを見るような目で、車窓の奥を覗いた。
瓶にはまだ血が残っている。なのに次を飲もうとしない。
「あの世界で、俺は五万人以上を殺した。そして、その血の味は全て覚えている」
「だけど……」
「俺は死んだ。そして、人生をやり直すため日本に生まれた。工藤大輝として」
だけど、大輝は血の味を忘れることができなかった。
「俺は弱い。異世界最強の殺し屋であっても、ものすごく弱かった」
「大輝……」
「だから。俺は美香を助けることができなかった。俺の命はな。今持ってるのが最後なんだよ」
大輝の声色がさらに暗くなる。今持っている命が最後とはどういうことなのだろうか。
彼は一口だけ血を飲んだ。飲み込んだ後語りを続ける。
「今の命が消滅したら、転生することなく抹消される。つまり、もう二度とこの記憶を持って生きることができなくなる」
「……」
「別に美香の代わりに死んでもよかったんだ。俺自身、過去と決別できるなら、それでよかった」
大輝の眼には、少しの涙が浮かんでいた。瞳孔は揺れていない。
彼は二度目の人生で、別の生活がしたかった。自分の更生をしたかったんだと思う。
だけど、血の味を忘れられず常に我慢をしてきた。
それだけ、彼は苦しい思いをしていたのかもしれない。
大輝が持つ瓶の中に、雫がぽつりぽつりと落ちていった。
「俺ってバカだよな。昔っからそうだ。毎回基地外のことをしている」
「たしか。小さい時に変な言葉を話してたってお母さんが……」
「ああ、あれか、あれはバルダ語って言ってだな……」
これは長くなりそうだ。大輝は前世で生きた世界のことを細かく教えてくれる。
元々は人間とドラゴニュートの間に生まれたということ。
今一番したいことは、ドラゴニュートの力を取り戻すこと。
そして、ドラゴニュートの力を取り戻すには、それ相応のドラゴンの血が大量に必要であること。
「それをしないと、俺の相棒を持つことはできない」
「たしか、レヴェルだっけ?」
「そうだ、正式名はダインレヴェナント。前世の俺が自身の魂石を使って作成した大剣だ」
その言葉にシリルが反応する。
「たしか、ダインレヴェナントは血を吸う剣でしたよね? 今もその剣が眠っている聖域で死者が多発しているとか」
「ま、マジかよ……。んあー。もう、レヴェルは相変わらずだなぁ……。、無尽蔵に殺すものじゃないっての」
「大輝さんにとってダインレヴェナントは大事なものなのですね」
「そりゃそうだ。きっと、不味い血だけを吸い上げてさび付いているだろうよ」
大輝はそう言うと、残った血を飲み干した。そして、ものすごく清々しそうな顔をする。
「やっぱ愚痴聞きがいると楽だ。こっちの世界に戻ってこれたのがどれだけ嬉しかったことか……」
「とか言って、ぼくに対して『詳しく説明しろー』って言ってたけどね」
「それはそれ。これはこれ。俺にとって結果オーライだっただけ」
「不自然に韻踏んでますね……」
大輝が言い訳をして、そこにエレンがツッコミを入れる。
車は紫がかかった森の前で止まった。そこから先は歩きになるらしい。
メウスが車を片付ける。そして荷物は全て空間の中に収納。
「シリルー。南西の魔王城ってどれくらいで着く?」
「そうですね……。出てすぐに見えると思いますよ」
「意外と近いんだね」
「ええ。そうですね」
今回はシリルが案内役になってくれるそうなので、彼を先頭に歩く。
森の中は薄暗く、先を見通すことができない。
周辺には蝙蝠が飛んでいて、北の魔王城周辺とは違った。
秋だというのに、空気も温かい。そして、しばらく進むと街が見えてくる。
「まもなくボクの故郷に着きます」
シリルが号令をかける。すると、誰かのじゅるりという音が響いた。
後ろを見ると、大輝が大量のヨダレを垂らしている。
「囚人の匂いがする」
「はい?」
「同時に俺の親戚の懐かしい匂いもするな……」
大輝の意味深なセリフ。謎が謎を呼ぶ中、私たちは南西の魔王城周辺にある城下町へ入っていった。
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