七十三話 知られました!
「待っ…!」
踏み出しかけた足が止まる。
今彼女を拒絶してしまった僕に、そんな資格があるのか?
僕は、彼女と仲直りしたいと思っているのか?
分からない。分からなくなってしまった。
垣間見えた本心が、全てを曇らせ…いや、露わにしてしまった。
「マノア様! 早く追ってください!」
「けど…!」
「そんなことを言ってる場合ですか! 奴の狙いは、彼女なんですよ!?」
「…っ!」
守らなきゃ。
その意思が心の曇りを吹き飛ばし、足を動かした。
正直、自分でも信じられないほどの速さだった。先に走り出していたティーサさんの背中がどんどん迫ってくる。
「ティーサさあああああああああん!」
「マノア!?」
驚いて振り向いたティーサさんはその足を止める。
「あっ…」
急制動をかけようとしたその時。
慣れないスピードを出してしまっていたからか、足がもつれてしまう。
その結果どうなるかというと…
「い、いたた…」
「ご、ごめんなさい…」
ティーサさんに飛び掛かるように転び、彼女を撒き込んで倒れてしまった。
「ティーサさん…その、僕は…」
「……取り繕わなくても良いわ。私の事が怖くなったんでしょう?」
「いえ…いえ…! 違います!
僕はティーサさんの事を怖がってなんていません! 本当に恐がってたのは、僕の秘密を――」
「お、お前ぇーーー!」
「え?」
聞えた声は確かに男の声だった。
あるはずの無い声を聞いた事、探していた侵入者がこんなところで見つかった事、呆ける理由には充分だった。
「マノア様、早く立って!」
声がした方を振り向くと、男が足を振り上げているのが見えた。
「どけっ!」
「ぃっ…」
頭の中がいっぱいになっていた僕は避けることも出来ず、そのまま脇腹に蹴りを受けて転がった。
「大丈夫か!?」
男が駆け寄ったのはティーサさんだった。
介抱するように抱きかかえ、安否を問うていた。
「マノア様、大丈夫ですか?」
倒れた僕にウィラさんが声を掛ける。
僕は蹴られた箇所をさすりながら立ち上がって答えた。
「ケホッ…ぼ、僕はなんとも…それより、ティーサさんを…」
ティーサさんを見る。
「…触らないで。」
「怪我は無いか!? 怖くなかったか!?
心配するな、俺が付いてる!」
「嫌…止めて。」
彼女は嫌悪感、怯えを含んだ表情で男を見上げていた。
体は震えているようだった。恐怖で体が動かないのかもしれない。
「はい、彼女は任せてください。」
ウィラさんは僕を安心させるように浮かべた笑みを消し、男と相対する。
「止めなさい! 彼女が嫌がってるじゃないですか!
それにマノア様を蹴飛ばして、どういうつもりですか!」
「どういうつもりだと? それはそいつにも言える事だろう!
嫌がるティーサさんを追い回した挙句押し倒して、怪我までさせようとしてたじゃないか!」
今の一連の流れは、確かにそう捉えられなくも無かった。
しかし、やや思い込みが過ぎている。まるで自分がティーサさんを守ろうとしたかのようだ。
いや、事実彼の中ではそうなっているのだろう。
「違う! マノア様はそんなことをしようとしてたわけじゃない!
確かに、マノア様は一度彼女を傷つけてしまったかもしれない。しかし、マノア様は今彼女を守ろうとしたんだ、お前の手から!」
「俺の手から?」
「そうだ!
彼女の様子を見てみろ! お前に酷く怯えているじゃないか!
それもそうだ、彼女にとってお前は、友人を蹴飛ばした島への侵入者でしかなんだからな!」
男は本気で分かっていないようだった。
ティーサさんの恐怖を、それが自分に向けられていることを。
「……そうよ、貴方の事なんて知らないわ。」
振り絞られた震える抗議の声は、どうやら彼に届いたようだった。
彼女の声を聞いた男は表情を変える。
「…そうか。
君にとって、僕は赤の他人でしかないんだね…僕は君の為にここまで来たと言うのに。」
「え…?」
寂しげな表情にも見えた。
しかし、内包する狂気がそれを塗りつぶしている。
「今でも覚えてるよ。23日前の昼、君を初めて見た時の事。
あの時、僕も君に声を掛けたんだけど…もう、覚えてなかったか。
それもしょうがないとは思うけどね。他の男どもが何人も声を掛けてたんだからさ。僕もそのうちの一人にされちゃってるのは正直腹立たしいけど、僕って印象薄いからね。しょうがないか。
君には素っ気なく振られちゃってたけど、僕はそれから君に夢中だった。調べてみたらこの島に住んでるって聞いて、落ち込んじゃったけど…けど、場所なんて関係ないって気付いたんだ。
もっと早くに気付けば良かったなぁ…遅れちゃったけど、君のことが本当に好きなんだ。」
言葉の端々に浮かぶ狂気は、僕らを戦慄させた。
そして、次の言葉で更に驚くことになる。
「あんな男のことなんかもう忘れちゃいなよ。所詮すぐ押し倒しちゃうような軽い男なんかさ。」
「……あんな、男?」
侵入者が見ていたのは紛れもなく僕だった。
ティーサさんの開き切った目が僕に突き刺さる。
「どうしてそれを…?」
取り繕う余裕も無く、ただ訊いてしまっていた。
それが男が言っていることを肯定してしまっていることを示しているとも気付かず。
「レストランシーサイドのマノア…気を付けた方が良いよ、あの町じゃかなり有名だからさ。
実は俺も一回行ったことがあるんだ。味は覚えてないけど。」
…そうだった。
侵入者は島の外の人間。その人が僕を知っていてもなにもおかしくない。
ましてや僕は接客業。偶然だろうと一方的に知られている可能性を考えておくべきだった。
それなら本当にレーサさん達に任せておくべきだった。ティーサさんの家に引き込もって、ほとぼりが冷めるまで待つ。それが最善だった。
…かもしれない。
「…確かに、僕は貴方が言ったように島の外から来た男で、この島に居てはいけない存在です。
僕は正体を隠すために、ティーサさん…貴方が抱えている彼女を利用しようとしてました。」
けど。
「けど、彼女がどうでもいいわけじゃありません。」
それじゃ、駄目だ。
それじゃ本当の卑怯者、いや、自ら法を犯して侵入した彼と同じだ。
「一方的かも知れませんけど…僕は、彼女に友情のような親しさを感じていました。
それが騙して得てしまっていたものだとしても、それに報いたい。」
犯罪者の烙印は消えなくても、彼女への恩だけは報いる。
絶対に。
「だから、嫌がってる彼女を離してください。」
「黙れ、お前に何が出来る。
お前も俺と同じ、女目当てでこっそりここに来たんだろ?」
「違います、貴方と一緒にしないでください。
それより、いい加減認めたらどうですか? 彼女が貴方の腕を受け入れていないことに。
貴方に怯えて、震えていることに。」
「ま、マノア様? なんだかいつもと雰囲気が違うような…?」
もう、彼に対して温厚ではいられなかった。
怒りが沸き上がり、得体の知れない力が溢れるように漲る。
「そ、そんなわけ無いだろ! 怯えてるって言うのはお前にじゃないのか?
追い回されて押し倒された直後なんだからな! しかもお前、魔法まで使って脅してれば怯えもするさ!」
気付けば、ティーサさんだけでなく侵入者も震えているようだった。
まただ。
魔法を使っている感覚は無いのに、魔法を使っていると言われた。
沸き上がる謎の力が関係しているのだろうか。それとも、こういう時の僕は尋常じゃないほどの威圧感が出ていて、それが魔法で出しているものだと勘違いされているのだろうか。
まあ、どちらでもいい。
「もう一度言いますよ。
彼女を離してください。」
一段と大きく溢れ出す力。
「ぅっ…」
それに伴い一瞬意識が離れかける。
「う、うわあぁあああ!」
意識を戻すと、男の服が黒く燃えていた。ティーサさんは解放されて男から離れている。
煤けて黒くなった、と言うわけではなく炎が黒い。煙も出ていない様だった。
「は、早く脱いで!」
いくらティーサさんに手をあげようとしていたとはいえ、殺したい訳じゃない。
僕の言葉を聞いて、男は急いで上着を脱ぎ始めた。
「き、消えない!」
彼が脱いだ上着を叩いても炎は消えなかった。
それでもしつこく上着を叩いていると、火の粉の一つがズボンに燃え移る。
「早くそれも脱いで! 燃えるよりはマシでしょう!」
「ひ、ひぃいいいい!」
結果男は無事だったが、着ていた服は全て黒い炎に燃やしつくされてしまった。
その時には炎は完全に消えていた。
「キャアアアアア!」
助かった、と思ったのも束の間。ティーサさんが顔を手で覆って大きな悲鳴を上げた。
その理由は──
「へ、変質者! 変質者だー!」
──今しがた全裸になった侵入者だ。
「み、見るなマノア! お前には刺激が強すぎる!」
と言ってウィラさんは僕の目を塞いだ。僕が男って知ってるはずだよね?
「なんなんだアイツ、探してたとはいえ突然裸で出てくるなんて…!」
「え? 今燃えてたから脱いでたんじゃないですか。」
「何を言ってるんですか! あの人は最初から裸だったでしょう!」
???
なんだか分からないけど、ウィラさんは最初から裸で出てきたと思っているらしい。ティーサさんもそのようだった。
この後、男は狩人に連行された。




