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吸血秘書と探偵事務所   作者: かみこっぷ
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82/90

3話 牛鬼、激昂

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


本来静寂に包まれ波の音しか響かないはずの日没後の海水浴場、そこに地響きを伴う轟音が連続して鳴り渡る。


山の様な巨躯を支える八本の脚が蠢き、己の全長の十分の一程度しか無い標的目がけて振り下ろされる度、内臓が浮き上がる様な感覚を覚えるほど周囲の浜辺に振動が走る。


「ふん、威勢の割には逃げ回るばかりの様だが? その程度で儂に楯突いた事を後悔――――する暇もなく潰してやろう」


「知性にも品性にも欠ける気遣い感謝します。まあその無駄に巨大な体躯で蜘蛛並みの俊敏さを発揮できている点は評価して差し上げましょう」


璃亜の言葉にあからさまに顔を歪めた牛鬼が暴走したトラックの様な勢いで突っ込んでくる。先端に銛の様な返しのついた黒い脚、長く重厚なソレを器用に操り四方向から璃亜の逃げ場を潰すように襲い掛かる。その瞬間、都合四回の地響きが重なり合って一つの爆発音と化した。


「手ごたえ、ありだのう」


硬く分厚い甲殻で覆われた脚に触覚が存在するのかは定かではないが、牛鬼はの脚先でようやく獲物を捕らえた事を確信する。


爆心地の様にえぐれた地面を中心に細かい砂粒が舞い上がり吸血鬼の無事が確認できない状態で、距離をとってその光景を眺めていた相一のスマホがおよそその場に似つかわし無い着信音を鳴らし始めた。


「俺です」


『待たせて済まない、頼まれていた周囲の人間の避難が完了した。半径2km以内には人っ子一人居ない筈だ』


「ありがとうございます乃里子さん! 相変わらず仕事が速いですね」


『よせ、こんな事でしか協力できなくて申し訳なく思っているんだ。本来ならばお前たちの身に危険が降りかからない様に全力を尽くすのが我々警察という組織の役目の筈なんだが、毎度こういった事にはお前たちに任せきりになってしまって――――』


「何いってんですか、乃里子さんらしくもない。俺たちが近所の人間に今からここで妖怪同士が喧嘩するから避難しろって言っても誰も聞いちゃくれませんよ。警察(そっち)が出来ない事は天柳探偵事務所(おれたち)が、天柳探偵事務所(おれたち)に出来ない事は警察(そっち)に任す、これもギブアンドテイクってやつですよ」


『そう言ってもらえると多少は気が休まる』


適当な所で警視総監との通話を終えた相一は自分の口元に両手を添え大声を張り上げる。


「準備完了だ! こっからは思いっきりやっていいぞ!!」


「――――――――ぬ?」


何事かを喚きだした人間に注意を向けた瞬間、十㌧では収まらないであろう牛鬼の巨体が不意に地面を離れた。


「さすが乃里子さんですね。では、こちらもこちらの役割を果たすとしましょうか」


砂煙が晴れ、クレーターの様になった浜辺の中心には何食わぬ顔で吸血鬼が立っていた。ただ突っ立っているだけではない、その両腕を大きく広げ丸太よりも太い四本の蜘蛛脚を抱きしめる様に抱えていた。


「この、――――――小娘が! その躰のどこにそんな力が!?」


半数の脚を纏めて掴まれ持ち上げれた牛鬼、その残り半数の脚が空を掻く様にもがいて暴れる。


「そんなに暴れられてはうっかり落としてしまうかもしれませんよ。――――――こんな風にッ!!」


僅かに腰を落とし、蜘蛛の脚を抱える両腕に万力の様な力を籠める。そのまま身を翻すと一本背負いの要領で牛鬼の巨体を地面に叩きつけた。凄まじい衝撃と轟音が一瞬にして無人のビーチを駆け抜ける。


「ご、ッアァアアアアアアアアァッ!?」


半数の脚の自由を奪われ、まともに受け身も取れない状態で背中から地面に叩きつけられた怪物の口から苦悶に歪んだうめき声が響く。


山の様な巨躯を持つ怪物がひっくり返る光景を遠巻きに眺めていた雪女が呆れとも感心ともとれる表情でぽつりと呟く。


「いやー今更なんだけど、どっからあんな力出してんのよ。いくら吸血鬼が人間離れした腕力を発揮できるって言ってもよ?」


「ああ、それなら簡単な話だぞ」


「?」


「そもそも妖怪ってのは皆、自分の妖気を身体能力に変換する事が出来る様になってる。勿論それは身体能力に限った話じゃ無い、例えばお前の場合なら自分の妖気を冷気に変えて放ったり氷を操るのに使うだろ? で、その様々な使い方が出来る妖気だけど種族毎に、或いはその個人毎ごとにも大なり小なり得手不得手がある訳だ」


「あー。つまりあたしだったら、直接殴り合うよりも氷を操って相手をぶった切る方が何となくしっくりくる、みたいな?」


「まあ簡単に言えばそんな所だ。そこでさっき言った妖気の変換の話だけどこれにもやっぱり得手不得手が存在するんだ。分かりやすい様数字で例えるけど、今お前の秘めている妖気を100とする。それを全部冷気を操る能力に回したとしよう。その場合は何の問題も無く、ほぼ100%の割合で冷気を放ち氷を生み出す操る能力として発揮できるだろう。問題はその妖気100を全部身体能力に回した場合だ、これは俺の予想だから実際はどうか知らねえけど多分その時は40%程度の効果しか期待できないと思う。これはお前の実力がどうのこうのって話じゃなく雪女っていう種族の得手不得手の問題だ」


相一のすらすらとした説明を頭の中で噛み砕いていく氷柱。すこし離れた場所では人間を超えた力を振るう吸血鬼と異形の怪物が激しい激突を繰り返している。爆発音にも近い衝撃をBGMに相一の解説はは続く。    


「だから妖気が生命線になる妖怪にとってこの……変換効率、とでも言うかな。これが自分にとって一番最適な使い方をしていくのが最良の戦い方、になる訳ですはい。んで、璃亜の話に戻るけどあいつの場合この変換効率ってのが極端でな。お前みたいに妖気を冷気に変換させたり、千里みたいに透視能力を使える訳じゃなねえんだけど、その分妖気の身体能力に対する変換率が桁違いに高いんだ。それこそ100の妖気で200%でも300%でも出せるくらいにな」


「成程ねー、それに加えて妖気の総量自体も底が見えない訳だもんね。…………あの馬鹿力の秘密がようやく分かったわ。ていうかあんたは何でそんなに妖怪の事情に詳しいのよ? さっきの話だって言葉で聞いて納得はしたけど感覚的には多分以前から理解していたんだと思う、じゃなきゃここに来るまでにどっかで負けて野垂れてると思うし」


「そりゃぁまああれだ、こんな仕事だし基本的な事はとある人から一通り教わってるっていうか強制的に仕込まれたっていうか…………」


何故か渋い表情で言葉を濁す相一の反応に首を傾げながら目の前で繰り広げられる妖怪同士の戦いに視線を戻す氷柱。そこには片方の角が途中からへし折れ、牛面の額からどす黒く濁った液体をとめどなく溢れさせている牛鬼の姿があった。


「はぁーはぁーッ!」


凶悪な口元からどす黒い血液と一緒に荒い息を吐き出す。ぼたぼたと滴るそれが牛鬼の足元の砂に沁み込んでいく。


「ま、待ってくれ…………! 儂が悪かった…………」


脚の甲殻はひび割れ頭部と胴体のあちこちから黒い液体を垂れ流す牛鬼が呻く様に懇願する。目の前で弱弱しく首を垂れる巨大な怪物を見下す吸血鬼、彼女の眼はどこまでも冷酷な光を放っていた。


「随分とおめでたい頭をしているようですね。この私が、目の前で所長を傷つけようとした相手をこの程度で許すと――――本気で思っているんですか」


ざん、と牛鬼の正面に立つ。静かな怒りに燃える吸血鬼の瞳が眼前の牛鬼を蔑む様な視線で射抜く。

「――――――と言いたいところですが、もう一度だけチャンスをあげましょう。二度と人を襲わないと誓い今すぐこの場から立ち去るというなら――――――」


瞬間、白い何かが覆いかぶさるように吸血鬼の視界を埋め尽くした。


それは糸。


顔を上げ、僅かに吊り上がった牛鬼の口元から放たれたそれは投げ網の様に璃亜を頭から包んでいく。

あっという間。夜の砂浜に等身大の白い繭の様な物体が出来上がった。


「クク、クハハハハハ!! 愚か者が…………さっさと止めをさせばこうはならなかったろうに。人間とつるんでいる妖怪なぞ所詮この程度、呆れるほどの甘さだのう。一応言っておくがその糸を引きちぎろうなんて考えはやめておいた方が身のためだぞ小娘。儂の吐く糸は絶対に切れん、貴様の埒外な膂力をもってしてもそれを脱出することは不可能というわけだ」


大口を開け血と悪臭をまき散らしながら笑い声をあげる牛鬼。


「ちょっとちょっとあれは流石にやばいんじゃないの? 蜘蛛の糸って鉛筆くらいの太さがあれば飛行機を引っ張れる強度になるらしいじゃない。蜘蛛妖怪のそれが虫以下って事は無いだろうしいくら璃亜でも…………」


相一の隣では雪女が白い繭状態になった吸血鬼を心配するような言葉を口にしているが、言葉とは裏腹にその表情からは微塵も不安さを感じない。


「まあ確かにちょっと心配になってきたな。あの牛鬼、まともな形も残らないんじゃねえかって…………」


その時、白い繭の外形に変化が生じた。楕円形をした等身大の繭の表面、そのいたるところがぼこぼこと泡立つように伸縮を繰り返す。まるで中から繭を突き破ろうとしている様に。


「無駄だと言っている。いくら牛が力強くとも山を動かすことが出来ない様に、貴様がどれだけ力に自信があろうと及ぶことは無い。貴様はそこで仲間が食われ啜られるのを黙って待っているがいい」


完全に無力化した吸血鬼に背を向け、残る杉谷と氷柱の前に立つ牛鬼。


「べつにあたし達が相手してあげてもいいんだけどさ――――――まだ、終わってないわよ?」


そう言って肩をすくめる氷柱が指さす先に。


ブチぃッ!! というくぐもった断裂音が白い繭の内側から聞こえてくる。


「いい事を聞かせて貰いましたからね。――――――要は、山を動かす事が出来ればいいんでしょう?」 


ブチぶちブチぶちと、音が連続しその度に繭の内側から届くその音が大きさを増していく。


「………………は?」


虫籠に捕らえた虫が自力で脱出など出来るはずがないとでも言いたげに、表情の読み取りづらい牛の顔が明らかに動揺で歪む。そこへさらに追い打ちをかける様に、吸血鬼の腕が膜を突き破る様にして飛び出した。


楕円の繭から人の腕が一本生えている奇妙な光景、それも長くは続かない。細く女性的な腕が手探りで繭の外側の糸を鷲掴みにし、ぐいと力を籠める。同じ事が内側でも行われているのだろう、白い繭の表面を覆う糸がびんと張る。そして、ついに負荷に耐えきれなくなった繭の表面が太い縄を引きちぎる様な音を立てながら大きく裂けていく。


最初は小さな隙間だったものが縦方向に大きく長く伸びていき、人が一人くぐれる程の大きさにまで広がった所で中からひとつの人影がゆっくりと現れる。まるで暖簾か何かでもくぐるぐらいの容易さで白い繭から抜け出したその人物は、首元に手をあて軽い音を鳴らした。



「言いたいことは、ありませんね?」


ぱき、と吸血鬼が拳を鳴らす。そこから溢れる妖気の圧が数倍以上の体躯を誇る牛鬼の多脚を一本残らず竦ませた。


「ぐ――――まだだ! まだ儂には雫がおる! おい何をしとる!? お前の性質なら如何に馬鹿力といえど関係あるまい!!」


血走った眼で周囲を睨みつけながら喚き散らす妖怪の足元から透明の液体が噴き出し始める。ぼこぼこと泡立つ様に質量を増していくそれは、みるみるうちに人一人分まで膨れ上がり最終的には身体一部が大きく膨らんだ金髪の女性の姿を作り上げた。


「――――――水張、あんたやっぱり!!」


二振りの氷剣を瞬時に手元へ出現させ怨敵目がけて飛び出そうとした氷柱、それを寸での所で制したのは相一だった。


「ちょっと待った氷柱! なんか様子が変じゃないか?」


突如現れたのは濡れ女、水張雫。ふわりとした長い金髪に一糸纏わぬ裸体と合わさり一際目を引くその巨乳の持ち主はつい先ほどまで顔を合わせていた相手とは思えぬほど雰囲気が変わっていた。


明るく人を食った様な態度は影を潜め、感情の無い虚ろな表情で吸血鬼を見つめるだけであった。


「水張――――さん?」


「…………」


璃亜の呼びかけにも応えず淀んだ水底の様に濁った瞳を璃亜に向ける濡れ女。そこに彼女の意思は感じられず人形の様に無機質なそれが、唯目の前に立つ璃亜をじっと見据えている。


「話が通じないというのであれば、相応の対処の仕方になりますが…………構いませんね?」


「…………」


尚も無言を貫く濡れ女に吸血鬼が眉をひそめる。そこで、その背後で薄ら笑いを浮かべる存在に気づく。


「無駄よ。貴様らが雫と何を話しておったかは知らんが今のそやつに自分の意思など存在せんよ。確かに普段は自由にさせているが…………まあ、放し飼いの様なものじゃのう。しかし一つ儂が雫に命じればそれは絶対、どれだけ拒もうとこやつの意思には関係なくこやつの躰は儂の意のまま。こやつは…………『濡れ女』は『牛鬼』に逆らえない、そういう風に出来ている」


「…………、」


身じろぎ一つしなかった濡れ女の肩がぴくりと動いた。感情の無い瞳にほんの一瞬光が宿る。ぎちぎちと全裸の濡れ女の肢体が小さな痙攣を繰り返す。まるで意思に反して暴れだそうとする全身を無理やりに押さえつけている様に。


「ご、ごめんなさいねぇ…………こうなる可能性も分かっていたんだけど…………あなた達なら、なんとかできる。そう勝手に期待しちゃったけど、まずかった…………かしらぁ?」


硬く強張った笑顔を吸血鬼に向ける全裸の金髪。それが明らかな作り笑いであることは一目で見て取れた。


「とのことですが、如何いたしましょう所長?」


「どうするもこうするも…………簡単な話だろ。妖怪絡みで困ってる人らを助けるのが俺たちの仕事だ。で、目の前には『牛鬼』って妖怪に無理やり従わされている奴が助けを求めてる。それで十分――――やるべきことは変わってねえよ」


手の中のスマホを軽く放り投げ反対の手でしっかりとつかみ取る。


「俺と氷柱でこっちは抑える、|本命≪そっち≫は璃亜、任せたぞ」


「承りました」


ゆらりと、吸血鬼が歩を進める。その動きに牛鬼の巨体がぎくりと震えた。


「雫! その小娘を止めろ! 倒すまではいかなくとも足止めくらいできるだろう!!」


牛鬼の咆哮とも絶叫とも聞こえる命令に濡れ女は即座に反応する。


瑞々しい肌を惜しげもなく披露する彼女の腕が溶け落ちる様に姿を変え、しなる鞭の様な海流となって吸血鬼を横合いから押しつぶそうとする。


巨大な壁が迫ってくるにも等しい質量攻撃。飛沫を飛ばしながら接近するそれに、吸血鬼は一瞥もくれることも無く真っすぐに牛鬼へと突き進む。


「吸血鬼が! 濡れ女の力を侮ったな! いかに貴様が馬鹿力だろうと一度そいつに捕まれば力で抜け出すことは出来んぞ!!」


「何か勘違いをしているようですので、一応訂正しておきましょうか。今日、何度も苦しめられた水張さんの力を見くびることなどありえません。侮っているのではなく信頼しているのですよ…………事務所の仲間を」


そういって砂浜を突っ切る璃亜の頬をひやりと冷たい空気が撫でる。


ギィン! と、軋むような音と共に海流の壁がその動きを止めた。


「あんたも相一もとりあえず正面から突っ込むのやめてくんないかしら!? フォローするこっちの身にもなれっつーの!!」


雪女の力で水張の質量攻撃を止めた氷柱、牛鬼の意識はそちらに向けられた。


「貴様は…………雪女か? 真冬を象徴する存在が今時分にこんなところで何をしているか知らんが邪魔をするなら容赦はせん!」


黒い巨体の輪郭が大きくぶれる。吸血鬼から距離を取るのと同時に、夏場で満足に力を発揮できないであろう雪女の前に高速で突っ込んでいく。


物々しい雄たけびを上げながら巨大な蜘蛛の脚を振り上げそのまま青白ツインテールの少女目がけて叩きつけた。


吸血鬼には軽々しく止められた巨体からの一撃。だがそれは決して牛鬼が貧弱だと決めつけるものでは無い。数トンを優に超える巨躯から放たれる甲殻の一振り、コンクリート程度なら砂糖菓子の如く粉々に砕く力を持った一撃が華奢な少女の頭上に迫る。


対して少女の反応は迅速だった。両の手を突き出し透明な氷の壁を出現させる。雪女の妖気の通ったそれの強度は当然ながら普通の氷とは比べるべくもない程だ。


そしてそれは勿論、少女本人もよく理解していた筈だった――――――だが。


黒い甲殻で覆われた巨大な蜘蛛の脚、その先端が少女を守る様に現れた氷壁に届くその瞬間。


「――――――ッ!! これヤバ―――――」


氷柱の顔色が変わる。自らが操る氷の強度を見誤る筈は無かった…………それなら、見誤ったのは牛鬼の力か。


ビギィ!!!! と、凄まじい圧に耐えきれず氷の壁に亀裂が走る。


「こいつ―――――なんて力してんのよ!? ていうかこいつを正面から圧倒できるうちの吸血鬼がおかしんじゃないの!!」


氷でできた防壁が限界を迎え粉々に砕けるその瞬間、氷柱の頭上を光る鎖が越えていく。相一の手に握られたスマホから伸びる鎖が黒い甲殻の先端に絡みつくが雪女の氷を砕くほどの力を持ったそれを人間一人で引き留められる訳もない。


「ま、そういう訳だから。こいつはお前に任せるぞ―――――璃亜!!」


牛鬼と鎖で繋がったままのスマホを吸血鬼へと放り投げる。


白髪の吸血鬼は飛んできた相一のスマホを片手でつかみ取ると大きく振り回した。


ビィン! と氷壁を砕ききった瞬間鎖によってその動きを制限された牛鬼の脚が空を掻く。


「ぐッ!? この――――――何をしている雫! この小娘を止めるのがお前の役目だろう!!」


無表情を崩さない濡れ女から無数の水流が立ち上がり、凄まじい勢いで標的と定めた相手に向かう。それぞれが意思を持った生物の様に宙をうねりながら璃亜を狙う水流が、たちどころにその動きを止めた。

その原因は一目瞭然、桁外れの冷気で瞬間的に凍結された水の柱は前衛的な氷のアートの様になっていた。


「はいはいそういう訳らしいから、あんたの相手はあたしがしてあげるわ。…………それにあんたの事は個人的に気にいらないし」


改めて対峙する雪女と濡女。色々な部分で真逆の特性を持った二人の妖怪が再び相まみえる。


氷柱の冷気が様々な形状で襲い掛かる濡れ女の操る水を次々と凍らせていく後ろで、黒い山の様な巨躯を持つ牛鬼と再び対峙するのは吸血鬼、兎楽璃亜。


「雫の奴はなにをしとる!? あんな雪女一人にてこずりおって――――――ぬぐッ!?」


山すら動かすと豪語する吸血鬼の剛腕が牛鬼の巨体を横合いから殴りつける。


重い地響きと共に牛鬼が大きく後ずさる。重い物を引きずったような跡が八本、砂浜に刻まれた。


「あまり我々天柳探偵事務所の面々を見くびらない方が身のためですよ。勿論、私を含めて…………ね」


ガンゴンバガン!! と続けざまにその拳を黒い光沢を持った牛鬼の脚へと叩きつけていく。


吸血鬼が振るう桁外れのパワーに圧される牛鬼。その黒い甲殻に覆われた巨体のあちこちがひび割れはじめ、どろりとしたどす黒い液体がにじみ出ていた。


「………………もう良い、分かった」


嵐の様な打撃の合、ぼそりと零した牛鬼の一言。吸血鬼状態の璃亜の感覚は人間のそれを大きく上回る、その耳が確かに拾ったその一言。


(もういい、とは? 敵わないことを認め、諦めて降参でも…………。いえ、そんな気配でもないようですが一体――――――?)


刹那の思考、それによりほんの一瞬だが璃亜の勢いが僅かに弱まる。


その一瞬の隙を突く様に黒い甲殻が横なぎに振るわれた。


死に物狂いの反撃、というよりは距離を取るための牽制のようにも見えるその一振りを僅かに身を屈め最小限の動きで避ける吸血鬼。


「吸血鬼の力はよう分かった。このままでは勝てぬということも…………」


「ではどうしますか。人を襲うと分かっている以上、このまま見逃すつもりもありませんが――――――」


不意に吸血鬼が言葉を飲み込む。目の前の牛鬼が放つ気配が大きく変わる。


否、変わっていくのは気配だけにとどまらない。長い脚やぼってりと膨らんだ腹部を除けば甲殻に覆われていないのは厳めしい野牛の様な頭部だけ。その頭部がメキメキと不気味な音をたてながらその形状を歪めていく。


「できればこの姿にはなりたくなかったのだがのう。おかげでここしばらく雫が集めてきた人間の生命力の殆どを使い切ってしもうたわ」


ゴキリ、牛鬼が黒い腕を大きく回した。


「これはまた随分と、むさくるしい姿になったものですね」


サイズこそ比較にならないが普通の蜘蛛の身体に野牛の頭部――――というのが妖怪【牛鬼】の姿だった。そう、先刻までは。


下半身に目立った変化はない。膨らんだ腹部、八本の蜘蛛脚それぞれ共に黒い甲殻に覆われた姿は先ほどまでと大差ない。大きく変わったのは上半身――――変化したというよりは最早『生えた』と形容したほうがまだしっくりくる、そんな変形。


全身が筋肉の塊である野牛の肉体、それを無理やりに人型へと組み上げた様な歪極まるその姿はまさに異形――――――。


地獄の獄卒に牛頭と呼ばれる牛頭人身の妖怪が存在するがそれを蜘蛛の下半身にそのまま乗せただけにも見える雑なビジュアル、だがそれが発する妖気自体は先ほどまでの牛鬼のそれとは桁外れの差が見て取れる。


「先刻貴様は山を動かす力があると抜かしたな。確かめてみるか、その力が本当に通用するかどうか」


牛鬼から妖気が際限なく溢れ出る。当然、その無尽蔵とも思える妖気全てを牛鬼自身だけで賄っている訳ではない。水張雫がこの海水浴場に来た若い男から集めた精気を取り込みそれを妖気へと変換しているのだ。


「おいおいなんつー馬鹿げた妖気だよ。肌を針でつつかれてるみてえなこの感じ、人間の俺でもはっきり分かるくらいの威圧感だ」


「この姿は燃費がすこぶる悪くてのう。のんびり遊んでやる時間は無いが、構わぬな?」


轟、と風を切る音と共に甲殻ではなく黒い獣毛に覆われた剛腕が振るわれる。


漆黒の鉄槌が白髪をなびかせる吸血鬼の直上から容赦なく打ち下ろされた。


浜辺を大きく揺るがすような振動が周囲に広がり、凄まじい衝撃によって巻き上げられた白い砂粒が辺りにいる者たちの姿を覆いつくした。

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