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吸血秘書と探偵事務所   作者: かみこっぷ
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3話 牛鬼、登場

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


ゴガッシャァァアアアッ!! と、本当に何の前触れも無く海の家が割れた。


屋根が割れ、ガラスが砕け、椅子やテーブルは粉々になって辺りに吹き飛んでいく。


お菓子の空箱を踏みつぶすような感覚でコンクリートと木材で出来た建物を叩き割ったのは黒く巨大な蜘蛛の脚だった。


その巨大な質量を持った一撃は天井も床板も一緒くたに叩き潰し、めくれ上がった床板の間から覗く砂地が衝撃によって舞い上がった。


辺りを覆う砂ぼこりの中で立っている人影は一切なく、直前まで話声で溢れていた空間は瓦礫の転がる音だけが響く空虚な物へとその姿を変貌させていた。


「ほんの一瞬、巨大な妖気を感じたから来てやったのに何の手ごたえも無いとは。儂の勘違いであったか」


左右非対称の巨大な角を生やす牛の頭に小山の様な黒い巨躯から生える八本の脚、ぬらりとした光沢をもつそれが蠢く度に静まり返った浜辺に地響きが鳴る。


大型のトラックを二回りほど大きくした様な蜘蛛型の胴体にそれと釣り合うサイズの牛面の頭部。人間を貪り病を振りまく妖怪――――――牛鬼の姿が月の光に照らしだされる。


「それにしても雫も気が利く。ここ最近若い男の生気しか口にしておらんだからな…………うっかり潰してしまったかもしれんがこの小屋の中には若い女の気配も感じた。やはり人間は生身をそのまま齧るに限る。どうした雫、まとめて潰してしまったかもしれんがお前にとっては些末な事だろう?」


しわがれた老人の様な声を発する牛面が下卑た笑みを浮かべる。吊り上がるその口元からは腐臭に近いに匂いが垂れ流されている。


「しかしつい横着してしもうたが中で混ざっとらんだろうな。どれ、一度改めて――――」


牛鬼から見れば小さな箱程度の海の家。それを直接半壊させた八本ある蜘蛛の脚の内の一本を引き抜こうと力を籠める。だが――――


「ぬ? 何かに引っかかる訳でもあるまいに。この――――何故、動かん!!」


一つの異変。自らの意思で動く筈の己の脚がどれだけ力を籠めようとまるで微動だにしない事に眉根をひそめる牛鬼。


「ええい、何だというのだ! 鬱陶しい、力づくで――――――ッぬぐ!?」


不意に、原因不明の引っかかりが消えた。突然の事に反応出来なかった牛鬼の巨体は渾身の力を込めていた反動で大きくふらつく。


ずずん、と身体の芯から揺らすような振動が辺りを揺らす。


ようやく自由になった蜘蛛脚の一本。だが、目で見て確認するよりも先に気づく、己の躰の末端から来る違和感。視界に写る映像を理解するよりも速く、激痛という信号がその異常事態を強烈に伝えてくる。


「な、ギぃ! がぁあああああああッ!?」


鋼鉄にすら匹敵する硬度を誇る蜘蛛脚の甲殻。ナイフや銃弾といった当たり前の武器では傷一つつけることの敵わない筈のそれが、あろうことか先端から一メートル程の部分で無残に切断されていた。まるで尋常ならざる力でもって無理やり引きちぎったかのように。


「あ、ッぶねー。今日で何回目か数えるのも馬鹿らしいけどまじで死ぬかと思った、いつもいつもありがとな」


バラバラに砕け散った床の上、スマホ片手に大の字になって転がっているのは砂まみれの相一。その傍らにはビクビクと不気味に蠢く黒い物体を片手で弄ぶ、白髪の吸血鬼が片膝をついていた。


「所長を守るのが私の役目ですから。ただ一つ言わせて頂くなら、あの一瞬で『壁』を呼び出す事が出来るならご自分を守って頂けると幾らか安心できるのですが」


周囲の惨状とはおよそ釣り合わない落ち着いた声で応える理亜。その視線の先には半円状の障壁の内側で、何が起きたか分からないといった風に目を見開いて腰を抜かす前橋の姿があった。


「目の前で依頼人に怪我させる訳にはいかねえだろ? それに、俺自身(こっち)はお前が守ってくれるって信じてたしな」


ほんの僅かなズレでもあれば命を落としていたかもしれない場面だが、あっけらかんと笑う相一の瞳からは己の秘書に対する絶対の信頼が読み取れる。


「はぁ。そういう言い方は………………少々ずるいです」


呆れた様に溜息を吐く彼女の口元がへの字に曲がる。それはまるで、頬が緩むのどうにか抑えようとして失敗したかのように。


「おーいそっちは大丈夫か!?」


「氷柱ちゃんがついてるのよ、大丈夫に決まってんでしょ!」


海の家を形作っていた物の残骸でひっくり返った空間の片隅から、威勢の良い返事が返ってくる。


天井も失い直に射し込んでくる月明りが照らしだしたのは、ドーム状の氷の内側で伏せる三人の少女だった。


その小さな身体を目いっぱいに使い覆いかぶさる様にして詩織を庇う千里。その二人を抱え込み、氷のドームを維持する事に神経を集中させる氷柱。


「――――び、びっくりし過ぎて心臓止まるかと思った。ありがと千里ちゃん、それに氷柱ちゃんも…………、二人がいなかったらわたし…………」


「礼なんていいわよ! ちびっ子、詩織とおっちゃん連れて速くここから離れなさい!!」


「…………っ! 詩織ちゃん…………わたしから離れないで…………」


千里がその小さな手で詩織の腕を引く。引かれるがままの詩織を連れて障壁の内側で座り込む前橋の元に駆け寄った。


それを確認した相一がスマホ画面を一撫ですると前橋を包んでいた半透明の障壁がふっと消え去る。この場で一番小柄な少女は一切歩みを緩める事無く、未だ放心状態が続く前橋の服の裾を掴むと二人の人間を先導し惨状と化した海の家を後にした。


「ひとまずあっちは大丈夫そうだな。そういや水張の奴は? まああいつならこれぐらいで怪我なんかしないと思うけど」


遠ざかっていく三人の背中を確認した後、瓦礫の山に埋もれた周囲を見やる。


立ち上がり、全身に付いた砂をはたいて落としていく彼の頭上に怒りに満ちたしわがれ声が降りかかってきた。


「貴様ら、この儂を前に随分な態度ではないか。この脚の落とし前はつけてもらうぞ」


黒い光沢を放ち凶悪な形状をした蜘蛛の脚。小山の様な巨体を支える八本の内、先端を捩じ切られた一本を皆の頭上へ掲げる様に振り上げる。


「お前が牛鬼か、一度しか言わねえから良く聞いとけ。…………ぶちのめされたくなかったら黙ってその臭え口を閉じて二度と人間を襲わないと誓え、濡れ女に襲わせるのもな。それが約束できるなら一度だけ見逃してやる、だからさっさと――――――」


相一の言葉を待たずして牛鬼の脚が振り下ろされた。いつの間にか欠損部分から新しく鋼鉄の甲殻が生えてきており、真新しい先端部分が彼の脳天を貫かんと迫る。いうなれば上空から巨大な鉄骨が己目がけて振ってくる、そんな危機的状況を目の前にして相一の口から漏れたものは小さな溜息ひとつであった。


「そうかよ、だったら仕方ねえ」


鋭い甲殻の先端が相一の頭蓋に風穴を開ける直前――――――ッゴォン!! と鉄の塊同士がぶつかりあった様な重い音が炸裂し、その衝撃が彼の前髪を微かに揺らした。


彼は一歩も動いていない。それどころか指先でスマホを操作する事すらしていなかった。――――にも関わらず、真上から迫っていた筈の蜘蛛脚が大きく逸れ、既に荒れ果てた海の家の床に深々と突き刺さった。


「その妖気、やはり先刻感じたのは気配は気のせいでは無かったか! 小娘が――――貴様一体何者」


「私の事なんてどうでもいいんですよ。あなたは私の目の前で所長を傷つけようとした、それも二度。――――――その落とし前は薄汚い蟲の脚一本二本で済むと思わない事ですね」


相一の前に立ち、拳を突き上げた体勢で眼前の醜悪な怪物を睨みつける白髪の吸血鬼。


その深紅の瞳に浮かぶのは怒り。対面する牛鬼、サッカーボール程の直径を持った濁った眼球も同じ感情を表していた。


「その程度でいい気になるなよ小娘。ぐしゃぐしゃの肉塊にして頭から啜ってやろうぞ」


「ご自由にどうぞ。――――――それが可能であるならば」


夜の浜辺を舞台に、怒れる妖怪同士が正面から激突する。




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