3話 真の敵は
でも、と白髪の吸血鬼を見やりながら金髪の妖怪は首を横に振った。
「直接この身で体験したからこそ分かる。あなたじゃ牛鬼には一歩届かない。災厄を振りまく妖怪は伊達じゃないのよ」
決して吸血鬼の実力を過小評価している訳でもない、牛鬼の力を過大評価している訳でもない。ただ己の目で見て確かめた吸血鬼の力では牛鬼を相手取るには不足だと、客観的に判断しているだけだ。
「って、言われてるけど…………どう思う?」
牛鬼に対して自分の力が及ばないと告げられた吸血鬼に問いかける相一。
「相手が牛鬼にしろ濡れ女にしろ、この海水浴場に安息を取り戻すのが今回の仕事ですから。その障害となり得るのなら全力で叩き潰すだけです」
「お姉さんの話を聞いてたかしら? 叩き潰すも何もあなたの力じゃ牛鬼には敵わないって――――」
「ま、本人がこう言ってるんだし物は試しともいうだろ? それに…………洞窟での戦いを参考にその判断をしてるならそりゃアテにはならねえかも知れねえぞ」
「一体なんの話を――――」
「まだあんたは吸血鬼の『本気』ってやつを見たことが無いって話だよ。――――なあ璃亜」
自らの首筋を晒す様にシャツの襟元を指で引き下げる。適度に鍛えられた肉体にうっすらと浮かぶ鎖骨の形が露わになる。
「あの、所長。お気持ちは有難いのですが流石に皆の前で、というのは少々気おくれすると言いますかこの前の事もありますし…………」
陽が暮れてからの彼女にしては歯切れの悪さ。僅かに身をよじらせ頬を紅潮させるその姿は扇情的なものを感じさせた。
「別にやましい事しようってんじゃないんだしこの場で済ませちまっても良いんじゃねえか?」
事も無げに言い放つ相一に異議を申し立てたのは青白ツインテールを揺らしながらテーブルをバンバンと叩く雪女だった。
「待ちなさい! 強敵とやり合おうってんだからソレが必要なのは分かるけど、あんたらのソレは子供に見せるには刺激が強すぎだって言ってんでしょうが! そ、そりゃあたしは全然気にならないけど!? ちびっ子や詩織もいる前であんな…………。するなとは言わないけどもう少し場所とか人の目とかを気にして――――」
「別に俺は気にならないけどな。それに改めて水張に説明するのも手間だし、直接見て貰った方が分かりやすいんじゃねえか」
「所長がそう言うなら私は構いませんが…………」
「あのいいかしらぁ? ちょっとお姉さん話についていけてないんだけどぉお兄さん達一体何の話をしてるのかしら?」
当たり前の様に進む会話から置き去りにされた水張が初めて戸惑いを見せた。彼女の疑問に答えて良いものか千里が目線で璃亜に問いかけ、璃亜は特に悩む様子も無く首を縦に振った。
「璃亜さんが…………普通の吸血鬼とは違うって事は…………薄々分かっていると思います…………。本来であれば…………陽が落ちてからでないと力を発揮できない…………ということもありません…………。ただ…………璃亜さんの場合…………昼間は正真正銘唯の人間、日没と共に…………吸血鬼としての力を発揮出来るように…………なるわけなんですけど…………」
「なるほどねぇ。それで洞窟での戦いの時に、姿が変わり突然妖気が跳ね上がったって事。…………って、ちょっと待ちなさい。という事は赤眼白髪の吸血鬼に変身する前はほんとに唯の人間だったって事ぉ? その状態であたしの攻撃をああまで徹底的に捌き切っていたってわけかしら。流石にちょっと自信無くすわぁ」
大げさに驚いてみせる水張に言葉をかけたのは璃亜だった。
「よく言います。致命傷に成り得る攻撃はギリギリの所でわざと外してくれていたのはあなたの方でしょう」
璃亜の言葉にその時洞窟にいた者は皆一斉に濡れ女の方を見た。
「あら。やっぱりあなたにはバレてたのねぇ。そこまで露骨に手を抜いたって訳でもないんだけれど」
「え? ちょっとちょっとあんたらそれマジで言ってんの? あんだけの勢いでバチバチやり合ってたのが濡れ女は手抜いてて璃亜の方はそれに気づいてたっていうの?」
「とてもそんな風には…………見えませんでした…………」
「あーやっぱそうだったのか。俺も何となく濡れ女が本気じゃない様に感じてたからな、これで納得したよ」
氷柱と千里が驚いた表情で相一を見る。
「ん? ああいや別に最初から気づいてたって訳じゃないぞ。ただ何となく違和感あるな、と思ってただけで。あれだけの水量を同時に操れるなら一人ずつ狙うなんてまどろっこしい方法じゃなくて、洞窟全体を水で埋め尽くしたり物量で押し切れば済む話だったのにそれをしなかった。それに最初、千里を攻撃した時璃亜が割って入ったろ。そこで千里に戦闘能力が無い事は分かっていた筈なのにそれ以降一度も千里を狙った攻撃はしなかった」
一度言葉を区切り、確認する様に水張の顔を伺う。
「あとこれは一歩引いた位置から見ていたおかげで気づけた事だと思うけど、後半璃亜の動きが少し落ちてきた時濡れ女の操る水の刃…………あれの動きもほんの僅かに鈍くなって来てた。まるで璃亜が反応出来る限界ぎりぎりをなぞっていくようにな。だから、さっきこいつが人を襲うのは本意じゃないって言ったときもすんなり信じる気になったんだけど」
氷柱と千里、そしていつの間にか当の濡れ女までもがぽかんと口を開けた顔で相一と璃亜を見つめていた。
「…………お兄さん、唯のスケベな優男って訳じゃないみたいねぇ」
「と、当然でしょ! これでも一応うちの事務所の所長なんだから、唯の変態じゃこっちが困るわよ」
「氷柱ちゃん…………変態は流石にかわいそうです…………所長さんは…………ちょっと女の人にだらしないだけで…………」
「璃亜、俺は今泣いていいと思うんだけど、如何か」
「日ごろの行いという言葉を胸に刻んでからならお好きにどうぞ」
最も身近な者に見放された威厳ある事務所の長はその場に膝から崩れ落ちた。
「話が逸れちゃったわねぇ。おチビちゃんさっきの続き、聞かせてくれるかしら?」
「三千千里…………です…………。で、さっきの続きですけど…………璃亜さんは半分人間…………半分吸血鬼の所謂ハーフ…………みたいなもので…………。日没後すぐに…………吸血鬼としての力を…………全て扱える訳ではないんです…………。もちろん並みの妖怪相手なら…………全力を出すまでもないんですけど…………今回みたいに相手が…………それなりに強敵になってくると…………『そのまま』で挑む訳にはいきません…………。だから…………」
「その吸血鬼のお姉さんが本気で戦う為に必要な事がある、って事ねぇ」
千里の説明を受け、半ば納得半ば疑念といった様子の水張。
「まあそういうわけだから。今からそれを済ませちまおうって話なんだけど」
「わざわざ皆の前でする様な事でも無いんですが…………」
「百聞は一見に如かずって言うだろ。直接見て納得してもらった方が速いだろ。だから、ほら――――――」
相一はそういうや否や改めて自らの襟元を引き下げ、その引き締まった首筋をさらけ出した。
「全く、そういう所がデリカシーが無いと言われる所以だと…………まあ、所長にそういうモノを求めること自体当の昔に諦めましたけど」
その態度とは裏腹に目の前の男との距離を詰め、その首に両腕を回す。互いの衣服を挟んで尚、その柔らかな膨らみの感触が相一の胸板に押し付けられる。鼻先を掠める璃亜の吐息、わずかに上気した頬、胸元をくすぐる感触に相一の鼓動が僅かばかりペースを上げた。
「あ、あのー璃亜さん? 今更俺が言うのもなんだけど、やっぱこれ結構恥ずかしいって言うかちょっと――――む」
相一の口を塞いだのは白く細い指。見つめれば吸い込まれそうな深紅の瞳が嗜虐的な色を浮かべ見上げてくる。
「それはお互い様ですよ。一度私が止めようとしたのに聞かなかったのはそちらでしょう? 今更待ったは効きません、大人しくしていてください。いつも通り、直ぐに終わりますから」
つぷ、と相一が何か答えるよりも早く一対の牙が彼の首筋に突き立てられた。
「―――――――いただきます」
「―――――――ん」
小さな、本当に小さな痛みに僅かに眉をしかめる。だがそれも一瞬で消え、代わりに頭がクリアになる様な血の気が引いていく感覚が訪れる。一瞬か、数分か、はたまた数時間か、時間の感覚がまどろみの彼方に呑み込まれていく。
「ごちそうさまです」
急速に手足に感覚が戻ってくる。とはいえ軽い貧血状態と変わらない彼の足元がふらつくのを見て璃亜が腕を伸ばす。
「っと、さんきゅ。やっぱ慣れねえもんだな、結構な回数こなしてきたと思うんだけど」
しっかりと自分の脚で立てるのを確認し、相一の手を離す。
「これはまたいいもの見せて貰ったわぁ。あんなの見せられたらお姉さんの方も昂っちゃうじゃない」
両腕で我が身を抱きながら身をくねらせる水張の胸元が大きく跳ねる。その光景を怨念でも籠っていそうな表情で氷柱がにらみつける。
「確かに今のは扇情的で素晴らしいパフォーマンスだったけどぉ? 本題はそこじゃない筈よねぇ、大事なのはそれで牛鬼を超える力を発揮できるかどうかで――――」
瞬間、その場の空気が一変した。璃亜を中心に空間そのものが軋む様な、圧倒的な重圧が圧し掛かる。
「――――――な、これは!?」
水張の躰が大きく身震いする。身体の芯から湧き上がるたった一つの感情、恐怖。内臓から指先まで全身を支配していく恐怖を気力で押さえつけようしていた所でふと辺りを包むプレッシャーが霧散した。
「ひとまず、これで納得していただけたでしょうか?」
「十分…………と言いたい所だけど、あたしも牛鬼の力を全て把握している訳じゃないしねぇ」
「端から無理と決めつけられないだけでも十分ですよ」
「よし、話も纏まった様だし行くとするか」
改めて海の家を出ていこうとする相一の背後に雪女の声で待ったがかかる。
「やる気満々なのは結構だけど、その問題の牛鬼の居場所は分かってんの?」
「おいおい、俺を誰だと思ってるんだ? 頭脳明晰皆の頼れる所長だぞ、肝心の牛鬼の居場所なんか勿論見当はついてて――――」
「ちびっ子、頼める?」
皆の所長を完全に無視して黒髪おかっぱ少女に尋ねる雪女。千里眼を持つ少女は小さく頷くと、常に持ち歩いてるタブレットに手をかざす。
ザザザザザザ――――――と液晶に砂嵐が吹き荒れる。
千里眼。
たとえ対象になる物がどれだけ離れていようと間に何があろうとそれを捜し見つけ出す力。
距離や空間といった概念すら超越し万物を視通すその力にかかれば、たとえ地球の裏側に隠れようとも決して逃れられない絶対透視能力。分厚いシェルターに隠そうが厳重なセキュリティで守ろうが、ただ見通すだけの力の前では一切意味をなさない。一つ使い方を誤れば国一つ傾きかねない絶大な効果を発揮する力、千里眼。
種族の名を冠するその能力を行使し、牛鬼と呼ばれる妖怪の居場所を探す千里。
しばらくし、灰色の砂嵐に埋め尽くされていたタブレットの画面にある映像が写される。
まるで航空写真の様な遥か上空からの視点。映し出されたのはとある浜辺に建つ大き目の小屋の様な建物。映像が真上からの視点のせいで分かりづらいが、液晶いっぱいに映し出されたその建物に見覚えがあることに一同が気づく。
「あれ、これってもしかして――――――」
そこから先は凄まじい破砕音に呑み込まれ誰の耳にも届かなかった。




