2話 千里眼の少女
「クソ!!」
怒りに任せて業務用デスクを蹴りつける。すでにボロボロのデスクに新しい凹みが生まれる。そんな事で苛立ちが収まるはずが無いのは自分でよくわかっているのだが、それでも何かにぶつけなければ頭が可笑しくなりそうだった。
「……所長さん、……少し落ち着いて」
「……まだ日が出てる。日没後ならともかく今の璃亜は、ただの人間同然なんだよ! あの狼男の目的が吸血鬼な以上、いつ殺されるかも分からないような――」
「はーい、氷柱ちゃん専用☆火照った頭にこの両手、雪女式急速くーるだうーん」
ずぼぉ、と背後から忍び寄った氷柱がその両手(キンキンに冷えてやがる)を相一の服の内側に突っ込んだ。
「うびゃぁあ!?」
突然、服に氷の塊を放り込まれるのと同じような目に遭い、今のシリアスな状況では絶対出てこないような間の抜けた悲鳴が響く。
「お、おま、いきなり何すんだ! 心臓止まるかと思っただろうが!」
「ちょっとは頭も冷えたでしょ? ちびっ子の言うとおりよ、一旦落ち着きなさい」
「璃亜が攫われたんだぞ!? 落ち着いてられるかよ!」
「本当にアンタは……。普段は割りと冷静なくせに身内、特に璃亜が絡むと途端にポンコツになるわよね。もう一回、狼男が璃亜をさらった理由を考えてみなさいよ」
物分かりの悪い子供に言い聞かせるように、ゆっくりと氷柱が言葉を紡ぐ。
「理由? …………あ」
「思い出したかしら? あの馬鹿狼、璃亜を吸血鬼だと思って攫ったんじゃない、吸血鬼の匂いが染み付くほど近しい人間だと思って攫ったのよ」
「つまりあいつは勘違いで正解を当てた、みたいなもんか。そして璃亜を吸血鬼が助けに来るだろうと思える程の人間だと考えている、ってことは――」
「少なくとも、今すぐ殺されるって線は薄いんじゃない?」
「でも、璃亜の正体がバレたら……」
「その辺は自分でうまくやるでしょ。それに、もしバレても人間状態のまま殺されるって事は無いと思うわ」
氷柱の台詞には妙な自信が滲んでいた。
「何でそう言える」
相一の疑問は当然だ。それに対して氷柱は……。
「勘よ」
言い切った。
「勘って……、お前なぁ……」
呆れながらも氷柱の言葉を疑う事はしない相一だった。普段の性格はアレだが、この状況で冗談を言うようなヤツじゃない事はよく分かっている。狼男の目的は、『吸血鬼を殺す』ことではなく『吸血鬼と闘う』ことだ。だとすれば、仮に璃亜の正体がバレたとしてもすぐさま命の危険に晒される事にはならない、という事になる。
「当然、日が沈めば璃亜の正体はバレるでしょうよ。でもそれは璃亜が吸血鬼の力を振るえるという事。そうなれば、いくら相手が狼男でも簡単にはやられないでしょ」
それにさ、と言葉を続ける。
「こっちにはちびっ子がいるんだし、あいつらの居場所なんてすぐにでも見つけられるでしょ」
千里眼、という妖怪がいる。その名の通り千里先まで見通す眼を持つ妖怪だ。
物理的な距離は言うに及ばず、どんな障害物でさえその視線を遮る事は出来ないと言われる透視の能力を持つ妖怪。それが、千里眼。天柳探偵事務所の事務、三千千里の真の姿だ。
「千里、頼めるか?」
「……任せて、……ください!」
相一の言葉に、いつもは気弱で大人しい黒髪おかっぱ少女が力強く頷いた。固く眼を瞑り、首からぶら下げているゴツイヘッドホンを耳に当てる千里。
本来、千里眼の能力使用には必要の無い物だが、自ら五感を制限することでその能力の精度を引き上げるためらしい。事務所内がしんと静まり返る。相一達に囲まれ、千里がその意識をこの場にいない秘書へと向ける。ほんの十数秒の出来事なのだが、実際の時間よりも長く感じる。
「…………見つけ……ました!!」
眼を見開いた千里が常に持ち歩いているタブレットを取り出す。その小さな両手でタブレットを掴むと、その力を送り込んだ。ザザ、ザザザザ、と。その画面にノイズが走る。
ノイズは次第に形を変える。それはまるで検索エンジンで航空写真を呼び出すように、この街の全体図を映し出していく。さらにそこから、一つの建物を中心に拡大を進める。道端に転がる小石の数まで数えられるそうなほど鮮明な画面に写っているのは。
「随分前から使われていない街外れの工場か!」
「廃工場とはまたベタな……」
画面は既に移り変わり、その内部の様子すら筒抜けとなっていた。
「椅子に縛り付けられているみたいだけど、一応無事みたいだな」
「で? これからどうする?」
璃亜の身に危険が及ぶ可能性があるのは彼女の正体がバレてから。だがその時には既に大妖怪としての力を存分に振るえる状態だ、その状態の彼女の命を危険に追い込める者などそういない。それでも。
「決まってんだろ。助けに行く」
「言うと思ったわよ」
呆れた様に息を吐く。そんな返事が帰ってくるのは最初から分かっていたというように。
「……現場までのナビは、……私に任せてください」
千里の持つタブレットの画面が素早く切り替わる。事務所から璃亜のいる廃工場までの最短ルートをなぞるようにデジタルな線が引かれていく。
「あの、探偵さん!」
今まで黙っていた詩織が声を上げる。
「ごめんなさい探偵さん。……私のせいだ。……私が、あの人を連れてきたりしたから……」
普段の彼女からは想像できないような暗い表情、ともすれば今にも泣き出してしまいそうなほどに。
「詩織ちゃんのせいじゃないさ。今まで言って無かったけどこういうことは何度もあったんだ。潰した組織の残党だとか、妖怪をよく思っていない連中だとかに関わる事は。今回はたまたま詩織ちゃんが接点になっちまっただけだ……だから、気にすんな」
くしゃくしゃっ、と詩織の頭を乱暴にかき混ぜる。それだけで、少女の顔に笑顔が戻る。
「原因作った私がこんなこと言うのもなんですけど、秘書さんを助けてあげて下さい!」
「当然だ」
少女の願いに力強く頷く。
「格好つけてないでさっさと準備しなさい」
「お前も来るのか? その体で?」
氷柱の体は先ほどの戦闘で傷ついたままだ。妖怪という事もあり、傷の治りは人間よりも早いがそれでもベストコンディションには程遠い。
それでも。
「アンタ一人で行かせて助ける相手が二人に増えたら面倒くさいでしょ」
氷柱はそれだけしか言わなかったが、その気持は十分に伝わった。
「……よし、じゃあ行くか!」
相一と氷柱の二人は詩織と千里を事務所に残し、日も落ちかけ暗くなりつつある、夕闇の街へと繰り出した。




