2話 雪女と狼男②
「どうした、俺が生きてるのがそんなに不思議か?」
多少の切り傷はあるものの、五体満足の狼男がそこにいた。
「…………な、んで。足枷を砕かれた感覚は無かった! いくら狼男が頑丈でもあれだけの質量を叩きこめば致命傷は免れないはず!?」
「奥の手ってヤツはギリギリまで隠しとくもんだぜ?」
銀月が身体を折り前屈姿勢とる。同時に、その姿が形を変える。筋肉質な身体が小さく収縮していく。
硬質な獣毛が全身を覆っていき、両腕だったそれは前足となり事務所の床を踏みしめる。三角の耳にスッと通った一本の尻尾。頭部の形も人間のものから、獣のものに。ものの数秒で人狼が一匹の狼へと姿を変えた。
「なるほど、ね。そうやって氷の枷を抜けだしたって訳」
「そういう訳。力づくで抜け出せなかった時は少し焦ったがな」
獣の声帯でどうやって発音しているのか、巨大な狼がゆっくりと氷柱に近づいていく。
既に力を使い果たした雪女に、狼男と戦闘を続けられる余力は欠片も残っていない。それは、本人が一番良くわかっているだろう。
それでも。
「……まだやんのか?」
「当然」
完全な獣の姿になった銀月の問に率直に応える。
その手には剣というにはあまりにも小さく、細い。小ぶりなサバイバルナイフほどの氷の刃。それが今の彼女に出来る目一杯の武装であった。
「そうか」
合図は無かった。
雪女と狼男。
二人の妖怪の激突が事務所全体を揺るがせた。
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「氷柱!!」
相一が事務所の扉を突き破る勢いで飛び込んでくる。傷が治ったわけでも、体力が回復したわけでもない。気がつけば事務所の外で秘書に介抱されていた。そしてそこに小生意気な雪女の姿が無かった。
それだけで、相一の躰は反射的に動いていた。見慣れたはずの室内なのに、そこに広がる光景は変わり果てたものだった。壁や床はボロボロに崩れかけ、部屋の中央にあったはずのソファとテーブルは無残な姿で隅に転がっていた。
代わりに、その中心で見たものは。
「つ、らら…………?」
白い肌から真っ赤な血を流し、トレードマークのツインテールは片方が解け、趣味で着ている近所の中学校の制服は所々切り裂かれその柔肌が覗いている。
「氷柱! おいッ、大丈夫か!?」
耳元で叫ぶ。それに反応してか、彼女の指先がぴくりと動いた。生きている。ほっと息吐き、安心しかける相一だったがそこで意識を切り替える。安心するのは早過ぎる。途切れかけた集中を張りなおし、注意深く周囲を観察する。そこに。
「そんな怖い顔すんなよ、生きてんだろその小娘」
巨大な狼が佇んでいた。
「てめぇ――――ッ!!」
「手加減した覚えはねぇからな、生き残ったのはそいつの実力だ」
驚いたような、関心したような、そのどちら共つかない声色だ。もしかしたら表情にも同じ色が出ているのかも知れないが、完全な狼の姿をしている今、判断はつかない。
「正直舐めてたぜ、雪女って妖怪を。周囲の環境でその能力が大きく変化する不安定な要素は、欠点だと思っていたがこういう克服の仕方も有るもんだと、いい勉強になったぜ」
狼が嬉しそうな唸り声を上げた。RPGにおいて、戦闘で得た経験値によりレベルアップを果たした時のような感覚だろうか。とどのつまり、経験値稼ぎ。
吸血鬼に挑もうとする事も、それを邪魔する雪女を叩き潰した事も全てがそこに帰結する。
強敵を打ち倒す事で己の力とする。
それが彼の、銀月大牙という男の生き方だった。
「所長! 氷柱さん! ご無事ですか!?」
その場に張り詰めた緊張を切り裂く様に、兎楽璃亜が飛び込んでくる。
「来んな!!」
倒れた氷柱を抱きかかえたまま、力の限り声を張り上げる。
だが。
「もう遅い」
まさしく、獣の瞬発力でもって銀月が飛び出す。その視線は真っ直ぐに璃亜を捉えている。
「――――――っ!!」
璃亜が驚愕に目を見張る。突然巨大な狼が自分目掛けて跳びかかって来たから、ではない。問題はその狼が一瞬の内に、筋肉質な大柄の男に姿を変えたからである。
それこそ、人間には、到底反応できないようなスピードで。人の姿に戻った銀月が事務所の入り口で固まってしまった璃亜の後ろへ回りこむ。そして、その手が璃亜へと伸びる。
「な、――――あ……!?」
軽い衝撃と共に璃亜の意識が刈り取られる。
ここまでで、一瞬。
「こ、の――――野郎ッ!!」
相一の手元から光の鎖が射出される。
その数は五。
それぞれが意志を持った蛇の様にうねりながら、璃亜の躰を抱えた銀月に迫る。
「だから、生きてるって。コイツからはより濃い匂いがしやがる」
自らに迫る五本の鎖。その一本目を小さいバックステップで躱しながら銀月が告げる。
「多分、お前らの中で一番吸血鬼と関わりが深いのがこいつだろう。だから、こいつは借りてくぞ……分かりやすい、人質ってやつだ」
ニ本、三本と続く鎖の連撃を璃亜を抱えていない方の手で弾きながら、最も近い退路である、開けっ放しの玄関に向かう。
そこに。
玄関から外に出ようとする者を噛み砕くように。床から、天井から円錐状の氷の塊が飛び出した。
「うッ、おお!?」
咄嗟に踏ん張り、氷の牙に頭から突っ込む事を回避する。
そんな現象を引き起こせるのはこの場に一人しかいない。
「……待ちな、……さいよ」
満身創痍で、相一に抱きかかえられたままの体勢で、それでも尚その目には強い闘志を秘める少女、白山氷柱だ。
「ナイスだ、氷柱! あとはゆっくり休んでろ!!」
意識を取り戻した雪女を優しく床に放り投げると、今まさに窓をぶち破って逃走を図ろうとする銀月に四本目の鎖を伸ばす。
「怪我人は……もうちょっと丁寧に……扱いなさい、よね」
「後でアイス買ってやるから我慢しろ!!」
天柳探偵事務所はさほど広くない。
これだけハイスピードな鬼ごっこに対応出来るほどのスペースはもう残されてはいなかった。じり、と獲物との距離を詰めていく相一。対する銀月は壁に背を付け狩人の動きを注意深く観察している。
「人一人ぶら下げてるとは言え、ここまで喰らいついてる来るとはな。人間の底力も中々馬鹿にできないみたいだ」
左右の逃げ道を鎖で封じられ、逃げ場を無くしたはずの銀月は、それでも余裕をなくさない。
「そろそろ、うちの大事な秘書を返してもらおうか」
「そういう訳にも、……行かねぇなあ!!」
そもそも、壁際に追い詰めたから逃げられないだろう、というのはただの人間を相手にした場合の話である。敵は妖怪、それも大妖怪という括りに分類される人狼が相手だ。
ドガァッ!! と、人狼が空いた片腕を背後の壁に叩きつけた。たったそれだけで、鉄筋とコンクリートで形成された事務所の壁に、大の大人が丸々一人通れる程の風穴が開いた。
「滅茶苦茶しやがる!!」
「吸血鬼に伝えとけ! お前に近しい人間を預かった、返して欲しければこの俺、銀月大牙と相対しろってなあ!!」
璃亜を抱えた人狼は、自ら開けた大穴から一息に飛び出す。
「待ちやがれ!」
人狼の影は相一の叫びを背中に受けながら、オレンジ色に照らされる街並みの中に溶けていった。




