第五章⑰
そして、今。その火薬の玉は火気に触れていて、いつ爆発してもおかしくはない。
「じゃあ、あの時の涙も、お前の言動も全部、嘘だったと」
「…………全てではないわよ」
クラインが、ネウを軽くからかって笑うように問うと、途端にネウの顔から一切合財の感情が消え、視線をやや下に落とした。いや、実際にはそう見えただけだった。ネウはうっすらと、何かに浮かされたかのように笑みを含んだ表情をしていた。
今、ネウの事を最悪の化物だと捉えているクラインには、そう、見えた。
「全てじゃない? なんなら、何が本当か教えてくれはしないか? 尤も、もうさんざん吐かれた嘘だ。例えどんなに現実味のある真実の事でも、半信半疑になってしまうが」
もう、人が何を言っても信じられなくなるかもしれない。そんな疑心暗鬼に陥った自分を嘲笑するように、クラインは自虐するような言葉を発した。
ネウはそれが耳に入ると、からからと笑い、表情に笑顔が戻った。
だが、その笑顔はもう以前のネウの笑顔ではなく、またしても熱に浮かされたような、欲望に歪んだ笑顔であった。
「ええ、そうね。それであなたが人間を信じられなくなったのなら、私のせいね」
「そうか、認めるか。なら、賠償金をざっとリモーネ金貨六万枚でももらおうか」
クラインがにやりと口を引くと、二人は小さく声を抑えて笑いあう。
ネウの笑い声が絶えるまでにクラインは辺りを見回し、やれやれ、とため息をついた。自分はもう、殺されはしない。その確証さえあれば、クラインはいくらでも心に余裕を作ることができた。
「この食いっぷりを見ると今朝の、いや、昨日の朝のパンとハムは足りなかったらしいな」
「そうね。これでもまだ喰い足りないわ」
ネウは不気味なほどゆっくりクラインに近づき、ネウが一瞬でクラインの首に噛みつくのには十分な距離まで歩み寄った。ここでがぶりとやられても、クラインはおそらくこれまでの行いを後悔しないだろう。どうせ、後悔する間もなく殺されてしまうのだから。
「俺を喰っても、さしてお前の腹にはたまりそうにないが?」
「でしょうね。けど、あの娘と一緒になら私のお腹の中には収まりそうね」
ネウはクラインに言い聞かせるようにして語を継ぎ、体をわずかに右に逸らした。いったい何があるのかとクラインが目を細め、ネウの背後に焦点を当てた。
「ライサ!」
そこには両腕を縛られて、着ていた服もびりびりに破け、体中の至る所にネウと同じように血しぶきが飛んでいる、変わり果てたライサの姿があった。
「哀れね」
ネウは、前傾したクラインに向かって短く言葉を発した。
その、あたかも赤の他人を憐れむような、感情のこもっていないネウの言葉は、結果としてクラインを激昂させる起爆剤となった。
桜が一瞬で散っていくのを見るのは、悲しいものです。




