第2話
客人たちが去った広間の奥で、ヒュパトスとテレマコスは神妙な面持ちをして座っていた。彼らは少年時代から共に学び、お互いに何もかもを語れる唯一無二の友であった。
「アクティウムの我が軍団について……そなたは何か聞いているか?」
テレマコスからの問いは、ヒュパトスが予期していたものだった。だが、心の片隅へ無理やり押し込めていた憂いが呼び起こされ、彼の空色の瞳に暗い影を落とした。
「私とて正式な報せは得ていない。ただ――敵将アグリッパが主要な港を封鎖し、アントニウス様の補給路が絶たれているという噂は聞いている」
「ヒュパトス、流石そなたも耳が早いな」
テレマコスの口元が僅かにほころんだが、彼の眉間の深い皺が消えることはなかった。
重苦しい沈黙の時間が流れた。ヒュパトスは長年の友が単なる戦況の確認のためだけに二人きりの場を求めたわけではないことはよくわかっていた。テレマコスはもともと酒に強い男ではない。しかし、軍部において数多の苛烈な困難を卒なく捌いてきた屈強な男だ。その彼が先刻の宴で無様に杯を煽ったのは、彼の心に未だかつてない抱えきれぬ錘が沈められている証拠に他ならなかった。ヒュパトスは決して急かすことなく、彼が沈黙を破るのを静かに見守った。
テレマコスは意を決したように顔を上げた。そして、寝椅子から身を滑らせると、ヒュパトスの瞳を見つめたまま彼の足元に膝をついた。
「今から私が言うことは、墓場まで持っていってほしい。だが、これだけは初めに言っておく――私はそなたの深い洞察力、寛大さ、友愛を信じているからこそ打ち明けるのだ」
ヒュパトスは友の肩にそっと手を置き、どんな告白であれ二人の絆が揺らぐことはないと示すように、深く力強く頷いた。
テレマコスは声を潜めて続けた。
「アントニウス軍は今や袋の鼠だ。兵糧が尽きる前に否応なしに打って出るしかない。しかし、既に軍船の中では病に倒れた者も多いと聞く。私は長年、軍の中枢にいたからよくわかる。戦いにおいて最も重要なのは、優れた武器や馬ではない――それを扱う兵たちそのものだ」
テレマコスは肩に置かれたヒュパトスの大理石のように白い手を、自らの日に焼けた赤銅色の手で握りしめた。
「私は……王家の血を引く貴方の前でこのような不忠を言うのは万死に値するとわかっている。しかし――女王とアントニウス様は、いや、このエジプトはオクタウィアヌスに屈する」
テレマコスはヒュパトスの手を砕かんばかりに強く握り、苦悶の表情を浮かべて俯いた。
「テレマコスよ、思い詰めるな。私とて、この戦は我々の負けだということを重々承知だ」
ヒュパトスはテレマコスの手に自らの手を静かに重ねた。テレマコスの肩が僅かに震えている。
その温もりに触れた瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、テレマコスの喉から嗚咽が漏れた。
「ヒュパトス、私は父祖からの財、そして息子らを守り抜きたい。そのために――オクタウィアヌス側に通じ、国が滅び去った後も一族の命と所領を安堵してもらう手筈を整えている」
テレマコスの武骨な頬を一筋の熱い涙が伝った。
「ヒュパトス、すまない。不名誉な男だと、さぞ軽蔑するであろう。ただ、私にとって美徳や忠義だけでは守れないものがあるのだ……」
ヒュパトスはテレマコスから目を逸らした。ヒュパトスは彼が人一倍忠誠心が強く、義理堅い人物であることを誰よりもよく知っていたからだ。少年時代も何度、真っ直ぐで優しい強さに憧れ、この男の背中を追ってきただろうか。
ヒュパトスは涙を押し殺し、天を仰いだ。テレマコスほどの気骨溢れる男がオクタウィアヌスへ通じるということは、他の貴族らの多くも祖国を裏切っているに違いない。ヒュパトスも自らの情報網や洞察力でこの王朝の滅亡を予期していた。しかし、この国が危機を乗り越える明るい未来にも淡い期待を抱いていた。
「テレマコス、顔をあげてくれ……」
ヒュパトスの優しく包み込むような声のままに、テレマコスは顔をあげた。
「このような重大な告白をしてくれたというのは、本当に私を信頼してくれているのだな。私はその信義に応えよう」
ヒュパトスは柔らかな笑みを浮かべた。
「私もそなたに墓場まで持っていく土産を持たせよう」
「ヒュパトス、土産とは何だ……?」
困惑する表情で尋ねるテレマコスを見つめ、ヒュパトスは静かに言葉を紡いだ。
「私もこの国を出ようと密かに考えていた。私はそなたと違い、呪われた王家の血を引いてしまっている。王位継承の血嵐からは遠く離れることができたが、ローマのオクタウィアヌスにとってはプトレマイオスの血を引く男は生かしておけん」
ヒュパトスは痛ましげに首を振った。
「亡命のための準備は水面下で進め、やがては東方の国へ行こうと思う。それまでは、お互い胸の内の計らいを外に漏らさぬよう、慎重に生き抜かねばならん……」
二人の男は互いに涙を滲ませながら、固く、熱く抱擁を交わした。
「さあ――夜風に当たろうか」
ヒュパトスはゆっくりと寝椅子から立ち上がった。




