1999年7月3日 『異変』
今日は少しゆっくり起きた。別に疲れているわけではないが、たまには朝寝でもと思い頑張ってみたが7時が布団の中の限界だった。仕方なく体を起こし、少しだけ遅れた日常をスタートさせ、朝の日課を一通り済ませた後、朝食のトーストを頬張りながらふと考えていた。
病院で眠る花音君の兄である詩音君と私の知っている花音君の中のシオン君……。見た目は違うがあれは同一人物だ。この繋がりこそが全ての鍵に違いない。確証はないが確信に近いものがあった。この感覚を直感と言うのだろうか……。未だ目覚めない詩音君の事は、近いうちに、母親であるゆりあさんが彼女自身の言葉で直接、花音君と恵梨守さんに打ち明けたいとのことだった。
ここ1ヶ月、私は出来る限り今まで以上に積極的に彼らに関わり彼らを見てきた。親近感も強くなり情も湧いてきている。自然と他人事ではないと感じるまでに……。そんなタイミングでシオン君と詩音君の現段階での真実を告げようとしているゆりあさんの心情を思うと、私も他人事ではなく緊張が押し寄せた。全てが良い方へと流れれば良いのだが……。
日課もほど良くこなし終えたお昼前。例のメールが来た。
『サイン有り』
短いメールのやり取りを済ませ、早々に着替え、いつもの公園に向かう途中、賑やかなセミの声に夏の到来を感じた。夏の陽射しは攻撃的だが嫌いではない。主張が強く、はっきりしているところがいい。まぁ~暑さにもう少しだけ可愛いげがあれば最高なのだが、何にでも欠点はあるものだ。夏との駆け引きを楽しみつつ公園に踏み入り、いつものベンチに腰掛ける。今気付いたが、このベンチは半分が木陰だ。そういえば、花音君はいつも私を木陰側に座らせてくれていた……。本当に優しい青年だ。
「こんにちは……。
すいません、遅くなりました」
花音君が駆け寄ってきた。その行動だけでも彼の人柄の良さがわかる。相変わらず心地の良い青年だ。
「あ~私も今来たとこです。
ささっどうぞ」
「こないだは無理を言ってしまって……。
でも、来ていただいて嬉しかったです。
母も、喜んでおりました。
あれ以来、二人して
焼酎がマイブームなんですよ……」
「こちらこそ、
ご馳走まで頂いてしまって……。
いつも一人での食事なので、
久しぶりに美味しく
楽しい時間を過ごせました」
「そう言っていただけると……。
また是非いらしてくださいね。
母もきっと喜びます」
「ありがとう。
ではまたお邪魔させていただきます」
「えぇ、是非っ」
と、花音君の弾んだ返事が返ってきた次の瞬間、シオン君が降臨した。
「やぁ、あんたに逢うのは義務かい」
流石に、まだ慣れはしないが、幾分、冷静に受け止められるようにはなった。
「こんにちは、シオン君」
「ゆっくりしてる暇はなさそうだ。
また、付いてくんだろ」
「えぇ、ご一緒させていただきます」
「じゃ~行くか」
「えぇ」
会話もそこそこに、シオン君が『そこ』へと向かった。今回は何が起きるのかと、今では好奇心はあっても不安はほとんどない。概ね期待と使命感……そんな感覚だ。年甲斐も無くワクワクしている。少し若返ったような気分だ……。
「何か良いことでもあったか?
良い顔をしている」
「キミのおかげです」
「せいぜい感謝してくれ」
「もうしとるよ」
なんとも心地の良いやり取りに自然と笑みが溢れる。本当に不思議な青年だ。そうしてるうちに『そこ』へと辿り着いた。
「あれだな……。
ここで高見の見物と洒落込んでてくれ」
彼なりの気遣いと笑顔でそう言うと、何の躊躇も無く『その女性』に近づき正面に立つと一瞬だけ目を合わせごく自然に顔を近づけると耳元で何かを囁いた。何かといっても、いつもと同じセリフだろうが……。何気に行動が大胆になっている気がする……。しかも、相変わらず相手の女性はびっくりもしないし、
嫌悪も感じている様子は無い。羨ましいやら感心するやら、これが今時なのか、それともやはり彼が特別なのか……。まぁ、あのルックスで言い寄られて悪い気がする女性はそうそういないとは思うが……。いずれにせよコンタクトは済んだようだ。無表情のまま当たり前のように帰って来た彼に自然と言葉が漏れた。
「この街だけでも結構いるもんですね……。 しかしキミに逢えた方々は
本当にラッキーだ。
逢えないまま耐え難い苦しみの中で
生きていかないといけない人が
世の中にはまだ巨万と居る。
これも事実。
この差はなんなんでしょうな……。
おっと、気を悪くせんでくだされ。
キミを責めてる訳ではないので」
「永く生きてるアンタには
わかるんじゃないのか……。
自分の道は、切り拓くんだよ自分で……。
誰かに切り拓かれるものじゃない。
人生ってのは、
4割が『自分の信念』、
3割は『自分の生き様』、
2割が『環境』、
そして最後の1割が『運』。
オレはそう思っている。
この僅か1割が、実は大きく道を左右する。
その『運』ってのは、気まぐれな上に、
ほんの一部に、極稀だが、
『奇跡』と呼ばれる現象が起きる。
どの人間にも平等に
『運』ってのは存在するが、
残念ながら『奇跡』はそうはいかない。
これはあらゆるタイミングと
全ての条件が揃わない限り起きない現象だ。 所謂、不可抗力の類だからだ。
平等に『運』を与えられていながら
何故、実際ヒトは平等ではないのか。
それは、どこでその『運』を使うかで
違いに差が出ちまうからだ。
その『運』を使う際には、
必ずと言っていい程、サインが送られる。
『きっかけ』というサインがな。
そのサインを察知出来るか、
察知出来たとして行動に移せるか、
移せた時、初めて新たな道が創られる。
その行動に移す際の重要なキーワード、
『自分の信念』と『自分の生き様』、
そして『環境』、これらが影響を与え、
結果が導き出される。
ただ、結果を判断するのは、自分次第だ。
ラッキーもアンラッキーも
自分が引き込んじまうのさ。
終いにゃそれを周りのせいにしたり、
逃げたりして自分を不幸だと決めつける。
甘っちょろい戯れ言を並べてるヤツ程、
自分だけが不幸だと思い込む。
全くめでたい話しだ。
因みに、回りくどくなったが、
オレはオレの意思で動いてはいるが
相手を選んだことは一度も無い。
選ばれて引き寄せられる、それだけだ。
オレに逢えたのは
そいつらの『運命』なのさ。
もがきながら、つまづきながら
一歩ずつ一歩ずつ前に前にと
切り拓いた先にある『命の運』。
そこにオレが必要とされている時
初めてオレを引き寄せるんだろうよ」
「生き様、運命、奇跡……。
人間は何とも複雑な生き物だろう。
しかしキミの言うように、
本当はシンプルなのかもしれない。
複雑にしてるのは
自分自身なのかもしれませんね」
「みんな、考え過ぎなんだよ。
それすらわかっちゃいるが、
あと一歩を踏み出す勇気が
持てるか持てないかの違いだ。
どちらを選ぼうが
自分次第で幸にも不幸にもなる。
結局、自分で幸せだと感じたヤツが
幸せなんだよ」
「なるほど……。
深いですが……判りやすい」
今日の彼は積極的で雄弁だ。
「今日のキミは……」
と言いかけると
「もうじき終わる……。たぶんな……。
この喜ばしくも悩ましい魔法の呪縛から
オレ自身が開放される時が来たようだ。
そんな気がする。だからアンタも
それなりの準備をしておいてくれ。
いろんな意味でな」
「終わる……。魔法の呪縛……?
自分の意思じゃなかったのかね?」
私が言うと
「オレもそう思っていたんだが……。
事を重ねるごとに、特に最近じゃ
何か別の意思を感じるようになった……。
オレじゃないオレの意思をな。
まぁ、今日、明日でどうこうなるような
そんな感じはしない。その時が来たら、
必ずアンタにも教えてやる。
そして、こいつにも
そのまま教えるといいさ」
そう言って親指で胸を指した。
「しかし、他人のアンタに
何でこうもべらべらしゃべるのかね。
オレはこういうキャラじゃ
ないはずなんだがな。
調子が狂うぜまったく。
じゃ~なっ」
そう言って彼は私に背を向け軽く手を上げ人ごみに紛れた。その後姿に、最初の頃感じた孤高な雰囲気は影を潜めて見えた。これが親近感に依るものなのか、それとも彼の言う終わりの時が近いせいなのか私には皆目見当もつかなかった。




