第三十一話 祭の熱
第三十一話 祭の熱
「鷹見陣内さんのミニライブでーーーす!」
真紀の声とともに、会場がこの日一番の歓声に包まれた。
ステージ袖から鷹見陣内が姿を現す。
その姿が見えただけで、客席のあちこちから黄色い声が上がった。
真紀も思わず笑う。
「すごいですね!」
鷹見と軽く言葉を交わし、客席へ向き直った。
「さっきステージ裏でご挨拶させていただいたんですが――」
少し溜める。
「すっごいカッコいいですよー!」
女性客を中心に歓声と笑いが起こった。
鷹見も苦笑しながら頭を下げる。
「皆さん、生で鷹見さんを見たことある方、いらっしゃいます?」
客席の一角から、勢いよく何本もの手が上がった。
「あっ!」
真紀がそちらを見る。
数人の女性たちだった。
明らかに周囲より気合が入っている。
「もしかして……皆さん、県外から?」
女性たちが一斉に頷いた。
真紀が大きく頭を下げる。
「ありがとうございます! 起業祭はいかがですか? 楽しんでいただけてますか?」
「楽しいでーす!」
女性たちから元気な声が返ってきた。
真紀の笑顔が、さらに明るくなる。
「よかったです!」
会場から拍手が起こる。
「それでは、いつまでも私が喋っていてもアレなので!」
笑いが広がった。
「お待たせしました!」
真紀が大きく手を広げる。
「鷹見陣内さんです! どうぞーー!」
大歓声。
真紀は鷹見へステージを譲り、袖へ戻った。
直後。
イントロが流れ始める。
「ふぅ……」
ようやく真紀は息を吐いた。
袖に置かれたポータブル冷蔵庫を開ける。
中には、無糖紅茶のペットボトルが大量に並んでいた。
「……誰よ、こんなに入れたの」
そう言いながら一本取り出す。
キャップを開けた時だった。
「本多さん」
進行スタッフの一人が、時計を確認しながら近づいてきた。
「はい?」
「今ので、少し押しましたよ」
真紀が紅茶をひと口飲む。
「少しって?」
「数秒ですけど」
「じゃあ、いいじゃない」
「いや、進行表が……」
真紀はステージの方へ視線を向けた。
鷹見の歌声。
そして、それに応える観客の歓声。
「県外から鷹見さんを追いかけて、わざわざ嶺北まで来てくれたのよ?」
スタッフが黙る。
「だったら、ありがとうって言いたかったの」
真紀はスタッフを見る。
「その数秒で、誰か困る?」
「……まあ、困りませんけど」
「でしょ?」
スタッフは苦笑しながら持ち場へ戻っていった。
真紀はもう一口、紅茶を飲む。
そして。
腕のスマートウォッチへ目を落とした。
「ねえ、アイラ」
《はい》
「今の、どっちがいいと思う?」
わずかな間。
《進行管理だけを優先するのであれば、予定時刻を守る方が適切です》
「やっぱりそう?」
《ですが》
真紀が眉を上げる。
《数秒の遅れによって支障が生じず、その数秒によって来場者の満足度が上がったのであれば、私は真紀さんの判断を支持します》
真紀は少し笑った。
「ずいぶん人間っぽい答えするようになったわね」
《褒め言葉として受け取ります》
「そうしときなさい」
再びステージを見る。
鷹見の代表曲『南風』が始まると、客席からさらに大きな歓声が上がった。
♢
午後三時。
起業祭会場内の特設リング周辺は、人で埋め尽くされていた。
リングアナウンサーが中央へ立つ。
「ただいまより、FOW提供試合を開始いたします!」
大きな拍手が起こった。
「第一試合――マスクマン対決、六十分一本勝負!」
会場に軽快な入場曲が流れる。
「青コーナー!」
リングアナウンサーが声を張り上げた。
「子どもたちの夢を守る、みんなのヒーロー! ミステリーマーン!」
客席の後方から、色鮮やかなマスクを被った男が姿を現した。
両手を広げ、子どもたちと次々に手を合わせながらリングへ向かう。
「ミステリーマーン!」
「頑張れー!」
子どもたちの声に応え、ミステリーマンがロープを飛び越えてリングへ入った。
コーナーへ上がり、大きく両手を広げる。
その直後。
会場の空気が変わった。
重く、不気味な入場曲。
「赤コーナー!」
黒を基調としたマスク。
鋭い龍の意匠。
サイレントドラゴンが、ゆっくりと姿を現した。
観客へ手を振ることもない。
声援にも、ブーイングにも反応しない。
ただ無言のまま、リングだけを見つめて歩いてくる。
「沈黙の龍――サイレントドラゴーン!」
リングへ上がったサイレントドラゴンは、ミステリーマンと向かい合った。
一言も発しない。
ミステリーマンが握手を求めても、その手を見下ろしただけだった。
ゴング。
試合開始直後。
サイレントドラゴンが、いきなりミステリーマンへ襲いかかった。
重い蹴り。
容赦のない投げ技。
ミステリーマンが倒れるたび、子どもたちから悲鳴が上がった。
それでも。
「負けるなー!」
「ミステリーマン、立ってー!」
声を受けたミステリーマンが、ゆっくりと立ち上がる。
サイレントドラゴンの突進をかわす。
ロープへ走る。
勢いをつけた飛び蹴りが、サイレントドラゴンの胸を捉えた。
会場が沸く。
さらにミステリーマンは、コーナー最上段へ上がった。
両手を大きく広げる。
そして。
宙を舞った。
その身体が、立ち上がったサイレントドラゴンを押し潰す。
すぐさま両脚を抱え込んだ。
「ワン!」
観客も声を合わせる。
「ツー!」
そして。
「スリー!」
ゴングが鳴った。
「勝者――ミステリーマーン!」
子どもたちの歓声が爆発した。
ミステリーマンはリングを降りると、再び客席の子どもたちと手を合わせていく。
一方。
敗れたサイレントドラゴンは、リング中央でゆっくりと起き上がった。
何も言わない。
悔しがる素振りさえ見せない。
去っていくミステリーマンの背中を、無言で見つめていた。
そして。
サイレントドラゴンもまた、一言も発することなくリングを降りた。
第一試合を終え、特設リング周辺の熱は一気に高まっていた。
だが。
続いて行われる試合を前に、その熱はさらに大きくなっていく。
FOW世界ヘビー級選手権試合。
六十分一本勝負。
現王者――赤星将斗。
挑戦者――ブラックオルカJr.
二人がリングへ上がる。
タイトルマッチ開始のゴングが鳴った。
試合開始直後から、激しい攻防が続いた。
しかし。
開始からおよそ五分。
ブラックオルカJr.がレフェリーの制止を無視して反則攻撃。
レフェリーが即座にゴングを要請した。
王者・赤星将斗の反則勝ち。
観客席から、一斉にブーイングが起こった。
ブラックオルカJr.は、リングアナウンサーからマイクを奪った。
「おい! 赤星!」
リングを降りかけた赤星が振り返る。
「反則勝ちを拾って楽しいか?」
観客が沸く。
「そのために、ここまで来たのか?」
ブラックオルカJr.が赤星を指さす。
「反則裁定なしで再試合だ!」
どよめき。
「ノーDQマッチ!」
さらに。
「そして――エニウェアフォールだ!」
歓声が一気に大きくなった。
「優等生ぶってるお前に、ノーDQマッチができるのか? 赤星!」
ブラックオルカJr.が挑発する。
「まさかビビって帰ったりしないよな?」
赤星がリングへ戻った。
マイクを受け取る。
「……やってやるよー!」
言い終わるより早く。
赤星がブラックオルカJr.へ殴りかかった。
再びゴング。
会場は一気に熱狂へ包まれた。
その頃。
中央ステージでは真紀が、特設リングの方を見ながら状況を伝えていた。
「皆さん! 特設リングがものすごいことになっております!」
スタッフから何かを聞かされる。
「え?」
もう一度聞き返す。
「反則裁定なし?」
真紀が客席を見る。
「どうやら、再試合が始まったようです!」
歓声が上がる。
「しかも反則裁定なし!」
さらにスタッフから説明を受ける。
「……えっ⁈ 普段はリング上でのスリーカウントしか認められませんが、今回はエニウェアフォール! 会場内のどこでも、スリーカウントを取れば決着です!」
真紀は目を丸くした。
「ということは――」
中央ステージを見回す。
「もしかすると、このステージが戦いの場になるかもしれませんね」
観客が笑う。
その直後だった。
遠くから歓声が近づいてきた。
真紀が振り返る。
「え?」
人垣が割れる。
その向こうから。
赤星将斗とブラックオルカJr.が、殴り合いながら中央ステージへ向かってきていた。
「きゃー! 危ない!」
真紀が叫ぶ。
「もうステージに来ちゃった!」
慌てて袖へ逃げる。
しかし。
ブラックオルカJr.がステージへ上がった。
「ちょっ――!」
逃げ遅れた真紀の腕を掴む。
「ええっ!?」
会場から悲鳴と歓声が同時に上がった。
「ちょっと! 私は司会なんですけど!」
ブラックオルカJr.が真紀を盾にする。
そこへ。
赤星が飛び込んだ。
真紀を引き離す。
そして、そのままブラックオルカJr.を後ろから羽交い締めにした。
「今だ!」
赤星が叫んだ。
「えっ?」
真紀が固まる。
「私!?」
観客から手拍子が始まった。
「いけー!」
「真紀ちゃーん!」
「ちょっと待って! 聞いてないんだけど!」
真紀は恐る恐るブラックオルカJr.へ近づいた。
マスク越しに睨まれる。
「怖い怖い怖い!」
一歩下がる。
赤星が必死に押さえている。
観客の手拍子がさらに大きくなる。
真紀は覚悟を決めた。
「……本当にいいんですよね?」
誰に確認しているのか分からない。
そして。
「えいっ!」
パァン!
真紀の平手が、ブラックオルカJr.の頬を叩いた。
一瞬。
会場が静まり返る。
次の瞬間。
「うおおおおおおお!」
大歓声が爆発した。
真紀は、自分の手を見た。
「……痛い」
赤星が笑いながらブラックオルカJr.を引っ張っていく。
二人はそのまま中央ステージを降り、再び人混みの中へ消えていった。
真紀は呆然と見送る。
そして。
落ちていたマイクを拾った。
「……皆さん」
会場が静かになる。
「司会者まで試合に参加するとは聞いておりません!」
大きな笑いが起こった。
その後。
タイトルマッチは起業祭会場全体を戦いの舞台にした後、再び特設リングへ戻り、長い攻防の末に決着した。
最後は、満身創痍となった赤星がブラックオルカJr.から三カウントを奪取。
ボロボロになりながらも、FOW世界ヘビー級王座を守り抜いた。
特設リングだけではなく、起業祭会場そのものを戦いの舞台に変えた二人へ、大きな拍手が送られる。
こうして、大熱狂の中。
FOW提供試合は幕を閉じた。
ステージ袖へ戻った真紀は、まだ少し赤い手のひらを見つめていた。
「ねえ、アイラ」
《はい》
「あれ、台本にあった?」
《ありません》
「よね!?」
《はい》
真紀は大きく息を吐いた。
そして。
少し笑った。
「……まあ、楽しかったからいいか」
《楽しそうでした》
「見てたの?」
《はい》
「忘れなさい」
《推奨できません》
「なんでよ」
真紀は再びステージへ出た。
「いやー! すごい試合でしたね!」
拍手が起こる。
真紀は自分の手のひらを見せた。
「私まで参加することになるとは思いませんでしたけど!」
笑いが起こった。
「さて!」
真紀は進行表を確認する。
「中央ステージは、ここで一度お休みとなります!」
客席へ向けて手を広げる。
「この後、FOWの物販と、王座防衛直後の赤星選手のサイン会も開催されます!」
「露店や各ブース、事業説明会、田所教室なども、ぜひゆっくりお楽しみください!」
「安全祈願の御神輿も、まだまだ会場内を回っております!」
そして。
「ステージ再開は――十七時三十分を予定しております!」
真紀が笑顔で手を振る。
「それでは皆さん、しばらく会場をお楽しみくださーい!」
拍手を受けながら、真紀はステージ袖へ戻った。
「……お腹すいた」
運営本部へ戻った途端。
真紀の第一声は、それだった。
スタッフから渡された弁当を受け取る。
「やっと食べられる……」
椅子へ座り、蓋を開けた。
そして当然のように。
隣には無糖紅茶。
「朝からずっと喋りっぱなしだもの」
《お疲れ様です》
「まだ終わってないわよ」
箸を進めながら、真紀は進行表を見る。
十七時三十分。
参加型クイズコーナー。
その後もステージ企画は続く。
そして。
今日の、本当の目的も。
真紀は一瞬だけ箸を止めた。
《真紀さん》
「大丈夫」
短く答える。
「まだ普通に、お祭りを楽しむ時間よ」
そう言って。
また弁当を食べ始めた。
午後五時を過ぎる頃。
嶺北の空は、すでに暗くなっていた。
露店に明かりが灯る。
会場内には昼間とは違った賑わいが生まれていた。
提灯。
ステージ照明。
湯気を上げる食べ物。
寒さに肩を寄せ合う家族やカップル。
それでも人の数は減らない。
むしろ夜の部を目当てに、新たな来場者も増えていた。
午後五時三十分。
中央ステージの照明が、一斉に点灯した。
音楽が流れる。
そして。
「皆さーーーん!」
ステージ袖から真紀が飛び出した。
「お待たせしましたーー!」
大きな拍手。
「ここから起業祭、夜の部スタートです!」
歓声が上がる。
「まずは皆さんにも参加していただきましょう!」
真紀が客席を見渡した。
「六角グループ起業祭――クイズ大会でーーす!」
拍手。
「正解された方には、もちろん景品をご用意しております!」
ステージ脇から景品が運び込まれる。
会場がざわつく。
「簡単な問題から、六角サッシ社員でも分からないような問題まで用意しているそうですよ!」
真紀が進行表を見る。
「私にも答えは教えてくれてません!」
笑いが起こる。
最初の問題。
二問目。
三問目。
真紀は次々と客席から回答者を選んだ。
子ども。
家族連れの父親。
若い女性。
遠方から訪れた観光客。
正解するたびに拍手が起こる。
間違えても笑いが起こる。
真紀は、その一人一人と言葉を交わした。
ステージ上では、来場者参加型のクイズ大会が続いていた。
本多真紀は手元の進行台本へ一度だけ目を落とす。
次の回答者は、事前に選ばれた社員。
本来なら、その名前を呼ぶことになっている。
だが。
真紀は顔を上げた。
「それでは次の回答者は――」
一拍置く。
そして突然。
「この人!」
真紀がステージの階段へ走った。
「え?」
スタッフが声を上げる。
台本にはない。
真紀はそのままステージを降り、客席の間へ入っていった。
来場者たちから笑いとざわめきが起こる。
「今日はせっかくですから、こちらから選んじゃいましょう!」
マイクを持ったまま、真紀は客席を見回す。
そして。
通路側にいた男性の前で止まった。
「はい! そこのお父さん!」
「俺?」
「そうです! お願いします!」
真紀は男性の腕を取った。
周囲から拍手が起こる。
男性も戸惑いながら笑った。
その瞬間。
真紀の視線だけが動いた。
ステージ脇。
北国警備保障の警備員。
一人がこちらへ身体を向ける。
もう一人が無線へ手を伸ばした。
さらに客席後方にいた警備員も、真紀の移動に合わせるように位置を変える。
――反応した。
真紀は笑顔を崩さない。
男性を連れてステージへ戻る。
警備員たちは、それ以上近づいてこなかった。
司会者本人が来場者を連れている。
危険行為ではない。
そう判断したのだろう。
「それでは、お名前をお願いします!」
男性が答える。
会場から拍手。
クイズが始まる。
真紀はいつも通り司会を続けながら。
頭の中では別のことを考えていた。
客席へ降りれば。
北国警備保障は反応する。
だが。
自分が来場者をステージへ連れていく行為そのものは止めない。
そして。
一度やった。
これで次に同じことをしても。
警備員は、司会者のアドリブだと思う。
真紀は笑った。
もちろん。
ステージ上の誰にも。
その意味は分からない。
やがてクイズ大会も終盤へ入る。
その頃。
会場の外では花火大会の準備が始まっていた。
北国警備保障の配置にも変化が起きる。
ステージ周辺にいた警備員の一部が移動する。
来場者の導線確保。
立入禁止区域。
打ち上げ場所周辺。
そして。
花火を見るために移動し始めた人の流れ。
警備員たちが次々と持ち場を変えていく。
真紀はステージ上から、それを見ていた。
笑顔で司会を続けながら。
一人。
また一人。
警備員が離れていく。
ステージ周辺に残った人数を確認する。
客席。
通路。
旧社屋へ続く方向。
――今。
真紀は手元の進行表を閉じた。
「さて!」
明るい声が会場へ響く。
「せっかくなので、もう一人いきましょうか!」
スタッフが真紀を見る。
また台本にない。
だが。
先ほど一度やっている。
今度は、スタッフも声を上げなかった。
真紀は客席を見渡す。
そして。
見つけた。
ブラウンのジャケット。
キャップを深く被った男。
真紀の口元がわずかに緩む。
「じゃあ次は――」
ステージを駆け下りる。
客席がざわめく。
真紀は真っ直ぐ、その男のところへ向かった。
そして。
腕を掴んだ。
「このブラウンのジャケットを着てるお兄さん!」
男が顔を上げる。
「そう、貴方です!」
真紀は笑った。
「はい、ステージにどうぞ!」
男は一瞬だけ真紀を見る。
真紀は腕を離さない。
小さな声で。
観客には聞こえないように言った。
「……遅いですよ」
男が苦笑した。
そして。
真紀は再びマイクを口元へ。
「みなさん、拍手でお迎えください~!」
大きな拍手。
男が立ち上がる。
北国警備保障の警備員が一人、こちらを見る。
だが。
動かない。
先ほどと同じ。
司会者のアドリブ。
そう判断した。
真紀は男の腕を引きながら、ステージへ向かう。
その瞬間。
旧本社屋。
みどり中央システム。
会場内監視映像から、新たな人物情報が取得された。
顔。
体格。
歩行特徴。
過去データとの照合。
演算。
再照合。
そして。
《人物照合完了》
《椎名敬之》
一秒。
《予定情報を確認》
佐々木智子より提出された工程予定。
本日。
東京。
散水試験対応。
《現在位置との不一致を確認》
《本多真紀との接触を確認》
演算処理が走る。
《椎名敬之からの干渉可能性――13%》
再演算。
《矛盾を確認》
さらに演算。
そして。
みどりは初めて。
その事象を、こう判定した。
《想定外の事象を確認》




