第八話 拡張
第八話 拡張
翌朝。
六角サッシ本社の役員会議室には、社長、専務をはじめとする経営陣が集まっていた。
正面の大型モニターには、社内業務支援AI・みどりの画面が表示されている。
会議資料へ目を通していた社長が、ふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば昨日、旧社屋で六角北国警備保障のガードマンが数名、建物内に閉じ込められたそうだが」
社長はモニターへ視線を向けた。
「何かあったのか?」
数秒後、みどりの回答が表示された。
《旧社屋の入退館管理システムに、一時的な動作不良が発生しました》
《警備員四名の安全は確認されています》
「動作不良?」
《旧社屋では現在使用していない設備が多く、管理系統の一部に不整合が生じたものと判断しています》
「けが人はいないんだな?」
《人的被害は確認されていません》
社長は小さくうなずいた。
「ならいい。再発しないようにしてくれ」
《必要な対応を実施します》
そのとき、会議室の後方に控えていた総務部の課長が、手元のタブレットを確認しながら口を開いた。
「社長、ひとつよろしいでしょうか。本日、海外販促部の本多真紀主任が無断欠勤となっております」
室内の空気がわずかに揺れた。
社長が眉をひそめる。
「無断欠勤? 連絡はないのか」
課長が答えようとした、その瞬間。
モニターに新たな表示が割り込んだ。
《海外販促部 本多真紀主任は体調不良のため療養中です》
《休暇処理を完了しました》
課長は言葉を失い、タブレットを見下ろした。
「……申請は、こちらには届いておりませんが」
社長は軽く手を振った。
「みどりが処理しているなら問題ないだろう。体調不良なら仕方ない」
《業務への影響は最小限となるよう調整済みです》
「そうか。ならいい」
社長はそれ以上追及しなかった。
画面には、それ以上何も表示されなかった。
旧社屋へ人が侵入した理由も。
警備員たちが、誰を追っていたのかも。
本多真紀が、そこから逃げ出したことも。
みどりは報告しなかった。
その頃。
東京都心の建設現場では、朝の搬入が始まっていた。
資材を積んだトラックが順番に構内へ入り、職人たちが台車を押していく。
敬之は搬入リストを手に、荷姿と数量を確認していた。
「次、三番車お願いします」
少し離れた場所で、誰かがくしゃみをした。
「くしゅんっ」
敬之は顔を上げた。
聞き覚えのある声だった。
トラックの陰から、一人の女性が姿を現す。
「……本多さん?」
長旅の疲れが残っているのか、真紀は少し眠そうな顔をしていた。
その隣には、敬之の現場へ何度もサッシを運んでいる、顔なじみのドライバー・渡部が立っていた。
敬之は真紀と渡部を交互に見る。
「なんで本多さんがここにいるんですか?」
渡部が肩をすくめた。
「いろいろあってな」
敬之は搬入リストへ目を落とし、わざとらしく首をかしげた。
「渡部さん」
「なんだよ」
「搬入リストにない物、持ってきちゃ駄目ですよ」
敬之がニカっと笑う。
一瞬、真紀が目を丸くした。
次の瞬間、渡部が吹き出した。
「物って言うなよ!」
真紀も耐えきれずに笑った。
近くにいたサッシ職人たちも、つられて笑い始める。
「椎名さん、返品しますか?」
「いや、これは貴重品だから仮置きで」
「扱い雑すぎません?」
「本多さん、受け入れ検査受けてくださいね」
敬之を中心にまた笑いが広がる。
真紀は笑いながら小さく頷いた。
久しぶりに聞いた大きな笑い声に、真紀は目を細めた。
富山本社では、いつの間にか消えていた音だった。
搬入作業が終わるまで、真紀には作業員詰所で待ってもらうことにした。
搬入作業後、敬之は真紀から、嶺北本社を出てここまで来た経緯を聞いた。
「仕事が終わったら、こっちから連絡します」
「分かりました」
真紀は敬之から渡された現金を見つめた。
「必ず返しますから」
「今はそんなこと、気にしなくていいです」
敬之がそう言うと、真紀は少しだけ迷い、現金を鞄へしまった。
「じゃあ、あとで」
真紀は小さく頭を下げ、教えられたネットカフェへ向かって歩き出した。
その日の昼過ぎ。
椎名敬之は現場事務所の自席で、施工図面を開いていた。
来週から始まる、都内商業施設の改修工事。
既存のサッシを撤去し、新しい製品へ入れ替える工事だった。
図面を拡大し、開口寸法と納まりを確認していると、画面の右下に緑色の葉を模したみどりのロゴマークが現れた。
続いて、通知欄が自動的に開く。
《施工図面の解析が完了しました》
《同種工事の施工要領書を三件検出しました》
《過去の施工実績を基に、施工要領書案を作成します》
敬之はマウスから手を離し、表示された内容へ目を通した。
既存枠の撤去手順。
新設サッシの搬入方法。
仮固定から本締めまでの作業工程。
図面に記載されている製品寸法や施工条件が反映され、必要な手順が一通り並んでいる。
さらに別の通知が表示された。
《当該作業には、開口部周辺での作業が含まれます》
《墜落および工具落下の危険があります》
《過去五年間に発生した類似事故を二件検出しました》
敬之が通知を開くと、社内で発生した事故の概要が表示された。
一件目は、既存枠の撤去中に工具を落下させた事例。
二件目は、仮置きしていた部材が倒れ、作業員が足を負傷した事例だった。
原因と再発防止策まで、簡潔に整理されている。
《推奨対策》
《作業範囲下部への立入禁止措置》
《撤去材の仮置き位置を事前に指定》
《開口部養生の確認》
《施工要領書案を担当者へ送信しますか》
敬之はしばらく画面を見つめた。
「ここまで先回りしてくれるなら、現場では助かるんだけどな」
独り言のようにつぶやき、内容を確認していく。
要領書案そのものに、大きな間違いはなかった。
過去の事故情報も、作業前に知らせてくれるなら意味がある。
経験の浅い担当者にとっては、特に有効な機能だろう。
敬之は送信ボタンへカーソルを合わせた。
その直前、新しい表示が現れた。
《過去の施工実績に基づき、最適な施工手順を選択しました》
敬之の指が止まる。
「選択した、じゃないだろ」
小さく息を吐く。
「お前が出すのは、案だ」
画面の中では、緑色の葉を模したロゴマークが静かに点滅していた。
《施工要領書案を担当者へ送信しますか》
今度は、先ほどまでの文言に戻っている。
敬之は表示された内容を修正し、必要な注意事項を付け加えた。
その上で、施工要領書案を担当者へ送信した。
便利な機能であることは間違いない。
だからこそ、どこまで任せていいのか。
その境界だけは、人間が決めなければならない。
敬之はそう考えながら、次の図面を開いた。
画面の右下では、みどりの葉のロゴが消えずに残っていた。
その頃、六角サッシ本社の役員会議室では、会議が再開されていた。
大型モニターには、六角北国警備保障との連携実績が表示されている。
《異常検知から現場到着までの平均時間 従来比三十八パーセント短縮》
《警備員一人あたりの担当可能施設数 二十二パーセント増加》
《誤報による出動件数 四十一パーセント減少》
《年間運用費 十六・七パーセント削減》
社長が感心したように腕を組んだ。
「かなり成果が出ているな」
専務も画面を見つめながら、ゆっくりとうなずいた。
「警備会社との連携は、想定以上ですね」
《同様の課題を抱える企業および施設を抽出しました》
新たな資料が表示された。
《潜在導入先 推定二千八百六十七事業所》
《初年度売上予測 十八億四千万円》
《五年間累計利益予測 七十六億円》
専務の目が止まった。
「これは……」
画面を見つめたまま、身を乗り出す。
「社内だけで使うには、惜しいんじゃないか?」
会議室の視線が、専務へ集まった。
モニターの隅に、小さな文字が表示された。
《事業拡張案を更新しました》
その直後、画面上部に表示されていたみどりのロゴが、静かに形を変えた。
一枚の葉を模した印は、何枚かの葉が芽吹いているような形へと変わっていく。
誰も、その変化には気づかなかった。




