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9ノ語 百話到達

 百物語は、最後まで語ってはいけない。


 そういう話がある。


 怪談を百話集める。

 一本ずつ蝋燭を消す。

 部屋はだんだん暗くなる。

 九十九話が終わり、最後の一本が残る。


 百話目を語り終えた時、本物が来る。


 だから昔の人は、最後までやらなかった。

 九十九で止める。

 最後の一本は残す。

 それが遊びと怪異の境目だった。


 だが、現代の百物語に蝋燭はいらない。


 画面がある。

 コメント欄がある。

 切り抜きがある。

 同時接続数がある。

 投げ銭がある。

 拡散する誰かがいる。


 一本ずつ消えるのは、蝋燭ではない。


 視聴者の画面だった。


 配信タイトルは、軽いものだった。


『百物語、ガチで百話までやる』


 配信者は、怪談専門というわけではなかった。

 心霊スポット巡りや都市伝説検証、廃墟紹介、怪談朗読を混ぜて再生数を稼ぐタイプの動画配信者だった。


 場所は、都内の貸しスタジオ。

 古民家風の内装を売りにした撮影用施設で、障子、古い箪笥、囲炉裏風のセットが置かれている。

 もちろん、本物の古民家ではない。

 壁の裏には吸音材が入り、天井には照明レールが走っている。


 ただ、その夜だけは、本物に近づけるためだと言って、部屋の照明が落とされた。


 丸い机の上に、百本のLED蝋燭が並んでいた。


 本物の火ではない。

 安全のため、スタッフが用意したものだ。

 リモコンで一本ずつ消せる。

 配信画面には、残り本数を表示するカウンターも出ていた。


 1話目。


 古いトンネルの女。


 2話目。


 夜中に鳴る公衆電話。


 3話目。


 窓に貼りつく顔。


 最初は笑いながら始まった。

 コメント欄も軽かった。


『ありがちw』

『声作ってて草』

『百話まで寝ないで見ます』

『最後に何か起きたら神回』


 30話を超えた頃から、視聴者が増え始めた。


 誰かが切り抜いた。

 誰かが拡散した。

 誰かが「これガチっぽい」と書いた。


 60話を超える頃、配信者の顔から笑いが減った。

 スタッフのひとりが、何度も後ろを振り返るようになった。

 消したはずのLED蝋燭が、時々勝手についた。


 コメント欄は盛り上がった。


『演出うま』

『今ついたよな?』

『いやスタッフ触ってない』

『これ百話目やばいだろ』


 90話を超えた時、スタジオの扉が開かなくなった。


 配信者は笑ってごまかした。

 スタッフは裏で連絡を取ろうとした。

 だが、スマートフォンは圏外になり、スタジオの外へ出るためのドアは、画面の中にだけ存在するようになった。


 現実のドアは、壁になっていた。


 それでも配信は止まらなかった。


 むしろ視聴者は増えた。


 98話目。


 語り手は、用意していた原稿を一枚めくった。


 白紙だった。


 99話目。


 画面が暗くなった。


 配信者の声だけが聞こえる。


「これ、誰が置いた?」


 机の上に、知らない原稿が一枚増えていた。


 タイトルはなかった。

 ただ、こう書かれていた。


 百話目は、まだない。


 配信者は、声を震わせながら笑った。


「いや、これ誰の仕込み?」


 コメント欄が流れる。


『読め』

『読め読め』

『百話目いけ』

『ここで止めるな』

『本物来るぞ』

『来い』

『来い』

『来い』


 その文字が、画面の上で黒く滲んだ。


 そして、配信者が百話目を読もうとした瞬間、スタジオ内の全員が同時に消えた。


 配信画面だけが残った。


 暗い部屋。

 百本のLED蝋燭。

 そのすべてが消えている。


 画面の中央に、白い文字が出た。


 百話到達。


 霞ヶ関地下封域では、その配信がまだ止まらず流れていた。


 水瀬は解析室の椅子に片膝を立て、端末を三枚並べていた。

 画面のひとつには問題の配信。

 もうひとつには視聴者数の推移。

 最後のひとつには、都内各地で発生している小規模霊障の地図が表示されている。


「これ、かなり嫌です」


 水瀬の声には、いつもの早口とは違う硬さがあった。


 御影は画面を見ている。


 黒い配信画面。

 消えた百本の蝋燭。

 その中央に残る、百話到達の文字。


 戸張が腕を組む。


「配信者たちは」


「生体反応あり、ただし位置がスタジオ内ではありません、配信画面の中でもないです、厳密には“百話目の中”にいる反応です」


 白羽が嫌そうに言った。


「話の中ですか」


「はい、物理空間じゃなくて、語りの枠に閉じ込められています」


 東雲が医療端末を確認する。


「負傷者は?」


「視聴者側に出ています、配信を最後まで見ていた人たちの一部が、自分の部屋で“怪談の続き”を体験しています、窓を叩かれる、知らない足音が廊下に増える、読んだ覚えのない怪談メモが机に出る、ただし重傷者はまだいません」


 上原が短く言う。


「まだ、か」


「はい、百話目が完成していません、完成したらたぶん現実側に落ちます」


 御影が問う。


「完成条件は」


 水瀬は少しだけ唇を噛んだ。


「視聴者の語りです、コメント欄、切り抜き、考察、怖かったポイント、次に起きそうなこと、そういうものが百話目を組み立てています、つまり、見た人が続きを想像するほど強くなる」


 戸張が低く言った。


「厄介だな、黙らせるほど騒ぐ」


 水瀬は頷く。


「しかも配信を消そうとすると、複製が増えます、2話の削除不能型とは違って、今回は動画自体が増えるんじゃなくて、“百話目がどんな話か”という考察が増えるんです」


 白羽が札を握る。


「噂を素材にしてるんですね」


 御影は画面を見たまま言った。


「百物語は、最後の一話を空けておくことで境界を残す、今回はその空白を視聴者に埋めさせている」


 水瀬が別画面を出す。


「そして、これです」


 そこには、問題の配信ページに固定されていたリンクが表示されていた。


 企画協力。

 怪談蒐集プロジェクト。

 語部機構。


 解析室の空気が変わった。


 戸張が目を細める。


「出たな」


 白羽が小さく言う。


「語りを売る者たち」


 御影の表情は変わらない。


 だが、声だけが少し低くなった。


「意図的に百話目を空けたな」


 水瀬が頷く。


「はい、配信者本人がどこまで知っていたかは不明です、ただ、企画台本のデータに外部から改ざんが入っています、99話目の原稿だけ差し替えられていました」


 東雲が言う。


「消えた人たちは、利用された可能性が高いですね」


「高いです」


 鷹宮は問題の配信画面を見ていた。


 何も映っていない黒い画面。

 百話到達の文字。


 御影が振り返る。


「何が見える」


 鷹宮は短く答えた。


「出口がない」


 水瀬が顔をしかめる。


「ええ……」


「入口はたくさんある、出口はまだ作られていない」


 御影は少しだけ考えた。


「百話目に出口がないのか」


「そうだ」


 白羽が言う。


「じゃあ、封印する前に出口を作らないと、中の人たちが出られない」


 御影は頷いた。


「現場へ向かう、配信スタジオと視聴者側の拡散、両方を抑える」


 水瀬が端末を抱える。


「スタジオは台東区、古民家風撮影施設、名前は常夜庵スタジオです、移動は霞ヶ関から内堀通り、昭和通り方面、状況によって首都高は使わず一般道が早いです」


 上原が言う。


「車を出す」


 黒麒麟は深夜の霞ヶ関を出た。


 上原が運転席。

 水瀬が助手席。

 後部に御影、戸張、東雲。

 白羽と鷹宮は後ろで装備を確認している。


 いつもの出動と違い、車内には配信の音が流れていなかった。

 水瀬が意図的に遮断している。

 音を聞くだけでも、百話目の素材にされる可能性があった。


 代わりに、端末上には無音の映像だけが表示されている。


 水瀬は説明を続けた。


「今回は直接見すぎないでください、百話目は視聴者の記憶や想像を素材にしています、怖いと思ったもの、こうなったら嫌だと思ったものを拾う可能性があります」


 戸張が言う。


「考えるな、というのは難しいな」


「はい、だから見ない方がいいです、特に戸張さんは余計な絵面を想像しそうなので」


「俺を何だと思ってる」


「演出過剰な人です」


「否定しづらいな」


 白羽が後ろから言う。


「私は見ません、絶対に見ません」


 水瀬が頷く。


「それが正解です」


 東雲は医療キットではなく、鎮静用の護符束を持っている。


「閉じ込められた人たちは、百話目の登場人物にされているんですね」


「たぶん、配信者、スタッフ、視聴者のコメントが混ざっています、怪談の中で役割を与えられている可能性があります」


 上原が前を見たまま言った。


「役割を外せば出られるか」


「可能性はあります、ただ、誰かが“死ぬ役”に固定されたら危険です」


 御影が言う。


「死ぬ役を作らせない」


 水瀬は端末を見る。


「今、考察コメントで一番多いのが“百話目の語り手が一人ずつ消えていく”です、次が“最後に見ている視聴者の部屋へ来る”です」


 戸張が眉を寄せた。


「人は本当に余計な想像をするな」


「怪談ってそういうものですから」


 黒麒麟は内堀通りを抜け、昭和通り方面へ向かった。

 夜の東京はまだ明るい。

 タクシーの列、コンビニの光、飲食店の看板。

 そのどこかで、今も誰かが問題の配信を見ている。


 水瀬の端末に新しい警告が出た。


「都内だけじゃなく、地方にも霊障反応が出始めています、配信を見た人の部屋に、百本目の蝋燭が表示される現象、スマホ画面に“あと一話”って出る現象」


 白羽が顔をしかめる。


「広がりすぎです」


 御影は言う。


「配信元を閉じても、視聴者側の語りは残る」


「はい、なので閉じ方を間違えると、逆に“消された配信”として伝説化します」


 戸張が小さく笑う。


「封じても怪談になる、か」


 御影は静かに答えた。


「だから消すだけではだめだ」


 常夜庵スタジオは、古い住宅街の中にあった。


 外観は古民家風だが、実際にはリノベーションされた撮影施設だった。

 黒い木塀。

 格子戸。

 入口横には、小さな看板がある。


 常夜庵。


 周辺には現地封鎖班が展開していた。

 表向きは機材トラブルと安全確認。

 だが、建物の中からは、照明も音も漏れていない。


 ただ、窓だけが黒かった。


 上原が黒麒麟を停める。


 水瀬はすぐに機材を展開した。


「建物内のカメラ、全部死んでます、配信だけは続いています、回線は切断済みなのに、外部では見えてます」


 白羽が札を出す。


「建物そのものが配信画面になってるんですね」


 御影が頷く。


「中へ入る、ただし百話目を完成させるな」


 戸張が言う。


「つまり、怖いと思うな、死ぬと思うな、最後を想像するな」


 水瀬が苦い顔をする。


「無茶を言えばそうです」


 上原が盾を持つ。


「なら、何も考えずに進む」


 戸張が上原を見る。


「お前、こういう時だけ強いな」


「褒めてるのか」


「かなり」


 御影は入口の前に立った。


 格子戸には鍵がかかっていない。

 だが、戸の向こうに廊下は見えなかった。

 黒い画面があるだけだった。


 水瀬が言う。


「建物の入口じゃなく、配信の入口になってます」


 御影は御影札を取り出した。


「白羽、外側を閉じろ、水瀬、拡散監視、東雲、内部の生存反応固定、上原は前、戸張は役割の縁を斬れ、鷹宮は出口を探せ」


「了解」


 御影は格子戸へ札を当てた。


「御影紋、開帳」


 青白い光が、黒い画面に走る。


 その向こうに、部屋が見えた。


 百本のLED蝋燭。

 丸い机。

 座布団。

 倒れたカメラ。

 誰もいない部屋。


 御影が一歩入る。


 続いて上原。

 戸張。

 東雲。

 白羽。

 鷹宮。


 水瀬は入口外に残り、黒麒麟と接続した。


 中は、映像で見るよりも狭かった。


 だが、壁が遠い。


 畳の部屋は八畳ほどのはずなのに、奥行きが妙に伸びている。

 蝋燭の並んだ机の向こうに、暗い廊下が続いていた。

 スタジオには存在しないはずの廊下だった。


 白羽が小声で言う。


「百話目の中に入ってます」


 東雲は床に落ちていた原稿を拾おうとして、手を止めた。


「触らない方がいいですね」


 御影が頷く。


「読めば役がつく」


 上原が廊下を見る。


「誰かいる」


 廊下の奥に、人影が立っていた。


 配信者だった。


 顔色は悪い。

 目は開いているが、こちらを見ていない。

 手には白紙の原稿を持っている。


 口が動く。


「百話目は」


 御影が言う。


「聞くな」


 全員が耳の護符を押さえる。


 配信者の声が歪む。


「百話目は、黒い服の男たちが入ってくる話」


 白羽が息を呑む。


 戸張が刀に手をかける。


「俺たちを話に入れたか」


 御影は低く言う。


「まだ固定されていない」


 配信者は白紙の原稿を見る。


「先頭の男は、盾を持っている」


 上原の盾に、黒い文字が浮かんだ。


 先頭の男。


 東雲が言う。


「役割を付けられています」


 配信者の声が続く。


「刀を持つ男は、最後に」


 戸張が一歩前に出た。


「最後に、何だ」


 御影が鋭く言う。


「乗るな」


 戸張は止まった。


 原稿に文字が増えかけ、すぐに滲んで消えた。


 戸張は小さく舌打ちした。


「危ないな」


 御影が言う。


「百話目は、こちらの反応で書かれる」


 白羽が震える声で言った。


「じゃあ、驚いたり、怒ったりしてもだめなんですか」


「だめだ」


「無理です」


「無理でもやれ」


「はい」


 人間味のない返事だったが、白羽は本気だった。


 廊下の奥で、別の人影が見えた。


 スタッフ。

 カメラマン。

 音声担当。

 全員が白紙の原稿を持っている。


 彼らは一斉に読み始めた。


「百話目は、助けに来た者が帰れなくなる話」


「百話目は、視聴者の部屋に続く話」


「百話目は、最後の一人が語り手になる話」


「百話目は」


 声が重なる。


 部屋の壁に、コメント欄が浮かんだ。


『いい展開』

『これガチ?』

『黒服きた』

『特殊部隊っぽい』

『この人たち誰?』

『次は誰が消える?』

『刀の人死にそう』

『盾の人守って死ぬやつ』

『女の人が泣く展開かな』

『百話目完成しろ』


 水瀬の声がインカムに入る。


「コメント欄が内部に侵入しています、外から抑えます、でも完全遮断すると“消された”で盛り上がります!」


 御影が言う。


「下げろ、消すな」


「了解、関連投稿を分散させます、事故、演出、配信トラブル、全部に割ります」


 東雲が配信者へ近づこうとする。


「本人の意識を戻します」


 配信者の口が動く。


「助けに来た女は、原稿を読む」


 東雲の足元に、白紙の紙が現れた。


 そこに文字が浮かぶ。


 私は読んでしまった。


 東雲は紙を見なかった。


「読みません」


 紙の文字が滲む。


 東雲は配信者を見た。


「あなたの名前を言ってください」


 配信者は答えない。


 代わりに原稿が読む。


「語り手に名前はいらない」


 御影が言う。


「名前を消されているわけではない、役が上書きしている」


 戸張が刀を抜いた。


「役の縁を斬る」


 鷹宮が短く言う。


「首じゃない、手だ」


 戸張は配信者の手元を見た。


 原稿を持つ指。

 そこから黒い糸が廊下の奥へ伸びている。

 配信者本人ではなく、原稿を持つ手が、語り手として固定されている。


 戸張の刃が走った。


 手ではなく、原稿と指の間にある黒い糸だけを斬る。


 配信者の手から原稿が落ちた。


 彼はその場に崩れ落ちる。


 東雲がすぐに支える。


「戻りました、意識はあります」


 だが、廊下の奥のスタッフたちはまだ読んでいる。


 白羽が部屋の四隅に札を打つ。


「出口を作るには、百話目を閉じるんじゃなくて、未完成のまま戻す必要があります」


 御影が聞く。


「どうする」


「九十九話で止めます、百話目を“未到達”に戻す」


 水瀬が外から叫ぶ。


「でも画面には百話到達って出てます!」


 白羽は札を握ったまま言った。


「表示を変えてください」


「何に?」


 白羽は一瞬だけ考えた。


「残り一話」


 水瀬が黙った。


 そして、ものすごい速さで端末を叩き始めた。


「それならいけるかもです、到達じゃなく未到達、完成じゃなく中断、配信トラブルじゃなく安全のため中止、語りを閉じずに残す方向へ誘導します!」


 御影が頷いた。


「やれ」


 外の配信画面に、文字が走った。


 百話到達。


 その文字が揺れる。


 百話未了。


 残り一話。


 コメント欄が荒れた。


『え?』

『未了?』

『中止?』

『ここで止めるな』

『いや止めた方がいい』

『百物語は最後までやらない方がいいんだよ』

『昔からそういうルールある』

『九十九で止めるやつね』

『それが正しい』


 水瀬が叫ぶ。


「流れ、変わってます、視聴者側の語りが“最後までやらないのが正解”に傾いてます!」


 部屋の中で、百本目のLED蝋燭が一本だけ点いた。


 白羽が息を吸う。


「百本目を残します」


 御影が言う。


「全員、百話目を語らせるな」


 上原が廊下の奥へ進む。

 スタッフたちの原稿が一斉にめくれる。


「盾の男は」


 上原は盾を構える。


「俺は盾の男じゃない」


 文字が止まる。


 上原は低く続けた。


「上原直城だ」


 その名が、部屋に落ちた。


 役ではない。

 本人の名。


 原稿の文字が一枚破れた。


 戸張が笑う。


「いいな、直城」


 別の原稿が戸張へ向く。


「刀の男は」


 戸張が刃を構える。


「戸張龍一だ、勝手に役をつけるな」


 黒い糸が見える。


 戸張が斬る。


 東雲が配信者の名前を聞き出している。


「佐伯さん、あなたは語り手ではありません、佐伯洋平さんです」


 配信者、佐伯は震えながら自分の名前を繰り返す。


「佐伯、洋平」


 白羽は四隅の札を結ぶ。


「白羽佐月、封札師です、百話目には入りません」


 鷹宮が廊下の奥を見た。


「出口、出た」


 その先に、障子が一枚現れた。


 薄く光っている。


 だが、障子の向こうから、誰かが筆を走らせる音がした。


 さらさら。


 さらさら。


 百話目を書いている者がいる。


 御影が一歩前へ出た。


 障子の向こうに、影が座っていた。


 男か女かはわからない。

 和服のようにも見えるし、ただの黒い影にも見える。

 その前に、長い紙が置かれている。


 影は筆を止めない。


 御影が言う。


「語部機構か」


 影は答えない。


 ただ、障子に文字が浮かんだ。


 語りは閉じるものではない。


 戸張が刀を構える。


「斬るか」


 御影は首を振る。


「ここで斬れば、百話目の敵になる」


 影はまた文字を書く。


 恐怖は、語られて初めて生きる。


 御影は静かに言った。


「恐怖を売るな」


 障子の向こうの影が、少しだけ笑ったように見えた。


 次の文字が浮かぶ。


 売っているのではない。

 届けている。


 御影は御影札を出した。


 だが、開帳はしない。


 ここで御影紋を開けば、百話目は「御影が封じた話」になる。

 それすらも、相手の語りに使われる。


 御影は札を伏せたまま、白羽を見た。


「白羽」


「はい」


「未完のまま閉じろ」


 白羽は頷いた。


「できます」


 彼女は最後の札を、点いたままの百本目のLED蝋燭へ貼った。


「九十九で止めます」


 札が光る。


「百は語らず」


 部屋の中の原稿が、次々と白紙へ戻っていく。


「最後の一話は、残す」


 廊下が縮む。

 スタッフたちの手から原稿が落ちる。

 コメント欄が薄れていく。


 障子の向こうの影が、筆を止めた。


 水瀬の声が響く。


「外部配信、表示変わりました、百話未了、配信中断、視聴者側の霊障反応、下がってます!」


 東雲がスタッフの意識を確認する。


「全員戻せます」


 上原が障子の前に立つ。


 影はまだ消えていない。


 障子に最後の文字が浮かんだ。


 次は、あなた方の話を語る。


 御影は答えなかった。


 白羽の札が完全に光り、障子が閉じる。


 次の瞬間、全員は常夜庵スタジオの八畳間に立っていた。


 普通の部屋だった。


 LED蝋燭が百本、机の上に並んでいる。

 九十九本が消え、一本だけが点いていた。


 配信者とスタッフは床に倒れていたが、全員呼吸がある。

 東雲がすぐに処置を始める。

 上原は入口を開け、現地封鎖班を入れた。


 水瀬が駆け込んでくる。


「外部拡散、抑えました、でも完全には消せません、“百話目を語らなかった配信”として残ります」


 御影は一本だけ残ったLED蝋燭を見た。


「それでいい」


 戸張が言う。


「終わらない怪談にしたのか」


「違う」


 御影は静かに答えた。


「終わらせないことで、来させなかった」


 白羽はその場に座り込みそうになった。


「九十九で止めるって、大事なんですね」


 水瀬が疲れた顔で頷く。


「昔の人、ちゃんと安全装置を知ってたんですね」


 東雲が配信者に鎮札を貼りながら言う。


「遊び方の中に、戻り方が入っていたのかもしれません」


 鷹宮は障子を見ていた。


 もう影はない。


 だが、紙の裏に墨が染みたような跡が残っている。


「逃げた」


 御影が頷く。


「本体ではない」


 戸張が刀を納める。


「いよいよ向こうも、こっちを話にする気だな」


 水瀬が端末を見た。


「問題の配信ページ、最後にコメントがひとつ固定されています」


 御影が視線を向ける。


 水瀬は読み上げず、画面だけを見せた。


『百話目は、まだ残っている』


 投稿者名は文字化けしている。

 だが、その中に一文字だけ見えた。


 語。


 御影はしばらく黙っていた。


「監視対象を引き上げる、語部機構を仮想敵ではなく、明確な干渉主体として扱う」


 水瀬が頷く。


「了解です」


 常夜庵スタジオの外には、夜明け前の薄い光が差し始めていた。


 配信者たちは救急搬送され、表向きには集団パニックと配信トラブルとして処理された。

 ただし、配信データは完全には削除されなかった。


 九十九話で止まった百物語。

 百話目を語らなかった配信。


 その形で残す方が、封じになる。


 黒麒麟へ戻る途中、白羽が小さく言った。


「消さない方がいいこともあるんですね」


 御影は頷く。


「消せば、空白だけが残る、空白は埋めたくなる」


 戸張が言う。


「人間は本当に面倒だな」


 水瀬が返す。


「怪談好きが特に面倒なんです」


「自分もその側だろ」


「仕事です」


「本当に?」


「半分くらいは」


 少しだけ笑いが起きた。


 東雲は救急車を見送りながら言った。


「今日は、誰も死ななくてよかったです」


 上原が短く頷く。


「ああ」


 御影は常夜庵の看板を見た。


 古民家風の作り物。

 本物ではない場所。

 それでも、語り方ひとつで怪異は来る。


 真実かどうかではない。

 語られたかどうか。

 信じられたかどうか。

 続きを望まれたかどうか。


 それが、怪異の餌になる。


 黒麒麟は夜明け前の道路を霞ヶ関へ向けて走り出した。


 水瀬は助手席で報告書を入力する。


 A級広域怪異。

 通称、百話到達。

 常夜庵スタジオ配信事案。

 百話未了化により現実顕現を阻止。

 被害者全員救出。

 残存語り、監視継続。

 語部機構による意図的干渉、確定。


 御影はその最後の行を見て、しばらく黙っていた。


 そして、一文だけ追加した。


 以後、語部機構を敵性語り操作主体として扱う。


 その頃、問題の配信ページでは、動画の再生はできなくなっていた。

 残っているのは、真っ黒なサムネイルと短い説明文だけ。


『この配信は、九十九話で終了しました』


 その下に、誰かがコメントを書いた。


『百話目、いつやるの?』


 すぐに別の誰かが返信した。


『やらない方がいい』


 その言葉に、ゆっくりと同意が増えていった。


 百本目の蝋燭は、画面の中でまだ消えていない。


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