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10ノ語 語りを売る者たち

 怪談は、売れる。


 怖い話は、人を集める。

 人が集まれば、金が動く。

 動画の再生数。

 イベントの入場料。

 書籍化。

 配信チケット。

 限定グッズ。

 聖地巡礼ツアー。


 昔は、囲炉裏端や学校の廊下で囁かれていたものが、今は画面の中で値段を持つ。


 怖ければ怖いほどいい。

 本物らしければ本物らしいほどいい。

 死なない程度に危なく、嘘だと言い切れないくらいに現実と近い。

 そういう怪談ほど、よく売れる。


 語部機構。


 その名前が初めて表に出たのは、怪談配信の企画協力欄だった。


 だが、法人登記にその名はない。

 関連会社はいくつもあった。

 映像制作会社。

 イベント企画会社。

 民俗資料の調査団体。

 地域活性化コンサル。

 都市伝説メディア。

 怪談蒐集プロジェクト。


 名前は違う。

 代表者も違う。

 所在地も違う。


 けれど、どの企画にも同じ癖があった。


 怪異の名前を強く出す。

 対処法をわざと流す。

 発祥地を匂わせる。

 視聴者や参加者に、続きを語らせる。

 そして、危険になる直前で一歩引く。


 人間が死ねば、事業として困る。

 だが、本物が少しだけ出れば、商品価値は跳ね上がる。


 水瀬は、その資料を見ながら、机に額をつけていた。


「最悪です」


 解析室のモニターには、語部機構に関連すると思われる企画が並んでいる。

 怪談ライブ。

 百物語配信。

 旧校舎ナイトツアー。

 事故物件検証。

 都市伝説体験型イベント。

 消された動画特集。


 どれも、ぎりぎり法に触れない顔をしていた。


 御影は立ったまま画面を見ている。


「数は」


「確認できるだけで37件、過去2年で急増しています、そのうち7件はアラハバキ案件と薄く接触しています、ただし直接の証拠はまだ弱いです」


 戸張が椅子に浅く座り、足を組んでいる。


「つまり、怪異で商売している連中か」


 水瀬は顔を上げた。


「商売というより、育成です、怪異を商品にするために、語りの流通量を増やしてます、しかもかなり計画的です」


 白羽が嫌そうに言った。


「怪異を育てるって、言い方がもう嫌です」


 上原は腕を組んだまま、資料の一つを見ている。


「今回の対象は」


 水瀬は画面を切り替えた。


「今夜開催される招待制イベントです、タイトルは“語り市”、場所は品川区の倉庫型イベントスペース、表向きは怪談蒐集家と配信者向けの交流会、でも裏では“本物の怪談素材”の売買が行われる可能性があります」


 東雲が眉を寄せる。


「素材?」


「発祥地の地図、古い札、現場で拾った依代、曰く付きの写真、未公開動画、怪異の対処法、呼び出し手順、そういうものです」


 白羽の声が低くなった。


「依代を売るんですか」


「可能性があります」


 白羽はしばらく黙った。


 いつもの柔らかい感じはない。


「最低ですね」


 御影が言う。


「今回は封異ではなく調査だ、現場で怪異が出るとは限らない」


 戸張が軽く笑う。


「出ない方に賭けるか?」


「出ると思って動け」


 上原が短く言った。


 その声に、戸張の笑みが薄くなる。


「だな」


 水瀬が続ける。


「現地には一般客、配信者、業者、スタッフが入ります、正面から封鎖すると証拠を消されます、なので今回は潜入します」


 白羽が目を瞬かせた。


「潜入?」


 水瀬は頷く。


「戸張さんと東雲さんは参加者として中へ、御影班長と上原さんは近くで待機、白羽さんは外側に封札を配置、鷹宮さんは高所から監視、私は黒麒麟で通信とデータ抜きます」


 戸張が少しだけ嬉しそうな顔をした。


「俺と真白さんで怪談イベントか、なかなか絵になるな」


 東雲は落ち着いている。


「遊びに行くわけではありません」


「もちろん」


 水瀬は戸張を見た。


「戸張さん、軽口は少なめでお願いします、相手は怪談業界の人間なので、変に目立つとすぐ警戒されます」


「俺が目立たないと思うか?」


「思いません」


「正直だな」


 御影が言った。


「だから東雲をつける」


 東雲が少しだけ微笑んだ。


「戸張さんが余計なことを言ったら、止めます」


「信用がないな」


 上原が言う。


「ない」


「直城まで言うか」


 少しだけ空気が緩んだ。


 だが、水瀬の表情は硬いままだった。


「それと、イベント主催の中心人物らしき男がいます」


 画面に、ひとりの男の写真が出る。


 40代半ば。

 細身。

 穏やかな顔。

 黒いジャケットに、細い銀縁の眼鏡。

 文化人にも、大学講師にも、編集者にも見える。


「八雲了玄、民俗怪談研究家、配信監修、イベントプロデューサー、複数の怪談企画に関わっています、語部機構の表の顔の一人と見ていいです」


 御影は写真を見ていた。


 八雲は画面の中で、柔らかく笑っている。


 その笑顔は、人を安心させるためのものに見えた。


 だからこそ、御影はわずかに目を細めた。


「直接接触は避ける」


 戸張が問う。


「向こうが来たら?」


「聞け、乗るな」


「怪談と同じだな」


「そうだ」


 水瀬は最後の資料を出した。


「今回の目玉商品とされているものがあります」


 画像には、古い桐箱が映っていた。

 箱の表面には、剥がれかけた札。

 そこに墨で、かすれた文字が書かれている。


 百目塚。


 白羽が息を呑む。


「百目?」


 御影が問う。


「知っているか」


「古い怪談や妖怪の系統に、“目がたくさんあるもの”は多いです、でも百目塚って名前は聞いたことがありません」


 水瀬が言う。


「出品説明では、“百人に見られて初めて開く箱”とされています、完全に怪しいです」


 鷹宮が写真を見ていた。


「箱じゃない」


 水瀬が振り向く。


「何ですか」


「中から見ている」


 その一言で、解析室の温度が少し下がった。


 御影は言った。


「予定通り潜入、ただし箱には触れるな」


 夜の品川。


 黒麒麟は、倉庫街から少し離れた路地に停まっていた。

 周辺にはオフィスビル、古い倉庫、再開発途中の空き地、夜でも明るい幹線道路がある。

 首都高速の高架が遠くに見え、車の音が低く流れていた。


 イベント会場は、外から見る限り普通の倉庫型レンタルスペースだった。


 入口には黒い看板が出ている。


 語り市

 怪談蒐集家の夜会


 その下に、小さく書かれていた。


 撮影禁止。

 録音禁止。

 配信禁止。

 語られたものは、語り手に帰属する。


 水瀬は黒麒麟の助手席で、端末を展開していた。


「通信、入ります、ただし会場内に妨害波あります、かなり巧妙です」


 御影は後部座席で状況を見ている。

 上原は運転席。

 白羽は会場外周へ貼る札を準備している。


 戸張と東雲は、すでに服装を変えていた。


 戸張は黒いジャケットに細身のパンツ。

 いかにも怪談イベントに来る洒落た業界人のように見える。

 東雲は落ち着いた色のワンピースに薄手の羽織。

 派手ではないが、会場にいても違和感がない。


 水瀬は戸張を見て言った。


「戸張さん、自然すぎて逆に腹立ちますね」


「褒めてるな」


「半分くらいです」


 東雲が小型の浄化札を袖の内側にしまう。


「目立たないようにします」


 御影が言う。


「八雲とは長く話すな、名刺をもらってもその場で読まないこと」


 戸張が少し眉を上げる。


「名刺が危ないのか」


「語り手は名を使う」


 東雲が頷く。


「受け取るだけにします」


 上原が短く言う。


「異常があればすぐ出ろ」


 戸張は笑う。


「直城、心配か」


「任務だ」


「便利な言葉だな」


 東雲が戸張を見る。


「行きましょう」


 ふたりは黒麒麟を離れ、会場へ向かった。


 入口には受付があり、黒い服のスタッフが立っていた。

 招待状のQRコードを確認し、名前を照合する。


 水瀬が用意した偽装名は、民俗系ウェブメディアの編集者とライターだった。


 受付スタッフは端末を確認し、微笑む。


「ようこそ、語り市へ」


 その言い方が、少しだけ芝居がかっていた。


 中は、思ったよりも静かだった。


 倉庫の広い空間に、いくつもの小さなブースが並んでいる。

 古い写真を売る者。

 廃村で拾ったという鈴を並べる者。

 事故物件の間取り図を額に入れて展示する者。

 地方の禁足地をまとめた地図を売る者。

 配信者らしい若者。

 怪談作家風の男。

 着物姿の女性。

 業界人らしいスーツの人物。


 誰も大声を出さない。

 薄暗い照明の下で、みな小声で話している。


 怖さを演出しているというより、秘密を売買している空気だった。


 戸張は東雲にだけ聞こえる声で言った。


「これは思ったより気分が悪いな」


 東雲も小さく返す。


「ええ」


 ふたりはブースを回るふりをしながら、会場内を観察する。


 古い写真の束。

 その中には、本物の霊障を帯びたものも混ざっていた。

 ただし弱い。

 持ち主が何度も語ったせいで、薄く形を持ちかけている程度。


 東雲は写真に触れず、視線だけで確認する。


「売っていいものではありませんね」


「そうだな」


 別のブースでは、若い男が数人に向けて話していた。


「この札、実際に旧校舎から剥がしてきたものなんですよ、花子さん系の現場で、かなり反応がありまして」


 白羽が聞いたら怒る、と戸張は思った。


 東雲も同じことを思ったらしく、表情が少しだけ冷えた。


 インカム越しに水瀬の声が入る。


「その札、たぶん偽物です、でも言い方が最悪ですね」


 戸張は小さく答える。


「偽物でも語れば寄る」


「はい、だから嫌です」


 会場の奥に、人だかりができていた。


 そこに八雲了玄がいた。


 写真よりも実物の方が柔らかい印象だった。

 声は落ち着いていて、周囲の人間に自然と耳を傾けさせる。


「怪異というものは、存在するかしないかではありません」


 八雲は言う。


「語られた時点で、もう半分は存在しているのです、誰かが怖がり、誰かが覚え、誰かが誰かに伝えた時、それは社会の中に居場所を得る」


 聞いている者たちは頷いている。


 八雲は続けた。


「我々は怪異を生み出しているのではありません、忘れられかけた語りに、もう一度席を用意しているだけです」


 東雲の目が少しだけ細くなる。


 戸張は小声で言った。


「口がうまい」


 東雲は答える。


「危険な人ですね」


 八雲の視線が、ふとこちらへ向いた。


 戸張は表情を変えなかった。

 東雲も自然にブースの展示物へ視線を落とす。


 だが、八雲はゆっくり近づいてきた。


「初めてお見かけしますね」


 戸張は柔らかく笑った。


「招待をいただきまして、勉強に」


「どちらの媒体で?」


 戸張は偽装名刺を出さず、言葉だけで答える。


「小さなウェブメディアです、怪談というより、土地の話を拾っています」


「土地の話はいいですね」


 八雲は微笑む。


「土地には、人が忘れたがっているものが残ります」


 東雲が静かに言った。


「忘れた方がいいものもあります」


 八雲は彼女を見る。


「そうでしょうか」


 東雲は穏やかな声のまま続けた。


「ええ、語れば傷口が開くこともあります」


 八雲は少しだけ楽しそうにした。


「しかし、語らなければ傷があったことすら忘れられる」


 戸張は、会話が刃物に似ていると思った。

 表面は柔らかい。

 だが、触れる場所を間違えると切れる。


 八雲はふたりを見比べた。


「今夜は、面白いものが出ますよ」


 戸張が聞く。


「百目塚の箱ですか」


「ご存じでしたか」


「少しだけ」


 八雲は微笑む。


「あれは、見る者を必要とする箱です、語られるだけでは足りない、百の目が向いた時に、ようやく中身が輪郭を得る」


 東雲が言う。


「危険では?」


「もちろん」


 八雲はごく自然に答えた。


「だから価値がある」


 その言葉に、東雲の空気がわずかに変わった。


 戸張は横目でそれに気づく。


 八雲も気づいたようだった。


「怖がることは、悪ではありません、人は恐怖によって、見てはいけないものを見る、触れてはいけないものに触れる、それが文化を作ってきた」


 東雲は静かに言った。


「人を壊してまで見る必要はありません」


 八雲は少しだけ首を傾ける。


「医療の方ですか」


 戸張の手がわずかに動く。


 東雲は微笑んだ。


「そう見えますか」


「傷を見る目をしている」


 八雲はそこで視線を外した。


「今夜の箱は、まもなく開きます、よろしければ近くで」


 そう言って、彼は人だかりの中心へ戻っていった。


 水瀬の声がインカムに入る。


「今の会話、録音できてます、ただ、八雲の声だけノイズが乗ります、嫌な加工されてます」


 戸張は小さく答えた。


「向こうも見てるな」


 御影の声が入る。


「無理に追うな、箱を確認しろ」


 会場中央に、台が用意された。


 黒い布がかけられている。

 その上に、桐箱が置かれた。


 百目塚の箱。


 近くで見ると、箱の札はかなり古い。

 だが、札の上から新しい細工がされている。

 細い銀色の糸が、箱の四隅に張られていた。


 水瀬が遠隔で映像解析する。


「銀糸に小型カメラ、いや違う、視線センサーです、会場内の何人が箱を見ているか計測してます」


 白羽の声が少し荒くなる。


「百人に見られたら開くって、本気で条件作ってるんですか」


 水瀬が答える。


「はい、しかも会場の防犯カメラと参加者のスマホカメラも含めて“目”としてカウントしてます」


 御影が言う。


「視線を外させろ」


 戸張が周囲を見る。


「自然にか?」


「自然にだ」


 戸張は小さく笑った。


「難しい注文が多いな」


 東雲は近くの女性参加者に声をかけた。


「すみません、少し気分が悪い方がいるようです」


 彼女の声は、よく通るのに騒がしくない。

 数人が振り返る。


 戸張は別方向で、わざとグラスを倒した。

 水ではなく、赤いノンアルコールカクテルが床へ広がる。


「ああ、失礼」


 近くの視線が箱から外れる。


 同時に、水瀬が会場内の一部照明を微妙に点滅させた。

 スタッフが慌てて天井を見る。


「視線数、83から61へ低下、いけます」


 だが、八雲は台の前で静かに笑っていた。


「皆様、どうぞご注目ください」


 その声が会場に広がる。


 普通のマイクではない。

 声そのものが、耳ではなく意識へ届くようだった。


 参加者たちが一斉に箱を見る。


 水瀬が叫ぶ。


「視線数、97、98、99」


 御影の声が鋭く入る。


「止めろ」


 東雲が前に出ようとした。


 その時、会場の入口が開いた。


 上原だった。


 黒い戦闘服ではない。

 現地設備業者の上着を羽織っている。

 だが、その体格と歩き方だけで、空気が変わる。


「設備点検だ、全員下がれ」


 会場内の視線が、上原へ向いた。


 水瀬が叫ぶ。


「視線数、72まで低下!」


 戸張が笑いをこらえた。


「直城、派手だな」


 上原は箱を見ず、まっすぐ台へ向かう。


 八雲は彼を見た。


「困りますね、今とても大事なところで」


 上原は答えない。


 ただ、台の前に立ち、箱と参加者の間に自分の体を置いた。


「下がれ」


 八雲は目を細める。


「あなたは、語りを遮る人だ」


 上原は短く言った。


「そうだ」


 八雲が微笑む。


「名前を伺っても?」


「必要ない」


 八雲の笑みが深くなる。


「なるほど、よく訓練されている」


 白羽は外周で札を貼り終えた。


「外側、閉じました、箱から何か出ても会場外には出ません、ただ中の人は巻き込まれます」


 水瀬が言う。


「視線数また上がってます、上原さんを避けてスマホで見ようとしてます!」


 会場の一部参加者が、興奮しながらスマートフォンを掲げていた。


「やばい、何これ」


「演出?」


「黒服来た」


「撮れ撮れ」


 東雲が声を上げた。


「撮影しないでください、体調不良者が出ています」


 しかし、止まらない。


 箱の銀糸が震える。


 視線数が100に到達した。


 桐箱の札が、内側から浮いた。


 蓋は開かなかった。


 代わりに、箱の表面に目が開いた。


 ひとつ。

 ふたつ。

 十。

 二十。

 数えきれないほどの目が、木目の隙間から現れる。


 目は、会場中を見ていた。


 見ている者を、見返す。


 水瀬の端末が警告音を鳴らす。


「視線反転、見ていた人が見られています!」


 参加者の数人が悲鳴を上げた。

 スマートフォンの画面に、自分の目だけが大きく映っている。

 別の者は、床に座り込み、顔を押さえた。


「見てる、こっち見てる」


 箱の中から、音はしない。

 ただ、目が増える。


 上原が盾を出そうとする。


 御影がインカムで言う。


「上原、盾を出すな、注目を集める」


 上原は踏みとどまった。


 戸張が刀に手をかける。


「斬るか」


 鷹宮の声が入る。


「斬るな、目が散る」


 白羽が外から叫ぶ。


「箱ごと閉じたいですけど、見てる人の視線が糸になってます、先に切らないと巻き込まれます!」


 戸張は周囲を見た。


 参加者たちの目から、細い黒い糸が箱へ伸びている。

 見てしまったことで結ばれた糸。


 戸張は刀を抜かず、断札を取り出した。


「今日は刀じゃないな」


 彼は数枚の断札を指に挟み、東雲に言う。


「真白さん、目を閉じさせてくれ」


 東雲は頷き、会場中央で声を張った。


「全員、目を閉じてください、これは演出ではありません、気分が悪い方はその場に座って、目を閉じてください」


 彼女の声には、妙な説得力があった。

 恐怖で固まっていた参加者の何人かが、言われるまま目を閉じる。


 戸張が断札を投げる。


 視線の糸が切れる。


 ひとつ。

 ふたつ。

 みっつ。


 水瀬が端末で照明を落とした。


 会場が薄暗くなる。

 見えにくくなったことで、視線の糸が減る。


「視線接続、低下、でも箱の中の目は増えてます!」


 八雲は台のそばで、箱を見ていた。


 まるで美しいものを見るように。


 御影が会場に入ってきた。


 その瞬間、八雲は振り返る。


「お待ちしていました」


 御影は答えない。


 上原が少しだけ前に出る。


 八雲は微笑んだ。


「御影班長」


 会場にいた者たちの何人かが、その言葉に反応した。


 御影は眉ひとつ動かさない。


「名を売るな」


 八雲は穏やかに言う。


「売っているのではありません、広めているのです」


「同じことだ」


「違いますよ、売買には所有がある、語りには所有者がいない」


 箱の目が御影へ向く。


 御影紋に反応している。


 水瀬が叫ぶ。


「班長、箱が御影紋を見ています!」


 御影は札を出さなかった。


 前回の名を喰う箱とは違う。

 ここで御影紋を開けば、この場にいる全員の目がそれを見る。

 御影紋そのものが商品にされる。


 八雲はそれを待っている。


 御影は札を伏せたまま言った。


「白羽」


 外の白羽が答える。


「はい」


「閉じられるか」


「視線を全部切れれば」


 御影は会場の人々を見た。


 怖がっている者。

 興奮している者。

 撮ろうとしている者。

 倒れた者。

 そして、まだ箱を見たいと思っている者。


 御影は東雲に言った。


「恐怖ではなく、安全で動かせ」


 東雲はすぐに理解した。


 彼女は会場の端へ行き、倒れている参加者のそばに膝をついた。


「この方、呼吸が浅いです、手を貸してください」


 近くの参加者がはっとする。


「え、あ、はい」


「救急対応を手伝ってください、目を閉じたままでもできます、声のする方へ来てください」


 別の参加者がスマホを下ろす。


 人が、箱を見る側から、誰かを助ける側へ動く。


 水瀬が小さく言った。


「視線数、下がってます」


 上原も動いた。


 何も説明しない。

 ただ、箱の前に立ち、視線を遮り続ける。

 撮ろうとするスマホを手で下ろす。

 無理に奪わない。

 壊さない。

 ただ、見えない位置へ下げる。


 戸張は断札で糸を切る。


 刀ではなく、紙で。

 派手ではない。

 だが、確実に。


 白羽が外側から封札を結ぶ。


「あと少しです、見られる目が減れば、箱はただの箱に戻ります」


 八雲は残念そうに笑った。


「怪異を見ないという選択ですか」


 御影は答える。


「見る必要のないものもある」


「それでは、文化は痩せますよ」


「人が壊れるよりいい」


 八雲は少しだけ黙った。


 そして、優しく言った。


「あなた方は、いつも人を守る、そのせいで、どれほどの語りが失われているか考えたことは?」


 御影は八雲を見る。


「ある」


 短い答えだった。


 八雲の目が、ほんのわずかに細くなる。


 御影は続けた。


「そのうえで閉じている」


 水瀬の声が入る。


「視線接続、残り3、2、1、切れました!」


 白羽が叫ぶ。


「閉じます!」


 会場外周の封札が一斉に光る。

 箱の表面に浮かんでいた無数の目が、瞬きするように閉じていく。


 最後に残った一つの目が、御影を見た。


 御影は見返さなかった。


 目は閉じた。


 桐箱は、ただの古い箱に戻った。


 白羽が中へ駆け込んできて、箱に何枚も封札を貼る。


「これ、没収です、絶対に没収です」


 水瀬が言う。


「法的にはどうします?」


 御影は答えた。


「文化財保護と危険物管理で押さえる、詳細は後で作る」


 戸張が小さく笑った。


「後で作るのか」


「必要なら作る」


 八雲は逃げなかった。


 台のそばに立ったまま、拍手をした。


 ぱち、ぱち、ぱち。


 その音が、会場に妙に響く。


「お見事です」


 上原が八雲の前に立つ。


「同行してもらう」


 八雲は微笑んだ。


「任意ですか」


 上原は答えない。


 御影が言う。


「いくつか聞きたいことがある」


「私もあります」


 八雲は御影を見る。


「あなたは、なぜ語りをそこまで恐れるのですか」


 御影は答えなかった。


 八雲は続ける。


「語りは人を壊すだけではない、救いも、祈りも、警告も、全部語りです、あなた方が閉じているものの中には、本来残るべきものもある」


 東雲が静かに言った。


「だからといって、売っていい理由にはなりません」


 八雲は東雲へ微笑む。


「あなたは傷を見る人ですね、よくわかる、壊れた人に寄り添う声だ」


 戸張が一歩前へ出る。


「口が滑らかすぎるな」


「褒め言葉として受け取ります」


 その時、水瀬の声が鋭く入った。


「班長、八雲の生体認証、変です、会場内カメラと現地映像が一致しません」


 御影が八雲を見る。


 八雲はまだ微笑んでいる。


「やはり、気づきますか」


 次の瞬間、八雲の輪郭が揺れた。


 そこにいたのは本人ではなかった。


 人型の紙。

 薄い和紙を重ね、声と姿だけを乗せた代人。


 上原が掴もうとした時には、八雲の姿は紙の束になって崩れていた。


 床に落ちた紙には、短い文字が書かれている。


 語りは、次へ。


 戸張が舌打ちした。


「逃げ足まで美しくないな」


 水瀬が端末を叩く。


「通信痕跡追います、でも多段中継です、だめです、切られました」


 御影は落ちた紙を見ていた。


「本人は来ていない」


 東雲が言う。


「でも、こちらを見ていました」


 御影は頷く。


「見られたな」


 会場内では、現地封鎖班が参加者を保護し始めていた。

 表向きには、違法な危険物取引と集団体調不良。

 怪異関連物品はすべて押収。

 記録媒体も回収される。


 ただし、完全には消せない。


 参加者たちは見てしまった。

 語り市という場を。

 箱の目を。

 黒い服の者たちを。

 そして、八雲了玄の声を。


 黒麒麟へ戻る時、白羽は封印した桐箱を専用ケースに入れて抱えていた。


「これ、地下7階ですか」


 御影は首を振る。


「一時隔離区画だ、まだ由来が見えていない」


 白羽は少し不満そうに頷いた。


「わかりました、でも絶対に誰にも見せないでください」


 水瀬が助手席で報告書を開く。


「今回、怪異そのものより人間が嫌でした」


 戸張が後部座席で言う。


「同感だ」


 上原は運転席で黙っている。


 東雲が静かに言った。


「怖いものを見たい気持ちは、誰にでもあります」


 水瀬が振り返る。


「真白さんもですか」


「あります、でも、見てしまった人が壊れるなら、止めます」


 戸張が小さく笑う。


「真白さんらしいな」


 御影は窓の外を見ていた。


 品川の倉庫街。

 明るい道路。

 夜でも動き続ける街。


 怪異は闇だけにいるわけではない。


 照明の下にもいる。

 企画書の中にもいる。

 契約書の中にもいる。

 値札のついた箱の中にもいる。


 人が売ろうとすれば、怪異は商品になる。

 人が見たいと願えば、怪異は姿を得る。

 人が語れば、怪異は育つ。


 それを知っていて、なお売る者たちがいる。


 水瀬が報告書を読み上げる。


 B級未確定怪異。

 通称、百目塚の箱。

 語り市会場内発症事案。

 視線条件成立による部分開封。

 被害者軽度霊障、保護。

 依代押収、隔離。

 語部機構、明確な敵性関与。

 八雲了玄、代人による接触を確認。


 御影は最後に一文を加えた。


 以後、語部機構関係企画を特異災害予備案件として監視する。


 黒麒麟は霞ヶ関へ向かう。


 その頃、どこかの部屋で、八雲了玄は本物の体で椅子に座っていた。


 机の上には、語り市の会場図。

 百目塚の箱の写真。

 御影たちの動線。

 そして、第一班の名前が書かれた資料。


 上原直城。

 戸張龍一。

 東雲真白。

 白羽佐月。

 水瀬玲央。

 鷹宮迅。

 御影直人。


 八雲は、その資料に赤い線を一本引いた。


 御影直人の名前の下。


「見ない、語らない、広めない」


 八雲は静かに呟いた。


「実に正しい、だからこそ、あなた方は物語として弱い」


 彼は別の資料を開いた。


 そこには、古い地図がある。

 赤い丸で囲まれた場所。

 御影家の古い封印記録にだけ残る、発祥地。


 八雲は微笑んだ。


「次は、閉じた場所を開けましょう」


 机の上の照明が、ほんの少しだけ揺れた。


 紙の上に書かれた文字が、黒く濡れたように滲む。


 発祥地。


 その二文字だけが、やけに濃く残っていた。


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