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2ノ語 削除できない動画

 その動画は、11秒しかなかった。


 画面は縦長。

 スマートフォンで撮った、どこにでもあるような短い映像だった。


 場所は、古い児童公園。

 錆びたブランコ。低い滑り台。砂場の端に置かれた青いバケツ。

 夕方の光が、遊具の影を長く伸ばしている。


 画面の中央には、誰もいない。


 最初の3秒は、ただの公園だった。

 4秒目に、ブランコが少し揺れる。

 5秒目に、画面の端で小さな笑い声が入る。

 6秒目、撮影者が息を呑む。


 7秒目。

 砂場の向こうに、赤いランドセルを背負った子どもが立っている。


 顔は見えない。

 うつむいているわけでも、後ろを向いているわけでもない。

 ただ、顔だけが映像の中で潰れたように黒くなっていた。


 8秒目。

 撮影者が小さく言う。


『誰?』


 9秒目。

 子どもが、こちらに向かって一歩近づく。


 10秒目。

 画面全体にノイズが走る。


 11秒目。

 黒く潰れていた顔が、スマートフォンの画面いっぱいに近づいた。


『けして』


 声が入った。


 動画はそこで終わる。


 最初に投稿したのは、小学5年生の女子児童だった。

 学校の帰り、友達と寄り道した公園で撮ったものだという。


 投稿文は短かった。


『これなに?ほんとにいた。こわい』


 それだけだった。


 けれど、その短さがよくなかった。


 見た人間が、勝手に意味を足していった。

 昔の怖いビデオみたいだ。

 見たら呪われるやつじゃないか。

 11秒目で止めると顔が見える。

 最後の「けして」は「消して」なのか、「決して」なのか。

 削除したら家に来るらしい。

 保存したら助かるらしい。

 3人に送れば呪いが移るらしい。


 誰かが面白がって、そう書いた。

 誰かが怖がって、それを広めた。

 誰かが信じて、別の誰かへ送った。


 その夜、動画は消された。


 だが、消えなかった。


 元の投稿は削除済み。

 アカウントも非公開になった。

 それでも同じ動画が、別のアカウントから、別の文面で、何度も何度も投稿された。


『削除できない動画』

『11秒目に映る子』

『最後まで見たら来る』

『見た人、絶対に消さないで』


 翌朝までに、動画は少なくとも241件確認された。


 そのうちの13件は、投稿者本人が「投稿していない」と訴えていた。


 霞ヶ関地下封域の解析室では、水瀬が机に両手をついて固まっていた。


「……最悪です」


 モニターには、同じ動画がいくつも並んでいた。

 再生時間はすべて11秒。

 内容もほぼ同じ。

 けれど、投稿者も、投稿時間も、添えられた文章も違う。


 東雲が水瀬の横に立ち、画面を覗き込んだ。


「同じ動画に見えますね」


「同じに見えるんですけど、全部微妙に違います。画質、圧縮ノイズ、音声波形、影の角度、全部ズレてます。コピーじゃなくて、増殖です。動画の形をした怪異が、投稿ごとに自分を作り直してます」


「ネット怪異?」


「N級疑いです。まだ発生から時間が短いので分類上はD級寄りですけど、拡散速度が異常です。このままだと、今日中にC級、最悪B級相当まで行きます」


 水瀬は早口で言いながら、別の画面を開いた。

 公園の地図。周辺の防犯カメラ。小学校の通学路。SNSの投稿分布。

 すべてが青白い光で解析室を照らしていた。


「それと、動画を最初に投稿した子。昨夜から発熱、幻聴、時刻認識のズレ。今朝になって、スマホのロック画面が勝手にこの動画になってます」


 東雲の表情がわずかに引き締まる。


「霊障ですね」


「はい。本人はまだ戻せます。でも、動画を保存したクラスメイトが少なくとも17人。親に見せた子もいます。教師も見てる。大人世代が“昔あった呪いのビデオみたいだ”って反応して、それを子どもがまた怖がって広めてる。懐かしさと好奇心が、怪異に餌をやってます」


 扉が開いた。


 御影が入ってくる。


「水瀬、状況を」


 水瀬は椅子を回し、御影に向き直った。


「削除不能型のN級怪異です。発生地点は東京都西部、架空名称で処理されている白坂児童公園。最初の投稿者は白坂台小学校の児童。動画は11秒。11秒目に顔のない子どもが映り、音声として“けして”が入っています。現在、削除しても再投稿、保存しても再生成、スクリーンショットからも短尺動画が復元されるケースを確認しています」


 御影は黙って画面を見た。


 11秒目。

 顔のない子どもが、こちらを向く。


「声は“消して”か」


「音声解析では、そう聞こえます。ただ、コメント欄では“決して”説も出始めてます。“決して見てはいけない”“決して消してはいけない”って。これが広まると、ルールが固定されます」


「対処法が怪異を育てる」


「はい」


 上原が装備庫側から入ってきた。

 黒い戦闘服に、ガントレットの護符プレート。岩楯に鎮め縄の紋が鈍く光っている。


「出るのか」


 御影が頷く。


「第一班で行く。水瀬、現場までの経路と拡散遮断を頼む」


「了解です。黒麒麟で出ます。霞ヶ関から桜田通り、内堀通りを抜けて、首都高都心環状線。そこから4号新宿線で西へ。現場名は白坂児童公園、実在地名は使わず架空処理。周辺道路は甲州街道と都道沿いです」


 戸張が壁に寄りかかりながら言った。


「動画相手に刀は効くのか?」


「効きません」


 水瀬は即答した。


 戸張が少し眉を上げる。


「もう少し夢のある答えが欲しかったな」


「夢で斬れるなら私も楽です。今回は回線、端末、投稿、保存領域、あと発祥地点の依代を全部見ます。戸張さんの出番は、怪異が現実側に顔を出してからです」


 白羽が札束を抱えて入ってくる。


「動画の怪異って、札は貼れるんですか」


「端末には無理ですけど、発祥地点には貼れます。あと、デジタル護符を噛ませます」


「デジタル護符、まだ信用してません」


「紙札原理主義やめてください」


「紙には紙の良さがあります」


「データにはデータの地獄があります」


 東雲がふたりの間に入るように、穏やかに言った。


「現場で続きはお願いします。玲央ちゃん、移動中に説明できますね?」


「もちろんです。助手席で全部やります」


 鷹宮が入口に立っていた。

 いつの間に来たのか、誰も気づかなかった。


「映像を見た」


 御影が振り返る。


「何が見えた」


「子どもの顔じゃない。画面の奥だ」


 水瀬が目を細める。


「奥?」


「11秒目、顔が近づく前に、砂場のバケツが動く。あれが依代だ」


 白羽が小さく言った。


「バケツ?」


「青いバケツ」


 御影はモニターをもう一度見た。


 画面の端。

 砂場の青いバケツが、たしかにほんの少しだけ揺れている。


「発祥地点は公園か。水瀬、投稿者の端末と、現場の依代を同時に封じる」


「はい」


 御影は静かに言った。


「倒すな。まだ、誰の“消して”なのか見えていない」


 黒麒麟は、霞ヶ関地下封域の車両庫を出た。


 上原が運転席でハンドルを握る。

 水瀬は助手席で端末を3枚展開し、膝の上に小型キーボードを置いた。

 後部座席には御影、戸張、東雲。さらに後ろに白羽と鷹宮、装備ラック。


 車両は桜田通りへ出て、官庁街のビルの谷間を滑るように走った。

 夕方前の霞ヶ関は、まだ人の流れが多い。

 内堀通りに入ると、皇居外苑の緑が窓の外を流れた。


「上原さん、祝田橋を過ぎたら霞が関入口です。首都高都心環状線、そこから4号新宿線に入ってください」


「了解」


 上原の運転は荒くない。

 けれど、黒麒麟の重い車体は、迷いなく車線を選んでいく。


 水瀬は後ろを振り返った。


「ブリーフィングします。今回の怪異は、古い“呪いの映像”系の語りをベースにしています。昔で言えば、見たら死ぬビデオとか、再生すると知らない女が映るとか、テレビの砂嵐に顔が出るとか、その系統です」


 戸張が言った。


「懐かしいな。昔はビデオテープだった」


「今はスマホです。しかも怖いのは、誰でも撮れて、誰でも切り抜けて、誰でも広められることです。子どもたちは“本当に自分のスマホに来るかもしれない”と思う。大人は“大昔の噂が今もあるのか”と懐かしがる。その両方で、語りが加速しています」


 東雲が静かに尋ねる。


「投稿した子は、なぜ公園に?」


「友達と帰り道に寄っただけです。白坂児童公園は、白坂台小学校の通学路から少し外れた場所にあります。昔は子どもが多かったらしいですが、今はほぼ使われていません。遊具も古く、撤去予定が出ています」


「古い場所ですね」


「はい。しかも、30年前に一度、行方不明事案があります。未解決です」


 車内の空気が変わった。


 御影が言う。


「子どもか」


「当時7歳の女児です。学校帰りに公園で遊んでいたところを最後に行方不明。現場には青いバケツが残されていた記録があります」


 白羽が札を握り直した。


「依代、確定じゃないですか」


「ほぼ確定です。ただし当時の記録は一般事件扱いで、特異災害認定はされていません。つまり、怪異としては眠っていたか、語りが足りなかった」


 御影は窓の外を見る。


 首都高4号新宿線に入ると、ビル群が流れ、やがて空が広くなった。


「それが、動画で起きた」


「はい。誰かが撮ったことで、“いるかもしれない”が“映っている”に変わりました。さらに“消して”という声が入ったせいで、削除行為そのものが怪異のルールになりつつあります」


 戸張が苦笑する。


「消せば増える。残せば広がる。面倒な女だ」


 東雲が少しだけ目を細めた。


「戸張さん」


「失言だった。すまない」


 鷹宮が短く言った。


「女児とは限らない」


 水瀬が頷く。


「そうです。映っている子どもの性別は不明。顔も潰れてます。ただ、昔の行方不明児と重ねて語られ始めると、その形に寄ります。ここから先はかなり危ないです」


 上原が前を見たまま聞いた。


「現場まで」


「あと12分です。甲州街道から都道に入ります。現地封鎖班は公園周辺を“水道管破裂の調査”名目で封鎖中。ただ、学校側が保護者説明で揉めてます。動画を見た子が多すぎる」


 御影が静かに言った。


「水瀬、到着したら拡散遮断。白羽は公園入口に封札。東雲は投稿者の児童を診る。上原は公園内を確保。戸張は顕現した場合のみ縁を斬れ。鷹宮は依代の確認」


「了解」


 水瀬は画面を切り替えた。


「それと、班長。問題がもうひとつ」


「言え」


「例の動画、今、白坂台小学校の電子黒板に勝手に再生されています」


 黒麒麟の中が静まり返った。


「授業中か」


「はい。5年2組。投稿者のクラスです」


 上原の手にわずかに力が入った。


「学校に向かうか」


 御影は一瞬だけ考えた。


「公園が発祥地なら、学校の映像は枝だ。枝を追えば本体が育つ。水瀬、学校側の再生を遮断しろ。東雲は児童の霊障状態を遠隔確認。俺たちは公園へ行く」


「了解です。学校の端末にデジタル護符、入れます」


 水瀬の指がキーを叩く。


 端末画面に、白坂台小学校の校内ネットワーク図が表示される。

 電子黒板、教師用端末、児童用タブレット、保護者連絡アプリ。

 そのすべてに、黒い染みのようなノイズが広がっていた。


「うわ、最悪。こいつ、校内端末に入り込んでます。紙札じゃ無理です。こいつ、回線の中にいます」


 白羽が後ろから言う。


「だから紙札を馬鹿にしないでください」


「今は馬鹿にしてないです。紙札だけじゃ届かないって話です」


「あとで説明してください」


「生きて帰ったらいくらでも」


 東雲が水瀬の肩越しに画面を見た。


「玲央ちゃん、投稿者の子、泣いています」


「見えてます。保健室ですね。スマホを離せてない。いや、違う。離そうとすると画面が戻ってくる」


 御影の声が落ち着いていた。


「名前を呼べるか」


「遠隔で音声つなぎます」


 水瀬は保健室の端末へ回線を通した。


 音声が入る。


『消しても、消しても、また出るの』


 泣き声だった。


『私が撮ったから? 私が悪いの?』


 東雲が、端末に向かって優しく声をかけた。


「聞こえますか。あなたは悪くありません。スマホを机に置いて、画面を見ないでください」


『でも、見ないと、来るって』


「大丈夫。来ても、こちらで止めます。あなたの名前を教えてください」


『……結菜』


「結菜さん。今から、私の声だけ聞いてください。動画の声ではなく、私の声です」


 水瀬が小さく息を吐いた。


「真白さん、保健室側の音声安定しました。電子黒板は一時遮断。けど、長く持ちません」


 東雲は穏やかな声を保ったまま言う。


「十分です」


 御影は前を見た。


「上原、急げ」


「了解」


 黒麒麟は甲州街道を抜け、住宅街へ入った。

 通りの向こうに、古い団地と小さな商店街が見える。

 そこから少し奥へ入った場所に、白坂児童公園はあった。


 公園の周囲には、現地封鎖班が立っていた。

 表向きには水道管調査中の看板が置かれている。

 だが、公園の中には誰もいない。


 錆びたブランコ。

 低い滑り台。

 砂場の端に置かれた、青いバケツ。


 動画と同じだった。


 黒麒麟が停車する。


 上原が降り、盾を展開した。

 白羽が公園入口に札を打つ。

 東雲は霊障医療キットを手に、封鎖班から保健室の通信状況を受け取る。

 鷹宮は狙撃銃を組み立てず、ケースを背負ったまま砂場を見た。


「動くな」


 鷹宮の声に、全員が止まった。


 青いバケツが、少しだけ揺れた。


 水瀬の端末が警告音を鳴らす。


「動画、再生成。発生源、ここです。砂場から出てます」


 戸張が刀に手を添えた。


「来るか」


 砂場の砂が、内側から盛り上がった。


 小さな手が出る。

 指先は泥で汚れていた。


 次に、赤いランドセルが見えた。


 子どもが、砂場の中からゆっくり起き上がる。

 顔はない。

 顔だけが、黒い画面のように潰れている。


 その黒い顔に、無数のコメントが流れていた。


『こわ』

『ガチ?』

『消したら来る』

『11秒目見た?』

『保存しろ』

『これ本物?』

『昔こういうのあったよね』

『誰か検証して』


 水瀬が歯を食いしばった。


「コメント欄を顔にしてる……」


 子どもが一歩、こちらに近づいた。


『けして』


 声は、公園のスピーカーからではない。

 水瀬の端末からも、全員のインカムからも、黒麒麟の車内スピーカーからも、同時に聞こえた。


『けして』


 上原が前に出る。


「こっちだ。後ろには行かせない」


 子どもが上原に顔を向けた。


 その瞬間、上原の盾の表面にノイズが走った。

 盾に刻まれた岩楯に鎮め縄の紋が青白く光る。


 水瀬が叫ぶ。


「直接見ないでください! 顔じゃなくて画面です。視線を取られます!」


 戸張が横へ回る。


「なら、斬るのは顔じゃないな」


 鷹宮が短く言った。


「バケツだ。だが割るな」


 白羽が砂場の周囲に札を打ちながら言う。


「割ったら依代が散ります。封じるなら、内側から閉じます」


 御影は砂場を見ていた。


 青いバケツ。

 赤いランドセル。

 顔のない子ども。

 そして、最後の声。


「けして」


 それは本当に、「消して」なのか。


 御影は一歩近づいた。


 東雲が通信越しに結菜へ声をかけ続けている。


「結菜さん、聞いてください。あなたは悪くありません。動画は見なくて大丈夫です。いま、公園にいます。あなたが撮った場所に、私たちがいます」


 保健室の向こうから、震える声が返る。


『そこに、いるんですか』


「はい」


『あの子、なんて言ってるんですか』


 東雲は答えず、御影を見た。


 御影は静かに言った。


「水瀬。音声からノイズを抜けるか」


「やります。10秒ください。いや、8秒で」


 水瀬は端末を操作した。

 映像の音声波形が分解される。

 子どもの声。風の音。撮影者の息。圧縮ノイズ。コメント読み上げ。再生成時のデータ欠損。


「班長、これ……」


「どうした」


「“けして”じゃないです」


 子どもが、また一歩近づいた。


 上原が盾で受ける。

 黒いノイズが盾にぶつかり、岩楯紋が強く光った。


「水瀬、早くしろ」


「はい!」


 水瀬は声を張った。


「音声、復元します!」


 端末から、元の声が流れた。


『け、し、て』


 音が戻る。


『け……して……』


 さらにノイズが剥がれる。


『け……して……』


 最後に、小さな泣き声が混じった。


『けが、してる』


 東雲が息を呑んだ。


 御影の表情が変わった。


「消してではない。怪我をしている、か」


 子どもの黒い顔に流れていたコメントが、一瞬止まった。


 御影は言う。


「この怪異は、見つけてほしかった」


 白羽が砂場の札を押さえながら言った。


「でも、語りが変えたんですね。“消して”に」


「そうだ。怖がった者たちが、助けを求める声を呪いに変えた」


 戸張が低く言う。


「美しくないな」


 御影は御影札を取り出した。


「水瀬、拡散している文言を修正できるか」


「全部は無理です。でも、検索誘導とミラー遮断はできます。“消して”系の投稿を下げて、“音声解析ミス”として流します」


「やれ」


「はい!」


 御影は青いバケツの前に立った。


 子どもは動かない。

 黒い顔の奥で、画面のような闇が揺れている。


「白羽、封域を固定」


「はい。砂場の四隅、取ります」


「上原、前面を抑えろ」


「了解」


「戸張、縁を斬る準備。結菜とこの怪異の視線の縁だ」


「任せろ」


「東雲、結菜に名前を呼ばせるな。代わりに、こちらから呼ぶ」


「はい」


「鷹宮、依代の核を見ろ」


 鷹宮は目を細めた。


「バケツの底。中に名札がある」


 御影は静かに札を構えた。


 その時、砂場の子どもが初めて、はっきりと声を出した。


『せんせい』


 御影は答えない。


 返事をすれば、役割が固定される。

 教師になる。

 出席を取る者になる。

 怪異の教室へ招かれる。


 水瀬が小声で言った。


「返事しないでください」


 御影は頷いた。


 代わりに、御影札をバケツへ向ける。


「御影紋、開帳」


 札の表面に、八咫鏡に三つ藤の紋が浮かび上がった。


 青白い光が砂場を照らす。

 白羽の封札が四方で反応し、上原の盾が前面を押さえ、戸張の刀が空気に走った見えない糸を断つ。


 水瀬の端末では、拡散中の動画が次々と停止していく。

 完全な削除ではない。

 だが、タイトルが変わる。

 コメントの勢いが落ちる。

 「呪い」ではなく「音声の聞き間違い」として、語りが逸らされていく。


 東雲は通信越しに言った。


「結菜さん、聞こえますか。あなたが聞いた声は、“消して”ではありません。“怪我してる”です。怖がらなくて大丈夫です」


『けが、してる……?』


「はい。あなたは、誰かの声を聞いたんです」


 青いバケツが倒れた。


 中から、黒く変色した古い名札が出てきた。

 そこには、かすれた文字で名前が書かれていた。


 御影はその名を見た。


「……三沢千穂」


 砂場の子どもが、静かに顔を上げる。


 黒く潰れていた顔に、ほんの一瞬だけ輪郭が戻った。

 泣きそうな子どもの顔だった。


 東雲が小さく言った。


「まだ、戻れます」


 御影は頷く。


「白羽、閉じろ」


「はい」


 白羽が最後の札を砂場の中央に打った。


「封印は、力ではなく順序です。入口、声、視線、依代、最後に名前。順番を間違えなければ、ちゃんと閉じられます」


 札が青白く燃えた。


 子どもの姿が薄れていく。

 コメントの文字がほどけ、黒い画面がただの影に戻っていく。


 消える直前、子どもはもう一度だけ言った。


『みつけて』


 今度は、全員に聞こえた。


 御影は静かに答えた。


「見つける」


 返事ではなく、約束だった。


 砂場から風が抜けた。


 水瀬の端末に表示されていた再投稿数が、急速に減っていく。

 動画は完全には消えない。

 どこかの端末に、誰かの記憶に、断片は残る。

 だが、怪異としての増殖は止まっていた。


 上原が盾を下ろす。


「終わったか」


 水瀬は深く息を吐いた。


「増殖停止。残存動画は監視対象に移行。検索誘導もかけました。今後“削除できない動画”としての拡散は抑えられます。ただし、完全消去は無理です」


 御影は頷いた。


「それでいい。消すことが正解ではなかった」


 戸張が刀を納める。


「見つけてほしい声を、消せと聞き間違えたわけか」


 東雲が言った。


「怖いと思うと、そう聞こえてしまうことがあります」


 白羽が砂場を見下ろした。


「でも、怪談ってそういうものですよね。誰かの声が、違う話になって広がっていく」


 水瀬は端末を抱えたまま、苦い顔で言った。


「そして現代は、その速度が速すぎるんです。昔なら町内で終わった噂が、今は数時間で全国です」


 鷹宮が短く言った。


「まだ下だ」


 全員が鷹宮を見る。


「砂場の下に何かある」


 御影は現地封鎖班に視線を向けた。


「掘削班を入れろ。警察には、過去の行方不明事案に関する再調査として処理させる」


 現地封鎖班が頷き、無線を飛ばす。


 水瀬の端末に、保健室からの通信が戻った。


『あの……もう、見なくていいですか』


 結菜の声だった。


 東雲が微笑む。


「はい。もう見なくて大丈夫です」


『私、悪くないですか』


「悪くありません。けれど、怖いものを見つけたら、ひとりで広めずに、大人に言ってください」


 少し間があった。


『はい』


 通信が切れる。


 水瀬は椅子もないのに、その場に座り込みそうになった。


「……疲れました。ネット怪異、ほんと嫌いです。物理で来てくれる方がまだ優しい」


 上原が言った。


「それはそれで痛い」


「上原さんは耐えるからいいじゃないですか」


「よくない」


 戸張が笑う。


「玲央ちゃん、今回は君が斬ったようなものだな」


「ちゃん付けやめてください。あと斬ってません。遮断して、誘導して、解析して、泣きそうになりながらデータと戦っただけです」


 東雲が水瀬の肩にそっと手を置いた。


「玲央ちゃん、あとで寝てくださいね」


「真白さん、それ毎回言ってません?」


「毎回寝ていないからです」


 御影は砂場に残された古い名札を見ていた。


 怪異は完全には消えない。

 人が語れば、また形を変える。

 だが、語りを少し変えることはできる。

 呪いとして広がるはずだった声を、助けを求める声へ戻すことはできる。


 夕方の公園に、子どもの笑い声はもうしなかった。


 代わりに、遠くの学校から下校を知らせるチャイムが聞こえた。


 御影は静かに言った。


「封異完了。残存する語りは監視へ移行する」


 水瀬が端末に報告を入力する。


「了解。語りを閉じます、とは言わないんですか」


 御影は少しだけ目を細めた。


「今日は閉じない。正しい形に戻す」


 水瀬は画面を見た。


 削除できない動画。

 その検索結果の一番上に、新しい見出しが表示されていた。


『11秒動画の音声、実際は“怪我してる”? 過去の未解決事案と関連か』


 水瀬は小さく呟いた。


「怖い話じゃなくて、見つける話に変える……か」


 黒麒麟へ戻る途中、上原が運転席のドアを開けた。

 水瀬は助手席に乗り込む前に、もう一度だけ公園を振り返る。


 青いバケツは、封札に包まれて回収箱へ入れられていた。


 画面の中にいた子どもは、もういない。


 けれど、消えたわけではない。


 これから掘り起こされる。

 名前を呼ばれる。

 事件として、記録として、誰かの記憶として、ようやく正しい場所へ戻される。


 水瀬は助手席に座り、端末を閉じた。


「上原さん、帰りは中央自動車道じゃなくて、甲州街道から首都高で戻りましょう。私、ちょっと酔いました」


「お前、ずっと画面を見てるからだ」


「画面を見ないデジタル担当って何ですか」


「知らん」


 後部座席で戸張が笑い、白羽が札の束を整え、東雲が水瀬に栄養ゼリーを差し出した。

 鷹宮は窓の外を見ている。

 御影は黙って、報告書の最初の一行を入力した。


 N級怪異疑い。

 通称、削除できない動画。

 発祥地、白坂児童公園。

 被害拡大、封止。

 残存語り、監視継続。


 黒麒麟は夕暮れの住宅街を抜け、甲州街道へ向かった。


 その夜、SNSから完全に動画が消えることはなかった。


 だが、誰かが書き込んだ。


『これ、呪いじゃなくて、助けてって言ってたんじゃない?』


 その投稿には、ゆっくりと「いいね」が増えていった。

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