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18/19

18ノ語 この町には出口がない

 町から出られないことに、最初に気づいたのは路線バスの運転手だった。


 午前5時42分。


 埼玉県北西部にある久慈代市。


 人口は約7万人。

 駅前には小さな商業施設があり、少し離れると古い団地と住宅街が広がっている。

 市の西側を国道が走り、東には川、北には低い山がある。


 都会ではない。

 かといって、過疎地でもない。


 どこにでもありそうな地方都市だった。


 始発の市内循環バスは、久慈代駅前を出発し、住宅街と市役所前を経由して隣の美川市へ向かう。


 いつもの道だった。


 運転手は国道へ出た。

 川を渡り、市境の案内標識を通過する。


 次の停留所は、美川南口。


 そのはずだった。


 バスは、久慈代駅前へ戻ってきた。


 運転手は一瞬、自分が道を間違えたのだと思った。


 だが、乗客も同じ違和感を覚えている。


「今、川を渡りましたよね」


「美川へ行くんじゃないの?」


 運転手は謝罪し、もう一度国道へ入った。


 今度はカーナビを確認する。

 道路は正しい。

 目的地まで残り7キロ。


 川を渡る。


 市境を越える。


 ナビには、美川市へ入りましたと表示された。


 その数秒後。


 正面に、久慈代駅が見えた。


 同じロータリー。

 同じコンビニ。

 同じ時計台。


 時計は午前5時42分を示していた。


 バスの車内時計だけは午前6時11分になっている。


 乗客の一人が、笑いながら言った。


「ずいぶん変な夢だな」


 誰も笑い返さなかった。


 午前6時を過ぎると、同じ報告が市内各所から入り始めた。


 車で隣市へ向かった人間が、反対側の市境から戻ってくる。

 自転車で堤防沿いを進んだ高校生が、学校ではなく自宅近くの公園へ着く。

 駅から上り電車へ乗った会社員が、二駅先へ着くはずの時刻に久慈代駅の反対ホームへ降ろされる。


 鉄道会社は設備故障を疑った。


 しかし、電車は運行している。


 線路も続いている。


 車窓には、隣町の建物が見えている。


 それでも扉が開くと、そこは久慈代駅だった。


 外部から町へ入ることはできた。


 物流トラックも、通勤車両も、県警のパトカーも、問題なく久慈代市内へ入った。


 だが、一度入ると出られない。


 市境を越えた者は、必ず別の入口から町へ戻ってくる。


 午前7時13分。


 市役所は緊急会議を開いた。


 道路障害。

 鉄道設備異常。

 大規模な位置情報障害。

 集団錯覚。


 あらゆる可能性が検討された。


 だが、最も不可解なのは、町の外から見た久慈代市には何の異常もないことだった。


 美川市側から国道を見ると、車は普通に久慈代市を出てくる。


 監視カメラにも、市境を越えていく車両が映っている。


 外部の警察官は、久慈代市から来たという運転手へ事情を聞いた。


 しかし、その運転手本人は、まだ市内で車を運転していた。


 同じ車。

 同じナンバー。

 同じ顔。


 町を出たことになっている人間と、町に残っている人間が同時に存在する。


 外部側の人間は、自分が閉じ込められていたという記憶を持っていない。


 市内に残った本人は、自分が町から出られなかった記憶を持っている。


 どちらが本物か。


 確認しようとすると、外へ出た側の人間は数分以内に姿を消した。


 警察官が目を離した隙にいなくなる。

 監視映像からも、その人間が現れた部分だけが抜け落ちる。


 残るのは、事情聴取票に書かれた署名だけだった。


 午前8時。


 久慈代市は、表向きには大規模交通障害として主要道路を封鎖した。


 住民には不要不急の外出を控えるよう通知が出される。


 それでも、出ようとする者は後を絶たなかった。


 仕事。

 学校。

 通院。

 家族。


 誰もが、自分だけは普通に出られるかもしれないと思った。


 結果は同じだった。


 南へ進んだ車が北から戻る。

 東へ歩いた人間が西の商店街へ出る。

 駅の改札を通った者が、再び同じ改札の内側へ立っている。


 午前9時26分。


 久慈代市立第二中学校の教員が、市の教育委員会へ妙な報告をした。


 校庭の端に、使われていない旧校舎が建っている。


 木造2階建て。

 茶色い壁。

 古い窓。


 その学校に旧校舎はない。


 40年前に取り壊され、その場所には体育館が建てられている。


 だが、校庭から見ると体育館の奥に木造校舎がある。


 校内に残っていた高齢の用務員は、それを見て泣いた。


「昔の校舎だ」


 建物の中から、子どもたちの歌声が聞こえる。


 昭和の頃に使われていた校歌。


 午前10時過ぎ。


 市内南部の新興住宅地に、古い団地が現れた。


 久慈代中央団地。


 30年前に解体された、5階建ての集合住宅だった。


 現在は戸建て住宅と小さな公園になっている。


 その公園の向こうに、団地が立っている。


 窓には洗濯物。

 ベランダには植木鉢。

 子どもが廊下を走っている。


 団地で生まれ育った住民は、そこに昔の家族を見た。


 まだ若い父親。

 夕食を作る母親。

 幼い兄弟。


 亡くなった人間もいた。


 認知症の母を介護していた女性は、20年前に亡くなった父親を見つけた。


 団地の3階。

 父親は若い頃の姿で、ベランダから手を振っていた。


「早く帰ってこい」


 女性は警察の制止を振り切り、団地へ入った。


 戻ってこなかった。


 午後12時までに、町の中には7つの消失建造物が復元されていた。


 旧校舎。

 解体済みの団地。

 廃業した映画館。

 川沿いにあった旅館。

 移転前の市役所庁舎。

 火災で焼けた商店。

 そして、市の北端にあった小さな墓地。


 どれも、地図から消された場所だった。


 久慈代市の緊急対策本部から秘匿回線へ連絡が入ったのは、午後12時17分。


 現地封鎖班の派遣要請。


 要請理由は、道路や建物の異常ではなかった。


 市役所の地下資料室から、存在しない都市計画図が見つかった。


 図面の日付は、現在から3日後。


 地図上の久慈代市は、外周を黒い線で囲まれている。


 市の外へ続く道路は一本もない。


 中央には、赤い文字で書かれていた。


 保存区域。


 霞ヶ関地下封域の会議室では、壁一面に久慈代市の地図が映し出されていた。


 水瀬が複数の映像と位置情報を重ねている。


「現地の座標自体は動いていません、GPSも正常です、でも移動した人間の位置だけが市内へ折り返されます」


 戸張が地図を見る。


「町が輪になっているのか」


「道が曲がっているわけではありません、外へ出た瞬間に、出発地点とは別の市内座標へ接続されてます」


 上原が問う。


「外から入れる理由は」


「内向きだけ開いているからです、入口はある、出口がない」


 白羽が古い市史を読んでいる。


「久慈代市は合併前、複数の村と町に分かれていました、その中に、地図から消えた地区があります」


 御影が見る。


「名前は」


「鳥守地区、昭和30年代の台風災害で大きな被害を受けた集落です、公式記録では住民全員が避難、その後、地区は河川改修と宅地造成で消滅」


 東雲が資料をめくる。


「死亡者の記録は」


「5名」


 白羽は別の紙を机へ置いた。


「でも寺の過去帳では、同じ年に37人亡くなっています」


 会議室が静かになる。


 水瀬がすぐに調べ直す。


「避難者名簿と転出記録が合いません、地区人口186人のうち、災害後に所在が確認できるのは143人、差が43人」


 戸張が低く言う。


「消したか」


 御影は答えない。


 鷹宮が地図を見ていた。


 久慈代市の輪郭。

 その内側に、現在の道路とは別の細い線が見えている。


「町が二つある」


 水瀬が振り返る。


「過去の町と現在の町ですか」


「違う」


 鷹宮は中央部を指した。


「消した町が、外側にいる」


 現在の久慈代市が内側。

 地図から消された建物、地区、死者の記憶が、その周囲を囲んでいる。


 御影が言った。


「消された町が、現在の町を保存区域にした」


 白羽が困ったように聞く。


「保存って、守るってことですか」


「外へ出さず、そのまま残すという意味だろう」


 水瀬が都市計画図を拡大する。


「この黒い線、普通の境界じゃありません、市の再開発計画で使われていた“記録保存範囲”の記号と一致します」


 東雲が眉を寄せる。


「建物を壊す前に、図面だけ残す時のものですか」


「はい、現物は消して、記録として保存する」


 戸張が地図を見た。


「今度は町全体が記録にされるのか」


 御影は赤い文字を見る。


 保存区域。


「このまま進めば、久慈代市は外から見えるだけの町になる」


 水瀬が言う。


「住民は?」


「記録の中に残る」


 東雲が静かに聞く。


「生きたまま?」


 御影は少し間を置いた。


「おそらく」


 白羽が顔を強張らせる。


「それ、閉じ込められるより悪いです」


 水瀬が画面を切り替えた。


「さらに問題があります、住民の中に、異常を終わらせたくない人が出始めています」


 団地で父親を見つけた女性。

 廃業した映画館で亡き夫と再会した老人。

 旧校舎で若い頃の教師に会った元生徒。


 戻ってきた建物には、失った人々がいる。


 触れられる。

 会話ができる。

 食事もする。

 昔の続きを生きている。


 現地警察が立ち入りを止めようとすると、住民が抵抗した。


「もう一度会えたのに、壊す気か」


「この町の方が本物だ」


「外へ出る必要なんてない」


 市役所前には、異常の解除を求める住民と、現状維持を求める住民が集まり始めている。


 上原が映像を見る。


「衝突するな」


「すでに小競り合いが起きています、警察だけでは抑えきれなくなる可能性があります」


 御影は地図を見た。


「現地封鎖班は外周へ、第一班は市内へ入る」


 水瀬が言う。


「入ったら出られないかもしれません」


「わかっている」


「外部通信も、いつまで使えるかわかりません」


「必要な記録を落としておけ」


 水瀬は少しだけ黙った。


 いつものように端末へ向き直る。


「了解です」


 白羽が大量の封札を用意する。


「市全体は囲めません」


「囲うな」


 御影は答えた。


「今回、閉じられているのは我々の側だ」


 戸張が刀袋を肩へかける。


「斬る相手は見つかるのか」


 鷹宮が言う。


「見つからないかもしれない」


 戸張は少し笑った。


「最初から不吉だな」


 東雲が医療装備を確認している。


「戻ってきた人たちは、人間なんでしょうか」


 御影はすぐには答えなかった。


「現地で判断する」


 上原が立ち上がる。


「行くぞ」


 黒麒麟は霞ヶ関を出た。


 首都高から関越道へ入り、花園方面へ向かう。

 空は薄く曇っていた。


 久慈代市へ近づくにつれ、道路の電光掲示板に交通規制の表示が増える。


 久慈代市内 大規模交通障害

 周辺道路 進入注意

 市内通過不可


 外から入ることはできる。


 だから、規制しても進入車両を完全には止められない。


 報道車両。

 住民を迎えに行こうとする家族。

 物資を運ぶトラック。


 町へ向かう車列ができていた。


 上原は一般車両を避け、現地封鎖班が確保した側道へ黒麒麟を入れる。


 水瀬は助手席で外部サーバーとの同期を続けている。


「事案データ、地下封域へ複製完了、現地地図、過去地図、都市計画図、住民名簿、消失建造物一覧、端末内に保存しました」


 戸張が後ろから言う。


「遺書みたいだな」


「やめてください」


「悪かった」


 戸張はすぐに謝った。


 水瀬は少しだけ振り返り、また前を見る。


 東雲が静かに言った。


「帰る前提で入ります」


 上原が答える。


「当然だ」


 白羽は自分の札箱を抱え直した。


「市全体が相手って、札が何枚あっても足りないです」


 水瀬が言う。


「建物ごと封じようとしないでくださいね」


「わかってます」


「白羽さん、真面目だから全部やろうとしそうで」


「玲央さんも全部調べようとするでしょう」


「私は機械がやってくれます」


「機械が止まったら?」


 水瀬は一瞬黙った。


「頑張ります」


 戸張が笑う。


「いい勝負だな」


 鷹宮は窓の外を見ていた。


 道路脇に、古い商店が見える。


 木製の看板。

 赤い郵便受け。

 店先に並ぶ瓶入りの飲料。


 次の瞬間には、現代のコンビニへ戻っている。


「境界が近い」


 鷹宮が言った。


 黒麒麟は久慈代市の南側入口へ到着した。


 現地封鎖班が道路を閉鎖している。

 市の外側には、異常は見えない。


 国道はそのまま市内へ続いている。

 遠くに住宅街と駅前の建物が見える。


 現地隊員が御影へ報告する。


「現時点で、外部から入った車両38台が市内から戻れなくなっています、我々の先行班も2組が内部に残っています」


「通信は」


「市内中心部までは通じます、ただし北部と旧市街では途切れます」


 水瀬が問う。


「外へ戻ろうとした先行班は」


「南へ戻ったはずが、市役所前へ出ました」


 上原が市内を見る。


「黒麒麟で入る」


 現地隊員は少し躊躇した。


「御影班長、現在、市役所前で住民同士の衝突が起きています、それと、復元建造物へ入った人間が60名以上戻っていません」


 御影が頷く。


「外周を維持しろ、誰も新たに入れるな」


「ですが、ご家族が中にいる方々が」


「入れれば増える」


 隊員は口を閉じた。


「了解しました」


 黒麒麟が封鎖線を越える。


 水瀬は端末の時計を見た。


「午後3時08分、市内進入」


 道路に異常はない。


 国道沿いの店舗。

 ガソリンスタンド。

 ファミリーレストラン。

 家電量販店。


 外から見たのと同じ、普通の町だった。


 ただ、人が少ない。


 歩道に立つ住民たちは、黒麒麟を見ている。

 助けを求めるでもなく、警戒するでもない。


 黒い政府車両が来たことを、静かに観察している。


 水瀬が小声で言った。


「見られてますね」


 上原は速度を落とさない。


 交差点を右折し、市役所方面へ向かう。


 その途中。


 道路の左側に、古いガソリンスタンドが現れた。


 錆びた看板。

 手動式の給油機。

 作業服を着た若い男性。


 上原が一瞬だけ見る。


「さっきの資料にあったか」


 水瀬が端末を確認する。


「昭和58年に閉店した久慈代石油です、現在はドラッグストアのはずです」


 古いガソリンスタンドの隣には、現代のドラッグストアもある。


 二つの建物が、同じ土地に重なるように存在している。


 戸張が窓の外を見る。


「向こうの男、俺たちが見えてるな」


 作業服の男性は、黒麒麟へ向けて頭を下げた。


 その顔を見た東雲が息を呑む。


「現地封鎖班の資料にいました、行方不明者です」


 現在27歳の男性。

 父親が経営していたガソリンスタンドへ入ったまま戻っていない。


 だが、窓の外にいる姿は10歳ほど若い。


 御影が言う。


「止まるな」


 黒麒麟は通り過ぎた。


 バックミラーの中で、若い男性はいつまでも頭を下げていた。


 市役所へ近づくと、人が増えた。


 警察車両。

 消防。

 市職員。

 住民。


 庁舎前の広場を挟み、二つの集団が向かい合っている。


「町を戻せ!」


「家族を返せ!」


 異常の解除を求める側。


「壊すな!」


「ここに残る人間の権利もある!」


 現状を守ろうとする側。


 警察官が間に入り、衝突を防いでいる。


 上原は黒麒麟を広場の端へ停めた。


「俺が行く」


 御影が頷く。


「東雲と戸張を連れていけ、住民を分けろ、誰も復元建造物へ戻すな」


 戸張が言う。


「説得は真白さんに任せたいところだな」


 東雲は車を降りる。


「戸張さんも、余計なことを言わなければ役に立ちます」


「努力する」


 上原、戸張、東雲が広場へ向かう。


 御影、水瀬、白羽、鷹宮は市役所へ入った。


 庁舎内は混乱していた。


 電話が鳴り続けている。

 職員が紙の地図を広げ、住民の位置を確認している。

 ネットワークは動いているが、地図データの一部が古い町並みへ書き換わっていた。


 対策本部で、市長と危機管理担当者が待っている。


 市長は60代の男性だった。


「内閣府の方ですね、これは一体何なんですか」


 御影は名乗らない。


「先に、都市計画図を見せてください」


「説明が先では」


「時間がありません」


 御影の声に、市長はそれ以上言わなかった。


 地下資料室から見つかった図面が机へ置かれる。


 黒い線で囲まれた久慈代市。


 保存区域。


 白羽が紙を見た。


「新しい紙です」


 水瀬が日付と印刷情報を確認する。


「作成日時は今朝4時44分、作成端末は市役所内、でも使用者記録なし」


 御影が図面の隅を見る。


 小さな印。


 開いた本のような形。

 中央に一本の赤線。


 語部機構の資料で見た意匠と似ている。


 八雲了玄本人は隔離施設にいる。


 それでも、この計画は彼の逮捕前から仕込まれていた可能性がある。


 水瀬も気づいた。


「語部機構の印に近いです」


 市長が聞く。


「何の話ですか」


 御影は答えない。


 別の資料を広げる。


「鳥守地区について知っていることを」


 市長の顔がわずかに固まった。


「昔の集落です、災害後に廃止されたと」


「死亡者5名という記録は正しいですか」


「私は当時生まれていません」


「市の記録について聞いています」


 市長は危機管理担当者を見る。


 担当者も目を逸らした。


 白羽が静かに言う。


「隠したものが戻っています、今ここで隠すと、もっと増えます」


 市長はしばらく黙っていた。


 やがて、小さな声で言った。


「公式記録は5名です」


 御影は何も言わない。


「ただ、当時の町長が被害を少なく見せたという話は残っています、災害指定と土地買収を早く進めるために」


 水瀬が記録を探る。


「死亡届が出ていない人は」


「集落を離れたことにされた」


「遺体は」


「旧河道周辺に埋められたという噂があります」


 白羽が唇を噛む。


 御影は図面を見た。


「現在、旧河道は」


「再開発地区です、市立病院と商業施設があります」


 鷹宮が窓の外を見る。


 市の北側。


「そこが外側の中心だ」


 水瀬が端末で地図を開く。


「市立病院周辺、現在通信が切れてます、それと、古地図にない道路が増えています」


 鷹宮が首を振る。


「道路ではない」


「何ですか」


「町の縁だ」


 その時、庁舎内の照明が一度消えた。


 非常灯がつく。


 水瀬の端末に大量の通知が入った。


「待ってください、市内の外周が縮んでます」


 御影が地図を見る。


 黒い線が少し内側へ移動している。


 南部の工業地帯が、保存区域の外へ押し出されているように見える。


 だが、外になったわけではない。


 地図から消えている。


 現地の工場へ電話をかけても繋がらない。

 監視カメラもない。

 住所検索にも出ない。


 市長が青ざめる。


「あそこには300人以上が」


 水瀬が急いで別系統を探す。


「住民基本台帳からも、工業地帯の住所が消え始めてます」


 白羽が言う。


「町を保存するんじゃない、削りながら残す部分を選んでる」


 御影が黒い線を見る。


「記録に不要と判断した場所から消している」


 外で怒号が上がった。


 広場の一角に、古い映画館が現れた。


 久慈代銀映。


 30年以上前に閉館した建物。


 赤いネオンが点灯し、入口に上映中の札が出ている。


 集まっていた住民の中から、何人かが映画館へ向かって走り出した。


 警察官が止める。


「中に妻がいる!」


「父さんが待ってるんだ!」


 上原が一人の男性を抱えるように止めた。


「入るな」


「離せ! お前に何がわかる!」


 男性が暴れる。


 上原は投げ飛ばさない。

 腕も捻らない。


 ただ、進ませない。


「入った人間は戻っていない」


「戻りたくないんだよ!」


 男性の言葉に、上原の手が一瞬止まりかけた。


 東雲が間へ入る。


「中に誰がいますか」


「妻だ、12年前に死んだ」


「会話をしましたか」


「した、俺の名前を呼んだ、昔と同じだった」


「あなたが今朝食べたものを知っていましたか」


 男性は黙る。


「亡くなった後のあなたを、その方は知っていますか」


「そんなの関係ない!」


「あります」


 東雲は穏やかに言った。


「あなたが会いたい人と、あなたを昔のままに戻そうとするものは、同じとは限りません」


 男性は泣きながら力を抜いた。


 その横を、別の女性が映画館へ駆け込もうとする。


 戸張が前へ出た。


「こちらも頼む」


 上原が言う。


「自分で止めろ」


「真白さんほど言葉がない」


「身体を使え」


「雑だな」


 戸張は刀へ触れず、女性の前に立った。


「すみません、通せません」


「どいて」


「どきません」


 女性が戸張の胸を叩く。


 戸張は黙って受けた。


 映画館の入口では、亡くなった者たちが並んでいる。


 家族へ手を振る。

 笑っている。


 だが、その誰も広場へ出てこない。


 建物の外へは出られない。


 東雲がそれに気づいた。


「戻ってきた人たちも、閉じ込められている」


 映画館の奥で、上映開始を知らせるベルが鳴った。


 入口の扉が閉まり始める。


 中にいる者たちが、家族へ手を伸ばす。


 広場の住民が一斉に動いた。


 上原が盾を地面へ立てる。


「下がれ!」


 岩楯に鎮め縄の紋が広がり、人の流れを止める。


 戸張が入口へ走り、閉じる扉の隙間へ刀の鞘を差し込んだ。


 斬らない。


 中にも入らない。


 扉だけを止める。


 映画館の内部から、無数の手が伸びた。


 東雲は近くにいた住民を後ろへ下げる。


「顔を見すぎないでください!」


 手は家族のものに見える。


 だが、指先が古いフィルムのように薄く透けている。


 戸張の鞘に黒い帯が絡みつく。


「長くは持たないぞ」


 上原が盾で住民を守りながら言う。


「閉めろ」


「中の人間ごとか」


 戸張は初めて迷った。


 映画館の客席には、現代の住民もいる。


 復元建造物へ入って戻らなかった者たちだ。


 意識はある。


 こちらを見ている。


 しかし、席から立とうとしない。


 隣には、亡くなった家族が座っている。


「出たくない人間を、どうする」


 戸張の声が低くなる。


 上原は答えられなかった。


 市役所内で、水瀬の端末が激しい警告音を鳴らした。


「通信が落ちます!」


 外部回線が一つずつ切れていく。


 地下封域との映像。

 現地封鎖班。

 警察本部。

 衛星通信。


 御影が言う。


「記録を送れ」


「送信中、でも速度が落ちてます」


 進捗表示。


 63パーセント。

 71。

 78。


 通信画面の向こうに、霞ヶ関の解析担当者がいる。


『第一班、応答を――』


 音声が歪む。


 83パーセント。


 水瀬が端末を机へ置き、通信機を直接調整する。


「まだ切らせません」


 白羽が市役所の窓へ札を貼る。


「外との縁を固定します」


 札の墨が、貼った直後から薄くなる。


「だめです、町の方が強い」


 87パーセント。


 御影は水瀬を見る。


「最低限でいい」


「全員の位置情報だけでも残します」


「切れる前に端末を隔離しろ」


「わかってます」


 91パーセント。


 画面に一瞬、別の映像が混じった。


 現在の市役所ではない。


 古い庁舎の会議室。


 木製の机を囲み、何人かの男たちが座っている。


 台風災害後の会議。


 中央の男が書類へ印を押す。


「死亡者は5名で通す」


 別の男が言う。


「残りは転出扱いに」


「遺族は」


「もう地区ごと消える、問題ない」


 映像は数秒で消えた。


 水瀬の送信が止まる。


 93パーセント。


「あと少しなのに」


 端末に、新しい文章が表示された。


 外部保存を拒否しました。


 保存区域内の記録は、区域外へ持ち出せません。


 水瀬が息を呑む。


「町が、記録を外へ出させない」


 御影が端末の接続を抜いた。


「切れ」


「でも」


「端末ごと取られる」


 水瀬は歯を食いしばり、外部通信を遮断した。


 送信は93パーセントで止まった。


 会議室が静かになる。


 市長が問う。


「外と連絡が取れないんですか」


 水瀬は確認する。


 携帯回線。

 衛星。

 無線。

 すべて圏外。


「取れません」


 市役所の窓から見える景色が変わった。


 遠くにあった山が近づいている。


 町の外周が、さらに縮んだ。


 その山裾に、見覚えのない集落が現れている。


 鳥守地区。


 災害で消されたはずの集落。


 家々には灯りがついている。


 道の中央に、人が並んでいる。


 43人。


 顔は遠くて見えない。


 だが、こちらを見ている。


 鷹宮が窓の前に立った。


「見ているのは、あれだけじゃない」


 御影が問う。


「何がいる」


 鷹宮は市全体へ目を向けた。


 古い団地。

 旧校舎。

 映画館。

 旅館。

 墓地。

 鳥守地区。


 消されたものが、現在の町を取り囲んでいる。


「町が、住民を数えている」


 水瀬が住民台帳を確認する。


 人口表示が変わっていた。


 朝の時点では7万1248人。


 現在は6万8931人。


 数字が少しずつ減っている。


「消えた地域の住民だけじゃありません」


 水瀬は画面をスクロールする。


「復元建造物へ入った人たちが、市の現人口から消えて、過去の住民名簿へ移されています」


 白羽が言う。


「昔の町へ編入されてる」


 市長が椅子へ座り込む。


「このままでは」


 御影が答える。


「現在の久慈代市がなくなる」


 市役所前の広場から、再び大きな音がした。


 映画館の扉が閉じた。


 戸張は鞘を抜く直前に後ろへ跳んだ。


 建物全体が、黒いフィルムのような膜に包まれる。


 上原が住民を押し戻す。


 数名が映画館の壁へすがりつき、家族の名前を呼んでいる。


 東雲は、扉の前に座り込んだ男性の肩へ手を置いた。


「中へ入った方は、まだ生きています」


「助けられるのか」


 東雲はすぐに答えなかった。


「助ける方法を探します」


「絶対じゃないのか」


「絶対とは言えません」


 男性は東雲の手を振り払った。


「だったら、俺も中へ行く」


 上原が前へ出る。


「行かせない」


「何の権利がある!」


「ない」


 上原は低く答えた。


「それでも止める」


 男性は上原を睨む。


「会いたい人が、お前にはいないのか」


 上原は何も言わなかった。


 その沈黙だけで、男性は少し動きを止めた。


 戸張が映画館の壁を見る。


「建物を閉じたのは、向こうだ」


 東雲が問う。


「向こう?」


「中にいるものが、外から取られないようにした」


 上原は市役所を見る。


「班長と合流する」


 広場の警察官へ指示を出す。


「住民を庁舎内と学校へ分散させろ、復元建造物から離せ、家族単位を崩すな」


 警察官が戸惑う。


「あなたは」


「説明は後だ」


 上原の声に、警察官は反射的に動いた。


 戸張が小さく言う。


「こういう時は班長っぽいな」


「急ぐぞ」


 第一班は市役所の対策本部へ集まった。


 外部通信は完全に切れている。


 窓の外では、町の景色が少しずつ古くなっていた。


 現代の銀行の隣に木造の郵便局。

 立体駐車場の中に古い商店街。

 舗装道路の上を、土の道が透けて見える。


 水瀬は端末内の地図を更新する。


「外から地図を取れないので、現地の目撃情報だけで作ります、ただ、建物が増える速度が上がっています」


 戸張が問う。


「核は鳥守地区か」


 鷹宮は首を振った。


「中心ではある、核ではない」


 白羽が市役所の古い記録を並べている。


「鳥守地区だけじゃありません、この町、再開発のたびに不都合なものを記録から外しています」


 無縁墓地。

 工場事故。

 団地火災。

 旧校舎で起きた集団食中毒。

 河川敷で見つかった身元不明者。


 それぞれの出来事が、別々の理由で小さく扱われていた。


 御影は言う。


「核は一つではない」


 水瀬が顔を上げる。


「町の方針そのもの?」


「消したものは、なかったことにする」


 御影は保存区域の図面を見る。


「その積み重ねが、町の形になった」


 東雲が窓の外を見る。


 旧団地のベランダで、父親らしき男が手を振っている。


 その下で、現代の娘が泣いている。


「住民に、元へ戻りたくない人がいます」


 白羽が言う。


「でも、このままだと全員が過去の町へ入れられる」


「そうだ」


 御影は対策本部の全員を見る。


「町を戻すには、消した記録を表へ出す必要がある」


 市長が顔を上げる。


「公表するということですか」


「死亡者、行方不明者、隠された事故、土地の由来、すべてだ」


「今ここで決められる話ではありません」


 御影の目が冷える。


「今決めなければ、町そのものが決める」


 市長は何も言えなかった。


 水瀬の端末が、小さく鳴った。


 外部通信ではない。


 市内の閉じたネットワークから、一通のメールが届いている。


 送信者名は空欄。


 件名。


 保存区域へようこそ。


 添付ファイルには、1枚の地図。


 現在の久慈代市の中心に、黒い丸がついている。


 場所は、市役所ではない。


 市立病院でもない。


 町の中心部にある、久慈代駅。


 地図の下には、一文だけ書かれていた。


 出口は、最初に消した場所にある。


 水瀬が言う。


「これ、誰が送ったんですか」


 御影は添付ファイルの隅を見る。


 開いた本の印。

 赤い一本線。


 語部機構。


 戸張の表情が変わる。


「八雲の置き土産か」


 御影は地図を閉じた。


「信用するな」


 鷹宮が久慈代駅の方向を見る。


「だが、あそこに穴がある」


 上原が問う。


「出口か」


 鷹宮は少しだけ黙った。


「出口に見えるものだ」


 その瞬間、市内放送が流れた。


 女性の声。


『久慈代市は、記録保存のため午後6時をもって閉鎖されます』


 水瀬が時計を見る。


 午後5時12分。


 残り48分。


 放送は続く。


『市民の皆様は、最寄りの保存施設へお入りください』


 市内各地で、復元建造物の扉が一斉に開く。


 団地。

 旧校舎。

 映画館。

 旅館。

 商店。

 古い家々。


 扉の向こうには、亡くなった家族や、失われた日々が待っている。


 市役所前にいた住民たちが、動き始めた。


 警察官の制止を振り切り、それぞれの場所へ走る。


 上原が盾を持ち上げる。


「全員は止められない」


 東雲が言う。


「止めるだけでは、余計に反発します」


 白羽は札箱を開く。


「48分で町全体は無理です」


 水瀬が端末を抱える。


「通信なし、地図は変化中、人口も減ってます」


 戸張は刀袋の紐を締め直した。


「駅へ行くしかないか」


 御影は窓の外を見た。


 現在の町と、消された町が重なっている。


 どちらも住民を求めている。


 どちらか一方だけを正しいと決めれば、片方にいる人間が消える。


 御影は振り返った。


「第一班、久慈代駅へ向かう」


 市長が立ち上がる。


「市民はどうするんです」


 御影は上原を見る。


「上原、現地部隊と警察をまとめろ、住民を建物へ入れず、駅前広場へ集める」


「全員か」


「可能な限り」


 東雲へ。


「残りたい住民の話を聞け、力ずくでは連れてくるな」


「はい」


 白羽へ。


「駅までの道を現在側へ固定しろ」


「札が持つ限りやります」


 戸張へ。


「復元建造物と住民の縁を見ろ、切るのは本人の意思を確認してからだ」


「難しいな」


「頼む」


 戸張は少しだけ御影を見た。


「了解」


 鷹宮へ。


「駅にある穴を探せ」


「ああ」


 最後に水瀬。


「町の記録を集めろ、消されたものを一つでも多く表へ出す」


 水瀬は端末を握った。


「外へ送れなくても?」


「市民へ見せる」


 水瀬は頷く。


「わかりました」


 御影は対策本部の扉へ向かう。


 外では、現在の道路の上へ、古い石畳が浮かび始めていた。


 午後5時15分。


 閉鎖まで45分。


 久慈代駅の時計台が、町のどこからでも見えるほど高くなっていた。


 実際の高さではない。


 町中の道が、あの時計へ向かって傾き始めている。


 出口のように。


 あるいは、町全体を収める箱の蓋のように。


 黒麒麟のエンジンがかかる。


 上原が運転席へ乗り込み、水瀬が助手席で市内地図を開く。


 御影たちが続く。


 だが、車内の通信機は沈黙したままだ。


 霞ヶ関へは届かない。


 現地封鎖班にも届かない。


 第一班の位置を知る者は、もう町の中にしかいなかった。


 黒麒麟は久慈代駅へ向けて走り出す。


 その後ろで、市役所の外壁が古い木造庁舎へ変わっていく。


 屋上の時計が止まった。


 午後5時15分。


 町の時間は、そこから先へ進まなくなった。


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