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13/19

13ノ語 影を踏まない参道

 影は、必ず人の後ろにある。


 そう思っているうちは、まだ普通だ。


 昼なら足元に落ちる。

 夕方なら長く伸びる。

 夜なら街灯の下で薄く揺れる。


 影は、その人に従う。

 人が歩けば動く。

 人が止まれば止まる。

 人が消えれば、影も消える。


 けれど、昔から影には妙な話が多い。


 影を踏まれると寿命が縮む。

 影を跨がれると魂が抜ける。

 影だけが遅れて動く。

 影に名前を呼ばれると戻れなくなる。

 夕方の参道で、自分の影を見てはいけない。


 大人は笑う。

 子どもも笑う。

 でも、誰もが一度くらいは、自分の影が妙に知らない形をしているように見えたことがある。


 東京都西部にある、鷺守神社。


 大きな神社ではない。

 住宅街と古い雑木林の境目にあり、駅から歩けば20分ほどかかる。

 鳥居の先には、石畳の参道がまっすぐ伸びている。

 昼間は近所の人が散歩し、夕方には部活帰りの学生が近道に使う。


 その参道で、奇妙な事故が続いていた。


 転ぶ。

 足をくじく。

 階段を踏み外す。

 自転車を押していた人が、突然その場で動けなくなる。


 大きな怪我はない。

 命に関わるものでもない。


 ただ、被害者は皆、同じことを言った。


「影を踏まれた」


 誰に、と聞かれても答えられない。


 人はいなかった。

 背後にも横にも誰もいない。

 けれど、確かに自分の影を、何かが踏んだ。


 そして、その瞬間だけ、自分が自分より少し遅れた。


 身体が前へ行く。

 意識が後ろに残る。

 足だけが、影に縫いつけられる。


 最初は、地元のちょっとした噂だった。


 鷺守神社の参道では、夕方に影を踏んではいけない。


 それだけなら、よくある話で済んだ。


 だが、ある日の午後5時過ぎ。


 中学2年の男子生徒が、参道の途中で立ち止まったまま動かなくなった。


 友人が声をかけても反応しない。

 肩を揺すっても、目は開いたまま。

 呼吸はある。

 心臓も動いている。


 だが、足元の影だけが、彼より先に歩いていた。


 影は石畳の上をゆっくり進み、鳥居の向こうへ消えた。


 その瞬間、男子生徒は倒れた。


 命に別状はなかった。

 ただ、目を覚ました彼は、自分の名前を書けなくなっていた。


 忘れたのではない。


 書こうとすると、手が止まる。

 口で言うことはできる。

 だが、文字にしようとすると、別の誰かの名前を書いてしまう。


 霞ヶ関地下封域に報告が上がったのは、その翌朝だった。


 水瀬は解析室で、問題の参道を撮影した防犯カメラ映像を再生していた。


 画面には、夕方の石畳が映っている。

 男子生徒が友人と歩いている。

 彼がふと足を止める。

 友人が振り返る。


 そこまでは普通だった。


 異常は、その足元にあった。


 生徒の影が、本人より一歩前に出る。


 水瀬は映像を止めた。


「見えますか」


 御影は画面を見ている。


「見える」


 上原は腕を組む。


「影が先に歩いているな」


 戸張が少し顔をしかめた。


「地味に嫌な映像だな」


 白羽はモニターから少し距離を取っている。


「影系は札が貼りにくいので嫌です」


 東雲が医療記録を見る。


「被害者は名前を書けないだけですか」


「今のところは、はい、ただし筆跡が変わっています、書いてしまう名前は毎回違いますが、すべて鷺守神社の古い氏子名簿にあった名前と一致しました」


 御影が言う。


「故人か」


「はい、昭和初期から戦後すぐまでの氏子名簿です、でも今回の男子生徒とは血縁関係なし、住所も違います」


 鷹宮は画面を見ていた。


 いつものように、椅子には座らない。

 壁際に立ったまま、映像の足元だけを見ている。


 御影が問う。


「鷹宮、何が見える」


 鷹宮は短く答えた。


「影じゃない」


 水瀬が眉を寄せる。


「影じゃない?」


「影の下に、別の道がある」


 白羽が嫌そうな顔をする。


「影の下に道って、もうその時点で行きたくないです」


 鷹宮は続けた。


「参道が二本ある、上の道と、下の道」


 御影は静かに頷いた。


「影だけが、下の参道へ入ったか」


 水瀬は地図を切り替える。


「鷺守神社の現代地図です、参道は一本、まっすぐ社殿へ続きます、でも古地図を重ねると、昔は脇参道がありました、今は住宅地になっていて消えています」


 東雲が言う。


「消えた道に、影だけが入っている」


「たぶんそうです、ただ、この神社にはもうひとつ記録があります」


 水瀬は古い資料を表示した。


「戦時中、空襲で周辺一帯が焼けた時、鷺守神社の境内に避難してきた人たちがいました、その時、参道で亡くなった人の名前が、氏子名簿に追記されています、でも一部は住所不明、身元不明で、後から仮の名前が付けられた可能性があります」


 御影の目が少しだけ細くなる。


「影に名を預けた者たちか」


 戸張が言う。


「また名前絡みか」


 水瀬がすぐに首を振った。


「前の名喰いや黒守村とは違います、今回は名前を奪うというより、“影に残った署名”を踏まされている感じです、現代の人の影に、過去の参拝者の足跡が重なる」


 白羽が少し安心したような、していないような顔をする。


「安心できる要素、あります?」


「ありません」


 御影は指示を出した。


「第一班で確認する、現地封鎖は最小限、神社の参拝は止めすぎるな」


 上原が問う。


「なぜだ」


「参道は、人が歩かなくなると道ではなくなる」


 鷹宮が小さく頷いた。


「閉じすぎると、下の道になる」


 水瀬がため息をついた。


「今回は“通らせながら封じる”系ですね、難易度が地味に高いです」


 黒麒麟は霞ヶ関を出た。


 首都高4号新宿線を西へ走り、中央自動車道方面へ抜ける。

 都心のビル群が遠ざかり、やがて低い住宅街と雑木林が増えていった。


 車内は、前回までの緊張とは少し違っていた。


 八雲了玄は確保された。

 語部機構の動きも、一時的には鈍っている。

 だが、事件は止まらない。


 怪異は、誰かが企画しなくても生まれる。

 むしろ、そちらの方が古く、根が深い。


 水瀬は助手席で端末を見ながら言った。


「今回、語部機構の直接関与は今のところ確認されていません、関連投稿も少ないです、地元の噂レベルで収まっています」


 戸張が言う。


「普通の怪異か」


「普通って言い方も変ですけど、そうですね、久しぶりに人間側の悪意が薄い案件です」


 白羽が後ろで言った。


「悪意が薄いだけで、怪異はあるんですよね」


「はい」


「じゃあ全然安心できません」


 東雲が小さく笑った。


「佐月ちゃん、最近ずっと嫌そうですね」


「嫌じゃない案件が少ないです」


 上原が前を見たまま言う。


「仕事だ」


「わかってます」


 白羽は頬を膨らませる。


「でも、嫌なものは嫌です」


 戸張が笑う。


「それでいいんじゃないか、怖がらない封札師の方が怖い」


 白羽は少しだけ黙り、それから小さく言った。


「それは、ちょっとわかります」


 鷹宮は窓の外を見ていた。


 夕方にはまだ早い。

 それでも、道路脇の電柱の影は少しずつ長くなっていた。


 東雲が鷹宮を見る。


「鷹宮さん、今回は見えすぎますか」


 鷹宮は少し間を置いて答えた。


「影は、見えすぎない」


「見えない?」


「光があるほど、見えるものが増える」


 水瀬が小声で言う。


「鷹宮さんの説明、今日も安定して難しいです」


 戸張が軽く笑った。


「要するに、見えるから安全とは限らないってことだろ」


 鷹宮は頷いた。


「そうだ」


 黒麒麟は鷺守神社の近くで停まった。


 住宅街の中に、小さな森がある。

 その奥に鳥居が見えた。

 周辺には現地封鎖班が私服で配置されている。

 表向きには、石畳の補修点検。

 ただし、参拝そのものは止めていない。


 神社の入口は静かだった。


 鳥居の朱色は少し褪せている。

 石畳の参道は、木漏れ日の中をまっすぐ伸びていた。

 昼間なら、何の変哲もない。


 だが、鷹宮は鳥居の前で足を止めた。


 御影が問う。


「どうした」


「影が多い」


 水瀬が端末を見る。


「霊障値は低いです」


「数値じゃない」


 鷹宮は参道を見た。


 石畳の上に、木々の影が落ちている。

 それだけなら普通だ。


 だが、その影のいくつかは、枝の形をしていなかった。


 人の足跡。

 しゃがみ込む人影。

 何かを抱えて走る人。

 手をつないだ親子。


 影だけが、石畳に薄く残っている。


 東雲もそれに気づいた。


「これは……」


 白羽が息を呑む。


「人が、通った跡ですか」


 御影は頷いた。


「参道に残った避難の影だ」


 戸張が軽口を言いかけて、やめた。


 ここで言うべきではないと思ったのだろう。


 上原は黙って参道の中央を見ている。


「踏むな、だな」


 鷹宮が言った。


「踏めば、重なる」


 水瀬が端末に参道の影を可視化する。


「影の位置、普通の木漏れ日と違います、過去の歩行痕みたいに残ってます、これ、夕方になると濃くなるはずです」


 御影は神社の社務所へ向かった。


 神主は高齢の男性だった。

 現地封鎖班から説明を受けているが、細かなことは知らされていない。

 ただ、参道での事故が続いていることに、ひどく心を痛めていた。


「昔から、影を踏むなとは言われておりました」


 神主は社務所の奥から古い帳面を出した。


「ただ、それは子どもに走らせないための言い伝えだと思っておりました、夕方は参道の石が見えにくくなりますから」


 御影が帳面を見る。


 氏子名簿。

 戦前から戦後にかけての古い記録。

 そこには、いくつもの名前が並んでいる。


 だが、一部の名前の横には、小さく墨で「影」と書かれていた。


 水瀬が小声で言う。


「影?」


 神主は眉を寄せた。


「私の祖父から聞いた話では、空襲の夜、ここへ逃げてきた方々の中に、身元のわからない方が多くおられたそうです、名前も住所もわからない、でも弔わないわけにはいかない、それで、影だけでも神前を通った者として記した、と」


 東雲が静かに聞く。


「影だけでも」


「ええ、祖父はそう言っておりました」


 御影は帳面を閉じた。


「悪い記録ではない」


 白羽が頷く。


「むしろ、残そうとしたんですね」


 神主は悲しそうに言った。


「ですが、近年は参道の一部を改修しまして、その時に古い脇参道の石を撤去しました、もしかすると、それがいけなかったのかもしれません」


 水瀬がすぐに図面を確認する。


「撤去した石は?」


「境内の裏手に積んであります、処分するつもりでしたが、まだ」


 鷹宮が社務所の外を見る。


「そこだ」


 境内裏手には、古い石畳が積まれていた。


 苔のついた石。

 割れた石。

 一部が黒く焼けた石。


 その石の下に、影が濃く溜まっている。


 白羽が言う。


「参道を剥がしたから、影の通り道がなくなったんです」


 御影は頷いた。


「表の参道へ滲んだ」


 戸張が石積みを見る。


「戻せば済むのか」


 鷹宮は首を振った。


「足りない」


「何が」


「歩く人がいない」


 東雲が理解する。


「道は、通られて道になる」


 御影は神主を見た。


「夕方、通常通り参拝者を通してください、ただしこちらで誘導します」


 神主は不安そうに問う。


「危なくはありませんか」


 御影は答えた。


「危なくない道に戻します」


 夕方が近づく。


 鷺守神社の参道には、現地封鎖班がさりげなく配置された。

 完全に封鎖はしない。

 ただ、歩く位置を少しずつ誘導する。

 石畳の中央ではなく、白羽が札で示した細い線の上を歩かせる。


 白羽は参道の脇にしゃがみ込み、古い石畳の欠片と現代の参道を札で結んでいた。


「これ、すごく地味ですけど、かなり難しいです」


 水瀬が黒麒麟から言う。


「地味な案件ほど、ミスると怖いですからね」


「言わないでください」


 上原は鳥居の外側に立ち、参拝者が走らないように見ている。

 東雲は途中の石段付近で、気分の悪くなった人に対応する。

 戸張は参道の脇を歩き、影と人の足元を結ぶ黒い糸を探していた。


 鷹宮は、鳥居の正面に立っている。


 珍しく、狙撃銃を持っていない。


 ただ、見ている。


 影を。


 御影がその横へ来た。


「どうだ」


 鷹宮は参道を見たまま答えた。


「夕方で濃くなる」


 西日が差し始めた。


 木々の影が長く伸びる。

 参道の石畳に、いくつもの黒い形が浮かび上がる。


 人影。

 走る影。

 倒れる影。

 何かを抱えた影。

 手を伸ばす影。


 参拝者のひとりが、足を止めかけた。


 東雲がすぐに声をかける。


「足元を見すぎないでください、前を見て、ゆっくり進んでください」


 参拝者は頷き、白羽の札の線に沿って歩く。


 その足元で、古い影が少しだけ避けた。


 水瀬の声が入る。


「影の重なり、低下、いい感じです」


 その時、参道の奥で小さな男の子が走り出した。


 母親が慌てる。


「走らないで」


 男の子は振り返りながら笑う。


 そして、自分の前に落ちた長い影を踏んだ。


 違う。


 それは自分の影ではなかった。


 鷹宮が動いた。


 速かった。


 誰よりも早く、男の子の前へ出る。


 影が、男の子の足首に絡む寸前だった。


 鷹宮は自分の影を、男の子の影に重ねた。


 水瀬が叫ぶ。


「鷹宮さん!」


 影が鷹宮の足元へ移る。


 鷹宮の身体が一瞬だけ遅れた。


 本人はそこに立っている。

 だが、影だけが参道の奥へ歩き出す。


 戸張が刀に手をかける。


「斬るか」


 御影が止める。


「待て」


 鷹宮は動かない。


 目だけが、影を追っている。


 彼の影は、石畳の上を歩き、鳥居ではなく、存在しない脇参道へ入ろうとしていた。


 白羽が叫ぶ。


「鷹宮さんの影が下の道へ入ります!」


 上原が踏み出す。


「引き戻す」


 東雲が止める。


「身体を引いてもだめです、影が戻らない」


 御影が鷹宮を見る。


「鷹宮」


 鷹宮は小さく答えた。


「見えている」


「何が」


「道の先」


 彼の声は、いつもより遠かった。


 鷹宮の目には、現代の参道が見えていなかった。


 焼けた夜が見えていた。


 空が赤い。

 人が走っている。

 子どもが泣いている。

 誰かが誰かを抱えている。

 神社の参道へ逃げ込む人々。

 その足元には、火に照らされた濃い影がいくつも伸びている。


 そして、脇参道の先で、誰かが倒れていた。


 名前のない人。

 顔も見えない。

 ただ、その人の影だけが、まだ参道を歩こうとしている。


 鷹宮はその影を見ていた。


 撃つべき核はない。

 斬るべき敵もない。

 封じるべき悪意もない。


 ただ、通れなかった影がある。


 鷹宮は静かに言った。


「道を戻せ」


 白羽がすぐに反応する。


「脇参道の石、並べ直します!」


 上原が境内裏手へ走る。

 古い石畳を一枚ずつ運ぶ。

 重い石を、迷いなく持ち上げる。


 戸張も手伝った。


「こういう力仕事、俺の役じゃないんだが」


 上原が言う。


「黙って運べ」


「はいはい」


 東雲は参拝者たちを安全な場所へ誘導しながら、男の子の母親に声をかける。


「大丈夫です、少し驚いただけです」


 男の子は泣きそうになっている。


 東雲はしゃがんで、優しく言った。


「走らないで歩きましょう、ここは昔から、たくさんの人が歩いた道です」


 男の子は小さく頷いた。


 白羽は石の位置を指示する。


「そこじゃないです、少し右、違います、上原さん、その石は向きが逆です」


 上原は黙って石を置き直す。


 戸張が笑う。


「直城が佐月ちゃんに怒られてる」


「うるさい」


 白羽は真剣だった。


「道は向きが大事なんです、間違えたら帰れません」


 古い石が、現代の参道の脇に並べられていく。


 完全な道ではない。

 昔の脇参道を復元するには足りない。

 だが、影が通れるだけの線ができた。


 御影が札を出す。


「鷹宮、まだ見えるか」


「見える」


「道は」


「つながった」


 御影は御影札を脇参道の始まりへ置いた。


「御影紋、開帳」


 八咫鏡に三つ藤の紋が、石畳の上に薄く浮かぶ。


 強く封じるためではない。

 道を照らすための光だった。


 白羽が脇参道の石に札を貼る。


「こちらが帰る道です、踏まれず、消えず、まっすぐ通ってください」


 東雲が神主に言う。


「祝詞をお願いできますか」


 神主は震えながらも頷いた。


 小さな声で、祝詞が始まる。


 参道に残っていた影が、少しずつ動いた。


 人の影。

 子どもの影。

 誰かを背負う影。

 転んだまま起き上がろうとする影。


 それらは現代の参道から外れ、復元された細い脇参道へ移っていく。


 鷹宮の影も、その先頭にいた。


 いや、先頭ではない。


 鷹宮の影は、迷っていた影の横に立っていた。


 見送っているようだった。


 水瀬が息を詰める。


「鷹宮さんの影、まだ戻りません」


 御影が言う。


「鷹宮」


 鷹宮は答えない。


 彼は、誰もいない脇参道を見ている。


 東雲が近づく。


「鷹宮さん、戻ってください」


 反応は薄い。


 戸張が低く言う。


「引っ張られてるな」


 上原が鷹宮の肩に手を置こうとする。


 御影が止めた。


「影が戻るまで触るな」


 白羽が焦る。


「でも、このままだと鷹宮さんの影も向こうの道に」


 その時、男の子が小さな声で言った。


「あの人、ありがとう」


 全員が振り返る。


 男の子は、鷹宮を見ていた。


「助けてくれて、ありがとう」


 鷹宮の影が止まった。


 脇参道へ進みかけていた影が、ゆっくり振り返る。


 御影が静かに言った。


「戻れ、鷹宮迅」


 東雲も続ける。


「鷹宮さん、こちらです」


 水瀬がインカム越しに叫ぶ。


「鷹宮迅さん、戻ってください!」


 白羽も声を重ねる。


「鷹宮さん、まだ仕事中です!」


 戸張が言う。


「迅、見送りはそこまでだ」


 上原が短く言った。


「戻れ」


 鷹宮の影が、現代の参道へ戻ってくる。


 足元へ重なる。


 鷹宮の身体が、わずかに揺れた。


 東雲が支える。


「大丈夫ですか」


 鷹宮は少しだけ目を閉じた。


「問題ない」


 上原が言う。


「信用できない」


 戸張が笑った。


「それ、最近の決まり文句になってるな」


 鷹宮は珍しく、少しだけ困ったような顔をした。


「少し、遠かった」


 東雲は頷く。


「あとで診ます」


「わかった」


 影たちは、脇参道を通って神社の奥へ進んでいった。


 やがて、石畳の上に残っていた黒い跡が薄くなる。

 夕方の木漏れ日の影だけが残る。


 普通の影。


 人の足元に従う影。


 水瀬の端末に、霊障低下の表示が出た。


「参道の異常反応、低下、被害者の筆記障害も回復傾向です、名前、書けるようになったみたいです」


 白羽は座り込みそうになりながら息を吐いた。


「今回は、地味なのに怖かったです」


 戸張が言う。


「派手な怪異より、こういう方が後に残るな」


 御影は脇参道の石を見た。


「撤去せず、境内の一部として残す、説明は“旧参道跡”でいい」


 神主は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 御影は首を振る。


「残していたから、戻せました」


 神主は少しだけ目を潤ませた。


「祖父が聞いたら、喜びます」


 東雲は参道を見た。


「人が通ったことを、道が覚えていたんですね」


 鷹宮が短く答えた。


「ああ」


 水瀬が黒麒麟から言う。


「報告書、どうします? 通称は」


 御影は少し考えた。


「影を踏まない参道」


「分類は」


「C級定着怪異、旧参道影残り、現地再整備により沈静化」


 白羽が頷く。


「封印というより、道直しですね」


 戸張が刀袋を肩にかけた。


「たまには、こういう終わりもいい」


 上原が言う。


「誰も怪我が増えなかった」


 東雲は鷹宮を見た。


「ひとり、少し影が遠くまで行きましたけど」


 鷹宮は目を逸らした。


「戻った」


 水瀬がすかさず言う。


「戻ったからいい、じゃないですよ」


 珍しく鷹宮が黙った。


 戸張が小さく笑う。


「迅が責められてるの、珍しいな」


 夕方の神社に、少しだけ穏やかな空気が戻った。


 黒麒麟が出発する頃には、空は薄紫になっていた。

 住宅街の窓に灯りがつき始め、参道には神主が置いた小さな灯籠が並んでいる。


 復元された脇参道の石は、まだ少し不揃いだった。

 それでも、そこには道があった。


 帰りの車内で、水瀬が報告書を入力する。


 C級定着怪異。

 通称、影を踏まない参道。

 鷺守神社旧参道影残り事案。

 被害者回復。

 旧脇参道一部復元。

 現地継続監視。


 水瀬はそこで手を止めた。


「班長、今回は語部機構の痕跡、なしでいいですか」


 御影は頷いた。


「なしだ」


「なんか久しぶりですね」


 戸張が言う。


「普通の怪異に安心する日が来るとはな」


 白羽が後ろから言った。


「普通ではないです」


「まあな」


 上原は運転しながら、バックミラーで鷹宮を見た。


「影は」


 鷹宮は足元を見た。


 車内灯の下に、自分の影がきちんとある。


「ある」


「ならいい」


 戸張が言う。


「直城の確認、雑だけど妙に安心するな」


 水瀬が笑った。


「わかります」


 東雲も少しだけ笑う。


 鷹宮は窓の外へ目を向けた。


 道路脇の街灯。

 歩道を歩く人。

 その足元に、それぞれの影。


 どの影も、人について歩いている。


 それだけで、今は十分だった。


 黒麒麟は夜の道を霞ヶ関へ戻っていく。


 鷺守神社の参道では、最後の参拝者が鳥居を出た後、神主が小さく頭を下げていた。


 古い脇参道の石の上を、風が通る。


 誰もいないはずのそこに、薄い影がいくつか並んで見えた。


 けれど、それはもう人の足を止める影ではなかった。


 ただ、道を通っていく影だった。


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