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12/19

12ノ語 語りを閉じる者たち

 百本目の蝋燭は、まだ消えていなかった。


 霞ヶ関地下封域の解析室。

 水瀬は、問題の配信ページを何度も確認していた。


 百物語配信は九十九話で止まっている。

 動画は再生できない。

 コメント欄も大半は封鎖されている。

 外部への拡散も抑え込んだ。


 それでも、サムネイルの片隅には、小さな蝋燭の火が残っていた。


 静止画のはずなのに、炎だけが揺れている。


「これ、絶対に嫌です」


 水瀬は椅子の背にもたれ、メガネを押し上げた。


 御影は隣で画面を見ている。


「消せるか」


「消すだけならできます、でも消した瞬間に“消された百話目”として再発する可能性があります、前回と同じです、空白を作ると埋められます」


 戸張は壁際に立ち、腕を組んでいた。


「火を残しても、燃え続ける」


 白羽が机の上に札を並べながら言う。


「だから、ちゃんと消さないとだめなんです、でも、ただ吹き消すんじゃなくて、百物語の作法に沿って終わらせる必要があります」


 上原が問う。


「作法とは」


「最後まで語らずに夜を明けさせることです」


 東雲が静かに頷いた。


「夜明けで終える」


 水瀬は画面を切り替えた。


 黒守村の封鎖記録。

 語り市の押収資料。

 八雲了玄の人物情報。

 そして、百話到達の関連ログ。


「八雲は黒守村から何かを持ち出しています、監視映像には映っていませんが、発祥地の石の一部が欠けています」


 白羽が顔をしかめる。


「やっぱり」


 御影が問う。


「場所は」


「都内に戻っています、正確な住所は不明ですが、語部機構系の関連施設を洗ったところ、ひとつだけ怪しい場所があります」


 水瀬は地図を出した。


 都内湾岸部。

 古い倉庫と新しいオフィスビルが混在する地区。

 その一角に、民俗資料のデジタル保存を行うとされる小さな会社があった。


「表向きは“八雲民俗資料アーカイブ”、古文書や怪談資料のデジタル化を請け負う事務所です、でも電力使用量と通信量が異常です、それと、今夜だけ内部に百本分の熱源反応が出ています」


 戸張が言う。


「蝋燭か」


「はい、たぶん本物です」


 解析室に、少しだけ重い沈黙が落ちた。


 百物語に、本物の火を使う。

 語り市で集めた依代。

 黒守村の石。

 百話未了の配信。

 それらをひとつの場所へ集める。


 御影は画面から目を離さなかった。


「八雲は、百話目を完成させる気だ」


 水瀬は頷いた。


「しかも今度は配信じゃありません、アーカイブ化です、百話目を“記録”として固定するつもりです」


 白羽が小さく言った。


「語りを、資料にする」


 東雲の声が低くなる。


「一度記録化されたら、消すのが難しくなりますね」


「はい、動画やコメントより厄介です、データベース、紙資料、音声記録、展示企画、全部に展開できます」


 上原が短く言う。


「止める」


 御影は頷いた。


「第一班、出動する」


 水瀬が端末を抱えた。


「現地は倉庫型オフィスビルの地下です、正面から入ると証拠を消される可能性があります」


 戸張が笑う。


「今さら証拠か」


 御影は言った。


「今回は八雲を確保する、可能なら生きたまま」


 戸張の笑みが消える。


「難しい注文だ」


「わかっている」


 東雲が御影を見る。


「八雲さんは、もう怪異側へ寄っています」


「それでも人間だ」


 御影は静かに言った。


「人間として止める」


 黒麒麟は、夜の霞ヶ関を出た。


 上原が運転席。

 水瀬が助手席で現地図面を展開する。

 後部座席には御影、戸張、東雲。

 白羽と鷹宮は後ろで装備を確認している。


 車内には、誰も軽口を言わなかった。


 都心環状線から湾岸方面へ。

 夜の高層ビル群が窓に流れ、やがて倉庫街の低い光へ変わっていく。

 黒麒麟の車内灯は落とされ、端末の青い光だけが水瀬の横顔を照らしていた。


「現地施設、地上5階、地下2階、表向きのアーカイブ室は地上3階です、でも熱源は地下2階に集中しています」


 御影が問う。


「地下への入口は」


「貨物用エレベーターと非常階段、ただし非常階段側は内側から封じられています、正面突破なら上原さん、静かに行くなら戸張さんですが」


 上原が言う。


「正面でいい」


 戸張が隣で言った。


「珍しく同感だ」


 水瀬が振り返る。


「今回は隠れるより、儀式を止める方が優先ですね」


 白羽が札束を抱えた。


「百本の蝋燭を全部消すんですか」


「違う」


 御影が答える。


「百本目を消す、九十九本は夜明けまで残す」


 白羽は少し考えて、頷いた。


「百話目だけを閉じるんですね」


 東雲が言う。


「でも、八雲さんは百話目を完成させるために、自分自身を語り手にするかもしれません」


 水瀬が端末を見た。


「可能性あります、八雲の近年の発言を解析すると、“語り手は最後に語りの一部になる”という表現が何度も出ています」


 戸張が低く言う。


「自分を怪談にする気か」


 御影は少しだけ目を伏せた。


「それをさせない」


 上原が運転しながら言った。


「間に合うか」


 水瀬が到着予測を出す。


「あと7分です、ただ、内部の熱源反応がひとつずつ消えています」


 白羽が顔を上げた。


「蝋燭が消えてる?」


「はい、現在、残り14本」


 車内の空気が一気に硬くなる。


 御影は言った。


「上原、急げ」


「了解」


 黒麒麟は湾岸沿いの道を抜け、倉庫型オフィスビルの裏手へ滑り込むように入った。

 現地封鎖班はすでに周囲を押さえている。

 表向きは火災報知器の誤作動と設備点検。

 だが、建物の窓はすべて暗かった。


 黒麒麟が停まる。


 水瀬が叫ぶ。


「残り8本!」


 上原が車を降り、貨物搬入口へ向かう。

 戸張が隣に並ぶ。

 御影、東雲、白羽、鷹宮が続く。


 搬入口のシャッターには鍵がかかっていた。

 電子ロックも、物理ロックも、さらにその上に薄い霊障膜が張られている。


 上原は盾を構えた。


「開ける」


 水瀬が黒麒麟から叫ぶ。


「電子ロック切ります、3、2、1、今!」


 上原が盾を叩きつけた。


 岩楯に鎮め縄の紋が光り、霊障膜が砕ける。

 シャッターが内側へ歪む。


 戸張が隙間へ刃を差し込み、ロックの縁だけを斬った。


 シャッターが開く。


 中は真っ暗だった。


 水瀬の声が入る。


「残り6本!」


 御影が言う。


「走る」


 非常灯の消えた廊下を、第一班は地下へ向かった。


 途中、壁には無数の紙が貼られていた。

 怪談のタイトル。

 地名。

 人名。

 発祥地。

 対処法。

 目撃談。

 削除された動画のスクリーンショット。

 古い学校のトイレの写真。

 峠の地図。

 水辺の事故記録。

 首塚の調査票。

 黒守村の石積みの写し。


 今までの事件が、すべて資料として並んでいた。


 水瀬が息を呑む。


「私たちの案件が、まとめられてます」


 白羽の声が震えた。


「勝手に……」


 東雲は顔をしかめた。


 そこには、救出した子どもたちの名前こそなかった。

 だが、事件の輪郭がわかる程度には、情報が集められている。


 戸張が低く言った。


「人の傷を展示する気か」


 御影は立ち止まらなかった。


「見るな、進め」


 地下2階の扉の前に着く。


 中から、蝋燭の匂いがした。

 火の匂い。

 古い紙の匂い。

 少しだけ、血の匂い。


 水瀬の声が叫ぶ。


「残り3本!」


 上原が扉を押す。


 開かない。


 白羽が扉の札を見て言った。


「これ、内側から百話で閉じてます、普通に破ると百話目扱いになります」


 戸張が舌打ちする。


「面倒だな」


 御影は御影札を出した。


「白羽、九十九で止めろ」


「はい」


 白羽は扉の前に札を三枚貼った。


「一話、二話、三話じゃない」


 さらに札を重ねる。


「九十七、九十八、九十九」


 最後に、百枚目に見える空白札を貼る。


「百は語らず」


 扉の内側で、何かが軋んだ。


 上原が盾を構える。


「今か」


「今です!」


 上原が扉を押し破った。


 地下室の中は、広かった。


 中央に、百本の蝋燭が円形に並んでいる。

 九十七本が消えている。

 残りは三本。

 その中央に、八雲了玄が立っていた。


 肩には、戸張につけられた傷が残っている。

 包帯も巻いていない。

 血は乾き、黒くなっていた。


 八雲の前には、黒守村から持ち出された小さな石。

 語り市の百目塚の箱。

 百物語配信の原稿。

 名を喰う箱の反転紋を写した紙。

 それらが、ひとつの円の中に置かれていた。


 八雲は振り返り、静かに微笑んだ。


「間に合いましたね」


 御影は言う。


「まだ終わっていない」


「ええ」


 八雲は蝋燭を見た。


「だから美しい」


 水瀬がインカムで叫ぶ。


「残り2本!」


 八雲は語り始めた。


「百話目は、語りを閉じる者たちの話です」


 地下室の空気が変わった。


 壁に貼られた資料が一斉に揺れる。

 アラハバキの記録。

 第一班の名前。

 現場写真。

 報告書の断片。


 水瀬の端末が警告を鳴らす。


「私たちが百話目に入れられます!」


 八雲の声は穏やかだった。


「彼らは語りを閉じる、名を隠し、恐怖を封じ、人々から怪異を奪う、しかしその姿もまた、語られるべきものです」


 戸張が刀を抜いた。


「もう十分だろ」


 御影が制する。


「斬るな、語りの中で斬れば、役になる」


 八雲は御影を見る。


「そうです、あなたは理解している、だからこそ私はあなたを待っていた」


 上原が一歩前へ出る。


「黙れ」


「いい言葉です、盾となる男は、いつも語りを遮る」


 上原の周囲に黒い文字が浮かぶ。


 盾となる男。


 東雲の周囲にも文字が生まれる。


 傷を癒す女。


 戸張の周囲に、


 美しく斬る男。


 白羽の周囲に、


 順序を守る少女。


 水瀬の端末に、


 暴く者。


 鷹宮の足元に、


 見抜く目。


 そして御影の背後に、


 語りを閉じる者。


 白羽が叫ぶ。


「役が付いてます!」


 東雲が札を構える。


「役から外れないと危険です」


 八雲は満足そうに頷いた。


「あなた方は、もう十分に物語です」


 御影は静かに言った。


「違う」


 八雲が首を傾げる。


「何が違うのですか」


「我々は物語ではない」


 御影は一歩前へ出た。


「仕事をしているだけだ」


 その言葉は、飾り気がなかった。


 あまりに淡々としていて、地下室に浮かんだ文字が一瞬だけ揺れた。


 戸張が笑った。


「そういうところ、班長らしいな」


 彼は自分の周囲の文字を見た。


 美しく斬る男。


「今日は美しくなくていい」


 戸張は刀を納めた。


 代わりに断札を取り出す。


「戸張龍一、役はいらない」


 文字が裂けた。


 上原は盾を下ろさなかった。


 だが、正面に出るのをやめた。


「上原直城、盾になるためにいるんじゃない、必要だから立っている」


 盾となる男、という文字が薄れる。


 東雲は八雲ではなく、倒れかけている自分たちの名前札を見た。


「東雲真白、傷を見るだけではありません、戻れる人を戻すためにいます」


 白羽は震えながらも札を握る。


「白羽佐月、順序を守るだけじゃありません、間違った順番を止めるためにいます」


 水瀬は黒麒麟から必死に端末を叩く。


「水瀬玲央、暴くだけじゃないです、広げないために見てます!」


 鷹宮は静かに言った。


「鷹宮迅、見るだけではない、撃つ時を選ぶ」


 六人の周囲の文字が崩れていく。


 八雲の表情が、初めてはっきりと変わった。


 御影は最後に言った。


「御影直人、語りを閉じる者ではない」


 背後の文字が震える。


「閉じるべき語りを、閉じるだけだ」


 百本目の蝋燭の火が、大きく揺れた。


 水瀬が叫ぶ。


「残り1本!」


 八雲は笑った。


 声を出して笑った。


「それでも、あなた方は語られる、人はきっと話す、黒い服の者たちが怪異を封じたと、名も知らぬ部隊が夜の東京を走ると、あなた方が隠れても、語りは追ってくる」


 御影は答える。


「それは止められない」


 八雲の笑みが止まる。


「なら、なぜ閉じる」


「被害を止めるためだ」


 御影は御影札を掲げた。


「語りを消すためではない」


 八雲は百本目の蝋燭へ手を伸ばす。


 上原が動く。


 だが、御影が先に言った。


「水瀬」


「はい!」


「夜明けを入れろ」


 水瀬は一瞬だけ止まり、すぐに理解した。


「了解!」


 黒麒麟から施設の照明制御に侵入する。

 地下室には窓がない。

 夜明けの光など入らない。


 なら、作るしかない。


 水瀬は建物の外壁照明、非常灯、天井の調光システム、保管庫の照明、すべてを繋いだ。


 地下室の天井が、ゆっくりと白く光る。


 夜明けの色。


 本物の太陽ではない。

 だが、百物語に必要なのは、朝が来たという合意だった。


 白羽が札を投げる。


「夜が明けます」


 東雲が倒れた資料を拾い、黒守村の石の前に置く。


「語られなかった人たちは、商品ではありません」


 戸張が百目塚の箱へ伸びる視線の糸を斬る。


「見世物じゃない」


 上原が八雲と蝋燭の間に立つ。


「終わりだ」


 鷹宮が銃を構えた。


 撃つのは八雲ではない。


 百本目の蝋燭の芯。


「核は火だ」


 御影が頷く。


「撃て」


 鷹宮が引き金を引いた。


 鎮符弾が、蝋燭の炎を貫いた。


 火は消えなかった。


 一瞬、炎の中に黒い顔が浮かぶ。

 顔のない村人。

 花子さんの赤い裾。

 水辺の手。

 首のない武者。

 名を喰う箱の黒い藤。

 百目塚の目。

 これまで閉じてきた語りの欠片が、百話目に吸い上げられようとしている。


 御影が札を開く。


「御影紋、開帳」


 八咫鏡に三つ藤の紋が、地下室の円の上に浮かび上がった。


 八雲が叫ぶ。


「開けば、それも語りになる!」


 御影は答えた。


「構わない」


 鏡が百本目の炎を映す。


 藤が、火を縛らない。

 消さない。

 ただ、火の周りに小さな輪を作る。


 白羽がその輪に札を重ねる。


「百話、未了」


 東雲が続ける。


「被害者、帰還」


 戸張が断札を投げる。


「役、解除」


 上原が盾を床へ立てる。


「外へ出さない」


 水瀬が叫ぶ。


「記録、非公開化、拡散遮断、でも存在ログは残します!」


 鷹宮が最後に言う。


「火、弱った」


 御影は炎を見た。


「百本目は、消すためにあるのではない」


 八雲が息を呑む。


「残すのか」


「朝まで残す」


 御影は静かに言った。


「そして、誰も百話目を語らない」


 天井の白い光が強くなる。


 地下室に、朝の気配が満ちていく。


 百本目の蝋燭は、燃え尽きるのではなく、小さく、小さくなっていった。


 最後に、芯だけが赤く残る。


 そして、音もなく消えた。


 地下室に静寂が戻った。


 壁に貼られていた資料から、黒い文字が抜け落ちていく。

 怪異の名は残らない。

 被害者の名も残らない。

 ただ、事件があったという内部記録だけが、アラハバキの管理領域に移されていく。


 八雲はその場に立ち尽くしていた。


 初めて、言葉を失っているように見えた。


 上原が近づく。


「同行してもらう」


 八雲は抵抗しなかった。


 だが、御影を見て、静かに言った。


「あなた方は、語られますよ」


 御影は答えた。


「その時は、その時だ」


「恐れないのですか」


「恐れている」


 八雲の目が少しだけ揺れた。


 御影は続ける。


「恐れているから、慎重に閉じる」


 八雲は小さく笑った。


「やはり、あなたは面白い」


 上原が八雲の腕を取る。


 今度は紙ではない。

 代人でもない。

 八雲了玄本人だった。


 水瀬が安堵の声を漏らす。


「生体反応、確保、今度は本物です」


 東雲は八雲の肩の傷を見た。


「処置が必要です」


 戸張が言う。


「真白さん、優しいな」


「死なせる理由はありません」


 八雲は東雲を見る。


「あなたは本当に、傷を見る人だ」


 東雲は淡々と答えた。


「ええ、だからあなたの傷も見ます、でも許すわけではありません」


 八雲はそれ以上、何も言わなかった。


 地下室の押収作業には時間がかかった。


 百目塚の箱。

 黒守村の石。

 百物語の原稿。

 反転紋の写し。

 語部機構の資料。

 怪談企画の参加者名簿。

 発祥地リスト。


 どれも危険だった。


 白羽は一つひとつに札を貼り、順番を間違えないように何度も確認した。

 水瀬はデータを隔離し、外部へ出た痕跡を追う。

 鷹宮は地下室の隅に残った霊障の芯を確認した。

 上原は八雲を現地封鎖班へ引き渡し、戸張は黙って地下室の壁を見ていた。


 壁には、第一班の名前が書かれた紙が一枚残っていた。


 戸張はそれを剥がそうとして、手を止めた。


 御影が横に来る。


「どうした」


「これも消すか」


 紙には、こう書かれていた。


 語りを閉じる者たち。


 御影はしばらく見ていた。


「消す」


 戸張は頷き、紙を剥がした。


 だが、その手つきは乱暴ではなかった。


 紙は白羽の封袋へ入れられた。


 完全に破棄するのではない。

 残して、外へ出さない。


 それが、アラハバキのやり方だった。


 外へ出ると、空は本当に明るくなり始めていた。


 夜明け前の湾岸部。

 倉庫の屋根が薄い青に染まり、遠くのビルの窓が白く光っている。

 道路には、まだ人が少ない。


 黒麒麟の横で、水瀬が大きく伸びをした。


「終わりましたね」


 白羽が疲れ切った顔で言う。


「終わったんですか」


 戸張が答える。


「少なくとも、今夜はな」


 上原は御影を見る。


「八雲は確保した」


 御影は頷いた。


「だが、語部機構は残る」


 東雲が言う。


「資料も、人脈も、企画も、すぐには消えませんね」


 水瀬が端末を見ながらため息をつく。


「関係会社、多すぎます、これ全部追うの、普通に地獄です」


 白羽が小さく笑う。


「玲央さん、寝られませんね」


「嫌な予言やめてください」


 鷹宮が空を見た。


「火は消えた」


 御影も空を見る。


「ああ」


 百本目の蝋燭は消えた。

 百話目は語られなかった。

 八雲は捕まった。


 だが、怪談は消えない。


 人はまた話す。

 見たものを。

 見なかったものを。

 怖かったことを。

 誰にも信じてもらえなかったことを。


 そのすべてを止めることはできない。


 だから、閉じるべき時に閉じる。

 広がってはいけないものを止める。

 戻れる者を戻す。

 語られなかった者を、商品にしない。


 御影は黒麒麟へ乗り込む前に、地下室のあった建物を振り返った。


 そして、静かに言った。


「封異完了」


 誰もすぐには続けなかった。


 少しして、白羽が小さく息を吐く。


 水瀬が端末を閉じる。


 東雲が目を伏せる。


 戸張が刀袋を肩にかけ直す。


 上原が運転席の扉を開ける。


 鷹宮が周囲を最後に確認する。


 御影は続けた。


「語りを閉じます」


 黒麒麟は、朝の湾岸道路を霞ヶ関へ向けて走り出した。


 地下封域へ戻る頃には、地上の街はいつもの朝になっていた。

 通勤する人々。

 開店準備をする店。

 駅へ向かう学生。

 誰も、夜の間に百話目が閉じられたことを知らない。


 知らなくていい。


 知れば、また語りになる。


 報告書には、必要なことだけが残された。


 A級広域怪異。

 通称、百話未了。

 語部機構による百話目固定化事案。

 八雲了玄、身柄確保。

 被害拡大阻止。

 関連依代押収。

 残存組織、監視継続。

 第一班全員帰還。


 御影は最後の行をしばらく見ていた。


 第一班全員帰還。


 それだけで十分な気がした。


 水瀬は解析室の椅子に座った瞬間、机に突っ伏した。


「5分だけ寝ます」


 東雲が近づく。


「5分ではなく、ちゃんと休んでください」


「真白さんもです」


「はい」


 白羽は封袋を抱えたまま、半分眠そうな顔をしている。


「私、お菓子食べてから寝ます」


 戸張が笑う。


「佐月ちゃんらしいな」


 上原は盾を装備室へ戻し、何も言わずに御影の方を見た。


 御影はその視線に気づく。


「なんだ」


「名前は」


 御影は一瞬だけ黙り、自分の札を取り出した。


 御影直人。


 今度は、薄れていなかった。


「読める」


 上原は頷いた。


「ならいい」


 戸張が横から言う。


「直城、それ確認の仕方が不器用すぎるだろ」


「うるさい」


 東雲が小さく笑った。


 御影は札をしまった。


 八雲了玄は、地下封域とは別の隔離施設へ移送された。

 取り調べは難航するだろう。

 語部機構の全容も、まだ見えていない。

 黒守村の封印も、百目塚の箱も、名を喰う箱も、すべて継続監視になる。


 何ひとつ、完全には終わっていない。


 それでも、百話目は閉じた。


 その夜、都内のどこかで、誰かが怪談掲示板に書き込んだ。


『例の百物語、結局どうなったの?』


 返信がつく。


『九十九話で終わったらしい』


『百話目は?』


『やらなかったって』


『なんだよ、つまんね』


 少し間が空いて、別の誰かが書いた。


『いや、百物語はそれでいいんだよ』


 その言葉に、いくつかの同意がついた。


 百話目は語られない。

 最後の一本は、夜明けまで残す。

 それが、正しい終わり方。


 怪談は、少しだけ形を変えた。


 霞ヶ関地下封域の奥。

 封印物保管庫の一角で、百本目の蝋燭の燃え残りが、封袋に収められていた。


 火はない。


 煙もない。


 ただ、黒く焦げた芯だけが残っている。


 その封袋の表には、白羽の字で小さく書かれていた。


 未了。


 それは、終わらなかったという意味ではない。


 終わらせなかった、という封印だった。


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