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♠ 9時1分 馬南小学校、体育館
終始険悪なムードを醸し出していた狭川とレヴェッカだったが、教会のシスターのような女性が現れてから、音沙汰ナシ――とまでは言わないが、だいぶ落ち着いたようで。八時半ちょうどに行われた全校朝会も、その女性の紹介だけで終わってしまった。
『ありがとうございました。これからも、よろしくお願いいたしますわ』
シスターはやんわりとした笑みを浮かべ、スケベ顔の狭川にマイクを返却する。そしてステージから降壇すると、一番最前列に並んでいた僕とアンナの顔を一瞥し、小さく会釈をした。
「何が起こるかと思ったら、まさか孤児院に住んでいる人たちの挨拶だけだったとはね……」
僕の右隣で腕を組むレヴェッカは、不服そうな表情を浮かべていた。これで、全校朝会を終わりにします。校長はステージの前で一礼すると、ざっと集まった二百人前後の集団は、己の仕事に専念するために移動した。
「まだ、来てないようね……ひとみちゃん」
「仕方ありませんよ。彼女から遅刻を抜いたら、ただのお人形遊びのお嬢ちゃんになりますから」
心配そうな顔を浮かべるアンナを他所に、寧音は皮肉を込めてそう言った。寧音はエルツと一緒に先に教室へと向かうと、
「今日は九時から授業を始めましょうか」
アンナは提案し、ステージの真上に設置された大きな時計を一瞥する。
「待て相馬クン。私とちょっと残ってくれないか?」
踵を返そうとした僕に話しかけたのは、レヴェッカである。視線は、狭川と楽しくおしゃべりをする、シスターに向けられていた。
「……。まったく、九時までには戻ってよ?」
そう言い残し、アンナはこの場を後にした。それを見計らったかのように、例の女は来客用スリッパをパタパタさせ、
「遅くなって申し訳ありません、相馬さんに、レヴェッカさんですわよね?」
ぺこりと頭を下げ、屈託のない笑みを浮かべる……。
増井友梨――。体育館のステージ上で自己紹介があったが、僕は脳内でもう一度彼女の名前を復唱した。ずいぶんとほんわかとした雰囲気の中に、ミステリアスなシルエット。目は細く、困ったときでも笑顔を忘れない。そんなイメージだった友梨は、顔を十五度傾け、
「狭川校長先生からお話をお伺いいたしました。お二人とも、ずいぶんとご活躍なされたようで……」
「い、いえ、どうも」
友梨から半径一メートル以内に入った者は、誰しもが彼女から放たれる心地よい香りにウットリするだろう。僕もそのうちの一人で、美しい顔の友梨に思わず見惚れていると、
「んっん。先ほど朝会であったように……ここから数キロ離れた孤児院から、ようこそおいで下さいました」
レヴェッカの咳払いに、僕はピンと背筋を伸ばす。
「ええ。馬南小学校に裏山がありますでしょう? そこを超えて、さらに国道沿いに一直線進んだ先に、大きな牧場があります。そこをぐるりと回っていくと見えるのが、わたくしたちの教会……今は、孤児院として活動していますわ」
「その孤児院は、なんという名前なんですか?」
僕は、純粋な質問を彼女にぶつける。一瞬だけ困ったようにたじろいだが、いずれも笑っているように見える。
「言うなれば、『希望の光』でしょうか……。すみません、特に考えていなかったもので」
「え、ああ、こちらこそすみません。希望の光、ステキだと思いますよ」
友梨は、表情をぱぁっと明るくさせて、僕の腕にか細く冷たい指を当てて来て、「ありがとうございます~♪」突然のスキンシップに、思わず口元が緩んでしまった。
「……(じぃ~)」
レヴェッカから冷めきった視線を受け取った僕は、後ろ髪を掻き毟った。
「先ほどおっしゃっていたように、助けが必要でありましたら、私たちが今すぐにでも駆けつけます。……それと、もしそちらの孤児院がよろしければ、一人看てもらいたい子がいるんです」
真剣な面持ちのレヴェッカに、再び友梨は小首を傾げた。
♠ 9時23分 国道
大型のバンには四人+一人の少女が乗り込み、砕けて不安定になった車道の上を走っていた。
「って、なんでオレっちも一緒に付き添わないといけないんすか!」
運転席に座るレヴェッカに向かって、半ば強制的に同行を命じられた春尾はブーイングを飛ばしていた。それを言ったら、後部座席に座る僕だって、教員としての仕事を全うしなければならないのだ。
「諦めろ……僕たちに拒否権は無いさ」
「んなこと言ったって。世田谷さんは『子供がたくさんいるところに行けるか!』って。それが通じるのならオレっちだって、支給品の整理とか、やること山ほどあるんすよ!」
僕の隣で騒ぎ囃す春尾は、レヴェッカの座るシートのヘッドにもたれ掛かって、うなだれていた。
「おいおい、揺らすなよ。客人も乗っているし、タダでさえ不安定な道なりだ。それに、世田谷には昨日私たちがやり残した仕事に向かっていった」
それは恐らく、給水塔に遺された複数の遺体の処理である。
助手席に座っていた友梨は、後部座席へと振り返って、小さく会釈した。「ごめんなさい、わたくしがわがままばっかり言うせいで……」女性特有のフェロモンをまき散らすと、春尾は顔を赤らめ、
「い、いえいえ! 友梨さんは何も悪くないっす!」
っていうか、友梨さん激マブっすよね! 彼氏とかいるんすかねー。と、僕に小耳を挟む春尾。知らんがな。
「これからどこいくの?」
僕たちの真後ろからは、幼い少女の声。ヒナはきらきらとした目線を僕たちに向けて来た。
「教会。ヒナのお友達に会いに行く」
「……お友達?」
「そう。そこで、ヒナは楽しく暮らすんだ」
レヴェッカは、まるでそれがヒナの今後の使命とでも言わんばかりの口ぶりだ。
「……まだ、お腹は空かないのか?」
レヴェッカはそれよりも、ヒナの身体に一抹の不安を憶えていた。昨日出会ってからかなりの時間が経過したが、ヒナは一向に「お腹が空いた」とは言わない……。それどころか、平然な面持ちで図書館で絵本を読んでいたらしい。時折与えられたお菓子はすぐに食べ終えてしまうのだが、次に放つ言葉は「お腹いっぱい」。
「うん。今は平気。今朝は、一応食べたよ?」
「ヒナちゃん、今朝は何食べたの? パンとか?」
春尾はいつものお調子キャラを通したまま、振り返ってヒナの顔を伺った。
「お菓子。丸っこい棒の、チョコのやつ」
「ポ○キー?」
「ううん。なんか、さくさくしてた。なんて言うんだろ……みるふぃーゆ? みたいな」
「ル○ンドか」
僕は納得して、うんうんと頷いた。
あれ、美味いよな。
賞味期限がいつまでだったのかはさておき、車は峠をぐるりと回って、ようやく友梨の言っていた、一本道の国道へとバンは乗り継いだ。
ガソリンを抜かれ、捨てられた車を縫うように走行してゆく。立往生している車がやはり多い国道では、ここまで整備が行き届いていないことが証明されていた。
馬南と周囲のコミュニティは大体把握しているが、ほとんどの人は小学校に集まっている。必然的にこの辺が整備されていないのも納得できた。
「そう言えば、ヒナちゃんのお腹にあるのって、何か事故でも起きたんでしょうか?」
「お腹……?」
怪訝な顔を友梨に向ける、レヴェッカ。
「いえ、手術の跡があったので、何かあったのかな、と」
それは確認していなかったが、友梨はいつの間にやらヒナのお腹の縫い跡に気づいたようだ。レヴェッカ曰く、その後見てみると、十五センチほどの縫い跡が施されていたらしい。
バンは車と車の細い間を避け、ゆっくりと進んでいく――だが、予想的中と言うべきか。やはり、こういう事態に直面してしまった。
立往生した車が正面を向き合い、完全に道の真ん中を塞いでいる……。しかも、農埜とその隣町の日和見を隔てる、橋の上だ。バンはたまらず停車し、運転手のレヴェッカは、エンジンが切れる音と同じようなため息を吐いた。
「ご、ゴメンなさい……そう言えば、ここだけ通れなかったのを今思い出しました」
「安心しろ、友梨。何のために足がある」
「エー。歩くんすか~」
レヴェッカは鍵を回して、ドアを開けた。右足を道へと投げ出し、ちょっと見て来ると言って、まるで国境とでも言わんばかりに往生した二台の車を見比べた。僕もそれに乗じて、レヴェッカの引き締まった尻を追う。
「……ああ、やっぱりなぁ」
落胆するようなレヴェッカの声が聞こえた。
二台の車の内、かなり大きく傷を負った軽自動車。黒色のボディは対向車との衝撃に耐えきれず、フロントガラスに至るまで潰れていた。エアバッグが作動したが、内部の人間は強く頭を打ち付けて瀕死……。外へ出ようとしたが、変な曲がり方をしたフレームによってドアが開かなくなっていた。
「こちらは穴が複数空いているがゆえに、内部にまで抗ウイルス剤が届いて死亡している。しかし……」
問題は、レヴェッカが顎で指した、ブルーの乗用車である。こちらは軽自動車よりも被害が少なく、外装はある程度無事だった。しかし……
「ぎ、、、あ、うう……」
怨嗟をも彷彿とさせる、死を招く声。汚らわしい指先を、人が通るたびに窓に滑らせたのであろう。溶けた皮膚が窓ガラスへと張り付いており、黒く染め上げていた。その奥に見える、二つの真っ白な瞳。
「エアバッグが作動したはいいが、即死した。手伝ってくれ」
レヴェッカは車の上を飛び越えて、助手席側のドアを開けた。感染者の目は急に音のした方へと向けられ、ぼろぼろになった腕をそちらへと伸ばす。
「が……う。あ、う」
力なく、柔らかい生肉に噛みつきたいがために、カチカチと口を開閉させ、腕を振る。しかし、それ以降は自身を守っていたはずのシートベルトが邪魔して、進むことができない。
「相馬クン。今だ」
僕は言われるがまま、今度は運転席側のドアを開く。
ポケットに入れられた折り畳み式ナイフを取り出して、こちらへと振り向く前に、そのぐちゃぐちゃに擦り潰れた頭に向けて、刃を振り下ろす。ずぷり、と肉へと侵攻していくナイフの感覚は、懐かしいものでもあり、二度と体験したくないものだ。
「――……」
四十五度ナイフを回転させると、伸ばしていたゾンビの腕は、力なく垂れる。
「上出来だ」
シートベルトのスイッチを外すと、この死者の腹に刺さっていた、一つの異物に気づいた。傘だ……。彼は、コンビニで売っている一本五百円前後の傘を常備しており、衝突事故によって腹部へと突き刺さったのだ。
「後は任せておけ」
レヴェッカは死体の身体を外へと引っ張ると、寝かせるように車体の下へとそれを隠した。
そして、春尾たちにはこの車体の内部、運転席から助手席を伝ってこちら側に来るように指示をした。
「……」
ナイフで脳を抉る感覚が、いまだに鮮明に蘇る……。初めて感染者を亡き者としたのが、今、学校の保健室でうなされている少年、信也と出会う直前の出来事だった。




