第9話 残った違和感
ヴィオレットを乗せた馬車が見えなくなるまで見送りアレンは宿へ戻った。
部屋へ入るなり。
「疲れた……。」
大きく息を吐く。
上着を脱ぎ、椅子へ腰を下ろした。
机の上には今日買った品や、領地へ持ち帰る書類が並んでいる。
明日の朝には王都を発つ予定だ。
「……。」
けれどアレンの視線は、どこか落ち着かない。
思い出すのはあの路地での出来事だった。
石壁へ突き刺さった金属片。
「……偶然じゃないよね。」
椅子へ深く身体を預ける。
夜会では、自分が手にした酒へ睡眠薬が入っていた。
そして今日は、自分たちが歩いていた場所へ、金属片が飛んできた。
二度続けば、さすがに偶然とは考えにくい。
「僕が狙われてる……?」
可能性はある。
領主という立場にいる以上。
恨みを買う覚えが一つもない、とは言えない。
領地の改革もした。
取引先も変えた。
不正をしていた商人を切ったこともある。
けれど命まで狙われるほどの相手となると。
「……分からないな。」
考えても、今のところ答えは出なかった。
そしてもう一つ。
どうしても頭から離れないことがある。
「……。」
ヴィオレットが倒れてきた時のこと。
自分の上へ覆いかぶさった身体。
すぐ目の前にあった紫色の瞳。
頬に触れた髪。
吐息まで感じるほどの距離。
「……近かったな。」
思わず呟く。
あんな距離で女性の顔を見たことなど、今まで一度もなかった。
夜会ではいくら令嬢に囲まれても、必要以上に近づかないようにしている。
屋敷へ女性を連れ込むという噂も、もちろん嘘だ。
だから、あんなふうに女性と身体が重なること自体、アレンにとっては初めてだった。
「……。」
紫色の髪。
長い睫毛。
柔らかな香り。
「何考えてるんだ、僕。」
ぶんぶんと頭を振る。
ヴィオレットは体調を崩して倒れただけだ。
それを思い出して妙に意識するなど、失礼にもほどがある。
「そうだよ。ヴィオレット嬢は病弱なんだから。」
そう自分へ言い聞かせて。
ふと動きが止まる。
「……病弱。」
今度は、別の記憶が蘇った。
夜会で掴まれた腕。
振りほどこうとしても、びくともしなかった。
「……。」
今日、自分の上へ倒れてきたヴィオレット。
「……いや。」
アレンは首を振った。
「それとこれとは関係ないか。」
力が強いことと。
身体が弱いことは。
必ずしも矛盾するわけではない。
たぶん。
「……たぶん。」
何となく、自分でも納得できていない。
その時。
コンコン。
扉が叩かれた。
「失礼いたします。お食事をお持ちしました。」
「あ、ありがとう。」
宿の従業員から食事を受け取り。
机へ置く。
これ以上考えても仕方がない。
今は金属片のことだけでも、領地へ戻ったら調べてみよう。
◇
一方。
ローラン家へ向かう馬車の中。
ヴィオレットは窓の外を眺めていた。
「お嬢様。」
「はい?」
向かいに座る侍女が口を開く。
「今日は楽しそうでございましたね。」
「……そう見えました?」
「ええ。」
「そうですか。」
ヴィオレットは少しだけ困ったように笑った。
「不思議な方でした。」
「アレン卿ですか?」
「ええ。」
遊び人。
女好き。
酒好き。
王都で聞く話はそんなものばかりだった。
けれど実際に接してみれば、まるで印象が違う。
「女性慣れしているようには、見えませんでしたね。」
「私もそう思います。」
ヴィオレットは頷く。
「ですが。」
ふと。
昼間のアレンの顔を思い出した。
『……で。ヴィオレット嬢は、どう思う?』
「……。」
「お嬢様?」
「……あの笑みは反則ですわ。」
「え?」
侍女が瞬きをする。
ヴィオレットも、自分が何を口にしたのか気づいた。
「……何でもございません。」
「今、反則と。」
「忘れてください。」
「ですが。」
「忘れてください。」
「……畏まりました。」
侍女が口元を押さえる。
「笑っていますね?」
「いいえ。」
「笑っています。」
「気のせいでございます。」
「……。」
ヴィオレットは窓の外へ顔を向けた。
(どうして、あんな笑みを向けるのでしょう。)
あれでは、女性が勘違いするのも無理はない。
自分だって一瞬、鼓動が速くなった。
「……。」
そっと頬へ手を添える。
その時、石壁へ突き刺さった金属片が脳裏をよぎった。
ヴィオレットの表情から、笑みが消える。
「……。」
「お嬢様。」
「何でしょう?」
「あれは。」
侍女の声も、先ほどまでとは違っていた。
「アレン卿を狙ったものでしょうか。」
「……おそらくは。」
ヴィオレットは静かに答える。
あの瞬間、建物の隙間で何かが光った。
考えるより先に身体が動いた。
立ちくらみを装い、アレンごと射線から外れた。
あと僅かに遅ければ、金属片はアレンへ届いていただろう。
「先日の睡眠薬と関係があるとお考えですか?」
「まだ分かりません。」
ヴィオレットは目を伏せる。
「ですが、偶然と決めつけるには少々続きすぎています。」
「お調べになりますか?」
「……ええ。」
短く答える。
「お父様にもお伝えしておいてください。」
「畏まりました。」
ヴィオレットは再び窓の外を見る。
流れていく王都の街並み。
その瞳には、もう病弱な令嬢の儚さはなかった。
◇
翌朝。
アレンは王都を発つ準備を終え、宿を出た。
「さて。」
馬車へ荷物が積み込まれていく。
「領地に戻ろう。」
やはり。
自分には王都より、領地の方が落ち着く。
馬車へ乗り込もうとした時。
「アレン様!」
「ん?」
振り返る。
昨日助けた少女と。
その母親が立っていた。
「昨日は本当にありがとうございました!」
母親が深々と頭を下げる。
「いや。もう大丈夫だから。」
「娘も怪我はございませんでした。」
「よかった。」
アレンの表情が緩む。
「本当に。」
「それで、こちらを……。」
差し出されたのは。
小さな包みだった。
「お礼です。」
「そんな、いいよ。」
「受け取ってください!」
「でも。」
「お願いします!」
「……。」
断れそうにない。
「じゃあ、ありがたくいただくね。」
「はい!」
包みを開くと。
中には焼き菓子が入っていた。
「ありがとう。」
アレンが笑う。
母親の頬が。
見る見るうちに赤くなった。
「……やっぱり素敵。」
「え?」
「な、何でもありません!」
その声を聞きつけたのか。
周囲の女性たちも。
次々にこちらへ気づき始める。
「あれ、アレン様じゃない?」
「本当!」
「もう王都を出られるの!?」
「行っちゃうの?」
「……。」
アレンは嫌な予感がした。
そしてその予感は当たった。
「アレン様!」
「また王都へいらしてください!」
「次の夜会にも来てくださいね!」
「あの……。」
あっという間に人が増えていく。
「やっぱりこうなるんだ……。」
昨日と同じだ。
アレンは困ったように笑いながら、馬車へ乗り込む。
「ありがとう。また来るよ。」
「きゃあっ!」
「絶対ですよ!」
「お待ちしております!」
御者が馬を進ませる。
アレンは窓から顔を出し、集まった人々へ手を振った。
「じゃあね。」
歓声が上がる。
馬車はゆっくりと、王都の街並みを離れていった。
◇
その光景を、少し離れた建物の陰から。
一人の男が見つめていた。
「……。」
昨日、金属片を放った男だった。
遠ざかっていく馬車を見送り、小さく舌打ちする。
「失敗した。」
懐から一枚の紙を取り出す。
そこには、短い言葉だけが記されていた。
男は紙を見つめ、やがて小さく呟く。
「……旦那に報告しないとな。」
火をつける。
紙の端から、ゆっくりと炎が広がっていく。
文字が黒く焼け落ち、最後には、灰だけが残った。
男はそれを踏み消すと、人混みの中へ姿を消した。




