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第10話 最初の依頼


 ヴァルティエ領へ戻ったアレンは、執務室の椅子へ腰を下ろしていた。


 王都を数日空けただけだというのに。


 机の上には、留守の間に溜まった書類が山のように積まれている。


「……増えてない?」


「増えておりますね。」


 リリアが何食わぬ顔で、新しい書類をその山へ加えた。


「今、さらに増やしたよね?」


「こちらも本日中にご確認を。」


「見なかったことにしていい?」


「いけません。」


「だよね。」


 アレンは諦めてペンを握った。


 農作物の収穫量。


 税収。


 橋の修繕。


 騎士団からの報告。


 一枚ずつ目を通し、必要なものには署名をしていく。


 領主として、いつも通りの仕事だった。


 けれど。


「……。」


 ふと。


 ペンが止まる。


 頭をよぎったのは、王都で起きた二つの出来事だった。


 夜会で差し出された、睡眠薬入りの酒。


 そして市場の路地で、自分たちが立っていた場所へ飛んできた金属片。


「リリア。」


「はい。」


「王都で起きた二件のことなんだけど。」


 リリアの表情が僅かに引き締まる。


「お酒と、金属片の件ですね。」


「うん。」


 アレンはペンを机へ置いた。


「あれ、本当に偶然だと思う?」


「……いいえ。」


 即答だった。


「私も、その可能性は低いかと。」


「だよね。」


 アレンは椅子の背へ身体を預ける。


 一度だけなら。


 偶然で片づけることもできたかもしれない。


 けれど、短期間に二度。


 しかもどちらも自分の近くで起きている。


「最初は眠らせようとして。」


 アレンは指先で机を軽く叩く。


「次は金属片。」


 もし。


 あの時ヴィオレットが倒れ込んでこなければ、あれは自分に当たっていた可能性が高い。


「僕が狙われてるって考えた方が自然かな。」


「……はい。」


 リリアも否定しなかった。


「ガレス騎士団長へ調査を命じますか?」


「それも考えたんだけど。」


 アレンは首を横へ振る。


「どっちも王都で起きたことでしょ。こっちの騎士を大っぴらに動かしたら、相手にも気づかれる。」


「では、王都の騎士団へ?」


「睡眠薬の件で犯人を見つけられなかったからね。」


「……。」


「それに。」


 アレンの表情から笑みが消える。


「僕が狙われてるなら、気になることがある。」


 リリアは黙って続きを待った。


「父上と母上のこと。」


「……十五年前の事故ですか。」


「うん。」


 アレンが五歳の時、両親は事故で亡くなった。


 そう処理されている。


 けれど幼い頃から何度も、どこか引っかかっていた。


 本当に、ただの事故だったのか。


「今まで調べなかったわけじゃない。」


 アレンは静かに続ける。


「でも、何も出なかった。」


 十五年も前の出来事だ。


 当時の証拠など、ほとんど残っていない。


 証言も。


 記録も。


 すでに何度も調べている。


 それでも何も見つからなかった。


「もし今回のことと、父上たちの死が繋がってるなら。」


「改めて調べる価値はある、と。」


「うん。」


 アレンは少し考え、やがて口を開いた。


「情報屋を使おう。」


「情報屋、ですか。」


「王都に腕のいい情報屋がいるって聞いたことがある。」


「お名前は?」


「知らない。」


「お顔は?」


「知らない。」


「……。」


「そんな顔しないでよ。」


「いえ。」


「僕だって怪しいと思ってるから。」


「それでも依頼なさるのですか?」


「だからこそ、かな。」


 アレンは机へ頬杖をつく。


「表から調べて何も出なかったなら、今度は表に出ない人に頼んでみたい。」


 王都の裏側には、貴族でも、騎士でも拾えない情報を扱う者たちがいる。


 誰がどこで何を買ったのか。


 誰と誰が繋がっているのか。


 消された記録。


 表には出ない取引。


 そういったものを、金と引き換えに探り出す者たち。


「窓口は?」


「以前、商人から聞いたことがある。紹介だけならしてもらえると思う。」


「承知いたしました。」


 リリアは小さく頷いた。


「では、依頼書を?」


「うん。」


 アレンは新しい紙を一枚取り出した。


 ペン先をインクへ浸す。


 少し考えてから、静かに書き始めた。


 十五年前。


 ヴァルティエ夫妻が死亡した事故について。


 そして、先日の夜会で起きた睡眠薬混入事件。


 市場で飛来した金属片。


 三つの出来事に関連がないか、調べてほしい。


 最後に。


 報酬について記す。


「……報酬は問わない、と。」


「随分と出ますね。」


「必要な情報が手に入るなら安いよ。」


「限度はございますよ。」


「分かってる。」


「本当に?」


「……たぶん。」


「アレン様。」


「分かってるって。」


 アレンは苦笑し。


 最後に自分の名前を書き記した。


 アレン・ヴァルティエ。


 封筒へ入れ、ヴァルティエ家の印章を押す。


「これでお願い。」


「畏まりました。」


 リリアが封筒を受け取る。


「でも。」


「はい?」


「本当に届くのかな。」


「それは私にも。」


「顔も名前も知らない相手に手紙を出すって、変な感じだね。」


「情報屋とは、そういうものなのでは?」


「まあ、そうなんだけど。」


 アレンは書類の山へ視線を戻した。


 あとは、相手が依頼を受けるかどうか、待つしかない。


     ◇


 その夜。


 王都。


 表通りから離れた一軒の酒場へ、一通の封筒が持ち込まれた。


「依頼だ。」


 店主は酒瓶を磨く手を止める。


 差し出された封筒を見る。


 ヴァルティエ家の紋章。


「……珍しいところから来たな。」


 それ以上何も聞かなかった。


 封筒は店の奥へ消え、やがて別の人間の手へ渡る。


 そこからさらに、また別の人間へ。


 誰が最初に受け取ったのか、どこを通ったのか。


 依頼人にすら分からないように。


 いくつもの手を経て。


 最後に、王都の一角にある屋敷へと辿り着いた。


     

「お嬢様。」


「何かありました?」


 机へ向かっていたヴィオレットが顔を上げる。


 昼間とは違い、傍らに置かれているのは、令嬢らしい小物ではない。


 王都の地図。


 いくつもの報告書。


 そして、夜会で薬を混入された酒について調べた記録と市場の石壁へ突き刺さっていた金属片についての資料。


 あの日、アレンと別れたあと、ヴィオレットはすぐに調査を始めていた。


 二度も続いた異変を、偶然で片づけるつもりはなかった。


「新しい依頼が届いております。」


「依頼?」


「はい。」


 差し出された封筒へ。


 ヴィオレットの視線が落ちる。


「……。」


 見覚えのある紋章だった。


 ヴァルティエ家。


 僅かに目を見開く。


「こちらへ。」


 封筒を受け取り、静かに封を切った。


 依頼書へ目を通していく。


「……。」


 最初に記されていたのは。


 十五年前のヴァルティエ夫妻死亡事故。


 そして、先日の睡眠薬混入事件。


 市場での金属片。


 ヴィオレットの目が細くなる。


「……同じですわね。」


「何がでしょう?」


「私たちが調べている二件です。」


 ヴィオレットは机の上にある資料へ視線を落とした。


 やはり。


 アレンも偶然とは考えていなかったらしい。


「それに……。」


 もう一度。


 依頼書を見る。


 十五年前の事故。


 こちらは、ヴィオレットも詳しくは知らない。


 アレンが幼い頃、両親を亡くしていることは知っていた。


 事故だったと。


 それ以上でも、それ以下でもなく。


「ヴァルティエ夫妻の事故も調べてほしい、と。」


「関連を疑っているのでしょうか。」


「おそらくは。」


 ヴィオレットは最後まで読み進める。


 そして依頼人の名前で、指が止まった。


 アレン・ヴァルティエ。


「……。」



 穏やかに笑う姿が脳裏へ浮かぶ。


 女性に囲まれているくせに。


 少しも女性慣れしているようには見えない。


 自分が倒れ込んだだけで、あれほど慌てていた人。


 そのアレンが。


 今。


 自分の正体も知らずに、調査を依頼してきている。


「お受けになりますか?」


「もちろんです。」


 返事に迷いはなかった。


「薬と金属片については、これまで通り調査を続けてください。それから、十五年前のヴァルティエ夫妻の事故についても調べます。」


「承知いたしました。」


 ヴィオレットは依頼書を閉じる。


「それにしても……。」


 僅かに、口元が緩んだ。


「不思議なものですわね。」


「何がでしょう?」


「いいえ。こちらの話です。」


 ヴィオレットはそれ以上答えなかった。


 アレンは知らない。


 自分が依頼した情報屋が、夜会で薬入りの酒を止め、市場で自分を押し倒した、あの病弱な伯爵令嬢であることを。


 そしてヴィオレットもまだ知らない。


 自分が調べようとしているアレン・ヴァルティエが、彼女の想像よりも、ずっと大きな秘密を抱えていることを。


 互いに、相手の本当の顔を知らないまま。


 最初の依頼が、静かに動き始めた。


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