第11話 姿なき依頼
ヴァルティエ邸。
朝の執務室で。
アレンは昨日の続きで、机に積まれた書類へ目を通していた。
「……終わらない。」
「昨日、王都からお戻りになったばかりですから。」
「分かってるけど。」
アレンは一枚に署名し、次の書類を取る。
「帰ってきた時より増えてない?」
「気のせいでございます。」
「絶対増えてるよね?」
「気のせいでございます。」
「二回言った。」
リリアは何食わぬ顔をしている。
アレンが諦めてペンを握り直した、その時。
扉が叩かれた。
「失礼いたします。」
執事が入ってくる。
「アレン様。こちらを。」
「僕に?」
「はい。」
一通の封筒だった。
差出人の名はない。
表にはアレンの名前だけが記されている。
「……もしかして。」
受け取って裏返す。
小さな印が押されていた。
見覚えはない。
けれど誰から届いたものなのか。
なんとなく察しはついた。
「情報屋?」
「おそらく。」
リリアも封筒を見る。
「早かったですね。」
「昨日出したばかりなのに。」
アレンは封を切った。
中に入っていたのは一枚の紙。
書かれている文章も、驚くほど短い。
『依頼を受理する。
調査には時間を要する。
進展があれば、こちらから連絡する。』
「……これだけ?」
「そのようですね。」
「名前もない。」
「情報屋ですので。」
「徹底してるなぁ。」
アレンは思わず笑った。
どんな人物なのか。
男なのか。
女なのか。
年齢すら分からない。
自分の依頼が今、誰の手にあるのかも知らない。
「信用できると思いますか?」
リリアが尋ねる。
「まだ分からない。」
アレンはもう一度、短い返事へ目を落とした。
「でも、少なくとも依頼は受けてくれた。」
「十五年前の事故についても。」
「うん。」
両親が亡くなった事故。
夜会での睡眠薬。
市場で飛んできた金属片。
それらに本当に繋がりがあるのか。
それとも、自分が考えすぎているだけなのか。
「何か出てくればいいけど。」
「出てこない方が、良いのでは?」
「……それもそうだね。」
本当にただの事故で。
最近の二件とも関係がない。
そう証明されるなら、その方がいい。
アレンは手紙を丁寧に折り畳んだ。
「待つしかないか。」
机の引き出しへしまう。
姿も名前も知らない相手からの、最初の返事だった。
◇
その日の夕方。
「アレン様。」
執事が再び執務室へやってきた。
「今度は何?」
「お客様がお見えです。」
「誰?」
「王都から参った商人とのことです。」
「王都から?」
アレンは書類から顔を上げる。
「お酒をお持ちになっております。」
「……また?」
思わず本音が出た。
「アレン様。」
「分かってる。頂き物なんだから、そんな顔しちゃ駄目だよね。」
「私は何も申し上げておりません。」
「顔に書いてある。」
アレンは立ち上がった。
「応接室へ行くよ。」
◇
「突然の訪問、失礼いたします。」
応接室で待っていたのは、四十代ほどの商人だった。
身なりも悪くない。
アレンが入ってくると、すぐに立ち上がって深く頭を下げる。
「お初にお目にかかります、アレン様。」
「初めまして。」
アレンは向かいへ腰を下ろした。
「今日は?」
「北方より珍しい葡萄酒が入りまして。」
商人は傍らに置いていた箱を開ける。
中から、一本の酒瓶を取り出した。
「ぜひ、酒を愛されるアレン様へと思いまして。」
「……ありがとう。」
笑顔で受け取る。
こういうことは珍しくない。
酒好き。
酒豪。
そう噂されているせいで、各地の商人や貴族から酒が届く。
「北方のもの?」
「はい。小さな醸造所の品でございます。数が少なく、王都にもほとんど出回っておりません。」
「へぇ。」
アレンは瓶を見る。
濃い色の硝子。
簡素なラベル。
産地と、葡萄の品種。
醸造年。
必要なことは一通り記されている。
「香りが強く、肉料理によく合う酒でございます。」
「そうなんだ。」
「ぜひ一度、お試しください。」
「ありがとう。いただくよ。」
「光栄でございます。」
商人は嬉しそうに頭を下げた。
その後も北方の交易路について。
最近の葡萄の出来について。
いくつか他愛のない話を交わした。
特に、おかしなところはない。
どこにでもいる。
自分の商品を売り込みたい商人に見えた。
「それでは、私はこれで。」
「わざわざありがとう。」
「また良い品が入りましたら、ぜひ。」
「うん。」
商人は一礼すると、執事に案内されて応接室を出ていった。
「……。」
アレンは残された酒瓶を見る。
「また一本増えた。」
「左様でございますね。」
隣にいたリリアが答える。
「そろそろ本当に置く場所なくない?」
「ございます。」
「まだあるんだ。」
「先日、整理いたしましたので。」
「じゃあ大丈夫か。」
アレンは酒瓶を持ち上げた。
光へ透かしてみる。
深い赤色の酒が揺れる。
「珍しいなら、商談に使えるかも。」
「お飲みにならないのですか?」
「気が向いたらね。」
アレンは瓶をリリアへ渡した。
「酒蔵にお願い。」
「畏まりました。」
リリアが瓶を受け取り。
応接室を出ていく。
アレンもそれ以上、その酒を気に留めることはなかった。
◇
薄暗い酒蔵。
リリアは棚の空いている場所へ、持ってきた酒瓶を置いた。
かすかな音を立て瓶底が棚板へ触れる。
その底には、小さな印が刻まれていた。
けれど瓶を置いたリリアからは見えない。
その印がやがて、十五年前の事件へ繋がる手掛かりの一つになることを、この時はまだ、誰も気づいていなかった。




