第12話 侵入者
夜更け。
ヴァルティエ邸は、深い静寂に包まれていた。
長かった一日の執務を終え、アレンはようやく自室へ戻っていた。
「疲れた……。」
上着を脱ぎ、クラバットを外す。
シャツの下に巻いていた晒しも解き終えたところだった。
ようやく身体を締めつけるものから解放され、アレンは大きく息を吐く。
「今日はもう寝よう。」
そう呟き、明かりへ手を伸ばした。
その時だった。
ドンドンッ!
激しく扉が叩かれる。
「アレン様!」
リリアの声。
普段の落ち着いたものとは違う。
「侵入者です!」
アレンの表情が変わった。
すぐに扉へ向かう。
「どこ?」
「酒蔵です。すでにガレス率いる騎士たちが応戦しております。」
「人数は?」
「確認できているだけで三名です。」
「分かった。」
アレンは踵を返した。
ベッドの上に置いていたさらしを手に取る。
慣れた手つきで胸へ巻き直し、シャツを着る。
上着を羽織り、腰へ剣を差した。
「行こう。」
◇
酒蔵へ近づくにつれ、剣戦の音が大きくなる。
「逃がすな!」
騎士団長ガレスの声が響いた。
アレンが酒蔵へ入る。
黒装束の男が三人。
すでに騎士たちによって囲まれていた。
「何が目的?」
アレンの声に、一人が振り返った。
「領主……!」
次の瞬間、男が短剣を抜いた。
「アレン様!」
リリアの声と同時に、男が床を蹴る。
真っ直ぐアレンへ向かってきた。
「っ!」
突き出された短剣を、アレンは身体を半歩ずらしてかわす。
男の腕を取る。
そのまま重心を崩し。
「ぐっ!」
床へ叩きつけた。
短剣が転がる。
アレンはすぐに剣を抜き、男の喉元へ切っ先を向けた。
「動かないで。」
「……っ。」
「終わりだよ。」
騎士たちが駆け寄り、男の腕を後ろへ回して拘束する。
もう一人も、ガレスによって取り押さえられていた。
「あと一人!」
声が響く。
最後の男が懐へ手を入れた。
「待て!」
床へ何かが叩きつけられる。
ボンッ!
白い煙が一気に噴き出した。
「っ……!」
アレンは口元を腕で覆う。
視界が白く染まった。
「出口を塞げ!」
ガレスの声。
だが、煙が薄れた頃には、最後の一人の姿は消えていた。
「……逃げられた。」
「申し訳ございません。」
「いいよ。それより、二人は捕まえたんでしょ?」
「はい。」
「なら十分。」
アレンは剣を鞘へ戻した。
「それより。」
酒蔵を見回す。
「ここで何してたの?」
◇
侵入者たちが連行されたあと、酒蔵の中を確認する。
大きく荒らされた様子はなかった。
酒樽も。
棚に並ぶ酒瓶も。
ほとんどがそのまま残されている。
「盗みに入ったわけではなさそうですね。」
「うん。」
アレンは奥へ進む。
すると。
「アレン様。」
リリアが足を止めた。
「こちらを。」
「何?」
一か所だけ、棚に並んでいた瓶が床へ落とされている。
割れてはいない。
けれど。
明らかに誰かが動かした跡があった。
「この辺だけ探したみたいだね。」
「そのようです。」
アレンがしゃがむ。
床に転がっている一本を拾い上げる。
「これは……。」
見覚えがあった。
濃い色の硝子。
簡素なラベル。
昨日、王都から来た商人が置いていった葡萄酒だ。
「商人からもらった酒。」
「……。」
リリアの表情が変わった。
「これだけ、棚から出されていたのですか?」
「みたいだね。」
アレンは瓶を見る。
割られてはいない。
中身も残っている。
「酒を盗みに来たなら、もっと高いものがいくらでもある。」
「では。」
「この瓶に用があったのかも。」
突然訪ねてきた商人。
そして、酒蔵へ侵入した三人の男。
「……偶然にしては。」
「出来すぎておりますね。」
「うん。」
アレンの目が細くなった。
◇
翌朝。
地下牢。
昨夜捕らえた男の一人が、椅子へ座らされていた。
両手は拘束されている。
その正面にアレンが立つ。
「誰の命令?」
「……。」
「黙っててもいいけど。」
男は何も答えない。
「酒蔵に入った理由くらいは教えてほしいな。」
「……。」
「何を探してたの?」
僅かに。
男の視線が動いた。
アレンは見逃さなかった。
「やっぱり、何か探してたんだ。」
「……知らねぇ。」
「何を?」
「依頼人のことだ。」
男が低く答える。
「顔も名前も知らねぇ。」
「じゃあ、どうやって依頼されたの?」
「仲介人を通した。」
「酒蔵に入れって?」
「……酒を一本探せと言われた。」
「どんな酒?」
「知らねぇ。」
「知らないのに、どうやって探すの。」
男が黙る。
アレンは急かさなかった。
しばらくして、男が吐き捨てるように答えた。
「目印がある。」
「目印?」
「瓶に印があるって聞いただけだ。」
「どこに?」
「そこまでは知らねぇ。」
「どんな印?」
「知らねぇよ。」
男が苛立ったように顔を上げる。
「俺たちは、その印がついた酒を持ってこいって言われただけだ!」
「……。」
「それ以上は、本当に知らねぇ。」
嘘をついているようには見えなかった。
「依頼人は?」
「だから知らねぇって言ってるだろ。仕事が終われば金が支払われる。それだけだ。」
「……そっか。」
アレンは男を見つめる。
「分かった。」
踵を返した。
◇
執務室。
机の上には昨日の葡萄酒が置かれていた。
「目印……。」
アレンは瓶を持ち上げる。
正面。
ラベル。
瓶の口。
どこにも。
それらしいものはない。
「商会の印でもないよね。」
「はい。」
リリアも瓶を確認している。
「ラベルにも、特に不自然な点はございません。」
「じゃあ、どこに――」
瓶を戻そうとした時。
「あ。」
「どうされました?」
アレンの手が止まる。
瓶を持ち上げ、底をこちらへ向けた。
「……これ。」
リリアも覗き込む。
瓶底。
光の加減によっては見落としてしまうほど。
小さな刻印があった。
「昨日、こんなのあった?」
「気づきませんでした。」
「僕も。」
アレンは指先でなぞる。
酒の銘柄を示すものではない。
少なくとも昨日の商人は、この印について何も説明していなかった。
「紋章?」
「私には見覚えがございません。」
「僕もない。」
アレンは瓶を机へ置く。
昨夜の侵入者。
目印のある酒。
そして瓶底に刻まれた、見知らぬ印。
「……これを探してたんだ。」
「おそらく。」
「だとしたら。」
アレンは小さく息を吐いた。
「昨日の商人にも、話を聞いた方がよさそうだね。」
「すぐに調べさせます。」
「お願い。」
そしてもう一つ。
「情報屋にも知らせよう。」
「この刻印について?」
「うん。」
十五年前の事故。
睡眠薬。
金属片。
そこへ新たに現れた一本の酒瓶。
今のところ、それらが繋がっている証拠はない。
けれど、何者かがわざわざ屋敷へ侵入してまで、この瓶を回収しようとした。
なら調べない理由はない。
アレンは紙を取り、瓶底の印を写し始めた。
まだ何を意味する印なのかは分からない。
けれど姿の見えなかった敵が、初めて小さな痕跡を残した。




