第13話 刻印の行方
酒蔵が襲撃されてから三日。
ヴァルティエ邸の執務室では、例の酒瓶が机の上に置かれていた。
アレンは瓶を持ち上げ、底に刻まれた小さな印を眺める。
「……やっぱり、見覚えないな。」
商会の紋章でもなければ、酒蔵の印でもない。
少なくとも、アレンの記憶にはなかった。
「リリア。あの商人は?」
「調べましたが、名乗っていた名前は偽名でした。宿帳にも同じ名がございましたが、記載されていた住所に該当する人物はおりません。商業組合への登録もございませんでした。」
「徹底してるね。」
アレンは瓶を机へ戻した。
「足取りは?」
「屋敷を出た後、王都方面へ向かったところまでは確認できましたが、その先は。」
「分からない?」
「はい。」
「そっか。」
偶然立ち寄った商人ではない。
それだけは、もう間違いないだろう。
偽名を使い身元を隠し、わざわざ自分の屋敷まで酒を届けた。
そして翌日の夜には、その酒を狙って侵入者が現れた。
「……どう考えても、この瓶に何かあるよね。」
「私もそう思います。」
「なのに、わざわざ僕に渡した。」
アレンは首を傾げる。
そこだけが妙だった。
回収しなければならないほど重要なものなら、最初から自分へ渡さなければいい。
「間違えたのかな。」
「何をでしょう?」
「分からない。」
「……。」
「そんな顔しないでよ。僕だって分からないから言ってるんだから。」
「何も申しておりません。」
「顔に出てる。」
リリアは何食わぬ顔をしている。
アレンは小さく息を吐くと、もう一度瓶を手に取った。
「とにかく、僕たちだけで考えてても仕方ないか。」
「情報屋へ?」
「うん。この瓶ごと送ろう。刻印だけ写すより、現物を見てもらった方がいい。」
「承知しました。」
リリアが布を広げる。
アレンは酒瓶をその上へ置いた。
「お願い。」
「はい。」
残された数少ない手掛かり。
今は、それを辿るしかなかった。
◇
その夜。
王都の一角。
表通りから外れた古びた酒場へ、一つの木箱が届けられた。
「預かり物だ。」
店主はそれ以上何も尋ねず、箱を受け取る。
いつものように厨房を抜け、地下へ続く階段を下りた。
鉄扉の前へ木箱を置く。
「ヴァルティエからだ。」
それだけ告げ店主は階段を上っていった。
やがて鉄扉が静かに開く。
黒い手袋を嵌めた手が、木箱を中へ引き入れた。
◇
薄暗い部屋。
ランプの下で、木箱が開かれる。
中に入っていた酒瓶を見て、ヴィオレットは僅かに眉を寄せた。
「……今度は、お酒ですか。」
添えられていた報告書へ目を通す。
身元不明の商人。
贈られた酒。
翌夜に起きた酒蔵への侵入。
捕らえた男の証言。
――目印のある酒を探せ。
そして瓶底に刻まれていたという、小さな印。
「……。」
ヴィオレットは酒瓶を持ち上げた。
ランプへ翳す。
底に確かに小さな刻印がある。
「これが目印……。」
指先でそっとなぞった。
睡眠薬。
市場で飛んできた金属片。
そして今度は、身元を偽った商人から届けられた酒と、その回収を狙った侵入者。
どこまでが繋がっているのかは、まだ分からない。
けれど。
「随分と、色々なものに狙われますのね。」
誰もいない部屋で、ヴィオレットは小さく息を吐いた。
冗談めかした言葉とは裏腹に。
紫色の瞳は笑っていなかった。
ヴィオレットは別の机へ移る。
そこには、商会や酒蔵から集めた印をまとめた資料が並んでいた。
一枚ずつ。
瓶底の刻印と照らし合わせていく。
「違う。」
次。
「これも……。」
違う。
王都で流通する主要な酒蔵。
酒を扱う商会。
輸送業者。
思い当たるものを一通り確認したが。
同じ印は見つからなかった。
「商会のものではありませんね。」
ヴィオレットは新しい紙を取り出す。
瓶底を確認しながら、刻印を書き写していく。
線の位置。
大きさ。
僅かな欠け。
そして。
ふと。
ペンが止まった。
「……そもそも。」
これは誰かに見せるための印なのだろうか。
瓶の底など、普通に置いていれば見えない。
商品を売るための印なら、もっと分かりやすい場所へ刻むはずだ。
「隠す必要がある……?」
ヴィオレットの目が細くなる。
商会や酒蔵を示すものではない。
けれど侵入者は、この印を目印に酒を探していた。
「特定の者だけが、荷を見分けるための印……。」
そう考えれば、瓶底という位置にも意味がある。
ヴィオレットは立ち上がった。
一般の商会を調べるだけでは足りない。
表に出ない取引。
身元を隠した商人。
裏で荷を扱う者たち。
調べるべき場所が変わった。
ヴィオレットは便箋を取り出す。
短く記す。
『刻印を確認した。
商会、酒蔵で一般に用いられる印とは一致しない。
商品の出所を示すものではなく、特定の取引において荷を識別するために付された可能性がある。
引き続き調査する。』
最後に情報屋の印を押す。
「……さて。」
もう一度。
酒瓶を見た。
「どなたが、これをアレン卿へ届けたのでしょうね。」
そして。
何故、一度渡したものを危険を冒してまで取り戻そうとしたのか。
ヴィオレットは瓶底の刻印を見つめる。
答えはまだない。
けれど次に探すべき場所は、見えてきた。




