第14話 招待状
ヴァルティエ領へ戻って数日。
酒蔵への襲撃は領内でも大きな話題となったが、幸い被害はほとんどなく、屋敷も少しずつ普段の空気を取り戻していた。
アレンは執務室で、積み上がった書類に目を通していた。
「アレン様。」
「ん?」
顔を上げると、リリアが一通の封筒を手に立っている。
「王都から招待状が届いております。」
「また?」
「はい。」
「この前行ったばかりなんだけどなぁ。」
「人気者はお忙しいですね。」
「嬉しくない人気もあるんだよ。」
アレンは受け取った封筒を開いた。
中身へ目を通す。
「……慈善夜会?」
「孤児院への寄付を募る催しのようですね。」
「へえ。」
もう一度、最初から読む。
王都にある複数の孤児院への寄付を目的とし、各地の貴族や商人を招いて開かれるらしい。
「これなら行こうかな。」
「随分とあっさりお決めになるのですね。」
「だって、ちゃんと目的のある夜会でしょ?」
「普段の夜会にも目的はございますよ。」
「僕にとっては令嬢を断る仕事が増える場所なんだけど。」
「それはアレン様だけかと。」
「そう?」
「そうです。」
アレンは肩を竦める。
「まあ、寄付なら参加するよ。領地の孤児院にも世話になってるし、王都のやり方を見ておくのも悪くない。」
「承知しました。では、出席の返事を。」
「お願い。」
「それから。」
リリアの声が少しだけ低くなる。
「今回は護衛を増やします。」
「……。」
「夜会での薬物混入。市場での金属片。そして酒蔵への侵入。まだ何者が関わっているのか分かっておりません。」
「分かった。」
アレンは素直に頷いた。
「任せるよ。」
「珍しく素直ですね。」
「僕だって命は惜しいよ。」
「安心いたしました。」
「どういう意味?」
リリアは答えず、招待状を持って執務室を出ていった。
「……絶対失礼なこと考えてたよね。」
返事はなかった。
◇
数日後。
王都。
慈善夜会の会場は、すでに多くの招待客で賑わっていた。
大広間にはいくつものシャンデリアが輝き、壁際には寄付を募るための品々が並んでいる。
アレンが会場へ足を踏み入れると。
「アレン様!」
「お久しぶりです!」
「今夜こそ私と踊ってくださいませ!」
早速だった。
「……。」
アレンは一瞬だけ遠い目をした。
それから、いつもの柔らかな笑みを浮かべる。
「今日は慈善夜会だからね。僕と踊るより、孤児院への寄付をお願いしてもいい?」
「まあ。」
「逃げましたわね?」
「そんなことないよ。」
「では、寄付をしたら踊ってくださいます?」
「それはまた今度かな。」
「アレン様!」
令嬢たちから不満の声が上がる。
アレンは笑いながら、その場を離れた。
(危なかった。)
危ないの意味が違う気もするが。
少なくとも、今夜最初の難所は切り抜けた。
給仕からグラスを受け取る。
けれど口はつけない。
何気ない仕草を装いながら、会場へ視線を巡らせた。
給仕。
出入口。
警備の騎士。
招待客。
(今のところ、変なところはないか。)
先日の夜会で薬を盛られて以来。
さすがに何も考えず酒を口にする気にはなれなかった。
「今夜は召し上がらないのですか?」
「ん?」
すぐ隣から聞こえた声に振り向く。
「ヴィオレット嬢。」
「お久しぶりです、アレン卿。」
紫色の髪を揺らし、ヴィオレットが微笑んでいる。
その少し後ろには、いつもの侍女も控えていた。
「久しぶり。元気そうでよかった。」
「ありがとうございます。アレン卿もお変わりないようで安心いたしました。」
「僕?」
「酒蔵へ侵入者が入ったと伺いましたので。」
「もう知ってるんだ。」
「王都にも噂は届いております。」
「早いなぁ……。」
「領主自ら剣を取られたとも。」
「それはちょっと大袈裟に広まってない?」
「違うのですか?」
「剣は使ったけど。」
「では、間違っておりませんね。」
「そうなる?」
ヴィオレットが小さく笑った。
アレンもつられて笑う。
「でも、怪我はないよ。」
「……そうですか。」
「うん。」
「それなら、よかったです。」
僅かにヴィオレットの表情が柔らかくなる。
アレンは気づかず、手にしたグラスを軽く揺らした。
「それで。」
「はい?」
「さっき、何か言ってなかった?」
「お酒です。今夜は召し上がらないのですか?」
「ああ。」
アレンはグラスを見る。
「一応ね。」
「警戒なさっているのですね。」
「さすがに一回盛られたからね。」
「……。」
「何?」
「いいえ。」
ヴィオレットは微笑んだ。
「学習なさる方で安心いたしました。」
「僕を何だと思ってるの?」
「さて。」
「最近、ヴィオレット嬢も僕の侍女に似てきた気がする。」
「まあ。光栄です。」
「褒めてないよ。」
二人の間に自然と笑いが零れた。
初めて顔を合わせた夜会の時とは違う。
互いに探るようなところは。
少しずつなくなり始めていた。
◇
夜会が進むにつれ、大広間の人波も、少しずつ散っていった。
アレンとヴィオレットは窓際にいた。
外には丸い月が浮かんでいる。
「綺麗ですね。」
ヴィオレットが呟く。
「月?」
「ええ。」
「領地だと、もっと星が見えるよ。」
「そうなのですか?」
「王都みたいに夜でも明るくないからね。空気も澄んでるし。」
アレンは窓の外を眺める。
「夜なんて、すごいよ。星が降ってきそうなくらい見える。」
「……見てみたいです。」
「じゃあ、今度来る?」
「……。」
ヴィオレットが瞬きをした。
「ヴァルティエ領へ、ですか?」
「うん。」
アレンは何でもないことのように頷く。
「前に屋敷へ来てくれた時は昼だったし。今度はゆっくりしていけばいいよ。」
「……よろしいのですか?」
「もちろん。」
ヴィオレットの顔に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。
「では、その時はお言葉に甘えさせていただきます。」
「歓迎するよ。」
アレンも笑う。
それだけの会話だった。
けれど少し離れた柱の陰から。
二人を見つめる者がいた。
「……。」
以前からアレンの動向を探っていた男だった。
男の視線が、アレンからその隣にいるヴィオレットへ移る。
夜会。
市場。
そして今日。
偶然にしては、接触する回数が多い。
「……ローラン家の令嬢か。」
男は二人の姿を目に焼き付けると。
誰にも気づかれないよう、人混みへ紛れた。
◇
夜も更けた頃。
人気のない一室。
男は扉の前で頭を下げていた。
「ご報告いたします。」
「何だ。」
扉の向こうから、低い声が返る。
「アレン・ヴァルティエについてです。」
「話せ。」
「今夜の慈善夜会でも、ヴィオレット・ローランと長く行動を共にしておりました。」
僅かな沈黙。
「……以前にも名が出ていたな。」
「はい。先日の夜会でも接触しております。また、王都の市場でも二人で行動していたことを確認しております。」
「そうか。」
それだけ。
男は頭を下げたまま待つ。
やがて。
「ローラン家について調べろ。」
「家について、ですか?」
「娘だけではない。誰と接触しているか。何をしている家なのか。表に出ているものだけで構わん。」
「承知いたしました。」
「ただし。」
声が少しだけ低くなる。
「気取られるな。」
「はい。」
男は一礼し、その場を後にした。
部屋に静寂が戻る。
そして、暗がりの中で。
「ヴィオレット・ローラン……。」
その名だけが静かに呟かれた。
◇
同じ頃。
夜会を終えたヴィオレットは、ローラン家の馬車に揺られていた。
「お嬢様。」
「何でしょう?」
「随分と楽しそうでございましたね。」
向かいに座る侍女が微笑んでいる。
「そう見えました?」
「はい。」
「……そうですか。」
ヴィオレットは窓の外へ顔を向けた。
ほんの少し口元が緩んでいる。
「ヴァルティエ領へも、お招きいただきましたね。」
「聞いていたのですか?」
「すぐ後ろにおりましたので。」
「……。」
「楽しみですね。」
「まだ伺う日も決まっておりません。」
「ですが、行かれるのでしょう?」
ヴィオレットは少しだけ黙った。
それから。
「ええ。」
小さく笑う。
「星が綺麗だそうですから。」
侍女は何も言わず、微笑んだ。
ヴィオレットは再び窓の外を見る。
王都の夜空には、先ほどアレンと眺めた月が浮かんでいた。
その裏で自分へ新たな視線が向けられ始めたことには、まだ気づいていなかった。




