第78話 利害の一致
ヴィオレットを見送ったアレンは、執務室へ戻った。
部屋へ入ると、リリアが机の上の書類を整理している。
「お帰りなさいませ。」
「ただいま。」
アレンは椅子へ腰を下ろすと、小さく息を吐いた。
その様子を見て、リリアが首を傾げる。
「何かございましたか?」
「ああ。実はね、ヴィオレット嬢から相談を受けたんだ。」
「ご相談、ですか?」
「最近、縁談が増えて困ってるらしくて。恋人がいることにすれば、断りやすくなるんじゃないかって。」
リリアの手が止まった。
「……まさか。」
「うん。」
アレンは少し照れ臭そうに頬を掻く。
「僕に、恋人のふりをしてほしいって。」
一瞬、部屋が静まり返った。
リリアはゆっくりと瞬きをする。
「……お引き受けになったのですか?」
「引き受けたよ。」
あまりにもあっさりとした返事だった。
「僕にとっても、都合がよかったからね。」
「都合、ですか?」
「僕にも似たような話はあるだろ?」
アレンは苦笑する。
「女好きだの遊び人だのって噂されてるのに、それでも娘を嫁にって勧めてくる人はいるし。」
「ええ。領主会議でも、何度かございましたね。」
「一度断って終わりならいいんだけどね。次は別の家、その次もまた別の家。最近は跡継ぎの話までされるし。」
「アレン様も二十歳になられましたから。」
「分かってるよ。」
男の領主として二十歳。
周囲から見れば、そろそろ婚約者を決めてもおかしくない年齢だ。
まして、ヴァルティエ家をこの先も続けていくのであれば、後継者の話が出るのは当然だった。
結婚する気はない。
そう断っても、ではいつなら、どのような令嬢ならと、話を繋ごうとする者は後を絶たない。
「正直、僕の方もそろそろ面倒になってたんだ。」
「面倒、だけでしょうか。」
リリアの言葉に、アレンが僅かに目を細めた。
「……まあ。それだけじゃないけど。」
縁談が具体的になれば、相手の家との付き合いも深くなる。
婚約となれば当然、相手はアレンのすぐ近くへ入り込むことになる。
生まれた時から男として生きてきたアレンにとって、それはできるだけ避けたいことだった。
結婚となれば、なおさらだ。
「だから。」
アレンは指を一本立てる。
「ヴィオレット嬢には、恋人がいることになる。」
二本目。
「僕にも、恋人がいることになる。」
そして、満足そうに笑った。
「お互い、縁談を断りやすくなる。」
「……なるほど。」
「利害が一致したんだよ。」
本人は至って真面目だった。
リリアは、そんなアレンを暫く見つめる。
「何?」
「いえ。双方に利点があるのでしたら、よろしいのではないでしょうか。」
「だろ?」
アレンは満足そうに頷いた。
「ヴィオレット嬢も助かるし、僕も助かる。」
「はい。」
「それに、ヴィオレット嬢なら安心だし。」
リリアの手が再び止まった。
「……安心、ですか?」
「うん。」
「どうしてでしょう。」
「どうしてって……。」
アレンは少し考える。
「一緒にいて話しやすいし、必要以上に人の事情へ踏み込んでくるような人でもない。僕が話したくないことを、無理に聞こうともしないし。」
「……。」
実際には、そのヴィオレットこそ、アレンが隠しているものへ誰よりも近づいている。
アンとレイ、そして、アレン。
三つの姿が同じ人物であると気付きながら、それ以上を無理に暴こうとはしなかった。
けれど、アレンはまだ何も知らない。
「それに、僕のことを信頼してるって言ってくれたから。」
「そうですか。」
「うん。」
アレンは少し笑った。
「だから、恋人のふりをするなら、ヴィオレット嬢でよかったと思う。」
「……。」
リリアは何も言わなかった。
ただ、手元の書類を綺麗に揃える。
「……何?」
「何でもございません。」
「今、笑っただろ。」
「いいえ。」
「笑ったよ。」
「気のせいでは?」
「絶対笑った。」
リリアは答えず、次の書類をアレンの前へ置いた。
「こちらもお願いいたします。」
「誤魔化した。」
「お仕事です。」
「はいはい。」
アレンは不満そうに言いながら、ペンを手に取った。
恋人のふり。
困っている者同士が、互いの利益のために協力するだけ。
ヴィオレットは縁談を断りやすくなり、自分も余計な縁談から距離を置ける。
そして、相手がヴィオレットなら安心できる。
これ以上ないほど都合のいい話だ。
少なくとも、アレンはそう思っていた。
ただ、引き受けたからには適当に済ませるつもりもない。
ヴィオレットは、自分を信頼して頼んでくれたのだ。
恋人に見えなければ意味がないと言っていた。
なら、自分もそれらしく振る舞わなければならない。
「……恋人、か。」
「何か?」
「何でもない。」
アレンは書類へ視線を戻した。
けれど、すぐにペンの動きが止まる。
恋人らしく見えるように振る舞う。
そう決めたところで。
「……何をすれば、恋人に見えるんだ?」
「私にお尋ねですか?」
「いや、独り言。」
「左様でございますか。」
「……何か知ってる?」
「さて。」
「絶対知ってる顔してる。」
「お仕事を。」
「はいはい。」
再び書類へ向き直りながら、アレンは考える。
ヴィオレットは、王都で一緒に出掛ければいいと言っていた。
腕を組むとも。
それは分かった。
けれど、どこへ行けばいいのか、何をすれば、ヴィオレットが楽しめるのか。
そもそも恋人同士は、二人で出掛けて何をするのか。
考えてみれば、アレンにはまるで分からなかった。
引き受けた以上、失敗するつもりはない。
少しくらい、事前に調べておいた方がいいかもしれない。
そんなことを考えながら、アレンはようやく止まっていたペンを動かした。
◇ ◇ ◇
一方、王都へ戻る馬車の中。
ヴィオレットは窓の外を眺めていた。
ヴァルティエ領の街並みが、少しずつ遠ざかっていく。
その表情はいつもと変わらない。
けれど、先ほどから何度も同じ言葉が頭の中を巡っていた。
――分かった。ヴィオレット嬢が困ってるなら、協力するよ。
「……。」
ヴィオレットはそっと胸元へ手を添えた。
まだ、少しだけ鼓動が速い。
本当に引き受けてくれた。
恋人のふりを、縁談を断るため。
それは嘘ではない。
実際に最近は縁談の話が増えている。
けれど、それだけなら他にも方法はあった。
病弱を理由にしてもいい、父にもっと強く断ってもらってもいい。
これまでどおり、自分で断り続けることもできる。
それでも、アレンを選んだ。
理由など、自分が一番よく分かっていた。
会いたかった。
ヴィオレット・ローランとして、アレンの隣にいたかった。
そして今は、その隣へ、もう少し近づいてみたかった。
「恋人のふり……。」
小さく口にする。
たったそれだけで、頬が僅かに熱を持った。
次は二人で王都を歩く。
ただ並んで歩くのではない。
周囲から恋人に見えるように。
――腕を組む、など。
「……。」
自分で言った言葉を思い出し、ヴィオレットはそっと窓の外へ顔を向けた。
誰も見ていないというのに、緩みそうになった口元を隠すように。
「……ふり、ですものね。」
自分へ言い聞かせる。
これは縁談を断るための芝居。
アレンにとっても、自分にとっても都合のいい関係。
それだけ。
――僕も、ヴィオレット嬢に会いたいし。
数日前の言葉が、ふいに蘇る。
「……。」
ヴィオレットは今度こそ口元へ手を当てた。
「ふり、ですから。」
もう一度、先ほどよりも小さな声で呟く。
利害は、確かに一致している。
ただ。
その先に欲しいものまで同じなのかは、まだヴィオレットにも分からなかった。




