第76話 終わらせたくない
王城を後にしたアレンは、リリアとともに馬車へ向かっていた。
レオンハルトは拘束された。
父と母の死も、十五年ぶりに正式な捜査の対象となった。
まだ何も終わってはいない。
それでも、ようやく一区切りついた。
「ひとまず、一区切りですね。」
隣を歩くリリアが静かに言う。
「うん。まだこれからだけどね。」
これから正式な捜査が行われる。
十五年前、何があったのか、誰が関わっていたのか、レオンハルトが父と母の死へどこまで関与していたのか。
明らかにしなければならないことは、まだ残っている。
「……長かったな。」
アレンがぽつりと呟く。
「十五年。」
「はい。」
「もっと、何かあると思ってた。」
「何か、とは?」
「分からない。嬉しいとか、やっと終わったとか。」
けれど、実際にレオンハルトが拘束されても、胸の中は不思議なほど静かだった。
父と母が帰ってくるわけではない。
失った十五年が戻るわけでもない。
ただ、あの日何があったのか、その真実へ、ようやく手が届こうとしている。
「まあ、まだこれからだね。全部分かってから考えるよ。」
「はい。」
アレンはそう言って、前を向いた。
その時。
「アレン卿?」
聞き覚えのある声に、アレンが振り返る。
「ヴィオレット嬢。」
王城の正門へ続く道に、ヴィオレットが立っていた。
淡い色のドレスに身を包み、少し離れたところにはローラン侯爵家の従者が控えている。
「奇遇ですね。」
「うん。ヴィオレット嬢も王城に?」
「ええ。父の使いで参りました。」
「そっか。」
アレンは自然に笑った。
ここ最近、王都へ来る機会が増えたせいか、こうしてヴィオレットと顔を合わせることも以前より多くなっていた。
「アレン卿は、もうお帰りですか?」
「うん。こっちでの用事も済んだからね。」
「では、ヴァルティエ領へ?」
「ああ。しばらくは領地の仕事に戻るつもり。」
「そうですか。」
ヴィオレットは、いつものように穏やかに微笑んだ。
「では、今までのように王都へいらっしゃることも、少なくなるのでしょうか。」
「たぶんね。最近はこっちに用事が続いてたから何度も来てたけど、それも一区切りついたし。前みたいに頻繁には来ないと思う。」
「……そうなのですね。」
ヴィオレットは静かに答える。
もちろん、本当の事情は知っている。
アレンが何のために王都へ来ていたのか、何を追っていたのか、そして今日、レオンハルトが拘束されたことも。
情報屋として、すでに把握している。
けれど、今ここにいるヴィオレット・ローランは何も知らない。
知らないふりをしなければならない。
それでも、胸の奥へ浮かんだ寂しさだけは誤魔化せなかった。
アレンが王都へ来なくなれば、ヴィオレット・ローランとして、こうして顔を合わせる機会は減ってしまう。
それだけではない。
十五年前の事件が解決へ向かえば、情報屋としてアレンのもとを訪れる理由も、いずれなくなる。
「それでは、お会いする機会も減ってしまいますね。」
「そうなるかな。」
「……少し、寂しくなりますね。」
「え?」
アレンが目を瞬いた。
言ってから、ヴィオレットはほんの僅かに後悔した。
思ったままを口にしてしまった。
「申し訳ございません。最近は何度かお会いする機会がございましたので。以前のように戻るだけなのですけれど。」
「じゃあ、また会おう。」
「……え?」
今度はヴィオレットが目を瞬いた。
「王都に来る用事が減るだけだろ?」
「それは、そうですが。」
「別に、会っちゃいけないわけじゃないんだから。僕が王都に来てもいいし、ヴィオレット嬢がこっちに来てくれてもいい。」
「ヴァルティエ領へ、ですか?」
「うん。」
「私が?」
「もちろん。歓迎するよ。」
アレンは何でもないことのように笑った。
ヴィオレットは、すぐには答えられなかった。
「ヴィオレット嬢?」
「いえ。少し驚いただけです。」
「そんなに驚くこと?」
「私にとっては。」
「そっか。」
やはり、分かっていない。
きっとアレンにとっては、親しい相手を領地へ招くのとそれほど変わらないのだろう。
だからこそ、困る。
「本当に、お伺いしてもよろしいのですか?」
「いいよ。ヴィオレット嬢が来たい時に来ればいい。」
「……。」
「それに、僕もヴィオレット嬢に会いたいし。」
ヴィオレットの表情が止まった。
「ヴィオレット嬢?」
「……はい。」
「どうしたの?」
「何でもございません。」
そう答えるのが精一杯だった。
本人は、おそらく深い意味など考えていない。
ただ、会いたいから会えばいい。
それだけのことなのだろう。
けれど、ヴィオレットには、その言葉だけで十分だった。
「では、今度、本当にお伺いしても?」
「うん。待ってる。」
「……はい。必ず。」
アレンも笑う。
「じゃあ、約束ね。」
「はい。約束です。」
ほんの短い約束。
それなのに、ヴィオレットには妙に大切なものへ思えた。
「それでは、アレン卿。また。」
「うん。またね。」
ヴィオレットは一礼し、従者とともに歩き出した。
その背中をアレンはしばらく見送ると、再び馬車へ向かって歩き出した。
「アレン様。」
「ん?」
「随分と自然に、お誘いになりましたね。」
「ヴィオレット嬢を?」
「はい。」
「だって、会えなくなるのが寂しいって言われたから。」
「なるほど。」
「……何?」
「いいえ。何でもございません。」
リリアが僅かに笑う。
「絶対何かあるだろ。」
「馬車が待っております。」
「また誤魔化した。」
アレンは不満そうに言いながら、リリアとともに歩いていった。
◇ ◇ ◇
一方、ローラン家の馬車へ向かっていたヴィオレットは、先ほどの言葉を何度も思い返していた。
――僕も、ヴィオレット嬢に会いたいし。
「……。」
思わず口元が緩む。
最近、アレンが王都へ来るたび、偶然を装って会ったこともあった。
ヴィオレット・ローランとして。
そして、情報屋として。
二つの姿で、何度もアレンと顔を合わせた。
けれど、王都での用事が済めばアレンは領地へ戻る。以前のように頻繁に会うことはなくなる。
それが、思っていた以上に寂しかった。
そして、情報屋としての依頼もいつかは終わる。
十五年前の事件が明らかになれば、アレンのもとへ報告に行く理由も少しずつなくなっていく。
それは当然のことだった。
依頼には、終わりがある。
けれどヴィオレットは、それでアレンとの関係まで終わってしまうような気がしていた。
だから今日、寂しいと口にしてしまった。
そして、アレンは言った。
――ヴィオレット嬢が、こっちに来てくれてもいい。
理由がなくても、会いに行っていい。
情報がなくても、依頼がなくても、ヴィオレット・ローランとして、アレンへ会いに行っていい。
「……でしたら、本当にお伺いしますからね。」
小さく呟く。
その声は誰にも聞こえない。
けれど、足取りは先ほどより僅かに軽かった。
終わりへ向かっているものがある。
情報屋として始まった依頼も、十五年前から続いていた事件も、いつかは終わる。
けれど、アレンとの関係まで終わらせる必要はない。
理由がなくても、会いに行っていい。
今日、アレン自身がそう言ってくれた。
なら。
今度は、偶然ではなく。
自分から会いに行く。
この関係を。
終わらせたくはなかった。




