第74話 照合
王城。
アレンとリリアは、王の側近が待つ執務室へ案内されていた。
「ヴァルティエ卿。オルブライト商会の件で、新たなものが見つかったと伺いました。」
「はい。」
席を勧められたアレンは、抱えてきた木箱を机の上へ置いた。
「オルブライト商会主が、生前に王都中央銀行へ預けていたものです。」
「オルブライトが?」
「自分が死亡した場合、僕へ貸金庫の存在を知らせるよう銀行と契約していました。」
側近の眉が僅かに動く。
「なぜ、ヴァルティエ卿を指定したのです。」
「それも、この中に書き残されています。」
アレンは木箱を開いた。
中から取り出したのは、一冊の古びた帳面。
二つの印について記された紙、封蝋の残る古い書状、そして、アレンへ宛てられた一通の手紙。
「こちらの帳面は?」
「オルブライト本人が保管していた取引の原記録です。」
「原記録?」
「はい。商会に残した帳簿とは別に、実際に行った取引を記録していたと、この手紙にあります。」
アレンはオルブライトの手紙を差し出した。
「商会に残した帳簿では、取引相手や金額の一部を書き換えていたそうです。」
側近は手紙へ目を通していく。
読み進めるにつれ、その表情が険しくなった。
「……しかし、オルブライト本人がそう書き残しているだけでは、この帳面が本当に当時の記録である証明にはなりません。」
「はい。だから、照合したいんです。」
「何と?」
「火災現場から回収された、オルブライト商会の帳簿です。」
側近は僅かに考えた後、机の上の鐘を鳴らした。
間もなく、一人の文官が入室する。
「オルブライト商会の焼け跡から回収された帳簿を。判読可能なものは、すべてこちらへ。」
「かしこまりました。」
◇ ◇ ◇
しばらくして、数冊の帳簿が執務室へ運び込まれた。
焦げた革表紙、消火の水を吸って波打った頁、端が焼け落ち、文字の一部が失われているものもある。
「火災現場から回収できたものは、こちらです。」
側近は手袋を嵌め、一冊を慎重に開いた。
その隣へ、アレンが貸金庫から持ち出した原記録を置く。
「同じ取引を探しましょう。」
「はい。」
文官が二冊を見比べていく。
日付。
荷の種類。
数量。
搬入場所。
紙をめくる音だけが、静かな執務室へ響いた。
やがて。
「……ありました。」
文官の指が止まる。
「同じ日付です。」
側近も覗き込んだ。
原記録には、東倉庫へ運び込まれた荷の種類、数量、そして取引に用いられた金額が記されている。
一方、商会の帳簿にも同じ日の取引が残されていた。
「日付は一致しています。荷の種類も同じ。数量も……一致しております。」
「でも。」
アレンが二冊を見比べる。
「金額が違う。」
文官の手が止まった。
「……確かに。」
原記録と商会の帳簿では、記された金額が明らかに異なっている。
「取引相手も違いますね。」
リリアが静かに指摘した。
原記録には、取引相手の名の代わりに一文字。
――L。
だが、商会側の帳簿には、王都に実在する別の商人の名が記されていた。
「他の日も確認してください。」
側近の言葉に、文官が再び頁をめくる。
一件。
二件。
三件。
結果は同じだった。
日付、荷の種類、数量、東倉庫へ入ったという記録。
そこまでは一致する。
だが、金額と取引相手だけが違っていた。
「……偶然とは考えにくいですね。」
文官が低く呟く。
「ええ。」
側近の表情も険しい。
「同じ箇所だけが、繰り返し変えられている。」
アレンは原記録へ視線を落とした。
オルブライトが手紙に書き残していたとおりだった。
すべてを書き換えれば、実際に動いた荷との辻褄が合わなくなる。
だから、実際に動かしたものは残した。
日付。
荷の種類。
数量。
その代わり、誰と取引したのか、いくら動いたのか。
そこだけを別のものへ置き換えていた。
「隠していたんだ。」
アレンが小さく呟く。
「この『L』との取引を。」
側近は答えず、原記録をさらに遡っていく。
「十五年前の記録は?」
「こちらです。」
アレンが頁を開いた。
父と母が亡くなった年。
そこにも東倉庫の名と、何度も現れる『L』が残されている。
文官が焼け残った帳簿から同じ時期の記録を探していくが、十五年前の頁は他よりも損傷が激しかった。
「……焼損が酷いですね。」
「読めませんか?」
「すべては難しいかと。ただ、日付の一部と荷の数量は読み取れます。」
文官は頁を傷つけないよう慎重に確認し、原記録と一つずつ照らし合わせていく。
しばらくして、その指が止まった。
「……一致しています。」
アレンの瞳が僅かに細くなった。
すべてを読み取ることはできない。
けれど、原記録と同じ時期に、同じ数量の荷が動いたことは商会側の帳簿にも残っている。
少なくとも、この原記録にだけ存在する架空の取引ではない。
「次はこちらを。」
アレンは木箱から古い書状を取り出した。
黄ばんだ紙、一部が欠けた封蝋、そして、末尾に残された一文字。
――L。
「オルブライトは、この書状も一緒に保管していました。」
側近が慎重に受け取る。
「内容は?」
「指定された日に東倉庫へ荷を入れること。表向きの記録とは分けて処理すること。その後、指定された経路へ荷を流すことです。」
「署名はありませんね。」
「はい。」
側近の視線が、書状に残された封蝋へ向かう。
「これは……。」
「僕たちは、ラミレス公爵家のものではないかと考えています。」
側近の目が僅かに細められた。
「確かに、紋章は似ています。」
「でも、似ているだけじゃ駄目です。本当にラミレス公爵家で使われていたものなのか。紙やインクが十五年前のものなのか。それも調べてください。」
「筆跡も、ですね。」
「はい。」
側近はしばらく書状を見つめた後、静かに頷いた。
「専門の者に確認させましょう。」
「お願いします。」
アレンは木箱に残された手紙へ視線を落とした。
「それから、この『L』についてです。」
オルブライトの手紙を机へ置く。
そこには、帳面に何度も記された符号の意味が、はっきりと書かれていた。
――レオンハルト・アルマダ・ラミレス。
執務室の空気が僅かに重くなる。
「……ヴァルティエ卿。」
「はい。」
「これが事実であれば、極めて重大な告発です。現職の公爵が長年にわたり不正な取引へ関与し、さらに、十五年前のご両親の死にも関わった可能性がある。」
「はい。」
アレンの声は静かだった。
けれど、膝の上に置いた手には僅かに力が入っている。
「でも、まだ可能性です。」
側近がアレンを見る。
「オルブライトがそう書き残したからといって、それだけですべてが事実になるわけじゃない。」
レオンハルトを疑っている。
これまでの出来事を考えれば、無関係だとも思えない。
それでも。
「僕は、この人の言葉だけでレオンハルト公爵を罪人にしたくありません。この帳面が本当に当時のものなのか。商会の帳簿が、なぜ書き換えられていたのか。外へ提出された記録には何が残っているのか。この書状が、本当にラミレス公爵家から出されたものなのか。一つずつ確かめます。」
一度、息を置く。
「そして、十五年前、父上と母上に何があったのか。それも、今度こそ確かめたい。」
側近はしばらくアレンを見つめていた。
やがて、静かに頷く。
「分かりました。王城に保管されているオルブライト商会の過去の申告記録を調べます。」
「十五年前まで?」
「可能な限り遡らせます。」
「ありがとうございます。」
「ただし、この件はまだ外へ漏らさない方がよいでしょう。」
「僕もそう思います。もしラミレス公爵が本当に関与しているなら、こちらが証拠を掴んだと知られれば、残っているものまで消されるかもしれない。」
「そのとおりです。」
側近は机の上に並んだ記録を見渡した。
「照合と鑑定が終わるまで、この件を知る者は最小限に留めます。」
「お願いします。」
アレンは十五年前の頁へ目を落とした。
東倉庫、二つの印、偽装された取引、古い指示書。
そして、何度も記された『L』。
まだ、レオンハルトの罪が証明されたわけではない。
けれど、死者の言葉だけだったものに、別の記録が重なり始めている。
焼け跡から回収された帳簿。
王城に残された申告記録。
十五年前の書状。
紙。インク。筆跡。封蝋。
それらを一つずつ照らし合わせていく。
死人の言葉を、死人の言葉だけで終わらせないために。
十五年前、五歳だったアレンから父と母を奪った出来事。
その真相へ続く記録が、少しずつ。
誰にも否定できない形へ変わり始めていた。




