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第72話 最後の保険


 ヴァルティエ領。


 午後の執務室には、紙をめくる音だけが静かに響いていた。


 オルブライト商会の火災から数日。


 アレンは約束どおり、領地を離れていなかった。


 王都へ行きたい気持ちが消えたわけではない。


 焼け落ちた商会、亡くなった商会主。、東倉庫、十五年前から使われていた焼印、そしてそこからオルブライト商会へ運び込まれていた荷。


 考えれば考えるほど、自分の目で確かめたいことは増えていく。


 それでも、今は情報屋を信じる。


 そう決めた。


「アレン様。こちら、南地区から届いた報告書です。」


「ありがとう。」


 リリアが差し出した書類へアレンが手を伸ばしかけた、その時。


 コンコン。


 扉が控えめに叩かれた。


「失礼いたします。」


 入ってきた執事が一礼する。


「アレン様へ、お届け物がございます。」


「僕に?」


「はい。王都中央銀行より。」


 アレンの手が止まった。


「……銀行?」


「こちらでございます。」


 差し出されたのは、一通の厚い封書だった。


 表にはアレン・ヴァルティエの名。


 裏には王都中央銀行の封蝋が押されている。


 アレンはそれを受け取り、封を切った。


 中には一通の書簡と、さらに厳重に封をされた小さな包みが入っていた。


「……何だろう。」


 リリアもアレンの隣へ歩み寄る。


 アレンはまず書簡を開いた。


 そこに記されていたのは、王都中央銀行に保管されている一つの貸金庫についての通知だった。


 契約者の死亡が確認されたこと。


 その死亡を条件として、あらかじめ指定されていた人物へ貸金庫の存在を通知すること。


 そして、その指定された人物が――アレン・ヴァルティエであること。


「……僕?」


 思わず声が漏れた。


 さらに読み進める。


 貸金庫を開けることができるのは、アレン本人のみ。


 王都中央銀行へ出向き、身分を証明した上で、同封された封印済みの包みを係員へ提示すること。


 そして最後に、契約者の名が記されていた。


 アレンの瞳が大きく見開かれる。


「……オルブライト。」


「まさか。」


 リリアが小さく息を呑んだ。


「ああ。オルブライト商会主だ。」


 部屋に静寂が落ちた。


 火災で亡くなった男。


 その男が、自分の死後にアレンへ貸金庫の存在を知らせるよう、生前から手配していた。


「なぜ、アレン様を……。」


「分からない。」


 アレンは首を横に振った。


 オルブライトと個人的な親交はない。


 直接話をしたことも、ほとんどない。


 まして、十五年前の出来事を調べていると本人へ告げた覚えもなかった。


 それなのに、オルブライトは自分を指定している。


 アレンは封印された小さな包みを手に取った。


 銀行へ持参するよう指示されたものだ。


 まだ中身さえ分からないはずなのに、妙に重く感じた。


「……自分が死んだら、僕へ知らせるようにしてた。」


「そのようですね。」


「なら、オルブライトは自分が殺される可能性を――」


「アレン様。」


 静かな声に、アレンは言葉を止めた。


「それだけでは、まだ分かりません。」


「……うん。」


「ご自身に何かあった場合へ備えていた。それは確かです。ですが、それが今回の火災やご自身の死を予想していたことになるかは、別でしょう。」


「そうだね。」


 アレンは小さく息を吐いた。


 分かっていたはずなのに、気持ちが先に答えを求めようとしていた。


 火災が放火だったのか。


 オルブライトが殺されたのか。


 それさえ、まだ確定していない。


 けれど、一つだけ確かなことがある。


 オルブライトは生前、自分が死んだ後に初めて動く仕組みを作っていた。


 そして、その先にいる人間としてアレンを選んだ。


「……確認するしかないね。」


「はい。」


 アレンは書簡を机の上へ置いた。


「王都へ行く。」


 今度は、リリアも反対しなかった。


「承知いたしました。」


 アレンが少しだけ目を丸くする。


「止めないんだ。」


「これは、先日とは事情が違います。アレン様ご本人が指定されております。代理では、貸金庫を開けることもできません。」


「うん。」


「ですが、お一人では行かせません。」


「……やっぱり?」


「当然です。王都では襲撃を受けています。領地でも、アレン様を狙ったと思われる者が動きました。その状況で、お一人で向かわせるわけには参りません。」


「分かったよ。護衛は任せる。」


「私も同行いたします。」


「リリアも?」


「何か問題でも?」


「いや。ない。」


 むしろ、止めても聞くようには見えない。


「では、明朝出発できるよう手配いたします。」


「お願い。」


 リリアが部屋を出ようとする。


 その背中へ、アレンが声を掛けた。


「リリア。」


「はい?」


「情報屋にも知らせておいて。」


「王都へ向かわれることを?」


「ああ。この前、王都には行かないって決めたばかりだからね。今回は事情が違うけど、何も言わずに行ったら心配するだろうから。」


 リリアは一瞬だけ、アレンを見つめた。


「……そうですね。」


「何?」


「いえ。いつもの連絡先へ伝えておきます。」


「ありがとう。」


 扉が閉じる。


 一人になった執務室で、アレンはもう一度、銀行から届いた書簡を読み返した。


 なぜ、オルブライトは自分を選んだのか。


 なぜ、生きている間ではなく、自分の死後にだけ動くようにしたのか。


「……何を残したんだ。」


 答えは、王都にある。


     ◇ ◇ ◇


 翌朝。


 ヴァルティエ邸の前には一台の馬車が停まり、その前後には護衛を務める者たちの馬も並んでいた。


 荷物と人数を確認していたリリアが、アレンへ振り返る。


「準備が整いました。」


「うん。」


 アレンは馬車へ乗り込んだ。


 懐には、王都中央銀行から届けられた書簡。


 そして、封印された小さな包み。


 以前とは違う。


 気になるからと、自分から危険な場所へ飛び込むわけではない。


 亡くなったオルブライトが、明確に自分を指定して何かを残している。


 それを確かめに行く。


 やがて、馬車がゆっくりと走り出した。


 目指す先は、王都中央銀行。


 そして、オルブライトが自分の死後にだけ開くよう残した貸金庫。


 商人が最後に用意していた一つの〝保険〟が、止まっていた十五年前の調査を再び動かそうとしていた。


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