第71話 それぞれの思惑
翌朝。
ヴィオレットは朝食もそこそこに、再び情報室へ向かっていた。
長机には王都の地図が広げられ、その上には東倉庫地区、オルブライト商会、そして火災後の人の動きを記した報告が整然と並べられている。
「おはようございます、お嬢様。」
集まっていた者たちが一斉に頭を下げる。
「昨夜からの動きを。」
ヴィオレットは席へ着きながら促した。
一人が報告書を開く。
「兵による現場検証は現在も続いております。焼け跡から発見された帳簿についても確認が進められておりますが、新たに判明したことはございません。」
「東倉庫との取引記録。焼印の付いた荷の記録。そして、通常の帳簿では確認できない取引。そこまでは昨日と同じですね。」
「はい。」
「商会以外へ繋がるものは?」
「今のところ、確認されておりません。」
「そうですか。」
十五年前から東倉庫地区で使われ続けてきた焼印。
そして現在、その印が付いた荷はオルブライト商会へ運び込まれていた。
だが、火災によって表へ出たのはオルブライト商会自身の不正ばかり。
その先へ繋がるものは、何一つ見つかっていない。
「商会主の周辺は?」
「家族、使用人、商会の従業員まで確認を進めております。火災後に所在が分からなくなっていた者についても、順次確認が取れております。」
「不自然な動きをした者は?」
「今のところは。」
「分かりました。」
ヴィオレットは次の報告へ目を移した。
「刀傷の男は?」
「昨夜から王都各所を探しておりますが、まだ見つかっておりません。」
「城門は?」
「確認しております。該当する男が王都を出たという報告はございません。」
「……なら、王都に残っている可能性が高いですね。」
「はい。ただ、変装している可能性もございます。」
「そうですね。」
ヴィオレットは王都の地図へ目を落とした。
左頬に古い刀傷を持つ男。
東倉庫へ出入りし、オルブライト商会にも姿を見せていた。
さらに、こちらの尾行へ気付き、逆に動きを探ったことさえある。
こちらで最後に確認できたのは火災の前。
それ以降、姿が見えない。
だからといって、火災に関わっているとは限らない。
けれど、探す理由としては十分だった。
「捜索は続けてください。ただし、昨夜申し上げたとおり接触は不要です。こちらが探していることも悟られないように。」
「承知しております。」
別の者が口を開いた。
「東倉庫ですが、今朝も通常どおり人の出入りがございます。」
ヴィオレットが顔を上げる。
「荷は?」
「通常の荷は動いております。ですが、例の焼印が付いた荷については、火災以降、搬出を確認できておりません。」
「……止まりましたか。」
「はい。」
ヴィオレットの視線が地図へ戻る。
オルブライト商会が焼けた。
それまで商会へ運ばれていた荷も、同時に止まった。
ならば、次に動いた時、その行き先が、新たな手掛かりになる可能性がある。
「監視はこれまでどおり続けてください。人数も変えないように。」
「増やさなくてもよろしいのですか?」
「ええ。火災があった途端にこちらまで動きを変えれば、見ている者がいれば気付かれます。」
「承知いたしました。」
「見るべきなのは、焼け跡だけではありません。」
ヴィオレットの指が地図の上を滑る。
焼け落ちたオルブライト商会から東倉庫へ、そして、王都の各所へ。
「商会がなくなったことで、誰の動きが変わるのか。止まった荷が、次にどこへ向かうのか。今まで商会を訪れていた者が、次に誰と接触するのか。そして、何も動かないのであれば、それも情報です。」
一人が僅かに目を見開いた。
「相手も、こちらの出方を見ている可能性があると?」
「あります。ですから、焦る必要はありません。」
相手がこちらを見ているのなら、こちらも相手を見る。
先に動いた方が、次の手掛かりを与えることになる。
「承知いたしました。」
全員が一斉に頭を下げ、それぞれが情報室を後にしていった。
一人になったヴィオレットは、机の上の報告へ視線を落とす。
オルブライト商会は燃え、商会主も亡くなった。
そして、焼印の付いた荷は止まった。
十五年前から使われてきた印、その先にあるものが、本当にここで途切れたとは思えない。
「……次は、どこへ運ぶつもりなのでしょうね。」
小さな呟きが、静かな情報室へ溶けていった。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
ラミレス公爵邸。
レオンハルトは執務室で、朝の報告へ目を通していた。
扉が静かに叩かれる。
「入れ。」
現れたのは側近だった。
「ご報告いたします。オルブライト商会の火災について、王都では商会主が裏で不正な取引を行っていたのではないかとの噂が広がっております。」
「そうか。」
レオンハルトは興味もなさそうに書類をめくる。
「兵の調査は?」
「現在も続いております。ですが、公爵家へ繋がるものは発見されておりません。」
「当然だ。」
すでに刀傷の男から報告は受けている。
商会にもオルブライトの屋敷にも、自分へ繋がる書状や命令書は残されていなかった。
ならば、今のところ問題はない。
「東倉庫は?」
「通常どおり稼働しております。」
「そのままにしておけ。商会が一つ消えた程度で倉庫まで動きを変えれば、かえって余計な疑いを招く。」
「承知しております。」
「例の荷は?」
「倉庫内に留めております。代わりの受け口も、いくつか候補を用意しております。」
「まだ動かすな。」
側近が顔を上げる。
「よろしいのですか?」
「ああ。今すぐ別の商会へ流せば、オルブライトとの繋がりを追っている者へ、次の受け口を教えるようなものだ。」
「では、しばらくは。」
「待て。」
長く続けてきた仕組みだ。
数日止めたところで、大した問題にはならない。
それよりも。
「例の連中は?」
「東倉庫周辺を探っていた者たちでしょうか。」
「ああ。」
「火災後も、それらしい者の動きは見ております。」
「変化は。」
「ほとんどございません。周辺を見る人間が急に増えた様子もありません。」
レオンハルトの指が止まった。
「……そうか。」
オルブライト商会が焼けた。
追っていた道の一つが突然消えたのだ。
普通なら焦る。
監視を増やすか、別の場所を探るために何かしら動く。
だが、変わらない。
「慎重だな。」
「はい?」
「こちらが見ている可能性まで考えているのかもしれん。」
側近の表情が僅かに強張る。
「では、やはり捕らえますか?」
「いや。向こうがこちらを見るなら、こちらも見ていればいい。無理に捕らえれば、その者が戻らないことで背後にいる者へ警戒を与える。」
「泳がせるのですね。」
「ああ。誰に報告するのか。どこへ戻るのか。それだけ分かれば十分だ。」
「承知いたしました。」
側近は一礼し、部屋を出ようとする。
「待て。」
足を止めた。
「ヴァルティエは?」
「領地に戻ったままです。王都へ向かう動きも確認されておりません。」
「……そうか。」
レオンハルトは僅かに目を細めた。
オルブライト商会が燃えた。
十五年前の出来事を探っているのなら、若い領主が王都へ飛んできても不思議ではない。
だが、アレンも動かない。
「……こちらもか。」
「旦那様?」
「いや。ヴァルティエ領の監視は続けろ。ただし、近づき過ぎるな。」
「承知いたしました。」
今度こそ側近が退室する。
扉が閉じた。
レオンハルトは一人、椅子へ背を預ける。
オルブライトは消えた。
商会にも屋敷にも、自分へ繋がるものは残っていない。
盤上から、不要になった駒を一つ取り除いた。
それだけのこと。
だが、盤の向こう側には未だ姿の見えない誰かがいる。
「さて。」
レオンハルトは静かに笑った。
「次は、どちらが動く。」
◇ ◇ ◇
王都では、ヴィオレットが動かなくなった荷を見ていた。
次にどこへ向かうのか、それを知るために、動かない。
ラミレス公爵家では、レオンハルトが自分たちを探る者を見ていた。
誰のために動いているのか、それを知るために、動かない。
そしてヴァルティエ領では、アレンもまた情報屋との約束を守り、動かずに報告を待っていた。
誰もが相手の一手を待っている。
先に動けば、何かを見せることになるから。
だから、盤面は一度、完全に止まった。
けれど。
その三者が知らないところで、すでに別の一手が動き始めていた。




