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第7話 噂の領主


 王都の市場は、今日も多くの人で賑わっていた。


 通りの両側には露店が並び、果物や焼き菓子、色鮮やかな布。


 王都の外から運び込まれた珍しい香辛料まで、様々な品が所狭しと並べられている。


「王都はやっぱり活気があるね。」


 露店を眺めながら、アレンが笑う。


 その隣をヴィオレットが侍女を伴って歩いていた。


「アレン卿は、王都へよくいらっしゃるのですか?」


「年に数回くらいかな。夜会とか、会議とか、王城に呼ばれた時とか。」


「そうなのですね。」


「領地をあまり長く空けたくないんだ。」


「領主とは大変なお仕事ですのね。」


「まあね。」


 アレンは肩を竦める。


「でも、好きでやってるから。」


「お好きなのですか?」


「うん。」


 答えは迷いがなかった。


「父たちが残してくれた領地だからね。」


「……。」


 ヴィオレットは、隣を歩くアレンを見る。


 夜会で聞いていた噂とはやはり、どこか違う。


 酒を好み。


 毎晩のように女性を連れ歩く遊び人。


 王都では、そんな話ばかりが広まっている。


 けれど実際に言葉を交わしたアレンからは、今のところ、その噂を裏付けるようなものは、ほとんど感じられなかった。


「どうかした?」


「いいえ。」


「ずっと僕のこと見てたけど。」


「まあ。お気づきでしたの?」


「それだけ見られたらね。」


 アレンが苦笑する。


「何かついてる?」


「いいえ。ただ……。」


 ヴィオレットは少し考える。


「噂とは随分違う方だと思いまして。」


「ああ。」


 アレンは納得したように頷いた。


「女好きの遊び人?」


「ご自覚がおありなのですね。」


「そりゃあね。僕の噂だし。」


「気になさらないのですか?」


「別に。」


 あっさりと返される。


「好きに言わせておけばいいよ。」


「……そういうものですか?」


「実害がなければね。」


 むしろ。


 今のアレンにとっては、あの噂がある方が都合がいい。


 夜会で令嬢たちから誘われても他に女性がいると言えば、それ以上深く踏み込まれずに済む。


 もちろん、そんな事情までヴィオレットに話すつもりはない。


「それに。」


「はい?」


「僕が何をしてるかは、領地の人たちが分かってくれてれば十分だから。」


「……。」


 ヴィオレットが僅かに目を細める。


 その言葉は、妙にアレンらしいと思った。


 まだ知り合って間もないというのに。


     ◇


 二人が市場の中央へ差しかかった時だった。


「待って!」


 突然女性の叫び声が響いた。


「え?」


 アレンが振り返る。


 坂になった通りの上から、一台の荷車が勢いよく下ってきていた。


 荷物を積んだまま車輪が石畳の上を跳ねる。


「危ない!」


「退いて!」


 人々が慌てて道を空ける。


 その先に幼い少女が立っていた。


「……!」


 泣きそうな顔で動けずにいる。


「危ない!」


 ヴィオレットが声を上げた時には、もうアレンは走り出していた。


「アレン卿!?」


 少女のところまで駆ける。


 身体を抱き上げそのまま横へ飛んだ。


 直後。


 荷車が二人のいた場所を通り過ぎる。


 そして少し先の石壁へ激突した。


 ガシャンッ!


 大きな音が市場へ響く。


「……っ。」


 ヴィオレットが駆け寄る。


「アレン卿!」


「大丈夫。」


 アレンはすぐに身体を起こした。


 腕の中には。


 先ほどの少女がいる。


「怖かったね。」


 少女を地面へ下ろし。


 目線を合わせるように屈む。


「どこか痛いところは?」


「……ない。」


「本当?」


「うん……。」


「そっか。」


 アレンが笑う。


「よかった。」


 そして。


 少女の頭を優しく撫でた。


「もう大丈夫だからね。」


「うん……。」


 少女の目に溜まっていた涙が零れる。


 そこへ。


「リナ!」


 一人の女性が駆けてきた。


「お母さん!」


「よかった……!」


 母親が少女を抱き締める。


 それから。


 すぐにアレンへ向き直った。


「ありがとうございます! 本当に、ありがとうございます!」


「いや。間に合ってよかった。」


「お怪我は!?」


「僕は平気。」


 アレンが立ち上がる。


 服についた埃を軽く払った。


「それより、この子を診てもらった方がいい。ぶつかってはいないと思うけど、念のため。」


「はい!」


 母親が何度も頭を下げる。


 アレンは困ったように笑った。


「そんなに頭下げなくていいよ。」


「でも……。」


 女性が顔を上げる。


 そして。


 改めてアレンの顔を見た。


「……あれ?」


「ん?」


「もしかして……。」


 女性の目が大きくなる。


「アレン・ヴァルティエ様……ですか?」


「あ。」


 一瞬。


 アレンがしまったという顔をする。


 けれど今さら誤魔化す理由もない。


「うん。」


「……!」


 女性が息を呑む。


「アレン様!?」


 その声は思った以上に大きかった。


「え?」


「アレン様?」


「ヴァルティエ領主の?」


「あの遊び人の!?」


「……。」


 アレンの眉が僅かに下がる。


(やっぱりそっちの噂なんだ。)


 周囲にいた人々が、次々にこちらを見る。


「あの人が?」


「初めて見た。」


「思ってたより若い!」


「格好いい……。」


「今、子供を助けた人でしょ?」


「迷わず飛び込んだわよ。」


「すごかった……。」


 人が集まり始める。


「アレン様!」


 一人の娘が声を上げた。


「はい?」


「さっきの、すごく格好良かったです!」


「ありがとう。」


 アレンが笑う。


「きゃあっ!」


「……え?」


「笑ってくださった!」


「本当に格好いい!」


「私もお話ししたい!」


「ちょっと、押さないで。」


 さらに人が寄ってくる。


「そんなに見られると恥ずかしいんだけど。」


 アレンが困ったように頭を掻く。


「きゃああっ!」


「照れてる!」


「可愛い!」


「……。」


 アレンは一歩後ろへ下がった。


「ヴィオレット嬢。」


「はい?」


「逃げてもいいかな。」


「ふふっ。」


「笑わないでよ。」


「申し訳ございません。」


 そう言いながら。


 ヴィオレットは楽しそうに笑っている。


「アレン卿は、本当に人気者なのですね。」


「嬉しくないとは言わないけど……。」


 アレンは周囲を見る。


「こうなるから、王都ではあんまり街を歩きたくないんだ。」


「ですが、街を見ることはお好きなのでしょう?」


「うん。」


「でしたら、仕方ございませんね。」


「他人事だと思って。」


 アレンが苦笑する。


 ヴィオレットは、そんなアレンを見つめていた。


 噂では女好きの遊び人。


 けれど実際のアレンは、幼い子供を助けるために自分の身を顧みることなく飛び込んだ。


 助けた相手が誰なのかも。


 周囲からどう見られるかも。


 考えていなかった。


 ただ、危なかったから助けた。


 それだけなのだろう。


(……本当に。)


 ヴィオレットは僅かに目を細める。


(噂とは、まるで違いますのね。)


 ますます、分からなくなった。


     ◇


 人だかりから離れ。


 三人は再び市場を歩いていた。


「疲れた……。」


「先ほどまでお元気でしたのに。」


「人に囲まれる方が疲れるんだよ。」


「夜会では慣れていらっしゃるように見えましたけれど。」


「あれは仕事だから。」


「仕事?」


「あ。」


 アレンが僅かに目を泳がせる。


「いや。夜会も領主の仕事って意味。」


「なるほど。」


 ヴィオレットはそれ以上聞かなかった。


 アレンは内心で小さく息を吐く。


 危ない。


 余計なことまで喋るところだった。


 その時。


 ふとヴィオレットの足が止まった。


「……。」


「ヴィオレット嬢?」


「……はい。」


「どうかした?」


「いいえ。」


 ヴィオレットが振り返る。


 通りには大勢の人がいる。


 商人。


 買い物客。


 荷物を運ぶ者。


 特に変わったところはない。


「何かあった?」


「……少し、人に酔ってしまったのかもしれません。」


「大丈夫?」


 アレンの表情がすぐに変わった。


「どこかで休む?」


「いいえ。まだ大丈夫です。」


「無理しないでね。」


「ありがとうございます。」


 ヴィオレットは微笑む。


 その後ろで侍女が一瞬だけ、ヴィオレットと視線を交わした。


 ほんの僅かにヴィオレットの表情が変わる。


 けれどアレンは気づかなかった。


「じゃあ、少し人の少ない道に行こうか。」


「ええ。」


 三人は歩き出す。


 ヴィオレットはもう一度だけ、さりげなく背後へ視線を向けた。


 先ほどまで確かに。


 誰かの視線を感じていた。


 気のせいかもしれない。


 市場なのだから。


 誰かに見られること自体は珍しくない。


 まして隣にいるのは。


 歩いているだけで人だかりを作るような人物だ。


(……ですが。)


 ヴィオレットの紫色の瞳が。


 僅かに細くなる。


 あれは、そういう視線だっただろうか。


「ヴィオレット嬢?」


 前から呼ばれる。


 ヴィオレットはすぐに表情を戻した。


「今参ります。」


 何事もなかったように。


 アレンの隣へ戻る。


 少し離れた建物の陰で、一人の男がその背中を見送っていた。


 帽子のつばを深く下ろし。


 男はゆっくりと踵を返す。


 人混みの中へ。


 その姿はすぐに消えていった。


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