第6話 公爵の誘い
ヴィオレットがヴァルティエ邸を訪れてから、数日後。
執務室で書類に目を通していたアレンのもとへ、執事が一通の封筒を持ってきた。
「アレン様。王都よりお手紙が届いております。」
「誰から?」
「ラミレス公爵閣下です。」
「……僕に?」
「はい。」
アレンはペンを置き、封筒を受け取った。
レオンハルト・アルマダ・ラミレス公爵。
王国でも指折りの権力を持つ名門貴族だ。
夜会で顔を合わせれば言葉を交わすことはある。
だが個人的に招待されるほど親しいわけではない。
封を切る。
中には、簡潔な招待の言葉が記されていた。
――今後の王都の情勢について、意見を交わしたい。
――若き領主である君の考えも、ぜひ聞かせてもらいたい。
「……意見交換ね。」
アレンは椅子の背へ身体を預けた。
「何かございましたか?」
そばにいたリリアが尋ねる。
「ラミレス公爵から。王都へ来ないかって。」
「公爵閣下から、直接ですか?」
「うん。」
アレンは手紙をリリアへ渡した。
目を通したリリアが、僅かに眉を寄せる。
「随分と突然ですね。」
「僕もそう思う。」
「親しくされていたので?」
「夜会で話すくらいだよ。」
それ以上でも、それ以下でもない。
「王国を支える名門公爵。温厚で人格者。若い貴族の面倒見もいい。」
「評判はよろしい方ですね。」
「うん。」
アレンは机の上で指を組んだ。
「だから余計に、僕をわざわざ呼ぶ理由が分からないんだよね。」
「お断りになりますか?」
「いや。」
アレンは首を横に振る。
「断る理由もないし。向こうが何を話したいのかも気になる。」
領主として。
王都の有力者からの招待を、理由もなく断る必要はない。
「二泊くらい見ておけばいいかな。」
「では、そのように準備いたします。」
「お願い。」
リリアから返された手紙へ、もう一度目を落とす。
丁寧な文面。
不自然なところは何もない。
それでも。
「……何を考えてるのか、よく分からない人なんだよね。」
アレンは小さく呟いた。
◇
二日後。
王都。
ラミレス公爵邸。
重厚な扉が開き、アレンは使用人に案内されて屋敷の奥へ進んだ。
「こちらでございます。」
通された応接室は、華美すぎないながらも。
調度品の一つ一つを見れば、相当な金が掛けられていることが分かる。
窓際には一人の男が立っていた。
白髪の混じった髪。
年齢を感じさせながらも、背筋は真っ直ぐに伸びている。
「よく来てくれた、アレン卿。」
レオンハルトが振り返る。
その顔にはいつもの穏やかな笑みが浮かんでいた。
アレンは丁寧に一礼する。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。」
「そう固くならなくていい。君とは一度、ゆっくり話をしてみたいと思っていたのだよ。」
「僕と、ですか?」
「ああ。まずは座りなさい。」
「失礼します。」
二人が向かい合って腰を下ろす。
すぐに紅茶が運ばれてきた。
「ヴァルティエ領の調子はどうかね?」
「おかげさまで、落ち着いています。」
「そうか。それは何よりだ。」
レオンハルトは満足そうに頷く。
「幼くして領地を継ぎ、よくここまで立て直したものだ。領民からの信頼も厚いと聞いているよ。」
「ありがとうございます。」
「若い領主の中では、頭一つ抜けている。大したものだ。」
「恐縮です。」
アレンは穏やかに微笑む。
言葉だけを聞けば。
純粋に自分を評価してくれているようにしか思えない。
けれど。
(やっぱり、よく分からないな。)
何を考えているのか表情から読み取れない。
ただ温厚なだけなのかもしれない。
自分が考えすぎているだけなのかもしれない。
それでも。
何となく気が抜けなかった。
「ところで、アレン卿。」
「はい。」
「領地を治める上で、不自由はないかね?」
「今のところは。」
「人手は足りているか?」
「はい。十分に。」
「そうか。」
レオンハルトは紅茶を一口飲んだ。
「もし必要であれば、私から優秀な者を紹介することもできる。」
「ありがとうございます。」
「遠慮することはない。君は優秀だが、まだ若い。経験のある者がそばにいれば、助かることもあるだろう。」
「お気持ちはありがたいのですが。」
アレンは柔らかく笑う。
「今のところ、領内の者たちで十分に回せていますので。」
「……そうか。」
ほんの一瞬。
レオンハルトの目が細くなった。
だが次の瞬間には、先ほどまでと変わらない穏やかな笑みへ戻っている。
「それならば何よりだ。必要になった時は、遠慮なく頼ってくれ。」
「はい。その時は。」
アレンも笑みを返した。
その後も、王都の情勢。
交易。
各地の収穫状況。
当たり障りのない話が続いた。
有益な話もある。
不審な要求をされたわけでもない。
結局なぜ自分がわざわざ呼ばれたのか、アレンには最後まで分からなかった。
◇
公爵邸を出ると。
まだ日が傾き始めたばかりだった。
「……まだ時間あるな。」
せっかく王都まで来たのだ。
すぐ宿へ戻るのも勿体ない。
アレンは市場の方へ足を向けた。
通りには多くの店が並んでいる。
香辛料。
布地。
装飾品。
地方ではあまり見かけない品も多い。
「これ、領地でも売れそうだな。」
商品を眺めながら歩く。
こうして市場を見ることも、領主にとっては立派な情報収集だ。
どんな品が流行っているのか。
どこから何が入ってきているのか。
値段はどう動いているのか。
見ておいて損はない。
その時。
「あら。」
聞き覚えのある声がした。
「ん?」
振り返る。
すぐ近くの店先に。
紫色の髪をした女性が立っていた。
「アレン卿。」
「ヴィオレット嬢。」
ヴィオレットだった。
今日は侍女を一人連れている。
ヴィオレットの少し後ろに控えながら。
手にはいくつかの包みを抱えていた。
「こんにちは。」
「こんにちは。偶然だね。」
「ええ。アレン卿が王都にいらしているとは思いませんでした。」
「ちょっと用事があってね。」
「そうでしたの。」
ヴィオレットが柔らかく微笑む。
「ヴィオレット嬢は買い物?」
「はい。今日は体調も良かったものですから、侍女と一緒に少しだけ。」
「そっか。」
アレンは何気なくヴィオレットを見る。
確かに。
屋敷を訪ねてきた時より、顔色も良さそうだ。
「今日は立ちくらみ、大丈夫?」
「……。」
ヴィオレットが瞬きをする。
「覚えていらしたのですね。」
「そりゃ覚えてるよ。目の前でふらつかれたんだから。」
「今日は大丈夫です。」
「なら良かった。」
アレンはそれ以上、何も言わない。
ヴィオレットはそんなアレンを、少しだけ不思議そうに見つめた。
「どうしたの?」
「いいえ。やはり、お優しい方だと思いまして。」
「またそれ?」
「ええ。」
「僕は普通だと思うんだけどな。」
「では、そういうことにしておきましょう。」
「納得してないでしょ。」
「どうでしょう。」
ヴィオレットが楽しそうに微笑む。
以前よりほんの少しだけ、会話がしやすくなった気がする。
夜会で初めて言葉を交わした時とは違う。
ヴィオレットも最初ほど堅くはない。
「もしよろしければ。」
「ん?」
「少しだけ、ご一緒していただけませんか? まだお時間がございましたら。」
「いいよ。僕も市場を見てただけだから。」
「ありがとうございます。」
ヴィオレットが嬉しそうに笑う。
そして、すぐ後ろにいた侍女へ振り返った。
「もう少しだけ見て回ってもよろしい?」
「もちろんでございます。」
「荷物、重くありません?」
「この程度でしたら。」
「でしたら、お願いしますね。」
「はい。」
そのやり取りを聞いていたアレンが、侍女の抱えている包みを見る。
「結構買ったね。」
「……そう見えます?」
「見える。」
「まだ少しだけです。」
「その量で?」
「はい。」
「ヴィオレット嬢の『少し』って、僕と違うのかも。」
「まあ。」
ヴィオレットが口元へ手を添えて笑う。
侍女も後ろで僅かに笑っていた。
「では参りましょうか。」
「うん。」
二人は並んで歩き出した。
その少し後ろをヴィオレットの侍女がついていく。
夜会とは違う。
大勢の貴族に囲まれているわけでもない。
ただ偶然出会った二人が、王都の市場を並んで歩いているだけ。
「アレン卿。」
「何?」
「あちらのお店も見てよろしいですか?」
「もちろん。」
「ありがとうございます。」
ヴィオレットが雑貨店へ向かう。
アレンもその隣を歩く。
その後ろには。
当然のように侍女が続いていた。
だから三人とも気づかなかった。
少し離れた場所。
通りの向こう側に。
一人の男が立っていることに。
「……。」
帽子を深く被った男は。
アレンを見ていた。
そしてその隣を歩くヴィオレットへも視線を移す。
しばらく三人の姿を目で追ったあと、男は何もせず静かに踵を返した。
人混みの中へ紛れ、その姿が見えなくなる。
アレンも。
ヴィオレットも。
そして侍女も。
自分たちが見られていたことには気づかなかった。




