第67話 炎の報せ
それから二日後。
午後の執務も終わりに近づいた頃、アレンは書類へ署名を入れ、凝った肩を軽く回した。
「今日はここまでかな。」
「まだ三枚ございます。」
向かいで書類を整理していたリリアが、淡々と答える。
「……見なかったことには?」
「なりません。」
「だよね。」
諦めて次の書類へ手を伸ばしかけた、その時だった。
廊下から慌ただしい足音が近づき、ほどなくして扉が叩かれる。
「アレン様。」
入ってきた執事の表情は、いつになく硬かった。
「王都より、例の方がお見えです。」
アレンの手が止まる。
「情報屋が?」
「はい。至急お伝えしたいことがあると。」
つい二日前に報告を受けたばかりだ。
それにもかかわらず、再び王都からここまで来た。
ただの進展ではない。
「すぐ通して。」
「かしこまりました。」
執事が退室し、アレンはペンを置いた。
胸の奥に、嫌な予感が広がっていく。
やがて、黒い外套を纏い、フードを深く被った情報屋が執務室へ入ってきた。
顔はフードの影に隠れ、表情まではよく見えない。
「突然の訪問、失礼いたします。」
「構わない。」
いつものように席を勧めようとして、アレンはやめた。
普段とは、纏う空気が違う。
「何があったの?」
情報屋は僅かに間を置いた。
「昨夜、王都で火災が発生いたしました。」
「火災?」
「はい。オルブライト商会です。」
アレンの表情が消えた。
「……商会が?」
「建物は、ほぼ全焼しております。火の回りが早く、内部に保管されていた商品や書類についても、多くが焼失したものと思われます。」
アレンは何も言わなかった。
二日前、この部屋で話していた。
東倉庫地区から運び込まれた、焼印の付いた荷。
確かにオルブライト商会へ入っている。
しかし、その先が見えない。
だから、監視を続けると決めた。
その矢先だった。
「商会主は?」
「亡くなりました。」
「……。」
「逃げ遅れたものと見られております。」
リリアが僅かに眉を寄せる。
「他に亡くなった方は?」
「現時点で確認されている死者は商会主のみです。負傷者もおりますが、正確な人数についてはまだ確認中です。」
「火元は?」
「不明です。」
「事故なのか、放火なのかも?」
「まだ判断されておりません。」
情報屋はそこで言葉を切った。
「現在、現場は王都の兵によって封鎖されています。こちらから不用意に近づくことはしておりません。」
「そうして。現場へ入り込む必要はない。」
「はい。」
短い沈黙が落ちる。
リリアが静かに口を開いた。
「偶然でしょうか。」
「分かりません。」
情報屋は即答した。
「現時点では、火災とこちらの調査を結び付ける証拠はございません。」
「……うん。」
アレンも頷く。
そうだ。
偶然の火災かもしれないし、何らかの不注意で火が出た可能性だってある。
事故なら、それで説明はつく。
アレンの視線が机へ向かう。
そこには、二日前に情報屋から受け取った報告が残されていた。
東倉庫地区。
焼印。
オルブライト商会。
そして、行き先の分からない荷。
「……出来すぎてるね。」
ぽつりと呟く。
「はい。私も、そう感じております。」
「僕たちが荷の行方を追い始めた直後に商会が燃えた。しかも、商会主まで亡くなった。」
偶然として片付けるには、あまりにも時期が悪い。
「もし、これが事故じゃなかったとしたら。」
アレンはゆっくりと口を開いた。
「燃やしたいものが、あそこにあったってことになる。」
「その可能性はございます。」
「帳簿か、荷そのものか、それとも。」
アレンの青い瞳が細められる。
「商会主が知っていた何かか。」
情報屋は静かに頷いた。
「ですので、商会そのものではなく、その周辺を調べます。」
「周辺?」
「火災が起こる前後に商会へ出入りした人物、所在が分からなくなった従業員、取引を突然打ち切った商人。現場へ入らずとも、調べられることはございます。」
そして、一枚の紙が机へ置かれる。
「それから、左頬に刀傷のある男。」
アレンが紙へ目を落とした。
以前、オルブライト商会へ出入りしていた人物。
こちらの者が追跡し、逆に動きを探られた男だ。
「まだ王都にいる?」
「確認中です。火災との関係も分かっておりません。」
「分かった。」
アレンは顔を上げる。
「でも、無理はしないで。」
「承知しております。」
「もし相手が本当に火をつけたのなら、今までとは違う。」
人が一人、亡くなっている。
証拠を消すためなら、人の命すら奪う相手かもしれない。
「だから、何か分かっても一人で踏み込まないで。」
情報屋は一瞬だけ黙った。
自分が誰なのか、アレンは知らない。
自分の背後で、どれほどの人間が動いているのかも知らない。
それでも目の前の人は、自分の身を案じている。
「……はい。お約束いたします。」
「ならいい。」
アレンは小さく息を吐き、もう一度机の上の報告へ目を落とした。
「オルブライト商会が燃えたからって、全部なくなったわけじゃない。」
「はい。」
「建物は燃やせても、そこに関わった人間まで最初からいなかったことにはできない。」
アレンの指先が、刀傷の男について記された紙へ触れる。
フードの奥で、ヴィオレットの紫の瞳が僅かに細められた。
「同感です。」
「追って。ただし、慎重に。」
「承知いたしました。」
情報屋は深く一礼した。
◇ ◇ ◇
情報屋が去った後、アレンはしばらく椅子から動かなかった。
二日前まで、オルブライト商会は確かにそこにあった。
焼印の付いた荷を受け入れ、その先が見えなくなっていた場所。
それが、一夜にして焼け落ちた。
「……追えていたのに。」
ようやく見つけた流れが、途中で断ち切られた。
悔しくないはずがない。
けれど、気になるのはそれだけではなかった。
もし、この火災が自分たちの調査と関係しているのなら。
アレンは静かに目を細める。
「……少なくとも、無関係だと決めるのは早い。」
炎によって、一つの手掛かりは失われた。
けれど、その直前まで確かにあった人の動きも、荷の流れも、すべてが消えたわけではない。
事故なのか、それとも、誰かが消したのか。
今はまだ分からない。
だからこそ、確かめるしかなかった。




