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第66話 動かない荷


 ヴァルティエ領へ戻って三日。


 アレンは執務室で、留守の間に溜まっていた書類と格闘していた。


「……多いな。」


 思わず漏れた声に、向かいで書類を整理していたリリアが顔を上げる。


「王都へ発たれる前に申し上げたはずですが。」


「聞いた時より多く見える。」


「実際に増えておりますので。」


「やっぱり?」


「はい。」


 淡々と返され、アレンは諦めたようにペンを握り直した。


 西地区の橋の補修工事、農地へ続く水路の整備、街道沿いに新設する休憩所の予算。


 一つずつ内容を確認し、必要なものには署名を入れていく。


 王都で十五年前の記録を追っていた時とは、まるで違う時間だった。


 けれど、こちらが本来の領主としての日常だ。


「西地区の橋は?」


「予定より早く補修が完了しております。」


「もう?」


「職人たちが随分頑張ってくださったようです。」


 アレンは報告書へ目を通し、小さく笑った。


「じゃあ、追加の報奨を出そう。確か予算に余裕があったよね。」


「ございます。」


「そこからお願い。」


「承知しました。」


 リリアが手帳へ書き留める。


 アレンは次の書類へ手を伸ばしかけ、ふと窓の外へ目を向けた。


 穏やかな昼下がりだった。


 王都から遠く離れたこの場所では、東倉庫地区で今何が起きているのか、アレン自身が知る術はない。


 情報屋へ任せる。


 そう決めたのだから、自分から動くつもりはなかった。


 それでも。


「……どうしたかな。」


「情報屋の方ですか?」


 あまりにも迷いなく言い当てられ、アレンが振り返る。


「なんで分かったの?」


「王都からお戻りになってから、何度も同じような顔をなさっていますので。」


「そんなに?」


「はい。」


 リリアは少しだけ笑う。


「ですが、今は待つとお決めになったのでしょう?」


「分かってるよ。分かってるんだけどね。」


 アレンは苦笑し、再び書類へ目を落とした。


 待つというのは、どうにも性に合わない。


 けれど今、自分が勝手に動けば、王都で調査を続けている者たちの邪魔になるかもしれない。


 それだけは避けたかった。


 その時、控えめなノックが響いた。


「失礼いたします。」


 執事が扉を開け、一礼する。


「アレン様。お客様がお見えです。」


「誰?」


「以前にもお越しになった、黒い外套の方です。」


 アレンはすぐにペンを置いた。


「通して。」


「かしこまりました。」


 ほどなくして、黒い外套を纏い、フードを深く被った情報屋が静かに執務室へ入ってきた。


 顔はフードの影に隠れ、表情まではよく見えない。


「失礼いたします。」


「来てくれたんだね。」


「はい。」


 その姿を見て、アレンは僅かに表情を緩めた。


 王都から戻って三日。


 気にはなっていた。


 こうして無事な姿を見れば、それだけで少し安心する。


「座って。」


「ありがとうございます。」


 情報屋が向かいへ腰を下ろす。


 リリアは二人分の紅茶を用意すると、一礼した。


「私は隣室におりますので、何かございましたらお呼びください。」


「ありがとう。」


 扉が閉じ、二人きりになる。


 情報屋は懐から数枚の紙を取り出した。


「東倉庫地区とオルブライト商会について、少し気になることが分かりました。」


 アレンの表情が引き締まる。


「何があった?」


「以前お話ししたとおり、東倉庫地区だけを直接見張る方法は改めております。」


「王都全体から情報を拾うって話だったね。」


「はい。その中で、オルブライト商会へ出入りする荷について、複数の報告が集まりました。」


「荷?」


 情報屋は一枚の紙を机へ置いた。


「オルブライト商会には、毎日多くの荷馬車が出入りしております。穀物、織物、生活用品。商会の規模を考えれば、それ自体は何も不自然ではございません。」


「うん。」


「ですが、この印が付いた荷については少し事情が違います。」


 そう言って、木札に刻まれていた焼印を書き写した紙を隣へ置く。


 アレンの視線が止まった。


 王都で手に入れた木札。


 十五年前から使われていたという、あの焼印。


「東倉庫地区から運び出された、この印の付いた荷がオルブライト商会へ入るところを確認しております。」


「そこまでは追えたんだ。その後は?」


 情報屋は僅かに間を置いた。


「確認できておりません。」


「……出てこない?」


「少なくとも、こちらで把握している範囲では。」


 アレンの眉が寄る。


「荷を積み替えてる可能性は?」


「考えました。そのため、商会から出る荷馬車についても確認しております。荷台の沈み方や車輪への負荷、馬の様子など、正確な重量までは分かりませんが、それなりの荷を積んでいるかどうかは判断できます。」


「それでも見つからない。」


「はい。」


 東倉庫地区から入った荷に見合う動きは、少なくともこちらでは確認できていない。


 アレンは机の上の紙を見つめた。


「荷は消えないよね。」


「ええ。」


「入ったなら、どこかにある。でも、出たところは確認できていない。」


「その通りです。」


 短い沈黙が落ちる。


「商会の中に保管されてるだけってことは?」


「十分に考えられます。また、こちらが把握していない経路から搬出されている可能性もございます。」


「別の出入口があるとか?」


「地下、隣接する建物、あるいはこちらが見ていない時間帯。方法はいくつも考えられます。ですが、現段階ではどれも推測にすぎません。」


「そっか。」


「今分かっているのは、印の付いた荷が東倉庫地区からオルブライト商会へ運ばれていること。そして、その後の行方を確認できていないこと。その二つだけです。」


 アレンは小さく頷いた。


 東倉庫地区。


 オルブライト商会。


 十五年前から残る焼印。


 いくつものものが、少しずつ重なり始めている。


 けれど、それだけですべてが繋がっていると決めつけることはできない。


「中へ入って確かめるのは?」


「お勧めいたしません。」


「だよね。僕も言ってから危ないと思った。」


「危険だけが理由ではございません。」


「というと?」


「左頬に刀傷のある男です。」


 アレンの表情が変わる。


「以前、こちらの者が彼を追った際、逆に動きを探られています。こちらの正体までは知られていないでしょうが、何者かが周辺を調べていることには気付いている可能性がございます。」


「今、露骨に商会へ入れば、こっちが何かを掴んだって教えることになりかねない。」


「はい。」


 オルブライト商会そのものが、監視に気付いている様子はない。


 今のところは、普段と変わらず営業を続けている。


 だからこそ、こちらから余計な動きを見せる必要もなかった。


「じゃあ、どうする?」


「今までどおりです。東倉庫地区だけへ人員を集中させず、王都全体から情報を集めます。その中で、同じ荷の動きを追います。」


「時間が掛かりそうだね。」


「掛かるでしょう。ですが、焦ってこちらから動く必要はございません。」


 迷いのない答えだった。


 情報屋の指先が、焼印の写しへ触れる。


「一度きりの動きではありません。同じ印の付いた荷が、繰り返し運ばれております。」


「なら、また確認する機会はある。」


「はい。回数が増えれば、見えてくるものも増えます。」


 アレンはしばらく情報屋を見つめ、やがて小さく笑った。


「やっぱり、君に任せて正解だった。僕だったら、気になって商会の中を見に行ってたかもしれない。」


「でしょうね。」


 間髪入れずに返され、アレンが目を丸くする。


「そこは否定してくれてもいいんじゃない?」


「これまでの行動を考えますと、難しいかと。」


「……反論できない。」


 アレンが苦笑する。


 その姿に、深いフードの奥でヴィオレットの口元も僅かに緩んだ。


「ですので、アレン卿は領地にいてください。」


「分かってる。」


「本当に?」


「この前、約束しただろ。お互いに無茶はしないって。」


「……ええ。そうでしたね。」


 ヴィオレットの動きが、ほんの一瞬止まった。


 依頼人と情報屋。


 それだけの間柄で交わした、何気ない約束を覚えていてくれた。


「だから僕はここにいる。君も無茶はしない。」


「承知いたしました。」


「頼んだよ。」


「はい。」


 ヴィオレットは静かに頷いた。


 その後、いくつか細かな報告を交わし、ヴィオレットは席を立つ。


「次に動きがございましたら、またご報告に参ります。」


「うん。気を付けて帰って。」


「ありがとうございます。」


 扉へ向かいかけたヴィオレットが、ふと足を止める。


「アレン卿も、お仕事のし過ぎにはお気を付けください。」


「僕?」


 アレンは机の上へ視線を落とした。


 まだ半分以上残っている書類の山。


「……これは無茶に入る?」


「私には判断いたしかねます。」


「そこは助けてよ。」


「領主のお仕事ですので。」


「……君までリリアみたいなことを言うんだね。」


 アレンは目を丸くした後、堪えきれず笑った。


 ヴィオレットは一礼し、今度こそ部屋を後にする。


 廊下を歩きながら、深く被ったフードの奥には、まだ小さな笑みが残っていた。


 ――お互いに無茶はしない。


 依頼人と情報屋の間に交わされた約束。


 それだけだと分かっている。


 それでも、自分の身を案じてくれることが少しだけ嬉しかった。


     ◇ ◇ ◇


 一方、執務室へ残されたアレンは、机の上に置かれた焼印の写しを見つめていた。


 東倉庫地区から、オルブライト商会へ。


 荷は確かに運ばれている。


 けれど、その先が見えない。


「入ったものが、出てこない……。」


 消えるはずなどない。


 ならば、どこかにある。


 商会の中なのか、自分たちがまだ知らない経路なのか。それすら今は分からない。


 まして、この荷が十五年前の出来事へ繋がっているのかも、まだ分からない。


 だからこそ、一つずつ確かめるしかない。


 動かない荷。


 その小さな違和感が、何を隠しているのかを。


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